2015년 12월 4일 금요일

天人・地人と二つの神の宗教戦争

天人・地人と二つの神の宗教戦争



本文:創2-3章、マタ23-24章、啓12-13章



 天人・地人と二つの神の宗教戦争は、どんなものなのか。

 天に属した人(天人)は神であり(創6章)、地に属した人(地人)は肉体である。神は大きく二つがいて、二つの神は、天地創造主のまことの神様と被造物であったサタンである。神様は、唯一神であられ、神様が創造されなかったものは一つもない(ヨハ1:1-4)。二つの神の宗教戦争は、まことの神様のまことの宗教と、サタンの偽りの宗教が人類を互いに主管するために戦う戦争である。



 被造物である覆うケルブが自分が神になろうと、神様に背教して(エゼ28章)、神様の人を惑わして、自分の所有にした。それで、背教したケルブを神様は蛇と言われた。この蛇は、竜であり、すなわち、サタンであり、悪魔である(啓12:9、20:2)。



 創世記2章と3章に、二種類の木があった。一つはいのちの木であり、一つは善悪の木である。いのちの木の実を食べれば永遠に生き、善悪の木の実を食べれば死んだ。いのちの木は神様であられ、善悪の木は蛇、すなわち、竜である。申命記32章33節に、彼らのぶどうは蛇の毒であり、コブラの悪い(恐ろしい)毒だと言われた。イエス様は、まことのぶどうの木であり、いのちの木であり(ヨハ15:1-5、14:6)、バビロンの牧者は野ぶどうの木であり(イザ5:2参考)、不品行のぶどう酒が出て来る善悪の木である(ダニ4章、啓17-18章)。そして、アダム・エバを惑わした蛇は、サタンであり、悪魔であり、竜であり、マタイの福音書23章で、パリサイ人を蛇だと言った。この蛇は、イエス様が「天からサタンがいなずまのように落ちたのを見た。」という、まさにそのサタンであり、イスカリオテのユダに入った悪魔である(ルカ10:18、ヨハ13:2)。アダム・エバは、神様の御言葉より蛇の言葉をもっと信じたので、蛇が与える善悪の実を食べたのである(創2:17)。



 アダム・エバを惑わした存在は、エゼキエル28章の覆うケルブであり、この者は、知恵に満ち、完全な印(全きものの典型)であり、美の極みであり、神様の園、エデンにいて、あらゆる宝石がおおっていて、油注がれたケルブで、神様の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた者であった。このように、造られた日から不正が見いだされるまでは完全だった。それで、この者をエデンから追い出された野の獣、蛇だと言ったのである。アダム・エバは、惑わす者がエゼキエル28章のような者なので、安心して、彼が与えるものを受けて食べたが、結局、神様の御言葉を守れない背教者になったのである。これがエデンの事件の始まりである。



 アダム・エバは、神様から神様の姿と形に造られて、天地万物を相続として受けた。だが、彼らが背教することによって、この受けたものを持って蛇に行き、アダム・エバと万物は、サタンのものになったので、神様は、創造したものを離れるようになられた。こうして地球村の人々は、誰でも罪を犯したアダムの遺伝子で生まれた者たちであり、アダムのような罪人たちである。蛇、すなわち、サタンは、神様がいない世で自分が神(偽りの神)になって、世を統治してきた。だから、離れて行かれた神様は、この事実を人類世界に知らせに来られた。これが神様の啓示の宗教である。



 まことの神様は、生命体であられるので、創造力がある。しかし、サタンは、創造力がない。その理由は、サタンは、死だからである。いのちは、創造力があり、死は、死ぬことによって生産がないので創造力がない。創造された世界の現実がこうなので、神様は、失ったものを再び取り戻されるということであり、サタンは、惑わしによって占領したものを奪われないようにするということである。それで神様は、事実であるまことを知らせて来られて、サタンは天地万物が自分が創造したものではないので、にせものの神のふるまいをするため、偽りの言葉をするようになったのである(ヨハ8:44)。それで、神様とサタン、まことの言葉(真理)と偽りの言葉(非真理)が戦う戦争が6千年間起こるようになったのである。



 ヤコブが戦って勝利することによってイスラエルになり(創32:24-28)、初臨のイエス様が世(サタン)と戦って勝利することによって霊的イスラエルになられた(ヨハ16:33、1:12-13)。そして、今日、イエス様が七つの印で封じられた本の(啓5章)印を解かれて、記録された約束をまた成し遂げられるようになった。この時、イエス様は、天で勝利されて、この地では勝利者が勝利することで初めて、神様の国と救いがあるようになる(啓12章)。これが啓示録の約束である。これは霊界で勝利することで、この地の肉界でも勝利するようになったのである。



 竜の群れと戦って勝利することのできる条件は、イエス様の血とあかしすることばであり(啓12:11)、新約の啓示録で新しい国の創造も、イエス様の血で成し遂げられるようになるのである(啓5:9-10)。イエス様が十字架で血を流された後、2千年の間はイエス様の血と肉に対して記念する行事であり(ルカ22:17-19、Ⅰコリ11:23-25)、イエス様の血の効力は、啓示録であるようになった。これは、啓示録の新しい国の創造のための血であった(啓1:5-6、5:9-10、7:14、12:10-11、19:11-16)。



 アダムの世界も、ノアの子孫カナンの世界も、アブラハムの子孫イスラエルの世界のソロモンも、エルサレムのパリサイ人たちも、啓示録の時の啓13章の霊的イスラエルも(啓13:6)、蛇に惑わされて背教した。世は6千年間、サタンが主管してきて、サタン竜に礼拝する世界であった。イエス様は、今日、啓示録の成就の時、竜の群れと戦って勝利せよと言われ、勝利すれば、啓示録2章と3章で約束されたこと(祝福)を与えると言われた。



 神様は、モーセと共におられ、イエス様と共におられ、また啓示録の時には勝利者と共におられることを啓示録3章12節に約束された。神様と天国とイエス様が勝利者と共におられるので、天国と神様とイエス様に行く人は、勝利者に行かなければならないのである。



 二つの神と二つの宗教を調べてみよう。

 第二テサロニケ2章で見たように、神様の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言する者がいるので、ヨハネの福音書17章3節に、「まことの神」という御言葉を言われた。一つはまことの神様であり、一つは偽りの神である。この偽りの神は、エゼキエル28章に、自分を神だというサタンとその所属の牧者である。まことの神様から啓示を受けた牧者がいて、偽りの神(サタン)から偽りの啓示を受けた牧者がいる。



 この二つの神によって宗教は大きく二つがある。

 まことの神様の宗教は、神様が認められた人の始祖であるアダムの時から、血統と歴史と御言葉が受け継がれてきて、約束した預言とその預言が成し遂げられた成就が時代ごとにあった。だが、偽りの神と偽りの牧者は、預言とその成就がなく、自分を隠すために善行を叫ぶが、その中には狼のようなサタンがいて、義であるふりをしているだけである。サタンは、創造力がないので、預言もその成就もないのである。サタンは、神様が創造された地球村を自分のものに所有しているので、預言も、その成就もいらないのである。



 まことの神様の宗教は、神様から来る啓示であり、教育である。サタンに属した地の宗教は、地のものを言い、天の宗教は、天から見て聞いたことを知らせるものである(ヨハ3:31-34)。神様の宗教は、アダムの時から一様に受け継がれてきて、サタンの宗教は、数百にも分かれ、経書も数百にもなるが、みな同じように人の教育に過ぎず、約束である預言とその成就がない。また、サタンが罪を犯させたので、罪の赦しがない。また、罪の赦しのための資料もない。彼らは、赦しと愛と祝福よりも、迫害と偽りの言葉とのろいと紛争を日常茶飯事にして騒いでいる。



 初臨の時、イエス様は、エルサレムで平和を叫ばれた。そして、サタン、すなわち、蛇であるエルサレムの牧者たちは、平和を叫ばせなかった(ルカ19:38-42)。これは紛争を起こすサタンの所属だからである。サタンの宗教は、国教、私教、地の文化、迷信などであり、これを信じる者たちは、肉的な人々である。神様の牧者とサタンの牧者の戦争は、互いのあかしする言葉で戦うのである。神様の経書を持って、信仰する者だと言っても、御言葉がわからなかったり、他の意味で教える者は神様の所属になることができず、サタンの所属である。異邦人だと言っても、啓示される信仰によって再び生まれるならば、神様の子どもになる。言葉は、すなわち、神であり、御言葉を受けた者を神だと言われた(ヨハ6:63、10:35)。宗教の戦争は、あかしする言葉でするのであり、神様の御言葉は、真理であり、悪魔の言葉は非真理である。



 サタンの群れは、神様の約束の御言葉がわからず、神様の約束の牧者と聖徒は、神様の約束である啓示の御言葉に精通する。これによって神様の所属とサタンの所属を区分することができる。にせものでありながら本物のふりをする者たちは、本物が来て、まことをあかしする時、信じず、迫害する者たちであり、彼らは公開討論をしようとしても出て来ない。これは、自分の過ちが明らかになるからである。神様は、神様を信じる聖徒にサタンの正体を表して知らせることによって、サタンに属さず、惑わされないようにされた。こうして、神様の聖徒は、サタンとその所属の牧者とサタンの非真理を知ることで惑わしに陥ることはない。



 まことの神様は、御心を成し遂げられるため、将来に成し遂げられることを前もって語られて、また、預言を成し遂げられる時、出現して、その成し遂げられたことをあかししてくれる牧者も前もって約束されたのである。こうして、成し遂げることを約束した預言と約束した牧者がいる。預言もなく、前もって約束した牧者もいなく、良い正しい行いをしなさいという言葉だけでは、まことの宗教とまことの神様の牧者だと言っても信じてはならない。



 神様は唯一神であられる。ここも「にせもの」、あそこも「にせもの」、にせものが大手を振っているが、事実は悪魔の牧者たちなのである。信じることのできる宗教は、預言とその成就がある宗教である。これがまことの宗教、すなわち、神様が約束された宗教であり、そのあかしである。あかしがないものは、神様の宗教ではない。モーセの時も、イエス様の初臨の時も、啓示録の勝利者の時も、成し遂げられること(預言)と約束した牧者がいて、約束した牧者が来て、預言を成し遂げられた。これがまことの宗教というあかしであり、このような宗教がまことの神様の宗教である。

 神様が旧約の預言者たちに預言されたことは、約束の牧者、イエス様が来て成し遂げられ、2千年前、イエス様が使徒ヨハネを通して約束した新約の啓示録は、今日、その預言通り成し遂げられて、約束した牧者が来て、その成し遂げられたことを六何原則に基づいてあかししている。



 預言したことは、成し遂げる時、見て、信じさせようとすることであった(ヨハ14:29)。約束したことも、信じることも、待つこともない経書で何を信じるのか。これは、宗教ではなく、その国の文化に過ぎないのである。何によって罪を赦すという約束と、何を成し遂げるという約束があってこそ、信じて待つだろう。キリスト教の経書は、アダムの時から啓示録の時まで約束した預言を成し遂げてきた。これを信じる者は、救われた。今日、成し遂げることは啓示録(啓1-22章)であり、この啓示録通り成し遂げられた。神様は、この時、救い主を約束されて、救われる所を知らせてくださった。世の終わりがあり、この時、救われる所が避難所である。信仰は、約束を信じることである。新しい国の創造も約束されたので、この新しい国に属してこそ、救いがあるようになる。



 天人の世界、すなわち、霊の世界には、まことの神様の所属と、また、覆うケルブが背教してできた神(悪魔)の所属がいて、地でもそのように、各所属の肉体たちがいる。

 背教した神の所属が旧約時代に、この地のバビロンの国を通して神様の国エルサレムを飲み込んできたので、新約では竜の群れを旧約時代のバビロンにたとえて名前を付けたのである。だから、実は霊的バビロンである。彼らの所属の組織は、もともとケルブ、すなわち、四つの生き物(エゼ28章)のうちの一つであり、彼らの秘密は、啓示録17-18章に記録されている。この竜は、七つの頭と十本の角を持った獣と民族と群集と国民と国語である。

 四つの生き物は、御座の周り、すなわち、東西南北、四方にいる四人の天使長であり、その前後に満ちた目、すなわち、霊たちが共にいる者たちであり、四人の天使長のうちの一人の天使長、すなわち、ケルブ(覆うケルブ)が背教したので、彼が啓明星(明けの明星:ルシファー)であった。こうして背教した覆うケルブは、自分の所属の霊たちと共に自分の位を与えて(啓13章)、自分を神に偽装して、多くの人を惑わした。まことの神様の御座は、啓示録4章で見たように、24長老と七つのともしびの霊と四つの生き物がいる(エゼ1章、10章参考)。



 この霊の二つの組織と地の所属の二つの組織が、6千年間、地球を置いて戦ってきた。だが、今日、啓示録の時、勝利されたイエス様の血によって竜に勝利することで、竜は6千年目に捕えられるようになるのである。離れて行かれた神様は、地球を再び取り戻して戻られるようになり、地球村は、神様が統治される世界になる。



 この啓示録で創造される十二支派が永遠のまことの神様の国であり、天人の国である。この国と民は、新約に約束した国と天民である。肉的イスラエルが終わったように、これ以前の霊的イスラエルも、啓示録の預言と預言者たちと組織も、啓示録6章と21章のように、全て終わる。この後には、神様が統治される永遠の新しい時代の新しい国と新しい民族があるようになる。アーメン。

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