旧約の啓示と新約の啓示の異なる点
本文:エゼ3章、啓1章-22章(イザ29:9-14、ホセ12:10)
旧約の啓示と新約の啓示の異なる点は、どんなことなのか。
旧約の啓示は、旧約を成し遂げることであり、新約の啓示は、新約を成し遂げることである。このように、旧約を成し遂げることと新約を成し遂げることの差のために、同じ啓示ではない(啓示の意味は、封じられていたものを開いて見せるという意味である。)。その例を挙げれば、旧約の成し遂げる啓示は、種を蒔くことであり(エレ31:27、マタ13:24-25)、新約の成し遂げる啓示は、蒔いた種の実を刈り取って、神様の新しい国を創造することである(マタ13:30、啓14章)。
旧約も、新約も、成し遂げる封じられた本を与えられる方は、神様であられるが、その本を開いて、成し遂げられた後、その本を受けて食べてあかしする牧者は違う。旧約の本を受けて食べた方はエゼキエルであり(エゼ3章)、新約の開かれた本を受けて食べた人は、イエス様の弟子、使徒ヨハネであった(啓10章)。だが、旧約でも、新約でも、人名と地名はたとえたものである。ホセア書12:10に、「預言者たちによってたとえを示そう。」と言われたので、エレミヤ、また、エゼキエルを用いて語られたが、旧約を成し遂げる時の人物は、エレミヤでもエゼキエルでもなく、イエス様であられた。このように、新約も開かれた本を使徒ヨハネに与えたように記録されたが、成就の時の人物は、ヨハネではない。ヨハネが見て記録した啓示録は、その時から約2千年が過ぎた今日の事なので、成就の時の人物が、どうしてヨハネだろうか。また、エゼキエルが見て聞いて記録したそれが、6百年が過ぎた後に成し遂げられたので、成就の時の人物が、どうしてエゼキエルだろうか。従って、聖書の記録は、その昔の人名、地名をたとえたものであることを知らなければならない。
また預言書に、たとえた比喩で約束を話したのは、サタンと敵対者が聞いて悟らないようにするためだと(マタ13:13-15)と言われた御言葉を知るべきであり、はっきりと告げる時は、その約束を成し遂げる、その時である。この時、約束の牧者に来られて、約束した成就を見せてくださって、説明してくださる。従って、これを見て聞いた約束の牧者は、自分が見た実体をあかしするようになる。これが預言とその成就であり、預言された神様と成就した約束の牧者であり、この時、信じる者と信じない者がいるようになる。
預言と実状を信じることによって救われるようになる。預言を信じても、実状を信じなければ、救われない。また預言を悟れなければ、実状もわからない。旧約で種を蒔くことを約束されて、初臨の時、イエス様が来られて種を蒔かれて、再び来られて蒔いた種の実を収穫して、新しい国を創造されることを約束された。種を蒔くことがなければ、どうして再び来られて収穫することがあるだろうか。従って、種を蒔く預言とその成就があり、蒔いた種の実を収穫するという預言とその成就があるのである。
従って、旧約の啓示と新約の啓示が異なるのである。旧約の預言と新約の預言が異なっていて、その成就も異なるのである。旧約も、新約も、神様の目的があってこそ言われたのである。預言とその成就、旧約と新約の目的とその結果は、この地の罪悪の世を終わらせて、神様の義の国を立てられて、神様が統治されるということである。それだからこそ、罪を赦されて、神様の種で再び生まれ、聖霊を受けて、新しい世で神様と共に住むのである。
だから、神様の種を蒔かれて、収穫されて、印を押されて、新しい国を創造された。このためにイエス様は、十字架にかかられて血を流された。その血で罪を洗って白い群れになるようにされて、その血でサタンと戦って勝利されて、その血で私たちを罪から解放されて、その血で私たちを贖って、神様の国と祭司長になるようにされた。
キリストの血で罪を赦されて、神様の種で再び生まれ、神様の子どもとなり、神様の家族になることによって神様と共に天国で住むようになる。このために種を蒔くことも、収穫することも、印を押すことも、神様の新し国の創造もあったのである。
このように約束されて、今日、成し遂げられたことを見ても信じず、妨害する者たちは、サタンに惑わされたサタンの働き手たちだからである。しかし、私たちは、新約通り私たち自身に成し遂げられて、本当に父と息子(子ども)になった。これは、新約の啓示通り成し遂げられた天国であり、天民であり、神様の国であり、天国である。アーメン。
2015년 9월 10일 목요일
遥远的天国之路,天国在哪里
遥远的天国之路,天国在哪里?
无数宗教人都在寻找去往天国(的道路)。虽然(他们)是闭眼的瞎子,不知道方向,也看不见,但还在努力地寻找。
摩西看到了天上的天国,并照此在这地上制造了相同的样式(出25章)。耶稣曾说(神的)旨意将行在地上如同行在天上。真牧者应当(先)看见天国(约3:31-34),然后(照此)教授。
(经上)说若瞎子领瞎子,两个人都要掉在坑里(太15:14)。(大家)信(这话)吗?
正如初临时有马太福音15章14节中成瞎子的牧者和马太福音23章16-28节中假冒为善的瞎眼之人,主再临时也有启示录3章17-18节中被称为瞎眼的牧者和圣徒们。您,难道不是瞎眼的吗?
让(我们)遇见真主(向其)买火炼的金子、白衣和眼药,擦眼药使(我们)能看见(启3:18)。
(笔者)对此作一下介绍。
对(那些)找寻(肉眼所)看不见的天国的众宗教人,(笔者)作如下劝告:
天国不是说我们找着去的,乃是神、天国、耶稣和众天使临到我们(中间的)。要临在何处?就是临在启示录3章12节(所记载之处),在这里不仅能见到神,还能见到天国。
笔者要晓喻的就是此处。
(让我们)在这里从耶稣(那里)买上述三样,即金子、白衣和眼药,成为擦眼药能看见、以所行的义(白衣)传讲真理(金子)的人。
摩西的律法是道理的开端;耶稣所设的比喻是说出古时谜语的天国奥秘;再临时的今日不再用比喻,而是以实体晓谕天国的奥秘(约16:25)。
我们所走过的信仰之路、我所拥有的珠子是什么样的?(让我们)验证一下,换取更好的珠子。
圣经、牧者和教会都只为圣徒而存在。
让(我们)通过真理和公义公道之信仰领悟(神的)道并以真理成圣(约17:17-19)。
只有将应许之道应验在自己身上,才能拥有进入天国的资格。启示录中的事件是新约预言的综合,加删(启示录)就进不了天国,会受到诅咒(启22:18-19)。只有明白了应当明白的,才会产生信心。
(让我们)查看在六千年的历史中所发生过的事。
神离开后,撒但主管了世界。真神为了恢复人类(世界)在每个时代都差遣使者(到世上),然而(神的使者)却反遭世上牧者们的集中逼迫和杀害。这是因为撒但为了继续占据世界而施行阻挠,使得为(世界之)主的神无法落脚、进入世界,也无法传话语。
(可想而知)撒但会通过他的牧者制造出多少骚乱?神所创造的人类竟成为撒但的所属与神为敌。初临时神与耶稣按照应许来到了(神)所创造的以色列,然而他们非但没有接待反而诅咒、辱骂、逼迫并杀害了(耶稣)(约1:1-14)。这就是魔鬼所主管的世界,是沦为属魔鬼的牧者们(的行径)。
背负世人罪孽而离去的耶稣曾在马太福音21章41-45节中晓喻说:“神的国必从你们夺去,赐给那能结果子的百姓。”离去的耶稣在升天后将使徒约翰召唤到天上,向其显现了将来要成之事即启示录。这启示录的成就之时就是魔鬼即龙被捉住扔进无底坑之时(启20:1-3)。因此,初临时魔鬼才央求耶稣说:“时候还没有到,不要命(我们)进无底坑,就打发我们进入猪群吧。”(太8:28-31)。也就是说主再临时是捉住主管世界六千年的龙即魔鬼,由神来作王之时。魔鬼在那时(初临时)就已知道了这一事实,神先(将旨意)成就在天上,如今照其(天上的)同样地成就在地上,这是必成的成就。
在每个时代(魔鬼的行径)都是一成不变的,在启示录成就之时魔鬼又将行怎样的行径?一直以来,每当在地球村里有神的使者出现并做工,撒但所属的军队即牧者们就会拼死拼活地来折磨神的使者。与此相同,在这神最后的役事—启示录成就之时,撒但是不可能坐以待毙的。
首先,在启示录13章中撒但的组织与神帐幕里的圣徒争战且得了胜,在圣徒们的右手和额上印了兽的印记并(使他们)拜兽。之后在启示录12章中龙及其所属牧者败给了神立约的牧者,被逐出了天上帐幕,从七条路逃走。得胜者行收割(之工)并创建了十二支派。(让我们)查考启示录16章争战与审判(的内容)。
12章中的得胜者们聚集在了15章中的玻璃海上,(神)将神的大怒盛在他们身上(得胜者们成为大怒的碗)倒在了16章中的背道者们与撒但的国和座位及其牧者上。之后又发生了什么事?
有鬼魔的灵从在13章中入侵(天上帐幕)的龙与兽并假先知的口中出来,到普天下众王即牧者那里,为使他们与属神的牧者争战而将他们聚集到了战场。
这与初临时(的情景)一样。(如今是神)最后的役事,(撒但)更是拼死反抗。所以,今日他们所行的逼迫还能少吗?(他们)在拼死拼活地反抗。现实不就是如此吗?
他们用以私意编造的注释取代圣经,这注释是受从他们口中出来的(鬼魔的)灵的指使而写的,是撒但的教理,是属撒但的灵粮。初临时耶路撒冷的牧者们就是蛇,耶路撒冷圣殿就是坟墓,与此相同,今日在启示录13章中入侵(天上帐幕)的龙的组织就是蛇,就是属撒但的牧者们,这是(我们)应当知道的。
立约的牧者在看见照启示录成就的事件后为此作见证,以此晓喻(人们)这是神的应许即新约得以成就的(实状)。然而不信神之道、神之应许和为新约的启示录已应验的(行为)就是罪。无论是初临时还是再临时的今日,在启示录2章中领受了白石就意味着领受了审判的权柄。然而属世的权势者反倒试图以属世的权势来审判领受白石的人,最终属世的审判者将遭受天上审判者(白石)的审判。
在启示录得以成就之时看见、听见并领悟(其成就)的人,(他们的)领悟就是信新约的信心和完全的信心。今日得以创造的新国度是永远的神的国度,这正证明(今日)是由神来作王的时代。这新国度就是今日做信仰的圣徒们所盼望所寻找的天国。阿们。
遥远的天国之路,天国在哪里?
无数宗教人都在寻找去往天国(的道路)。虽然(他们)是闭眼的瞎子,不知道方向,也看不见,但还在努力地寻找。
摩西看到了天上的天国,并照此在这地上制造了相同的样式(出25章)。耶稣曾说(神的)旨意将行在地上如同行在天上。真牧者应当(先)看见天国(约3:31-34),然后(照此)教授。
(经上)说若瞎子领瞎子,两个人都要掉在坑里(太15:14)。(大家)信(这话)吗?
正如初临时有马太福音15章14节中成瞎子的牧者和马太福音23章16-28节中假冒为善的瞎眼之人,主再临时也有启示录3章17-18节中被称为瞎眼的牧者和圣徒们。您,难道不是瞎眼的吗?
让(我们)遇见真主(向其)买火炼的金子、白衣和眼药,擦眼药使(我们)能看见(启3:18)。
(笔者)对此作一下介绍。
对(那些)找寻(肉眼所)看不见的天国的众宗教人,(笔者)作如下劝告:
天国不是说我们找着去的,乃是神、天国、耶稣和众天使临到我们(中间的)。要临在何处?就是临在启示录3章12节(所记载之处),在这里不仅能见到神,还能见到天国。
笔者要晓喻的就是此处。
(让我们)在这里从耶稣(那里)买上述三样,即金子、白衣和眼药,成为擦眼药能看见、以所行的义(白衣)传讲真理(金子)的人。
摩西的律法是道理的开端;耶稣所设的比喻是说出古时谜语的天国奥秘;再临时的今日不再用比喻,而是以实体晓谕天国的奥秘(约16:25)。
我们所走过的信仰之路、我所拥有的珠子是什么样的?(让我们)验证一下,换取更好的珠子。
圣经、牧者和教会都只为圣徒而存在。
让(我们)通过真理和公义公道之信仰领悟(神的)道并以真理成圣(约17:17-19)。
只有将应许之道应验在自己身上,才能拥有进入天国的资格。启示录中的事件是新约预言的综合,加删(启示录)就进不了天国,会受到诅咒(启22:18-19)。只有明白了应当明白的,才会产生信心。
(让我们)查看在六千年的历史中所发生过的事。
神离开后,撒但主管了世界。真神为了恢复人类(世界)在每个时代都差遣使者(到世上),然而(神的使者)却反遭世上牧者们的集中逼迫和杀害。这是因为撒但为了继续占据世界而施行阻挠,使得为(世界之)主的神无法落脚、进入世界,也无法传话语。
(可想而知)撒但会通过他的牧者制造出多少骚乱?神所创造的人类竟成为撒但的所属与神为敌。初临时神与耶稣按照应许来到了(神)所创造的以色列,然而他们非但没有接待反而诅咒、辱骂、逼迫并杀害了(耶稣)(约1:1-14)。这就是魔鬼所主管的世界,是沦为属魔鬼的牧者们(的行径)。
背负世人罪孽而离去的耶稣曾在马太福音21章41-45节中晓喻说:“神的国必从你们夺去,赐给那能结果子的百姓。”离去的耶稣在升天后将使徒约翰召唤到天上,向其显现了将来要成之事即启示录。这启示录的成就之时就是魔鬼即龙被捉住扔进无底坑之时(启20:1-3)。因此,初临时魔鬼才央求耶稣说:“时候还没有到,不要命(我们)进无底坑,就打发我们进入猪群吧。”(太8:28-31)。也就是说主再临时是捉住主管世界六千年的龙即魔鬼,由神来作王之时。魔鬼在那时(初临时)就已知道了这一事实,神先(将旨意)成就在天上,如今照其(天上的)同样地成就在地上,这是必成的成就。
在每个时代(魔鬼的行径)都是一成不变的,在启示录成就之时魔鬼又将行怎样的行径?一直以来,每当在地球村里有神的使者出现并做工,撒但所属的军队即牧者们就会拼死拼活地来折磨神的使者。与此相同,在这神最后的役事—启示录成就之时,撒但是不可能坐以待毙的。
首先,在启示录13章中撒但的组织与神帐幕里的圣徒争战且得了胜,在圣徒们的右手和额上印了兽的印记并(使他们)拜兽。之后在启示录12章中龙及其所属牧者败给了神立约的牧者,被逐出了天上帐幕,从七条路逃走。得胜者行收割(之工)并创建了十二支派。(让我们)查考启示录16章争战与审判(的内容)。
12章中的得胜者们聚集在了15章中的玻璃海上,(神)将神的大怒盛在他们身上(得胜者们成为大怒的碗)倒在了16章中的背道者们与撒但的国和座位及其牧者上。之后又发生了什么事?
有鬼魔的灵从在13章中入侵(天上帐幕)的龙与兽并假先知的口中出来,到普天下众王即牧者那里,为使他们与属神的牧者争战而将他们聚集到了战场。
这与初临时(的情景)一样。(如今是神)最后的役事,(撒但)更是拼死反抗。所以,今日他们所行的逼迫还能少吗?(他们)在拼死拼活地反抗。现实不就是如此吗?
他们用以私意编造的注释取代圣经,这注释是受从他们口中出来的(鬼魔的)灵的指使而写的,是撒但的教理,是属撒但的灵粮。初临时耶路撒冷的牧者们就是蛇,耶路撒冷圣殿就是坟墓,与此相同,今日在启示录13章中入侵(天上帐幕)的龙的组织就是蛇,就是属撒但的牧者们,这是(我们)应当知道的。
立约的牧者在看见照启示录成就的事件后为此作见证,以此晓喻(人们)这是神的应许即新约得以成就的(实状)。然而不信神之道、神之应许和为新约的启示录已应验的(行为)就是罪。无论是初临时还是再临时的今日,在启示录2章中领受了白石就意味着领受了审判的权柄。然而属世的权势者反倒试图以属世的权势来审判领受白石的人,最终属世的审判者将遭受天上审判者(白石)的审判。
在启示录得以成就之时看见、听见并领悟(其成就)的人,(他们的)领悟就是信新约的信心和完全的信心。今日得以创造的新国度是永远的神的国度,这正证明(今日)是由神来作王的时代。这新国度就是今日做信仰的圣徒们所盼望所寻找的天国。阿们。
2015년 9월 8일 화요일
Der sehr weite Weg zum Himmelreich - Wo ist das Himmelreich?
Der sehr weite Weg zum Himmelreich - Wo ist das Himmelreich?
Zahlreiche Religionsangehörige suchen das Himmelreich. Obwohl sie nicht wissen, wo es ist, die Richtung nicht kennen, und Blinde sind, welche die Augen verschließen, und es ebenfalls nicht gesehen haben, schreiten sie weiter fleißig fort.
Mose sah das Himmelreich im Himmel und errichtete es entsprechend seines Abbildes auf der Erde (2Mo 25). Und Jesus sagte, dass der Wille wie im Himmel auch auf Erden geschieht.
Ein wahrer Hirte muss das Himmelreich sehen (Joh 3:31-34) und lehren.
Es heißt, wenn jemand einem Hirten folgt, der zu einem Blinden geworden ist, dann werden beide in die Grube fallen (Mt 15:14). Wird das geglaubt?
Zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu gab es die zu Blinden gewordenen Hirten aus Matthäus 15:14 und auch jene aus Matthäus 23:16-28, die zu heuchlerischen Blinden wurden. Dementsprechend heißt es auch in Offenbarung 3:17-18, dass in der Zeit, in welcher der Herr wiederkommt, sowohl die Hirten als auch die Heiligen Blinde sind. Sind Sie kein Blinder?
Lassen Sie uns dem wahren Herrn begegnen, um das im Feuer geläuterte Gold, die weißen Kleider und die Augensalbe umsonst zu kaufen, sodass die Augensalbe aufgetragen werden kann (Offb 3:18).
Sie werden Ihnen vorgestellt.
Hierzu rate ich den Religionsangehörigen, die das unsichtbare Himmelreich suchen.
Das Himmelreich wird nicht von uns aufgesucht, sondern Gott, das Himmelreich, Jesus und die Engel kommen zu uns. Wohin kommen sie? Sie kommen zum Ort aus Offenbarung 3:12. Dort kann sowohl Gott als auch das Himmelreich angetroffen werden.
Der Verfasser möchte diesen Ort bekanntgeben.
Lassen sie uns zu solchen werden, die an diesem Ort die oben erwähnten drei Dinge, also das Gold, die weißen Kleider und die Augensalbe, von Jesus kaufen, damit wir die Augensalbe auftragen, um sehen zu können, und damit wir mit gerechtem Verhalten (weiße Kleider) die Wahrheit (Gold) sprechen.
Das Gesetz Moses war der Weg vom Anfang und die Gleichnisse Jesu waren das Geheimnis des Himmelreichs, welche die Rätsel aus der Vorzeit bekanntgaben. Heutzutage beim Wiederkommen Jesu stellt es die Zeit dar, in der nicht die Gleichnisse über das Geheimnis des Himmelreichs, sondern deren erfüllte Wirklichkeiten bekanntgegeben werden (Joh 16:25).
Was ist der Weg des Glaubenslebens, den wir beschreiten, und was ist die Perle, die ich besitze? Lassen Sie uns das untersuchen. Lassen Sie uns eine noch bessere Perle eintauschen.
Die Bibel, die Hirten und auch die Gemeinden sind allein für die Heiligen vorhanden.
Lassen Sie uns durch die wahrhaftige Wahrheit und durch ein Glaubensleben des gerechten Weges des rechtschaffenden Verhaltens über das Wort Erkenntnis erlangen, um durch die Wahrheit geheiligt zu werden (Joh 17:17-19).
Erst wenn sich das Wort der Verheißung an mir selbst erfüllt, besitzt man die Voraussetzung, um in das Himmelreich hineinzugehen. Die Ereignisse der Offenbarung fassen die Vorhersagen des Neuen Testaments zusammen. Wenn dem etwas hinzugefügt und weggenommen wird, kann man nicht in das Himmelreich gehen und man wird verflucht (Offb 22:18-19). Erst wenn man das Wissenswerte kennt, entsteht Glaube.
Lassen Sie uns die Werke untersuchen, die in der 6000jährigen Geschichte vorgekommen sind.
Die von Gott verlassene Welt ist von Satan beherrscht worden und in jedem Zeitalter hat der wahre Gott Boten gesandt, um die Menschheit zu erlösen, doch durch die weltlichen Hirten im Zentrum sind sie verfolgt und getötet worden. Dies geschah, damit Satan die in Besitz genommene Welt weiterhin behalten konnte. So ließ man in der Welt Gott, welcher der HERR ist, weder Fuß fassen noch hineinkommen noch das Wort verkünden.
Wieviel Unruhe ließ wohl Satan durch die Hirten Satans aufkommen? Es ist die Rede davon, dass der von Gott erschaffene Mensch nun zum Satan gehört und er Gott anfeindet. Zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu verhießen Gott und Jesus, und sie kamen zum geschaffenen Israel, doch sie wurden nicht angenommen und stattdessen wurde verflucht, beschimpft, verfolgt und getötet (Joh 1:1-14). Dies stellt die Welt dar, die der Teufel beherrscht hat. Es sind die Hirten, die zu Hirten des Teufels geworden sind.
Jesus, der die Sünden der Welt auf sich nahm und starb, gab in Matthäus 21:41-45 bekannt, dass “das Himmelreich von euch weggenommen und einer Nation gegeben werde, die seine Früchte bringen wird”, und er ging fort. Nachdem der fortgegangene Jesus gen Himmel fuhr, rief er den Jünger Johannes in den Himmel, um das in der Zukunft zu Erfüllende zu zeigen, welches die Offenbarung darstellt. Wenn diese Offenbarung erfüllt wird, stellt dies die Zeit dar, in welcher der Teufel, also der Drache, gefangen und im Abgrund eingeschlossen wird (Offb 20:1-3). So sagte der Teufel zu Jesus bei dessen Ersten Kommen, dass er ihn “nicht in den Abgrund, sondern in die Herde Schweine senden solle, da die Zeit noch nicht gekommen sei” (Mt 8:28-31). Auf diese Weise wird zu der Zeit des Wiederkommens des Herrn der Drache, also der Teufel, der 6000 Jahre lange die Welt beherrscht hat, gefangen und es stellt das Zeitalter dar, in der es sich hin zu der Zeit der Herrschaft Gottes wandelt. Diese Tatsache kannte der Teufel schon von jener Zeit an. Da Gott es im Himmel erfüllt hat und es nun genauso auf Erden geschieht, wird es sich nun klar und deutlich erfüllen.
Da es sich in jedem Zeitalter so verhalten hat, wie wird dann wohl das Verhalten des Teufels in der Zeit sein, in welcher sich die Offenbarung erfüllt? Immer, wenn in der Vergangenheit ein Bote Gottes auf der Erde erschienen ist und gewirkt hat, haben die Soldaten Satans, also seine Hirten, auf Leben und Tod den Boten Gottes gequält. Auf gleicher Weise gibt es keinen Grund zu denken, dass Satan zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung, welches das letzte Werk darstellt, still halten wird.
Als erstes wird mit den Heiligen des Zeltes Gottes aus Offenbarung 13 gekämpft und die Gruppierung Satans siegt. Die Stirne und Hände der Heiligen werden mit dem Malzeichen des Tieres versehen und sie werden dazu gebracht, das Tier anzubeten. Nach diesem wird mit dem versprochenen Hirten Gottes aus Offenbarung 12 gekämpft und der Drache sowie die zu ihm gehörenden Hirten unterliegen. Da sie unterliegen, werden sie aus dem Himmelszelt vertrieben und zerstreuen sich auf sieben Wegen. Der Überwinder erntet und gründet die 12 Stämme. Es wird nun der Krieg und das Gericht aus Offenbarung 16 betrachtet.
Die Überwinder in Kapitel 12 versammeln sich am gläsernen Meer aus Kapitel 15. In ihnen wird der Zorn Gottes gefüllt (da die Überwinder zu den Schalen des Zorns geworden sind), um ihn in Kapitel 16 auf die Abgefallenen, das Reich und den Thron Satans sowie seine Hirten auszugießen. Was ist passiert?
Es heißt, dass aus den Mündern des Drachen, des Tieres und der falschen Propheten, die in Kapitel 13 eingedrungen sind, unreine Geister herauskommen und zu den Königen des ganzen Erdkreises, also zu den Hirten, ausziehen, um gegen den Hirten Gottes zu kämpfen, und so werden sie auch auf dem Schlachtfeld versammelt.
Dies gleicht sich mit der Zeit des Ersten Kommens Jesu, doch da es das letzte Werk darstellt, wird aufs Allerschlimmste attackiert. Wird ihre Verfolgung heutzutage gering sein? Auf Leben und Tod wird attackiert. Entspricht dies nicht den Tatsachen?
Da anstelle der Bibel die eigenwillig verfassten Kommentarbücher gemäß der Beauftragung des Geistes, der aus ihrem Mund kommt, herausgegeben werden, stellen diese die Lehre Satans dar, die Speise des Geistes Satans. So, wie zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu die Hirten Jerusalems Schlangen waren, und so, wie der Tempel in Jerusalem ein Grab war, stellt auch die Gruppierung des Drachen die Schlangen dar, die heutzutage gemäß Kapitel 13 eingedrungen sind. Man muss wissen, dass sie die Hirten Satans sind.
Da der versprochene Hirte die gemäß der Offenbarung erfüllten Ereignisse gesehen und bezeugt hat, wird damit bekanntgegeben, dass die Verheißung Gottes, der neue Bund, erfüllt worden ist. Doch es stellt eine Sünde dar, wenn man nicht glaubt, dass die Offenbarung sich erfüllt, obwohl es doch das Wort Gottes ist, Seine Verheißung. Ob nun zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu oder heutzutage beim Wiederkommen Jesu, indem der weiße Stein in Offenbarung 2 empfangen wird, wird die Macht zum Richten empfangen. Aber auch wenn die Machthaber dieser Welt mit weltlicher Macht denjenigen richten, der den weißen Stein empfangen hat, werden die Richtenden dieser Welt letztendlich von dem Richtenden des Himmels (weißer Stein) das Gericht erfahren.
Derjenige, der zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung sieht, hört und Erkenntnis erlangt, besitzt durch diese Erkenntnis den Glauben, der an das Neue Testament glaubt lässt. Es ist der vollkommene Glaube. Das heutzutage erschaffene neue Reich ist das ewige Reich Gottes. Es wird bezeugt, dass es das Zeitalter ist, in dem Gott herrscht. Dieses neue Reich ist genau das Himmelreich, das sich die gläubigen Heiligen heutzutage erhoffen und das sie suchen. Amen.
Zahlreiche Religionsangehörige suchen das Himmelreich. Obwohl sie nicht wissen, wo es ist, die Richtung nicht kennen, und Blinde sind, welche die Augen verschließen, und es ebenfalls nicht gesehen haben, schreiten sie weiter fleißig fort.
Mose sah das Himmelreich im Himmel und errichtete es entsprechend seines Abbildes auf der Erde (2Mo 25). Und Jesus sagte, dass der Wille wie im Himmel auch auf Erden geschieht.
Ein wahrer Hirte muss das Himmelreich sehen (Joh 3:31-34) und lehren.
Es heißt, wenn jemand einem Hirten folgt, der zu einem Blinden geworden ist, dann werden beide in die Grube fallen (Mt 15:14). Wird das geglaubt?
Zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu gab es die zu Blinden gewordenen Hirten aus Matthäus 15:14 und auch jene aus Matthäus 23:16-28, die zu heuchlerischen Blinden wurden. Dementsprechend heißt es auch in Offenbarung 3:17-18, dass in der Zeit, in welcher der Herr wiederkommt, sowohl die Hirten als auch die Heiligen Blinde sind. Sind Sie kein Blinder?
Lassen Sie uns dem wahren Herrn begegnen, um das im Feuer geläuterte Gold, die weißen Kleider und die Augensalbe umsonst zu kaufen, sodass die Augensalbe aufgetragen werden kann (Offb 3:18).
Sie werden Ihnen vorgestellt.
Hierzu rate ich den Religionsangehörigen, die das unsichtbare Himmelreich suchen.
Das Himmelreich wird nicht von uns aufgesucht, sondern Gott, das Himmelreich, Jesus und die Engel kommen zu uns. Wohin kommen sie? Sie kommen zum Ort aus Offenbarung 3:12. Dort kann sowohl Gott als auch das Himmelreich angetroffen werden.
Der Verfasser möchte diesen Ort bekanntgeben.
Lassen sie uns zu solchen werden, die an diesem Ort die oben erwähnten drei Dinge, also das Gold, die weißen Kleider und die Augensalbe, von Jesus kaufen, damit wir die Augensalbe auftragen, um sehen zu können, und damit wir mit gerechtem Verhalten (weiße Kleider) die Wahrheit (Gold) sprechen.
Das Gesetz Moses war der Weg vom Anfang und die Gleichnisse Jesu waren das Geheimnis des Himmelreichs, welche die Rätsel aus der Vorzeit bekanntgaben. Heutzutage beim Wiederkommen Jesu stellt es die Zeit dar, in der nicht die Gleichnisse über das Geheimnis des Himmelreichs, sondern deren erfüllte Wirklichkeiten bekanntgegeben werden (Joh 16:25).
Was ist der Weg des Glaubenslebens, den wir beschreiten, und was ist die Perle, die ich besitze? Lassen Sie uns das untersuchen. Lassen Sie uns eine noch bessere Perle eintauschen.
Die Bibel, die Hirten und auch die Gemeinden sind allein für die Heiligen vorhanden.
Lassen Sie uns durch die wahrhaftige Wahrheit und durch ein Glaubensleben des gerechten Weges des rechtschaffenden Verhaltens über das Wort Erkenntnis erlangen, um durch die Wahrheit geheiligt zu werden (Joh 17:17-19).
Erst wenn sich das Wort der Verheißung an mir selbst erfüllt, besitzt man die Voraussetzung, um in das Himmelreich hineinzugehen. Die Ereignisse der Offenbarung fassen die Vorhersagen des Neuen Testaments zusammen. Wenn dem etwas hinzugefügt und weggenommen wird, kann man nicht in das Himmelreich gehen und man wird verflucht (Offb 22:18-19). Erst wenn man das Wissenswerte kennt, entsteht Glaube.
Lassen Sie uns die Werke untersuchen, die in der 6000jährigen Geschichte vorgekommen sind.
Die von Gott verlassene Welt ist von Satan beherrscht worden und in jedem Zeitalter hat der wahre Gott Boten gesandt, um die Menschheit zu erlösen, doch durch die weltlichen Hirten im Zentrum sind sie verfolgt und getötet worden. Dies geschah, damit Satan die in Besitz genommene Welt weiterhin behalten konnte. So ließ man in der Welt Gott, welcher der HERR ist, weder Fuß fassen noch hineinkommen noch das Wort verkünden.
Wieviel Unruhe ließ wohl Satan durch die Hirten Satans aufkommen? Es ist die Rede davon, dass der von Gott erschaffene Mensch nun zum Satan gehört und er Gott anfeindet. Zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu verhießen Gott und Jesus, und sie kamen zum geschaffenen Israel, doch sie wurden nicht angenommen und stattdessen wurde verflucht, beschimpft, verfolgt und getötet (Joh 1:1-14). Dies stellt die Welt dar, die der Teufel beherrscht hat. Es sind die Hirten, die zu Hirten des Teufels geworden sind.
Jesus, der die Sünden der Welt auf sich nahm und starb, gab in Matthäus 21:41-45 bekannt, dass “das Himmelreich von euch weggenommen und einer Nation gegeben werde, die seine Früchte bringen wird”, und er ging fort. Nachdem der fortgegangene Jesus gen Himmel fuhr, rief er den Jünger Johannes in den Himmel, um das in der Zukunft zu Erfüllende zu zeigen, welches die Offenbarung darstellt. Wenn diese Offenbarung erfüllt wird, stellt dies die Zeit dar, in welcher der Teufel, also der Drache, gefangen und im Abgrund eingeschlossen wird (Offb 20:1-3). So sagte der Teufel zu Jesus bei dessen Ersten Kommen, dass er ihn “nicht in den Abgrund, sondern in die Herde Schweine senden solle, da die Zeit noch nicht gekommen sei” (Mt 8:28-31). Auf diese Weise wird zu der Zeit des Wiederkommens des Herrn der Drache, also der Teufel, der 6000 Jahre lange die Welt beherrscht hat, gefangen und es stellt das Zeitalter dar, in der es sich hin zu der Zeit der Herrschaft Gottes wandelt. Diese Tatsache kannte der Teufel schon von jener Zeit an. Da Gott es im Himmel erfüllt hat und es nun genauso auf Erden geschieht, wird es sich nun klar und deutlich erfüllen.
Da es sich in jedem Zeitalter so verhalten hat, wie wird dann wohl das Verhalten des Teufels in der Zeit sein, in welcher sich die Offenbarung erfüllt? Immer, wenn in der Vergangenheit ein Bote Gottes auf der Erde erschienen ist und gewirkt hat, haben die Soldaten Satans, also seine Hirten, auf Leben und Tod den Boten Gottes gequält. Auf gleicher Weise gibt es keinen Grund zu denken, dass Satan zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung, welches das letzte Werk darstellt, still halten wird.
Als erstes wird mit den Heiligen des Zeltes Gottes aus Offenbarung 13 gekämpft und die Gruppierung Satans siegt. Die Stirne und Hände der Heiligen werden mit dem Malzeichen des Tieres versehen und sie werden dazu gebracht, das Tier anzubeten. Nach diesem wird mit dem versprochenen Hirten Gottes aus Offenbarung 12 gekämpft und der Drache sowie die zu ihm gehörenden Hirten unterliegen. Da sie unterliegen, werden sie aus dem Himmelszelt vertrieben und zerstreuen sich auf sieben Wegen. Der Überwinder erntet und gründet die 12 Stämme. Es wird nun der Krieg und das Gericht aus Offenbarung 16 betrachtet.
Die Überwinder in Kapitel 12 versammeln sich am gläsernen Meer aus Kapitel 15. In ihnen wird der Zorn Gottes gefüllt (da die Überwinder zu den Schalen des Zorns geworden sind), um ihn in Kapitel 16 auf die Abgefallenen, das Reich und den Thron Satans sowie seine Hirten auszugießen. Was ist passiert?
Es heißt, dass aus den Mündern des Drachen, des Tieres und der falschen Propheten, die in Kapitel 13 eingedrungen sind, unreine Geister herauskommen und zu den Königen des ganzen Erdkreises, also zu den Hirten, ausziehen, um gegen den Hirten Gottes zu kämpfen, und so werden sie auch auf dem Schlachtfeld versammelt.
Dies gleicht sich mit der Zeit des Ersten Kommens Jesu, doch da es das letzte Werk darstellt, wird aufs Allerschlimmste attackiert. Wird ihre Verfolgung heutzutage gering sein? Auf Leben und Tod wird attackiert. Entspricht dies nicht den Tatsachen?
Da anstelle der Bibel die eigenwillig verfassten Kommentarbücher gemäß der Beauftragung des Geistes, der aus ihrem Mund kommt, herausgegeben werden, stellen diese die Lehre Satans dar, die Speise des Geistes Satans. So, wie zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu die Hirten Jerusalems Schlangen waren, und so, wie der Tempel in Jerusalem ein Grab war, stellt auch die Gruppierung des Drachen die Schlangen dar, die heutzutage gemäß Kapitel 13 eingedrungen sind. Man muss wissen, dass sie die Hirten Satans sind.
Da der versprochene Hirte die gemäß der Offenbarung erfüllten Ereignisse gesehen und bezeugt hat, wird damit bekanntgegeben, dass die Verheißung Gottes, der neue Bund, erfüllt worden ist. Doch es stellt eine Sünde dar, wenn man nicht glaubt, dass die Offenbarung sich erfüllt, obwohl es doch das Wort Gottes ist, Seine Verheißung. Ob nun zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu oder heutzutage beim Wiederkommen Jesu, indem der weiße Stein in Offenbarung 2 empfangen wird, wird die Macht zum Richten empfangen. Aber auch wenn die Machthaber dieser Welt mit weltlicher Macht denjenigen richten, der den weißen Stein empfangen hat, werden die Richtenden dieser Welt letztendlich von dem Richtenden des Himmels (weißer Stein) das Gericht erfahren.
Derjenige, der zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung sieht, hört und Erkenntnis erlangt, besitzt durch diese Erkenntnis den Glauben, der an das Neue Testament glaubt lässt. Es ist der vollkommene Glaube. Das heutzutage erschaffene neue Reich ist das ewige Reich Gottes. Es wird bezeugt, dass es das Zeitalter ist, in dem Gott herrscht. Dieses neue Reich ist genau das Himmelreich, das sich die gläubigen Heiligen heutzutage erhoffen und das sie suchen. Amen.
The Difference Between the Revelations of the Old Testament and the New Testament
The Difference Between the Revelations of the Old Testament and the New Testament
Main references: Ez 3, Rv 1 ~ 22 (Is 29:9-14, Hos 12:10)
What is the difference between the revelation of the Old Testament and that of the New Testament?
The revelation of the Old Testament is about fulfilling the Old Testament, and the revelation of the New Testament is about fulfilling the New Testament. Because the fulfillments of the Old Testament and the New Testament are different from each other, these revelations are not the same either (the meaning of revelation is to reveal and to show something that was sealed). For example, the revelation of the fulfillment of the Old Testament is about sowing the seeds (Jer 31:27, Mt 13:24-25), whereas the revelation of the fulfillment of the New Testament is about harvesting the crops of those seeds and creating God’s new kingdom (Mt 13:30, Rv 14).
The Old Testament and the New Testament alike, it is God who gives the sealed scrolls to be fulfilled in the future. However, after the scrolls become open and fulfilled, the pastors who receive and testify to the scrolls are different. It was Ezekiel who received and at the scroll of the Old Testament (Ez 3), but it was Apostle John, a disciple of Jesus, who received and ate the opened scroll of the New Testament (Rv 10). The names of the people and places in the Old and the New Testament were borrowed and figuratively used for the future. God says in Hos 12:10, “I spoke to the prophets, gave them many visions and told parables through them.” God used Jeremiah and Ezekiel to speak, but when it was time to fulfill the Old Testament, He did not fulfill it through Jeremiah or Ezekiel but through Jesus. Likewise, it is recorded in the New Testament that the opened scroll was given to Apostle John, but the person at the time of fulfillment is not John, because the revelation that John saw and recorded was about today, which is approximately 2,000 years after his time. How then can John be the person who appears at the time of fulfillment? Also, what Ezekiel saw and recorded fulfilled 600 years later. How then can Ezekiel be the person at the time of fulfillment? Hence, we must know that the Bible borrows and figuratively uses the names of people and places for the future.
We must also know the reason why He spoke of these promises using figurative words, why the prophecies are written in parables. It was to prevent Satan and the enemies from hearing and understanding them (Mt 13:13-15). The time to make these known plainly is when the promise fulfills. When this happens God comes to the pastor He had promised about, the promised pastor, and shows and explains the fulfillment that happened. The promised pastor testifes to all he sees and hears, that is, the physical entities. This is prophecy and fulfillment, and the God who has prophesied it and the promised pastor who has fulfilled it. During this time there will be people who believe this and people who do not believe.
He who believes in the prophecy and the fulfillment will receive salvation. If he believes in the prophecy but not in the fulfillment, he cannot receive salvation. Furthermore, if one does not understand the prophecy, he cannot understand the fulfillment. The Old Testament promises about the sowing of the seeds. At the time of First Coming, Jesus came and sowed the seeds, and he promised that he would return to harvest the crops of those seeds and create a new kingdom. Can he return to harvest the crops if the seeds are not sown in the first place? Thus, there is a prophecy and fulfillment of sowing the seeds as well as a prophecy and fulfillment of harvesting the crops of those seeds.
This is why the revelation of the Old Testament and New Testament are different. If the revelations are different, then their fulfillments are different also. God made both the Old Testament and the New Testament, because He had a purpose to accomplish. The purpose of the Old and New Testaments is to end this world of sin and wickedness and establish His kingdom of righteousness where He can reign. It is to have all mankind receive the atonement for their sins, be reborn with God's seed, receive the holy spirit, and live with God in this new world. This is the conclusion.
And it is the reason that God sowed the seed, harvested, and by sealing created a new kingdom. For this same reason, Jesus, too, bore the cross and shed his blood. He made the people to be the great multitude in white by washing their sins with his blood, and with that blood he fought and overcame Satan. And with that blood, he has freed us from our sins and purchased us to become God’s kingdom and priests. Anyone who receives the atonement for his sins with the blood of Christ and is reborn with God’s seed can become God’s family and live in heaven with Him. That is why there was the work of sowing the seed, harvesting, sealing, and creating God’s new kingdom.
Some do not believe in today’s fulfillment of the promise and interfere with the work of God, because they were deceived and have become the workers of Satan. However, the promises of the New Testament fulfilled in our lives, and we have become the true sons (children) of our Father. This is heaven, the people of heaven and the kingdom of God, that has fulfilled according to the revelation of the New Testament.
Amen.!
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/726
Main references: Ez 3, Rv 1 ~ 22 (Is 29:9-14, Hos 12:10)
What is the difference between the revelation of the Old Testament and that of the New Testament?
The revelation of the Old Testament is about fulfilling the Old Testament, and the revelation of the New Testament is about fulfilling the New Testament. Because the fulfillments of the Old Testament and the New Testament are different from each other, these revelations are not the same either (the meaning of revelation is to reveal and to show something that was sealed). For example, the revelation of the fulfillment of the Old Testament is about sowing the seeds (Jer 31:27, Mt 13:24-25), whereas the revelation of the fulfillment of the New Testament is about harvesting the crops of those seeds and creating God’s new kingdom (Mt 13:30, Rv 14).
The Old Testament and the New Testament alike, it is God who gives the sealed scrolls to be fulfilled in the future. However, after the scrolls become open and fulfilled, the pastors who receive and testify to the scrolls are different. It was Ezekiel who received and at the scroll of the Old Testament (Ez 3), but it was Apostle John, a disciple of Jesus, who received and ate the opened scroll of the New Testament (Rv 10). The names of the people and places in the Old and the New Testament were borrowed and figuratively used for the future. God says in Hos 12:10, “I spoke to the prophets, gave them many visions and told parables through them.” God used Jeremiah and Ezekiel to speak, but when it was time to fulfill the Old Testament, He did not fulfill it through Jeremiah or Ezekiel but through Jesus. Likewise, it is recorded in the New Testament that the opened scroll was given to Apostle John, but the person at the time of fulfillment is not John, because the revelation that John saw and recorded was about today, which is approximately 2,000 years after his time. How then can John be the person who appears at the time of fulfillment? Also, what Ezekiel saw and recorded fulfilled 600 years later. How then can Ezekiel be the person at the time of fulfillment? Hence, we must know that the Bible borrows and figuratively uses the names of people and places for the future.
We must also know the reason why He spoke of these promises using figurative words, why the prophecies are written in parables. It was to prevent Satan and the enemies from hearing and understanding them (Mt 13:13-15). The time to make these known plainly is when the promise fulfills. When this happens God comes to the pastor He had promised about, the promised pastor, and shows and explains the fulfillment that happened. The promised pastor testifes to all he sees and hears, that is, the physical entities. This is prophecy and fulfillment, and the God who has prophesied it and the promised pastor who has fulfilled it. During this time there will be people who believe this and people who do not believe.
He who believes in the prophecy and the fulfillment will receive salvation. If he believes in the prophecy but not in the fulfillment, he cannot receive salvation. Furthermore, if one does not understand the prophecy, he cannot understand the fulfillment. The Old Testament promises about the sowing of the seeds. At the time of First Coming, Jesus came and sowed the seeds, and he promised that he would return to harvest the crops of those seeds and create a new kingdom. Can he return to harvest the crops if the seeds are not sown in the first place? Thus, there is a prophecy and fulfillment of sowing the seeds as well as a prophecy and fulfillment of harvesting the crops of those seeds.
This is why the revelation of the Old Testament and New Testament are different. If the revelations are different, then their fulfillments are different also. God made both the Old Testament and the New Testament, because He had a purpose to accomplish. The purpose of the Old and New Testaments is to end this world of sin and wickedness and establish His kingdom of righteousness where He can reign. It is to have all mankind receive the atonement for their sins, be reborn with God's seed, receive the holy spirit, and live with God in this new world. This is the conclusion.
And it is the reason that God sowed the seed, harvested, and by sealing created a new kingdom. For this same reason, Jesus, too, bore the cross and shed his blood. He made the people to be the great multitude in white by washing their sins with his blood, and with that blood he fought and overcame Satan. And with that blood, he has freed us from our sins and purchased us to become God’s kingdom and priests. Anyone who receives the atonement for his sins with the blood of Christ and is reborn with God’s seed can become God’s family and live in heaven with Him. That is why there was the work of sowing the seed, harvesting, sealing, and creating God’s new kingdom.
Some do not believe in today’s fulfillment of the promise and interfere with the work of God, because they were deceived and have become the workers of Satan. However, the promises of the New Testament fulfilled in our lives, and we have become the true sons (children) of our Father. This is heaven, the people of heaven and the kingdom of God, that has fulfilled according to the revelation of the New Testament.
Amen.!
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2015년 9월 2일 수요일
旧约启示与新约启示的不同之处
旧约启示与新约启示的不同之处
主要经文:结3章,启1章-22章(赛29:9-14,何12:10)
旧约启示与新约启示的不同之处是什么?
旧约启示是旧约的成就,新约启示是新约的成就。也就是说(两者的)不同之处在于(一个是)要成就旧约,(一个是)要成就新约,(所以)不是相同的启示(启示指的是展开并展示封严的(书卷))。例如:成就的旧约启示是撒种(耶31:27,太13:24-25);成就的新约启示是收割撒种后所结出的果子,(以此)创造神的新国度(太13:30,启14章)。
不论是在旧约还是在新约中,都是由神赐下将要成就的封严的书卷,然而那书卷被展开成就后,领受、吃下那书卷并作见证的牧者却各不相同。领受并吃下旧约书卷的人是以西结(结3章),领受并吃下新约书卷的人则是耶稣的使徒约翰(启10章)。然而,旧约和新约中的人名和地名是所设的(比喻)。(神)在何西阿书12章10节中说到要“藉先知设立比喻”,虽然(神)藉耶利米和以西结传讲话语,但在旧约成就之时(成就旧约)的人物并不是耶利米和以西结,而是耶稣。与此相同,新约中也记载到(神)将展开的书卷赐给了使徒约翰,然而成就(新约)的人物并不是约翰。约翰看见并记录下的启示录是从那时起约两千年后的今天(要得以成就)的事,那么成就(新约)的人物怎么可能是约翰?同样,以西结看见、听见后记录下的(内容)在六百年后得到了成就,那么成就(旧约)的人物怎么可能是以西结?所以,(圣徒们)要知道圣经中的记载是藉古时的人名和地名所设的比喻。
还要知道在预言书里用比喻传讲应许是为了使撒但和敌对者(即使)听见(预言)也不明白(太13:13-15),而明明地讲说之时就是应许的成就之时。这时,(神)将会临于立约的牧者,指示并讲明应许的成就。因此,看见并听见此(成就)的立约的牧者将把自己所看见的实体们证明出来。这就是预言及其成就,是作预言的神与成就(预言)的立约的牧者。此时,将有信与不信之人。
(圣徒)得救恩是因信预言与实状。只信预言,不信实状就得不到救恩,而不明白预言就无法知道(其)实状。(神)在旧约中应许要撒种,初临时耶稣到来后撒下了种子并应许将要再来收割撒种后所结的果子,(以此)创造新国度。若没有撒种之事,怎会有再来收割之工?由此可知,有撒种的预言及其成就,也有收割果子的预言及其成就。
因此,旧约的启示与新约的启示不同。(因为)旧约的预言和新约的预言不同,其成就也就不同。无论是旧约还是新约,都是因有神的目的而立的。预言与其成就、旧约与新约的目的及其结果就是终结这地上的罪恶世界,创建由神作王的神的义之国度。就是(使人)罪得赦免、从神的种子蒙重生、领受圣灵在新的世界与神一同生活。
为此(神)才撒了神的种子,收割、印(神)印并创造了新的国度。也是为此耶稣背负十字架流下了宝血,(使圣徒们)用他的血洗净罪成为穿白衣的人;与撒但争战得胜;脱离罪恶;买来我们作神的国民与祭司。
用基督的血罪得赦免,以神的种子蒙重生成为神的子女、神的家族(的圣徒们),将与神在天国里一同生活。正是为此才有了撒种、收割、印(神)印与创造神的新国度之事。
那些看到(神)应许并今日的成就也不信、行妨碍的,是因(他们)受了撒但的迷惑成了撒但的工人。然而我们按照新约(使应许)成就在了自己的身上,真正成为了父(神)的儿子(子女)。这就是照新约启示得以成就的天国与天民,是神的国度与天国。阿们。
主要经文:结3章,启1章-22章(赛29:9-14,何12:10)
旧约启示与新约启示的不同之处是什么?
旧约启示是旧约的成就,新约启示是新约的成就。也就是说(两者的)不同之处在于(一个是)要成就旧约,(一个是)要成就新约,(所以)不是相同的启示(启示指的是展开并展示封严的(书卷))。例如:成就的旧约启示是撒种(耶31:27,太13:24-25);成就的新约启示是收割撒种后所结出的果子,(以此)创造神的新国度(太13:30,启14章)。
不论是在旧约还是在新约中,都是由神赐下将要成就的封严的书卷,然而那书卷被展开成就后,领受、吃下那书卷并作见证的牧者却各不相同。领受并吃下旧约书卷的人是以西结(结3章),领受并吃下新约书卷的人则是耶稣的使徒约翰(启10章)。然而,旧约和新约中的人名和地名是所设的(比喻)。(神)在何西阿书12章10节中说到要“藉先知设立比喻”,虽然(神)藉耶利米和以西结传讲话语,但在旧约成就之时(成就旧约)的人物并不是耶利米和以西结,而是耶稣。与此相同,新约中也记载到(神)将展开的书卷赐给了使徒约翰,然而成就(新约)的人物并不是约翰。约翰看见并记录下的启示录是从那时起约两千年后的今天(要得以成就)的事,那么成就(新约)的人物怎么可能是约翰?同样,以西结看见、听见后记录下的(内容)在六百年后得到了成就,那么成就(旧约)的人物怎么可能是以西结?所以,(圣徒们)要知道圣经中的记载是藉古时的人名和地名所设的比喻。
还要知道在预言书里用比喻传讲应许是为了使撒但和敌对者(即使)听见(预言)也不明白(太13:13-15),而明明地讲说之时就是应许的成就之时。这时,(神)将会临于立约的牧者,指示并讲明应许的成就。因此,看见并听见此(成就)的立约的牧者将把自己所看见的实体们证明出来。这就是预言及其成就,是作预言的神与成就(预言)的立约的牧者。此时,将有信与不信之人。
(圣徒)得救恩是因信预言与实状。只信预言,不信实状就得不到救恩,而不明白预言就无法知道(其)实状。(神)在旧约中应许要撒种,初临时耶稣到来后撒下了种子并应许将要再来收割撒种后所结的果子,(以此)创造新国度。若没有撒种之事,怎会有再来收割之工?由此可知,有撒种的预言及其成就,也有收割果子的预言及其成就。
因此,旧约的启示与新约的启示不同。(因为)旧约的预言和新约的预言不同,其成就也就不同。无论是旧约还是新约,都是因有神的目的而立的。预言与其成就、旧约与新约的目的及其结果就是终结这地上的罪恶世界,创建由神作王的神的义之国度。就是(使人)罪得赦免、从神的种子蒙重生、领受圣灵在新的世界与神一同生活。
为此(神)才撒了神的种子,收割、印(神)印并创造了新的国度。也是为此耶稣背负十字架流下了宝血,(使圣徒们)用他的血洗净罪成为穿白衣的人;与撒但争战得胜;脱离罪恶;买来我们作神的国民与祭司。
用基督的血罪得赦免,以神的种子蒙重生成为神的子女、神的家族(的圣徒们),将与神在天国里一同生活。正是为此才有了撒种、收割、印(神)印与创造神的新国度之事。
那些看到(神)应许并今日的成就也不信、行妨碍的,是因(他们)受了撒但的迷惑成了撒但的工人。然而我们按照新约(使应许)成就在了自己的身上,真正成为了父(神)的儿子(子女)。这就是照新约启示得以成就的天国与天民,是神的国度与天国。阿们。
True Religion and False Religion
True Religion and False Religion
Main references: Rom 8:1-11 (Jn 3:3-8, Mal 2:1-8)
What is true religion, and what is false religion?
True religion is a teaching that comes from the true God of heaven, and false religion is an arbitrary teaching (religion) or a teaching that does not come from God but from other gods. All religious people claim they believe in God, say that the word they learn and teach is the words of revelation that came from God, and believe their religion is the best. Then shouldn’t we ask ourselves: is the god (spirit) I believe in and follow the true God, and is the teaching that comes from it the revelation from the true God? Or is it a revelation from a false god? Is it based on one’s own arbitrary judgment? Is that religion a religion confined to a country or a culture? Is it merely superstition?
A man is like the building of a spirit (1 Cor 3:9) and a field that receives the seed of the spirit (refer to Lk 8:15). Because the Word is like the spirit (refer to Jn 10:35), when moral instructions enter a person, that person will believe and follow those words and become a servant of that spirit.
A religion cannot be considered a true religion solely by having a lot of people (congregation members) or because it is called a religion of tradition. It can only be a true religion if it has the true God and His revealed word. True religion includes the Creator and the things (contents) He created since the time of their creation, the four seasons and the number of years that passed, history and genealogy, and enduring prophecies and their fulfillments. Let us examine what is the religion of the true God and what is a false religion.
Many believers worship and fall for the god of their own religions, and they refuse to believe or even hear about other religions. However, the words, “The dead were judged according to what they had done as recorded in the books,” (Rv 20:12) must be fulfilled at the time of judgment.
Let us examine the meaning of religion (宗敎: highest “jong”, to teach “gyo”) by looking at its root Chinese characters. If we analyze the Chinese character for religion (宗敎) by its parts, it is composed of “宀 (“Bu” meaning what is above the head and “Myeon” meaning House. 宀 symbolizes “heaven”), 示 (“Si” meaning to see), 孝 (“Hyo” meaning filial duty), 1) 攵 (=攴: “Bok” meaning hitting or whipping → teach by whipping).” Therefore, in the East, the word “religion” means “the highest teaching”, which is “to teach the will of heaven and filial duty by seeing and hearing the things of heaven”. In the West, the origin of the word “religion” is the Latin word “religare”. This means to reconnect the broken lifeline. What we have examined thus far shows why religion is taught.
Many religious people claim that they believe in God and that they teach with the things belonging to God. However, their religions’ names, scriptures, deeds (deeds according to the religious standards), and rituals are all different from each other. According to God’s promise, a priest, who is a pastor that leads service, is one who walks with God. From his mouth comes truth through the Word of God, and from his mouth people must seek the truth. He must become the messenger of God. This is the covenant made between God and the priest (the pastor), as written in Malachi 2.
The testimony of a religion must be based on the Five Ws and One H (who, what, when, where, why, and how), and its genealogy, generations, and flow must make sense. Also, the prophecies that have endured from long ago and their fulfillment must continue on to this day, and there must be evidence of the prophecies’ physical fulfillment. God’s promised pastors who appear in each era are the pastors whom God promised beforehand in the previous eras. Therefore, there must be things promised (prophecies) regarding the promised pastors, and they are those who appear according to the promises and who perform the works that had been promised.
For example, Jesus at the First Coming was born to a virgin and God was with this child (Is 7:14 à Mt 1:18-25). He was born in Bethlehem (Mi 5:2 à Mt 2:1-6), and he also entered Jerusalem riding on a colt and proclaimed peace (Zec 9:9-10 à Lk 19:33-42) according to the promises of the Old Testament. Jesus fulfilled every promise of the Old Testament (Jn 19:30). This is how one can be acknowledged as the promised pastor.
A promised pastor had already been determined in the Scripture (the Bible) to appear in the kingdom that is created today, at the end of age. Because this pastor comes according to the promises of the Scripture and fulfills what had been promised, he is the pastor promised by God and is acknowledged as the pastor whom God sent.
The content of Scripture is recorded in four major parts: history, moral teaching, prophecy, and fulfillment. When the prophecies fulfill, three events occur: the events of betrayal, destruction, and salvation. The three entities who fulfill these events (betrayer, destroyer, and savior) appear and do the work which had been recorded with what they would do. Therefore, the believers are able to recognize each of the entities by seeing the work that they do.
Though a pastor may claim his own religion and scripture to be true, if he does not know the meaning of that scripture and does not act according to it, he cannot be the messenger who speaks on behalf of God, nor can he be the messenger who walks with Him. If the name, scripture, and actions of a denomination are only made up arbitrarily and are not from God (ex: commentaries), and if a pastor belonging to that denomination is teaching falsehood given by the spirit of Satan, committing to ceremonies, custom, and actions not commanded by heaven, he becomes God’s adversary and enemy.
Various religions claim to believe in God, but they all differ from each other because the gods they believe in are not the same. And the reason why religious conflicts cause approximately 80% of the world’s wars is that those religions are not God’s religion. God is the Creator of heaven and earth and He loves His creation. He commanded the people He created to be fruitful and to increase in number. He also told them to forgive, love, and bless one another. In other words, God did not tell them to fight, kill, and curse each other. Thus, the reason religions fight, kill, and curse is that their gods are different.
Many false religious groups were established from mistaking religions created by people, states, superstition, arbitrary thoughts, and cultural traditions for the true religion. Even a child knows that religions today are corrupt. If the people of a religion truly believe in righteousness, truth, perfection, and God, they must throw away their corrupt religion before the true God and become one within God. Hence, at the 2014 Peace Summit, members from each religion made a pledge in sight of God, the heavens and the earth, all peoples of the world, and the Peace Advocate to become one under God by unifying all religions. This is the only way to cease all wars in the world and to achieve peace—so that it can be left as a legacy to the future generations.
Denominations, religions, pastors, and scriptures exist for the people who believe—not for the sake of the pastors, their scriptures, and the denominations themselves. A true pastor must be with God, act in righteousness and justice, and master the Scripture so that all people can seek the truth from his mouth. He must become a messenger of God who speaks on behalf of Him by preaching the revelation (refer to Mal 2:7). If a pastor has not mastered the Scripture, if God is not with him, and if the pastor does not have the revelation (the revealed word) or the truth, he is not the true pastor. The religion of such a person is only a religion belonging to that person—it is only an arbitrary religion that he uses as the means of his livelihood.
If a pastor does not love God, the congregation members, the neighbors, and the Word, he is a false pastor of Satan. A true pastor must walk with God and speak the Word of God. He must master the Bible, feed his congregation members with food that endures to eternal life, bring righteous judgment with the white stone of judgment, and rule over all nations with the iron scepter. He must also bring cessation of all wars in the world and achieve peace that can be left as a legacy to the future generations. He must forgive, love, and make the world into a world of peace where God reigns.
A true pastor must love even his enemy, instead of taking revenge on his enemy. A true pastor must love the world created by the true God. He must turn the world into a world of splendid paradise, and heal all nations. He must make God known to all people through prayer and revelation. He must return all creation and people to their original image and likeness, and guide them to become the people of heaven who forever give thanks and glory to God.
I am putting in my utmost effort to do this work. Amen!
1) The original letter of “gyo” of “Jong-gyo (religion)” is ‘敎’, and ‘教’ is the popular or simplified form of the Chinese character “gyo”. In the article above, ‘教’ was broken down to analyze the word “religion” by parts.
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Main references: Rom 8:1-11 (Jn 3:3-8, Mal 2:1-8)
What is true religion, and what is false religion?
True religion is a teaching that comes from the true God of heaven, and false religion is an arbitrary teaching (religion) or a teaching that does not come from God but from other gods. All religious people claim they believe in God, say that the word they learn and teach is the words of revelation that came from God, and believe their religion is the best. Then shouldn’t we ask ourselves: is the god (spirit) I believe in and follow the true God, and is the teaching that comes from it the revelation from the true God? Or is it a revelation from a false god? Is it based on one’s own arbitrary judgment? Is that religion a religion confined to a country or a culture? Is it merely superstition?
A man is like the building of a spirit (1 Cor 3:9) and a field that receives the seed of the spirit (refer to Lk 8:15). Because the Word is like the spirit (refer to Jn 10:35), when moral instructions enter a person, that person will believe and follow those words and become a servant of that spirit.
A religion cannot be considered a true religion solely by having a lot of people (congregation members) or because it is called a religion of tradition. It can only be a true religion if it has the true God and His revealed word. True religion includes the Creator and the things (contents) He created since the time of their creation, the four seasons and the number of years that passed, history and genealogy, and enduring prophecies and their fulfillments. Let us examine what is the religion of the true God and what is a false religion.
Many believers worship and fall for the god of their own religions, and they refuse to believe or even hear about other religions. However, the words, “The dead were judged according to what they had done as recorded in the books,” (Rv 20:12) must be fulfilled at the time of judgment.
Let us examine the meaning of religion (宗敎: highest “jong”, to teach “gyo”) by looking at its root Chinese characters. If we analyze the Chinese character for religion (宗敎) by its parts, it is composed of “宀 (“Bu” meaning what is above the head and “Myeon” meaning House. 宀 symbolizes “heaven”), 示 (“Si” meaning to see), 孝 (“Hyo” meaning filial duty), 1) 攵 (=攴: “Bok” meaning hitting or whipping → teach by whipping).” Therefore, in the East, the word “religion” means “the highest teaching”, which is “to teach the will of heaven and filial duty by seeing and hearing the things of heaven”. In the West, the origin of the word “religion” is the Latin word “religare”. This means to reconnect the broken lifeline. What we have examined thus far shows why religion is taught.
Many religious people claim that they believe in God and that they teach with the things belonging to God. However, their religions’ names, scriptures, deeds (deeds according to the religious standards), and rituals are all different from each other. According to God’s promise, a priest, who is a pastor that leads service, is one who walks with God. From his mouth comes truth through the Word of God, and from his mouth people must seek the truth. He must become the messenger of God. This is the covenant made between God and the priest (the pastor), as written in Malachi 2.
The testimony of a religion must be based on the Five Ws and One H (who, what, when, where, why, and how), and its genealogy, generations, and flow must make sense. Also, the prophecies that have endured from long ago and their fulfillment must continue on to this day, and there must be evidence of the prophecies’ physical fulfillment. God’s promised pastors who appear in each era are the pastors whom God promised beforehand in the previous eras. Therefore, there must be things promised (prophecies) regarding the promised pastors, and they are those who appear according to the promises and who perform the works that had been promised.
For example, Jesus at the First Coming was born to a virgin and God was with this child (Is 7:14 à Mt 1:18-25). He was born in Bethlehem (Mi 5:2 à Mt 2:1-6), and he also entered Jerusalem riding on a colt and proclaimed peace (Zec 9:9-10 à Lk 19:33-42) according to the promises of the Old Testament. Jesus fulfilled every promise of the Old Testament (Jn 19:30). This is how one can be acknowledged as the promised pastor.
A promised pastor had already been determined in the Scripture (the Bible) to appear in the kingdom that is created today, at the end of age. Because this pastor comes according to the promises of the Scripture and fulfills what had been promised, he is the pastor promised by God and is acknowledged as the pastor whom God sent.
The content of Scripture is recorded in four major parts: history, moral teaching, prophecy, and fulfillment. When the prophecies fulfill, three events occur: the events of betrayal, destruction, and salvation. The three entities who fulfill these events (betrayer, destroyer, and savior) appear and do the work which had been recorded with what they would do. Therefore, the believers are able to recognize each of the entities by seeing the work that they do.
Though a pastor may claim his own religion and scripture to be true, if he does not know the meaning of that scripture and does not act according to it, he cannot be the messenger who speaks on behalf of God, nor can he be the messenger who walks with Him. If the name, scripture, and actions of a denomination are only made up arbitrarily and are not from God (ex: commentaries), and if a pastor belonging to that denomination is teaching falsehood given by the spirit of Satan, committing to ceremonies, custom, and actions not commanded by heaven, he becomes God’s adversary and enemy.
Various religions claim to believe in God, but they all differ from each other because the gods they believe in are not the same. And the reason why religious conflicts cause approximately 80% of the world’s wars is that those religions are not God’s religion. God is the Creator of heaven and earth and He loves His creation. He commanded the people He created to be fruitful and to increase in number. He also told them to forgive, love, and bless one another. In other words, God did not tell them to fight, kill, and curse each other. Thus, the reason religions fight, kill, and curse is that their gods are different.
Many false religious groups were established from mistaking religions created by people, states, superstition, arbitrary thoughts, and cultural traditions for the true religion. Even a child knows that religions today are corrupt. If the people of a religion truly believe in righteousness, truth, perfection, and God, they must throw away their corrupt religion before the true God and become one within God. Hence, at the 2014 Peace Summit, members from each religion made a pledge in sight of God, the heavens and the earth, all peoples of the world, and the Peace Advocate to become one under God by unifying all religions. This is the only way to cease all wars in the world and to achieve peace—so that it can be left as a legacy to the future generations.
Denominations, religions, pastors, and scriptures exist for the people who believe—not for the sake of the pastors, their scriptures, and the denominations themselves. A true pastor must be with God, act in righteousness and justice, and master the Scripture so that all people can seek the truth from his mouth. He must become a messenger of God who speaks on behalf of Him by preaching the revelation (refer to Mal 2:7). If a pastor has not mastered the Scripture, if God is not with him, and if the pastor does not have the revelation (the revealed word) or the truth, he is not the true pastor. The religion of such a person is only a religion belonging to that person—it is only an arbitrary religion that he uses as the means of his livelihood.
If a pastor does not love God, the congregation members, the neighbors, and the Word, he is a false pastor of Satan. A true pastor must walk with God and speak the Word of God. He must master the Bible, feed his congregation members with food that endures to eternal life, bring righteous judgment with the white stone of judgment, and rule over all nations with the iron scepter. He must also bring cessation of all wars in the world and achieve peace that can be left as a legacy to the future generations. He must forgive, love, and make the world into a world of peace where God reigns.
A true pastor must love even his enemy, instead of taking revenge on his enemy. A true pastor must love the world created by the true God. He must turn the world into a world of splendid paradise, and heal all nations. He must make God known to all people through prayer and revelation. He must return all creation and people to their original image and likeness, and guide them to become the people of heaven who forever give thanks and glory to God.
I am putting in my utmost effort to do this work. Amen!
1) The original letter of “gyo” of “Jong-gyo (religion)” is ‘敎’, and ‘教’ is the popular or simplified form of the Chinese character “gyo”. In the article above, ‘教’ was broken down to analyze the word “religion” by parts.
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2015년 9월 1일 화요일
Der Unterschied zwischen dem Offenbarten des Alten und Neuen Testaments
Der Unterschied zwischen dem Offenbarten des Alten
und Neuen Testaments
Referenz: Hes 3, Offb 1-22 (Jes 29:9-14, Hos 12:11)
Was ist der Unterschied zwischen dem Offenbarten des Alten und Neuen Testaments?
Bei dem Offenbarten des Alten Testaments wird das Alte Testament erfüllt und bei dem Offenbarten des Neuen Testaments wird das Neue Testament erfüllt. Da sich auf diese Weise das, was das Alte Testament erfüllt, von dem unterscheidet, was das Neue Testament erfüllt, stellt es nicht eine sich gleichende Òffenbarung dar (die Bedeutung einer Offenbarung ist, dass etwas Versiegeltes geöffnet und gezeigt wird). Wenn man einmal ein Beispiel anführt, ist eine zu erfüllende Offenbarung des Alten Testaments das Säen des Samens (Jer 31:27, Mt 13:24-25), und eine zu erfüllende Offenbarung des Neuen Testaments ist das Einsammeln der Früchte des Samens, um das neue Reich Gottes zu erschaffen (Mt 13:30, Offb 14).
Derjenige, der sowohl im Alten als auch im Neuen Testament ein versiegeltes Buch gegeben hat, ist zwar Gott, doch die Hirten, die diese Bücher nach deren Öffnung und Erfüllung zu essen bekommen haben, unterscheiden sich. Derjenige, der das Buch des Alten Testaments zu essen bekam, war Hesekiel (Hes 3), und der Mensch, der das geöffnete Buch des Neuen Testaments zu essen bekam, war ein Jünger Jesu, der Apostel Johannes (Offb 10). Doch sowohl im Alten als auch im Neuen Testament wird es mit Personen- und Ortsnamen verglichen. Da es in Hosea 12:11 heißt, dass “durch die Propheten die Gleichnisse gegeben werden”, wurde zwar durch Jeremia und auch Hesekiel gesprochen, aber die Person zu der Zeit, als das Alte Testament erfüllt wurde, waren weder Jeremia noch Hesekiel. Es war Jesus. Auf gleicher Weise ist es zwar auch im Neuen Testament niedergeschrieben, als ob dem Apostel Johannes das geöffnete Buch gegeben wird, doch die Person zu der Zeit der Erfüllung ist nicht Johannes. Da die Offenbarung, die von Johannes gesehen und niedergeschrieben wurde, von dessen Zeit an das etwa 2000 Jahre spätere Werk heutzutage betrifft, wie könnte die Person zu der Zeit der Erfüllung Johannes sein? Und da auch das, was Hesekiel sah, hörte und niederschrieb, etwa 600 Jahre später erfüllt wurde, wie könnte die Person zu der Zeit der Erfüllung Hesekiel sein? Man muss wissen, dass das Niedergeschriebene der Bibel mit früheren Personen- und Ortsnamen verglichen wurde.
Des Weiteren muss man wissen, dass die Verheißungen gesprochen wurden, indem es in den prophetischen Büchern mit Gleichnissen verglichen wurde, damit der Satan und die Gegner es nicht hören und verstehen können (Mt 13:13-15). Die Zeit, in der es offen verkündet wird, stellt die Zeit dar, in der diese Verheißungen erfüllt werden. In dieser Zeit kommt Gott zum verheißenen Hirten, um die verheißenen Erfüllungen zu zeigen und zu erklären. So wird der versprochene Hirte, der das Werk gesehen und gehört hat, die von ihm gesehenen erfüllten Wirklichkeiten bezeugen. Dies stellt die Vorhersage und deren Erfüllung dar, den vorhersagenden Gott und den erfüllenden versprochenen Hirten. In dieser Zeit wird es diejenigen geben, die glauben und die nicht glauben.
Durch den Glauben an die Vorhersage und Wirklichkeit erlangt man Rettung. Wenn man an die Vorhersage glaubt, aber nicht an die Wirklichkeit glauben kann, wird keine Rettung erlangt. Und wenn man über die Vorhersage keine Erkenntnis erlangen kann, wird man auch die Wirklichkeit nicht wissen können. Im Alten Testament wurde verheißen, dass der Same gesät werde, und zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu kam Gott zu Jesus, wodurch der Same gesät wurde. Und es ist verheißen worden, dass Jesus wiederkommt, um die Früchte des gesäten Samens zu ernten, damit das neue Reich erschaffen wird. Wenn das Werk, bei dem der Same gesät wird, nicht vorhanden ist, wie sollte er dann wiederkommen, sodass sich das erntende Werk ereignet? So gibt es die Vorhersage, bei welcher der Same gesät wird, und deren Erfüllung, sowie die Vorhersage, bei welcher die Früchte des gesäten Samens geerntet werden, und deren Erfüllung.
Es unterscheidet sich also das Offenbarte des Alten und Neuen Testaments. Es unterscheiden sich sowohl die Vorhersagen des Alten und Neuen Testaments als auch deren Erfüllungen. Sowohl das Alte als auch das Neue Testament wurden gegeben, weil Gott ein Ziel hat. Die Vorhersage und deren Erfüllung, das Ziel und dessen Resultat des Alten und Neuen Testaments bestehen darin, dass die Welt der bösartigen Sünde auf Erden endet und das Reich der Gerechtigkeit Gottes errichtet wird und Gott herrscht. Sie bestehen also darin, dass die Sündenvergebung erlangt und aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, sodass der Heilig Geist empfangen und gemeinsam mit Gott in einer neuen Welt gelebt wird.
Aufgrund dessen ist der Same Gottes gesät und geerntet worden, um zu versiegeln und das neue Reich zu erschaffen. Hierfür trug Jesus das Kreuz und hierfür vergoss er sein Blut. Es heißt, dass mit seinem Blut die Sünden reingewaschen werden, damit es die weiße Schar geben kann, dass mit seinem Blut der Satan bekämpft und überwunden wird, dass mit seinem Blut von unseren Sünden erlöst wird und dass wir mit seinem Blut erkauft werden, um zum Reich und zu Priestern Gottes zu werden.
Da man durch das Blut Christi die Sündenvergebung erlangt und aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, um zu Kindern und zur Familie Gottes zu werden, wird man mit Gott gemeinsam im Himmelreich leben. Hierfür hat es sowohl das Werk des Säens vom Samen, das Werk des Erntens und das Werk des Versiegelns als auch die Erschaffung des neuen Reichs Gottes gegeben.
Jene, die das auf diese Weise Verheißene und heutzutage Erfüllte nicht glauben und stattdessen stören, obwohl sie es sehen, verhalten sich so, weil sie die Arbeiter Satans sind, die vom Satan verführt worden sind. Doch gemäß des Neuen Testaments hat es sich an uns erfüllt und es stellt wahrhaftig eine Beziehung von Vater und Sohn (Kind) dar. Dies ist das Himmelreich, das sich nach dem Offenbarten des Neuen Testaments erfüllt, das Volk des Himmels. Es ist das Reich Gottes, das Himmelreich. Amen.
und Neuen Testaments
Referenz: Hes 3, Offb 1-22 (Jes 29:9-14, Hos 12:11)
Was ist der Unterschied zwischen dem Offenbarten des Alten und Neuen Testaments?
Bei dem Offenbarten des Alten Testaments wird das Alte Testament erfüllt und bei dem Offenbarten des Neuen Testaments wird das Neue Testament erfüllt. Da sich auf diese Weise das, was das Alte Testament erfüllt, von dem unterscheidet, was das Neue Testament erfüllt, stellt es nicht eine sich gleichende Òffenbarung dar (die Bedeutung einer Offenbarung ist, dass etwas Versiegeltes geöffnet und gezeigt wird). Wenn man einmal ein Beispiel anführt, ist eine zu erfüllende Offenbarung des Alten Testaments das Säen des Samens (Jer 31:27, Mt 13:24-25), und eine zu erfüllende Offenbarung des Neuen Testaments ist das Einsammeln der Früchte des Samens, um das neue Reich Gottes zu erschaffen (Mt 13:30, Offb 14).
Derjenige, der sowohl im Alten als auch im Neuen Testament ein versiegeltes Buch gegeben hat, ist zwar Gott, doch die Hirten, die diese Bücher nach deren Öffnung und Erfüllung zu essen bekommen haben, unterscheiden sich. Derjenige, der das Buch des Alten Testaments zu essen bekam, war Hesekiel (Hes 3), und der Mensch, der das geöffnete Buch des Neuen Testaments zu essen bekam, war ein Jünger Jesu, der Apostel Johannes (Offb 10). Doch sowohl im Alten als auch im Neuen Testament wird es mit Personen- und Ortsnamen verglichen. Da es in Hosea 12:11 heißt, dass “durch die Propheten die Gleichnisse gegeben werden”, wurde zwar durch Jeremia und auch Hesekiel gesprochen, aber die Person zu der Zeit, als das Alte Testament erfüllt wurde, waren weder Jeremia noch Hesekiel. Es war Jesus. Auf gleicher Weise ist es zwar auch im Neuen Testament niedergeschrieben, als ob dem Apostel Johannes das geöffnete Buch gegeben wird, doch die Person zu der Zeit der Erfüllung ist nicht Johannes. Da die Offenbarung, die von Johannes gesehen und niedergeschrieben wurde, von dessen Zeit an das etwa 2000 Jahre spätere Werk heutzutage betrifft, wie könnte die Person zu der Zeit der Erfüllung Johannes sein? Und da auch das, was Hesekiel sah, hörte und niederschrieb, etwa 600 Jahre später erfüllt wurde, wie könnte die Person zu der Zeit der Erfüllung Hesekiel sein? Man muss wissen, dass das Niedergeschriebene der Bibel mit früheren Personen- und Ortsnamen verglichen wurde.
Des Weiteren muss man wissen, dass die Verheißungen gesprochen wurden, indem es in den prophetischen Büchern mit Gleichnissen verglichen wurde, damit der Satan und die Gegner es nicht hören und verstehen können (Mt 13:13-15). Die Zeit, in der es offen verkündet wird, stellt die Zeit dar, in der diese Verheißungen erfüllt werden. In dieser Zeit kommt Gott zum verheißenen Hirten, um die verheißenen Erfüllungen zu zeigen und zu erklären. So wird der versprochene Hirte, der das Werk gesehen und gehört hat, die von ihm gesehenen erfüllten Wirklichkeiten bezeugen. Dies stellt die Vorhersage und deren Erfüllung dar, den vorhersagenden Gott und den erfüllenden versprochenen Hirten. In dieser Zeit wird es diejenigen geben, die glauben und die nicht glauben.
Durch den Glauben an die Vorhersage und Wirklichkeit erlangt man Rettung. Wenn man an die Vorhersage glaubt, aber nicht an die Wirklichkeit glauben kann, wird keine Rettung erlangt. Und wenn man über die Vorhersage keine Erkenntnis erlangen kann, wird man auch die Wirklichkeit nicht wissen können. Im Alten Testament wurde verheißen, dass der Same gesät werde, und zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu kam Gott zu Jesus, wodurch der Same gesät wurde. Und es ist verheißen worden, dass Jesus wiederkommt, um die Früchte des gesäten Samens zu ernten, damit das neue Reich erschaffen wird. Wenn das Werk, bei dem der Same gesät wird, nicht vorhanden ist, wie sollte er dann wiederkommen, sodass sich das erntende Werk ereignet? So gibt es die Vorhersage, bei welcher der Same gesät wird, und deren Erfüllung, sowie die Vorhersage, bei welcher die Früchte des gesäten Samens geerntet werden, und deren Erfüllung.
Es unterscheidet sich also das Offenbarte des Alten und Neuen Testaments. Es unterscheiden sich sowohl die Vorhersagen des Alten und Neuen Testaments als auch deren Erfüllungen. Sowohl das Alte als auch das Neue Testament wurden gegeben, weil Gott ein Ziel hat. Die Vorhersage und deren Erfüllung, das Ziel und dessen Resultat des Alten und Neuen Testaments bestehen darin, dass die Welt der bösartigen Sünde auf Erden endet und das Reich der Gerechtigkeit Gottes errichtet wird und Gott herrscht. Sie bestehen also darin, dass die Sündenvergebung erlangt und aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, sodass der Heilig Geist empfangen und gemeinsam mit Gott in einer neuen Welt gelebt wird.
Aufgrund dessen ist der Same Gottes gesät und geerntet worden, um zu versiegeln und das neue Reich zu erschaffen. Hierfür trug Jesus das Kreuz und hierfür vergoss er sein Blut. Es heißt, dass mit seinem Blut die Sünden reingewaschen werden, damit es die weiße Schar geben kann, dass mit seinem Blut der Satan bekämpft und überwunden wird, dass mit seinem Blut von unseren Sünden erlöst wird und dass wir mit seinem Blut erkauft werden, um zum Reich und zu Priestern Gottes zu werden.
Da man durch das Blut Christi die Sündenvergebung erlangt und aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, um zu Kindern und zur Familie Gottes zu werden, wird man mit Gott gemeinsam im Himmelreich leben. Hierfür hat es sowohl das Werk des Säens vom Samen, das Werk des Erntens und das Werk des Versiegelns als auch die Erschaffung des neuen Reichs Gottes gegeben.
Jene, die das auf diese Weise Verheißene und heutzutage Erfüllte nicht glauben und stattdessen stören, obwohl sie es sehen, verhalten sich so, weil sie die Arbeiter Satans sind, die vom Satan verführt worden sind. Doch gemäß des Neuen Testaments hat es sich an uns erfüllt und es stellt wahrhaftig eine Beziehung von Vater und Sohn (Kind) dar. Dies ist das Himmelreich, das sich nach dem Offenbarten des Neuen Testaments erfüllt, das Volk des Himmels. Es ist das Reich Gottes, das Himmelreich. Amen.
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