2015년 12월 15일 화요일

韓基総(既成教団)に送る警告文

韓基総(既成教団)に送る警告文



我々新天地は、聖書で言う義と罪に精通しています。韓基総は、新天地に何の理由なく異端と規定しました。その理由は、韓基総(既成教団)所属の信徒が新天地へ過越し(逾越)したからです。しかし、過越しした聖徒たちは、神様が連れて来られ、聖徒たちは、真理に従って来ました(ヨハ6:44-45参考)。
韓基総(既成教団)が、新天地はマタイの福音書24章のみ末世論とするため、異端として定めたという話をしました。我々はどこにもマタイの福音書24章のみ末世論としたことはありません。勘違いをされたようです。
そして、はっきり申し上げます。我々新天地は、地上のどの教団にも属していません。しかし、まことの神様とイエス様と聖書全書と聖霊を誰よりも確実に信じています。そして、我々新天地の家族は、新約聖書の約束通りに創造されました。まるでハンコを押したかのようです。聖書で確認すればわかることです。
我々新天地は、韓基総(既成教団)が神様と聖書と新天地を信じる、信じないについては気にしません。しかし、新天地の「勝利者」は、イエス様が教会に遣わされた代言の使者であることは間違いがありません。韓基総など他の教団の人々が軽蔑と無視をしても、事実は事実だからです。そして、イエス様が代言の使者として遣わされた証拠があります。イエス様が遣わされた使者は、約束の使者です(啓22:16参考)。これを信じないことが罪になります。ノアの時のアダムの世界のように。新天地の「勝利者」が、イエス様が遣わされた使者でなければ、彼が代言の使者ということが罪になるでしょう。 あまりにも嘘をよくつく人々は、自分たちが嘘をついたように嘘だと考えるだろうが、新天地の「勝利者」が代言の使者であることは事実です。新約聖書の約束を信じてください。
 
韓基総所属教団は、新天地で罪を犯して追い出された者を凄い存在であるように考え、彼を特別に壇上に立てて嘘を証するセミナーをしているのではありませんか。これにより韓基総が偽りと罪の巣窟という不正さが明らかになり、このことで韓基総は、呪いを受けて真っ二つ三つに折れて終末を迎えていると、世の人々は異口同音に話しています。
このように、神様も啓示録21章に以前の天と以前の地がなくなると言われ、ヘブル人への手紙8章にも、年を経て古びたものはすぐに消えて行くと言ったので、今の韓基総所属教団が罪のない新天地に悪口を言って呪い、その呪いが自分のところに戻って滅びているのを見るのです。
これでも権威とお金が好きですか。お金と欲はあらゆる悪の根(Ⅰテモ6:10、ヤコ1:15参考)と言った文字通りに裁かれているのです。会長も牧師もお金があればなれるという認識のためです。新天地を滅ぼそうとしているのに、自分たちが先に滅びるようになるのは、新天地が神様の創作物だからです。

「一つの時代が終わり、新しい時代が到来する」というイエス様の御言葉をなぜ信じませんか。啓示録6章と7章のことです。新しい時代が到来しました。一つの時代が終わっているのではありませんか。ノアの時のように、イエス様の初臨の時のように、いくら叫んでも信じないからです。
聖書の預言も、マヤ文化の預言も、カトリック教の教皇の預言も、韓国のナム・サゴ(南師古:東洋の預言書「格菴遺錄」の著者)の預言も、釈迦の預言も、旧約預言者の預言も、今の時は信じる者と信じない者に対する審判の時であることを述べたものであり、一つの時代が終わる時であることを言ったものでした。
しかし、多くの宗教の預言者たちが知っていても、韓基総だけは、今この時を知っていません。お金があっても権威があっても生きること(永遠のいのち)ができず、約束と信仰があってこそ、生きることができる時です。主が遣われた代言の使者を受け入れることで救いがあります。韓基総が聖書を知っていたならば、代言の使者を知って信じていたでしょう。我々は、旧時代が終わって、新しい時代が到来したことを、30年間知らせてきたので、聞けなかったと言い訳ができないでしょう。

なぜ神様と聖書の預言を信じないのですか。我々新天地は、この世のどんな教団にも属していないと言いました。今この時代に創造されたものです。新しい天国が今創造され、この世のすべての教団は終わったので、そこに所属する必要がありません。新天地外の他の名前(教団)では一人も救われる者がいません。これは新約聖書の約束で言われたのです。初臨のイエス様がモーセの律法の世界に属していなかったように、我々新天地も腐敗した先天世界に属していません。新天地は新約聖書の約束通り(啓7章、14章、21章)に、今日創造された新しい国、新しい民族、すなわち新しい天と新しい地です。

イザヤ書1章に忠信な都が遊女となったと言って、啓示録2章にもそのような内容を言ったし(偶像の供え物を食べて不品行を行い、ニコライ派の教訓を守る)、啓示録6、8、9章の災害を受けても悔い改めなかったので(啓9:20-21)、代言の使者が勧める主の御言葉を信じる者がいるでしょうか。聖書に無知な人々がこれを見てまたどれだけ異端と言うのでしょうか。

信じる者は幸い(祝福)であり、信じない者は、禍である。切ない限りである。

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