韓基総(既成教団)に送る警告文
我々新天地は、聖書で言う義と罪に精通しています。韓基総は、新天地に何の理由なく異端と規定しました。その理由は、韓基総(既成教団)所属の信徒が新天地へ過越し(逾越)したからです。しかし、過越しした聖徒たちは、神様が連れて来られ、聖徒たちは、真理に従って来ました(ヨハ6:44-45参考)。
韓基総(既成教団)が、新天地はマタイの福音書24章のみ末世論とするため、異端として定めたという話をしました。我々はどこにもマタイの福音書24章のみ末世論としたことはありません。勘違いをされたようです。
そして、はっきり申し上げます。我々新天地は、地上のどの教団にも属していません。しかし、まことの神様とイエス様と聖書全書と聖霊を誰よりも確実に信じています。そして、我々新天地の家族は、新約聖書の約束通りに創造されました。まるでハンコを押したかのようです。聖書で確認すればわかることです。
我々新天地は、韓基総(既成教団)が神様と聖書と新天地を信じる、信じないについては気にしません。しかし、新天地の「勝利者」は、イエス様が教会に遣わされた代言の使者であることは間違いがありません。韓基総など他の教団の人々が軽蔑と無視をしても、事実は事実だからです。そして、イエス様が代言の使者として遣わされた証拠があります。イエス様が遣わされた使者は、約束の使者です(啓22:16参考)。これを信じないことが罪になります。ノアの時のアダムの世界のように。新天地の「勝利者」が、イエス様が遣わされた使者でなければ、彼が代言の使者ということが罪になるでしょう。 あまりにも嘘をよくつく人々は、自分たちが嘘をついたように嘘だと考えるだろうが、新天地の「勝利者」が代言の使者であることは事実です。新約聖書の約束を信じてください。
韓基総所属教団は、新天地で罪を犯して追い出された者を凄い存在であるように考え、彼を特別に壇上に立てて嘘を証するセミナーをしているのではありませんか。これにより韓基総が偽りと罪の巣窟という不正さが明らかになり、このことで韓基総は、呪いを受けて真っ二つ三つに折れて終末を迎えていると、世の人々は異口同音に話しています。
このように、神様も啓示録21章に以前の天と以前の地がなくなると言われ、ヘブル人への手紙8章にも、年を経て古びたものはすぐに消えて行くと言ったので、今の韓基総所属教団が罪のない新天地に悪口を言って呪い、その呪いが自分のところに戻って滅びているのを見るのです。
これでも権威とお金が好きですか。お金と欲はあらゆる悪の根(Ⅰテモ6:10、ヤコ1:15参考)と言った文字通りに裁かれているのです。会長も牧師もお金があればなれるという認識のためです。新天地を滅ぼそうとしているのに、自分たちが先に滅びるようになるのは、新天地が神様の創作物だからです。
「一つの時代が終わり、新しい時代が到来する」というイエス様の御言葉をなぜ信じませんか。啓示録6章と7章のことです。新しい時代が到来しました。一つの時代が終わっているのではありませんか。ノアの時のように、イエス様の初臨の時のように、いくら叫んでも信じないからです。
聖書の預言も、マヤ文化の預言も、カトリック教の教皇の預言も、韓国のナム・サゴ(南師古:東洋の預言書「格菴遺錄」の著者)の預言も、釈迦の預言も、旧約預言者の預言も、今の時は信じる者と信じない者に対する審判の時であることを述べたものであり、一つの時代が終わる時であることを言ったものでした。
しかし、多くの宗教の預言者たちが知っていても、韓基総だけは、今この時を知っていません。お金があっても権威があっても生きること(永遠のいのち)ができず、約束と信仰があってこそ、生きることができる時です。主が遣われた代言の使者を受け入れることで救いがあります。韓基総が聖書を知っていたならば、代言の使者を知って信じていたでしょう。我々は、旧時代が終わって、新しい時代が到来したことを、30年間知らせてきたので、聞けなかったと言い訳ができないでしょう。
なぜ神様と聖書の預言を信じないのですか。我々新天地は、この世のどんな教団にも属していないと言いました。今この時代に創造されたものです。新しい天国が今創造され、この世のすべての教団は終わったので、そこに所属する必要がありません。新天地外の他の名前(教団)では一人も救われる者がいません。これは新約聖書の約束で言われたのです。初臨のイエス様がモーセの律法の世界に属していなかったように、我々新天地も腐敗した先天世界に属していません。新天地は新約聖書の約束通り(啓7章、14章、21章)に、今日創造された新しい国、新しい民族、すなわち新しい天と新しい地です。
イザヤ書1章に忠信な都が遊女となったと言って、啓示録2章にもそのような内容を言ったし(偶像の供え物を食べて不品行を行い、ニコライ派の教訓を守る)、啓示録6、8、9章の災害を受けても悔い改めなかったので(啓9:20-21)、代言の使者が勧める主の御言葉を信じる者がいるでしょうか。聖書に無知な人々がこれを見てまたどれだけ異端と言うのでしょうか。
信じる者は幸い(祝福)であり、信じない者は、禍である。切ない限りである。
2015년 12월 15일 화요일
2015년 12월 4일 금요일
天人・地人と二つの神の宗教戦争
天人・地人と二つの神の宗教戦争
本文:創2-3章、マタ23-24章、啓12-13章
天人・地人と二つの神の宗教戦争は、どんなものなのか。
天に属した人(天人)は神であり(創6章)、地に属した人(地人)は肉体である。神は大きく二つがいて、二つの神は、天地創造主のまことの神様と被造物であったサタンである。神様は、唯一神であられ、神様が創造されなかったものは一つもない(ヨハ1:1-4)。二つの神の宗教戦争は、まことの神様のまことの宗教と、サタンの偽りの宗教が人類を互いに主管するために戦う戦争である。
被造物である覆うケルブが自分が神になろうと、神様に背教して(エゼ28章)、神様の人を惑わして、自分の所有にした。それで、背教したケルブを神様は蛇と言われた。この蛇は、竜であり、すなわち、サタンであり、悪魔である(啓12:9、20:2)。
創世記2章と3章に、二種類の木があった。一つはいのちの木であり、一つは善悪の木である。いのちの木の実を食べれば永遠に生き、善悪の木の実を食べれば死んだ。いのちの木は神様であられ、善悪の木は蛇、すなわち、竜である。申命記32章33節に、彼らのぶどうは蛇の毒であり、コブラの悪い(恐ろしい)毒だと言われた。イエス様は、まことのぶどうの木であり、いのちの木であり(ヨハ15:1-5、14:6)、バビロンの牧者は野ぶどうの木であり(イザ5:2参考)、不品行のぶどう酒が出て来る善悪の木である(ダニ4章、啓17-18章)。そして、アダム・エバを惑わした蛇は、サタンであり、悪魔であり、竜であり、マタイの福音書23章で、パリサイ人を蛇だと言った。この蛇は、イエス様が「天からサタンがいなずまのように落ちたのを見た。」という、まさにそのサタンであり、イスカリオテのユダに入った悪魔である(ルカ10:18、ヨハ13:2)。アダム・エバは、神様の御言葉より蛇の言葉をもっと信じたので、蛇が与える善悪の実を食べたのである(創2:17)。
アダム・エバを惑わした存在は、エゼキエル28章の覆うケルブであり、この者は、知恵に満ち、完全な印(全きものの典型)であり、美の極みであり、神様の園、エデンにいて、あらゆる宝石がおおっていて、油注がれたケルブで、神様の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた者であった。このように、造られた日から不正が見いだされるまでは完全だった。それで、この者をエデンから追い出された野の獣、蛇だと言ったのである。アダム・エバは、惑わす者がエゼキエル28章のような者なので、安心して、彼が与えるものを受けて食べたが、結局、神様の御言葉を守れない背教者になったのである。これがエデンの事件の始まりである。
アダム・エバは、神様から神様の姿と形に造られて、天地万物を相続として受けた。だが、彼らが背教することによって、この受けたものを持って蛇に行き、アダム・エバと万物は、サタンのものになったので、神様は、創造したものを離れるようになられた。こうして地球村の人々は、誰でも罪を犯したアダムの遺伝子で生まれた者たちであり、アダムのような罪人たちである。蛇、すなわち、サタンは、神様がいない世で自分が神(偽りの神)になって、世を統治してきた。だから、離れて行かれた神様は、この事実を人類世界に知らせに来られた。これが神様の啓示の宗教である。
まことの神様は、生命体であられるので、創造力がある。しかし、サタンは、創造力がない。その理由は、サタンは、死だからである。いのちは、創造力があり、死は、死ぬことによって生産がないので創造力がない。創造された世界の現実がこうなので、神様は、失ったものを再び取り戻されるということであり、サタンは、惑わしによって占領したものを奪われないようにするということである。それで神様は、事実であるまことを知らせて来られて、サタンは天地万物が自分が創造したものではないので、にせものの神のふるまいをするため、偽りの言葉をするようになったのである(ヨハ8:44)。それで、神様とサタン、まことの言葉(真理)と偽りの言葉(非真理)が戦う戦争が6千年間起こるようになったのである。
ヤコブが戦って勝利することによってイスラエルになり(創32:24-28)、初臨のイエス様が世(サタン)と戦って勝利することによって霊的イスラエルになられた(ヨハ16:33、1:12-13)。そして、今日、イエス様が七つの印で封じられた本の(啓5章)印を解かれて、記録された約束をまた成し遂げられるようになった。この時、イエス様は、天で勝利されて、この地では勝利者が勝利することで初めて、神様の国と救いがあるようになる(啓12章)。これが啓示録の約束である。これは霊界で勝利することで、この地の肉界でも勝利するようになったのである。
竜の群れと戦って勝利することのできる条件は、イエス様の血とあかしすることばであり(啓12:11)、新約の啓示録で新しい国の創造も、イエス様の血で成し遂げられるようになるのである(啓5:9-10)。イエス様が十字架で血を流された後、2千年の間はイエス様の血と肉に対して記念する行事であり(ルカ22:17-19、Ⅰコリ11:23-25)、イエス様の血の効力は、啓示録であるようになった。これは、啓示録の新しい国の創造のための血であった(啓1:5-6、5:9-10、7:14、12:10-11、19:11-16)。
アダムの世界も、ノアの子孫カナンの世界も、アブラハムの子孫イスラエルの世界のソロモンも、エルサレムのパリサイ人たちも、啓示録の時の啓13章の霊的イスラエルも(啓13:6)、蛇に惑わされて背教した。世は6千年間、サタンが主管してきて、サタン竜に礼拝する世界であった。イエス様は、今日、啓示録の成就の時、竜の群れと戦って勝利せよと言われ、勝利すれば、啓示録2章と3章で約束されたこと(祝福)を与えると言われた。
神様は、モーセと共におられ、イエス様と共におられ、また啓示録の時には勝利者と共におられることを啓示録3章12節に約束された。神様と天国とイエス様が勝利者と共におられるので、天国と神様とイエス様に行く人は、勝利者に行かなければならないのである。
二つの神と二つの宗教を調べてみよう。
第二テサロニケ2章で見たように、神様の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言する者がいるので、ヨハネの福音書17章3節に、「まことの神」という御言葉を言われた。一つはまことの神様であり、一つは偽りの神である。この偽りの神は、エゼキエル28章に、自分を神だというサタンとその所属の牧者である。まことの神様から啓示を受けた牧者がいて、偽りの神(サタン)から偽りの啓示を受けた牧者がいる。
この二つの神によって宗教は大きく二つがある。
まことの神様の宗教は、神様が認められた人の始祖であるアダムの時から、血統と歴史と御言葉が受け継がれてきて、約束した預言とその預言が成し遂げられた成就が時代ごとにあった。だが、偽りの神と偽りの牧者は、預言とその成就がなく、自分を隠すために善行を叫ぶが、その中には狼のようなサタンがいて、義であるふりをしているだけである。サタンは、創造力がないので、預言もその成就もないのである。サタンは、神様が創造された地球村を自分のものに所有しているので、預言も、その成就もいらないのである。
まことの神様の宗教は、神様から来る啓示であり、教育である。サタンに属した地の宗教は、地のものを言い、天の宗教は、天から見て聞いたことを知らせるものである(ヨハ3:31-34)。神様の宗教は、アダムの時から一様に受け継がれてきて、サタンの宗教は、数百にも分かれ、経書も数百にもなるが、みな同じように人の教育に過ぎず、約束である預言とその成就がない。また、サタンが罪を犯させたので、罪の赦しがない。また、罪の赦しのための資料もない。彼らは、赦しと愛と祝福よりも、迫害と偽りの言葉とのろいと紛争を日常茶飯事にして騒いでいる。
初臨の時、イエス様は、エルサレムで平和を叫ばれた。そして、サタン、すなわち、蛇であるエルサレムの牧者たちは、平和を叫ばせなかった(ルカ19:38-42)。これは紛争を起こすサタンの所属だからである。サタンの宗教は、国教、私教、地の文化、迷信などであり、これを信じる者たちは、肉的な人々である。神様の牧者とサタンの牧者の戦争は、互いのあかしする言葉で戦うのである。神様の経書を持って、信仰する者だと言っても、御言葉がわからなかったり、他の意味で教える者は神様の所属になることができず、サタンの所属である。異邦人だと言っても、啓示される信仰によって再び生まれるならば、神様の子どもになる。言葉は、すなわち、神であり、御言葉を受けた者を神だと言われた(ヨハ6:63、10:35)。宗教の戦争は、あかしする言葉でするのであり、神様の御言葉は、真理であり、悪魔の言葉は非真理である。
サタンの群れは、神様の約束の御言葉がわからず、神様の約束の牧者と聖徒は、神様の約束である啓示の御言葉に精通する。これによって神様の所属とサタンの所属を区分することができる。にせものでありながら本物のふりをする者たちは、本物が来て、まことをあかしする時、信じず、迫害する者たちであり、彼らは公開討論をしようとしても出て来ない。これは、自分の過ちが明らかになるからである。神様は、神様を信じる聖徒にサタンの正体を表して知らせることによって、サタンに属さず、惑わされないようにされた。こうして、神様の聖徒は、サタンとその所属の牧者とサタンの非真理を知ることで惑わしに陥ることはない。
まことの神様は、御心を成し遂げられるため、将来に成し遂げられることを前もって語られて、また、預言を成し遂げられる時、出現して、その成し遂げられたことをあかししてくれる牧者も前もって約束されたのである。こうして、成し遂げることを約束した預言と約束した牧者がいる。預言もなく、前もって約束した牧者もいなく、良い正しい行いをしなさいという言葉だけでは、まことの宗教とまことの神様の牧者だと言っても信じてはならない。
神様は唯一神であられる。ここも「にせもの」、あそこも「にせもの」、にせものが大手を振っているが、事実は悪魔の牧者たちなのである。信じることのできる宗教は、預言とその成就がある宗教である。これがまことの宗教、すなわち、神様が約束された宗教であり、そのあかしである。あかしがないものは、神様の宗教ではない。モーセの時も、イエス様の初臨の時も、啓示録の勝利者の時も、成し遂げられること(預言)と約束した牧者がいて、約束した牧者が来て、預言を成し遂げられた。これがまことの宗教というあかしであり、このような宗教がまことの神様の宗教である。
神様が旧約の預言者たちに預言されたことは、約束の牧者、イエス様が来て成し遂げられ、2千年前、イエス様が使徒ヨハネを通して約束した新約の啓示録は、今日、その預言通り成し遂げられて、約束した牧者が来て、その成し遂げられたことを六何原則に基づいてあかししている。
預言したことは、成し遂げる時、見て、信じさせようとすることであった(ヨハ14:29)。約束したことも、信じることも、待つこともない経書で何を信じるのか。これは、宗教ではなく、その国の文化に過ぎないのである。何によって罪を赦すという約束と、何を成し遂げるという約束があってこそ、信じて待つだろう。キリスト教の経書は、アダムの時から啓示録の時まで約束した預言を成し遂げてきた。これを信じる者は、救われた。今日、成し遂げることは啓示録(啓1-22章)であり、この啓示録通り成し遂げられた。神様は、この時、救い主を約束されて、救われる所を知らせてくださった。世の終わりがあり、この時、救われる所が避難所である。信仰は、約束を信じることである。新しい国の創造も約束されたので、この新しい国に属してこそ、救いがあるようになる。
天人の世界、すなわち、霊の世界には、まことの神様の所属と、また、覆うケルブが背教してできた神(悪魔)の所属がいて、地でもそのように、各所属の肉体たちがいる。
背教した神の所属が旧約時代に、この地のバビロンの国を通して神様の国エルサレムを飲み込んできたので、新約では竜の群れを旧約時代のバビロンにたとえて名前を付けたのである。だから、実は霊的バビロンである。彼らの所属の組織は、もともとケルブ、すなわち、四つの生き物(エゼ28章)のうちの一つであり、彼らの秘密は、啓示録17-18章に記録されている。この竜は、七つの頭と十本の角を持った獣と民族と群集と国民と国語である。
四つの生き物は、御座の周り、すなわち、東西南北、四方にいる四人の天使長であり、その前後に満ちた目、すなわち、霊たちが共にいる者たちであり、四人の天使長のうちの一人の天使長、すなわち、ケルブ(覆うケルブ)が背教したので、彼が啓明星(明けの明星:ルシファー)であった。こうして背教した覆うケルブは、自分の所属の霊たちと共に自分の位を与えて(啓13章)、自分を神に偽装して、多くの人を惑わした。まことの神様の御座は、啓示録4章で見たように、24長老と七つのともしびの霊と四つの生き物がいる(エゼ1章、10章参考)。
この霊の二つの組織と地の所属の二つの組織が、6千年間、地球を置いて戦ってきた。だが、今日、啓示録の時、勝利されたイエス様の血によって竜に勝利することで、竜は6千年目に捕えられるようになるのである。離れて行かれた神様は、地球を再び取り戻して戻られるようになり、地球村は、神様が統治される世界になる。
この啓示録で創造される十二支派が永遠のまことの神様の国であり、天人の国である。この国と民は、新約に約束した国と天民である。肉的イスラエルが終わったように、これ以前の霊的イスラエルも、啓示録の預言と預言者たちと組織も、啓示録6章と21章のように、全て終わる。この後には、神様が統治される永遠の新しい時代の新しい国と新しい民族があるようになる。アーメン。
本文:創2-3章、マタ23-24章、啓12-13章
天人・地人と二つの神の宗教戦争は、どんなものなのか。
天に属した人(天人)は神であり(創6章)、地に属した人(地人)は肉体である。神は大きく二つがいて、二つの神は、天地創造主のまことの神様と被造物であったサタンである。神様は、唯一神であられ、神様が創造されなかったものは一つもない(ヨハ1:1-4)。二つの神の宗教戦争は、まことの神様のまことの宗教と、サタンの偽りの宗教が人類を互いに主管するために戦う戦争である。
被造物である覆うケルブが自分が神になろうと、神様に背教して(エゼ28章)、神様の人を惑わして、自分の所有にした。それで、背教したケルブを神様は蛇と言われた。この蛇は、竜であり、すなわち、サタンであり、悪魔である(啓12:9、20:2)。
創世記2章と3章に、二種類の木があった。一つはいのちの木であり、一つは善悪の木である。いのちの木の実を食べれば永遠に生き、善悪の木の実を食べれば死んだ。いのちの木は神様であられ、善悪の木は蛇、すなわち、竜である。申命記32章33節に、彼らのぶどうは蛇の毒であり、コブラの悪い(恐ろしい)毒だと言われた。イエス様は、まことのぶどうの木であり、いのちの木であり(ヨハ15:1-5、14:6)、バビロンの牧者は野ぶどうの木であり(イザ5:2参考)、不品行のぶどう酒が出て来る善悪の木である(ダニ4章、啓17-18章)。そして、アダム・エバを惑わした蛇は、サタンであり、悪魔であり、竜であり、マタイの福音書23章で、パリサイ人を蛇だと言った。この蛇は、イエス様が「天からサタンがいなずまのように落ちたのを見た。」という、まさにそのサタンであり、イスカリオテのユダに入った悪魔である(ルカ10:18、ヨハ13:2)。アダム・エバは、神様の御言葉より蛇の言葉をもっと信じたので、蛇が与える善悪の実を食べたのである(創2:17)。
アダム・エバを惑わした存在は、エゼキエル28章の覆うケルブであり、この者は、知恵に満ち、完全な印(全きものの典型)であり、美の極みであり、神様の園、エデンにいて、あらゆる宝石がおおっていて、油注がれたケルブで、神様の聖なる山にいて、火の石の間を歩いていた者であった。このように、造られた日から不正が見いだされるまでは完全だった。それで、この者をエデンから追い出された野の獣、蛇だと言ったのである。アダム・エバは、惑わす者がエゼキエル28章のような者なので、安心して、彼が与えるものを受けて食べたが、結局、神様の御言葉を守れない背教者になったのである。これがエデンの事件の始まりである。
アダム・エバは、神様から神様の姿と形に造られて、天地万物を相続として受けた。だが、彼らが背教することによって、この受けたものを持って蛇に行き、アダム・エバと万物は、サタンのものになったので、神様は、創造したものを離れるようになられた。こうして地球村の人々は、誰でも罪を犯したアダムの遺伝子で生まれた者たちであり、アダムのような罪人たちである。蛇、すなわち、サタンは、神様がいない世で自分が神(偽りの神)になって、世を統治してきた。だから、離れて行かれた神様は、この事実を人類世界に知らせに来られた。これが神様の啓示の宗教である。
まことの神様は、生命体であられるので、創造力がある。しかし、サタンは、創造力がない。その理由は、サタンは、死だからである。いのちは、創造力があり、死は、死ぬことによって生産がないので創造力がない。創造された世界の現実がこうなので、神様は、失ったものを再び取り戻されるということであり、サタンは、惑わしによって占領したものを奪われないようにするということである。それで神様は、事実であるまことを知らせて来られて、サタンは天地万物が自分が創造したものではないので、にせものの神のふるまいをするため、偽りの言葉をするようになったのである(ヨハ8:44)。それで、神様とサタン、まことの言葉(真理)と偽りの言葉(非真理)が戦う戦争が6千年間起こるようになったのである。
ヤコブが戦って勝利することによってイスラエルになり(創32:24-28)、初臨のイエス様が世(サタン)と戦って勝利することによって霊的イスラエルになられた(ヨハ16:33、1:12-13)。そして、今日、イエス様が七つの印で封じられた本の(啓5章)印を解かれて、記録された約束をまた成し遂げられるようになった。この時、イエス様は、天で勝利されて、この地では勝利者が勝利することで初めて、神様の国と救いがあるようになる(啓12章)。これが啓示録の約束である。これは霊界で勝利することで、この地の肉界でも勝利するようになったのである。
竜の群れと戦って勝利することのできる条件は、イエス様の血とあかしすることばであり(啓12:11)、新約の啓示録で新しい国の創造も、イエス様の血で成し遂げられるようになるのである(啓5:9-10)。イエス様が十字架で血を流された後、2千年の間はイエス様の血と肉に対して記念する行事であり(ルカ22:17-19、Ⅰコリ11:23-25)、イエス様の血の効力は、啓示録であるようになった。これは、啓示録の新しい国の創造のための血であった(啓1:5-6、5:9-10、7:14、12:10-11、19:11-16)。
アダムの世界も、ノアの子孫カナンの世界も、アブラハムの子孫イスラエルの世界のソロモンも、エルサレムのパリサイ人たちも、啓示録の時の啓13章の霊的イスラエルも(啓13:6)、蛇に惑わされて背教した。世は6千年間、サタンが主管してきて、サタン竜に礼拝する世界であった。イエス様は、今日、啓示録の成就の時、竜の群れと戦って勝利せよと言われ、勝利すれば、啓示録2章と3章で約束されたこと(祝福)を与えると言われた。
神様は、モーセと共におられ、イエス様と共におられ、また啓示録の時には勝利者と共におられることを啓示録3章12節に約束された。神様と天国とイエス様が勝利者と共におられるので、天国と神様とイエス様に行く人は、勝利者に行かなければならないのである。
二つの神と二つの宗教を調べてみよう。
第二テサロニケ2章で見たように、神様の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言する者がいるので、ヨハネの福音書17章3節に、「まことの神」という御言葉を言われた。一つはまことの神様であり、一つは偽りの神である。この偽りの神は、エゼキエル28章に、自分を神だというサタンとその所属の牧者である。まことの神様から啓示を受けた牧者がいて、偽りの神(サタン)から偽りの啓示を受けた牧者がいる。
この二つの神によって宗教は大きく二つがある。
まことの神様の宗教は、神様が認められた人の始祖であるアダムの時から、血統と歴史と御言葉が受け継がれてきて、約束した預言とその預言が成し遂げられた成就が時代ごとにあった。だが、偽りの神と偽りの牧者は、預言とその成就がなく、自分を隠すために善行を叫ぶが、その中には狼のようなサタンがいて、義であるふりをしているだけである。サタンは、創造力がないので、預言もその成就もないのである。サタンは、神様が創造された地球村を自分のものに所有しているので、預言も、その成就もいらないのである。
まことの神様の宗教は、神様から来る啓示であり、教育である。サタンに属した地の宗教は、地のものを言い、天の宗教は、天から見て聞いたことを知らせるものである(ヨハ3:31-34)。神様の宗教は、アダムの時から一様に受け継がれてきて、サタンの宗教は、数百にも分かれ、経書も数百にもなるが、みな同じように人の教育に過ぎず、約束である預言とその成就がない。また、サタンが罪を犯させたので、罪の赦しがない。また、罪の赦しのための資料もない。彼らは、赦しと愛と祝福よりも、迫害と偽りの言葉とのろいと紛争を日常茶飯事にして騒いでいる。
初臨の時、イエス様は、エルサレムで平和を叫ばれた。そして、サタン、すなわち、蛇であるエルサレムの牧者たちは、平和を叫ばせなかった(ルカ19:38-42)。これは紛争を起こすサタンの所属だからである。サタンの宗教は、国教、私教、地の文化、迷信などであり、これを信じる者たちは、肉的な人々である。神様の牧者とサタンの牧者の戦争は、互いのあかしする言葉で戦うのである。神様の経書を持って、信仰する者だと言っても、御言葉がわからなかったり、他の意味で教える者は神様の所属になることができず、サタンの所属である。異邦人だと言っても、啓示される信仰によって再び生まれるならば、神様の子どもになる。言葉は、すなわち、神であり、御言葉を受けた者を神だと言われた(ヨハ6:63、10:35)。宗教の戦争は、あかしする言葉でするのであり、神様の御言葉は、真理であり、悪魔の言葉は非真理である。
サタンの群れは、神様の約束の御言葉がわからず、神様の約束の牧者と聖徒は、神様の約束である啓示の御言葉に精通する。これによって神様の所属とサタンの所属を区分することができる。にせものでありながら本物のふりをする者たちは、本物が来て、まことをあかしする時、信じず、迫害する者たちであり、彼らは公開討論をしようとしても出て来ない。これは、自分の過ちが明らかになるからである。神様は、神様を信じる聖徒にサタンの正体を表して知らせることによって、サタンに属さず、惑わされないようにされた。こうして、神様の聖徒は、サタンとその所属の牧者とサタンの非真理を知ることで惑わしに陥ることはない。
まことの神様は、御心を成し遂げられるため、将来に成し遂げられることを前もって語られて、また、預言を成し遂げられる時、出現して、その成し遂げられたことをあかししてくれる牧者も前もって約束されたのである。こうして、成し遂げることを約束した預言と約束した牧者がいる。預言もなく、前もって約束した牧者もいなく、良い正しい行いをしなさいという言葉だけでは、まことの宗教とまことの神様の牧者だと言っても信じてはならない。
神様は唯一神であられる。ここも「にせもの」、あそこも「にせもの」、にせものが大手を振っているが、事実は悪魔の牧者たちなのである。信じることのできる宗教は、預言とその成就がある宗教である。これがまことの宗教、すなわち、神様が約束された宗教であり、そのあかしである。あかしがないものは、神様の宗教ではない。モーセの時も、イエス様の初臨の時も、啓示録の勝利者の時も、成し遂げられること(預言)と約束した牧者がいて、約束した牧者が来て、預言を成し遂げられた。これがまことの宗教というあかしであり、このような宗教がまことの神様の宗教である。
神様が旧約の預言者たちに預言されたことは、約束の牧者、イエス様が来て成し遂げられ、2千年前、イエス様が使徒ヨハネを通して約束した新約の啓示録は、今日、その預言通り成し遂げられて、約束した牧者が来て、その成し遂げられたことを六何原則に基づいてあかししている。
預言したことは、成し遂げる時、見て、信じさせようとすることであった(ヨハ14:29)。約束したことも、信じることも、待つこともない経書で何を信じるのか。これは、宗教ではなく、その国の文化に過ぎないのである。何によって罪を赦すという約束と、何を成し遂げるという約束があってこそ、信じて待つだろう。キリスト教の経書は、アダムの時から啓示録の時まで約束した預言を成し遂げてきた。これを信じる者は、救われた。今日、成し遂げることは啓示録(啓1-22章)であり、この啓示録通り成し遂げられた。神様は、この時、救い主を約束されて、救われる所を知らせてくださった。世の終わりがあり、この時、救われる所が避難所である。信仰は、約束を信じることである。新しい国の創造も約束されたので、この新しい国に属してこそ、救いがあるようになる。
天人の世界、すなわち、霊の世界には、まことの神様の所属と、また、覆うケルブが背教してできた神(悪魔)の所属がいて、地でもそのように、各所属の肉体たちがいる。
背教した神の所属が旧約時代に、この地のバビロンの国を通して神様の国エルサレムを飲み込んできたので、新約では竜の群れを旧約時代のバビロンにたとえて名前を付けたのである。だから、実は霊的バビロンである。彼らの所属の組織は、もともとケルブ、すなわち、四つの生き物(エゼ28章)のうちの一つであり、彼らの秘密は、啓示録17-18章に記録されている。この竜は、七つの頭と十本の角を持った獣と民族と群集と国民と国語である。
四つの生き物は、御座の周り、すなわち、東西南北、四方にいる四人の天使長であり、その前後に満ちた目、すなわち、霊たちが共にいる者たちであり、四人の天使長のうちの一人の天使長、すなわち、ケルブ(覆うケルブ)が背教したので、彼が啓明星(明けの明星:ルシファー)であった。こうして背教した覆うケルブは、自分の所属の霊たちと共に自分の位を与えて(啓13章)、自分を神に偽装して、多くの人を惑わした。まことの神様の御座は、啓示録4章で見たように、24長老と七つのともしびの霊と四つの生き物がいる(エゼ1章、10章参考)。
この霊の二つの組織と地の所属の二つの組織が、6千年間、地球を置いて戦ってきた。だが、今日、啓示録の時、勝利されたイエス様の血によって竜に勝利することで、竜は6千年目に捕えられるようになるのである。離れて行かれた神様は、地球を再び取り戻して戻られるようになり、地球村は、神様が統治される世界になる。
この啓示録で創造される十二支派が永遠のまことの神様の国であり、天人の国である。この国と民は、新約に約束した国と天民である。肉的イスラエルが終わったように、これ以前の霊的イスラエルも、啓示録の預言と預言者たちと組織も、啓示録6章と21章のように、全て終わる。この後には、神様が統治される永遠の新しい時代の新しい国と新しい民族があるようになる。アーメン。
2015년 11월 25일 수요일
God’s Will and Those Who Are Qualified to Enter the Kingdom of Heaven
God’s Will and Those Who Are Qualified to Enter the Kingdom of Heaven
Main references: Mt 7:21, Jn 3:5, Rv 22:18-19
Where is the kingdom of heaven? What is the will of God? And who is qualified to enter the kingdom of heaven?
The kingdom of heaven is where God dwells. God’s will is a promise, a prophecy. And those who are qualified to enter the kingdom of heaven are those who are reborn of water and the Spirit according to God’s will (Jn 3:5).
The Spirit is the spirit of God, and the water is the Word (Am 8:11-13), that is, the seed of God. Before the time of Jesus, the chosen people were born of flesh and of natural descent. But after the time of Jesus, they were no longer born of flesh and of natural descent, but born of God, becoming the children of God (Jn 1:13). These are the children of God who are reborn, and this is God’s will (Mt 13:38).
Jesus brought the seed of God into the world and sowed it. He said that this seed is the secret of the kingdom of heaven (Mt 13:10-11). About 2,600 years ago, God promised through Jeremiah that He will sow two kinds of seeds, and Jesus came later to sow it as God promised. However, the devil came to the very field Jesus sowed his seed and planted his own (Jer 31:27, Mt 13:24-25). Thus, two kinds of seeds have been growing together in one field until the time of harvest. But at the time of harvest, only those who are born of God’s seed that was sown by Jesus will be harvested. Those who remain in the field are born of the devil’s seed. Being harvested or not shows whether someone is a child with God’s seed or a child with the devil’s seed.
Again, God’s will is the promise of the New Testament, the entire Book of Revelation. Because it is the will of God, anyone who adds or takes words away from the book of Revelation cannot enter the kingdom of heaven (Rv 22:18-19). This is why Jesus said, “Blessed are those who read, hear, and keep the words of this prophecy (Rv 1:3).”
Today, some declare war while others proclaims peace, and this work has lasted for 6,000 years. Jesus proclaimed peace in Jerusalem (Lk 19:38-42), but the pastors in Jerusalem declared war. War is murder and comes from the devil, but peace is life and comes from God.
The false pastors, the group of the dragon who waged war, are victorious in Revelation 13, but are defeated in Revelation 12. The dragon is seized, thrown into the Abyss, and locked up in Revelation 20. This is God’s victory. The kingdom of God is created henceforth, and the era of His reign finally begins.
How can congregation members of the earth enter the kingdom of heaven where God and Jesus dwell?
They must learn from the pastor who received and ate the open scroll in Revelation 10, accept the testimony of the messenger Jesus sends for the churches in Revelation 22:16, and go to the one who overcomes, whom God, the kingdom of heaven, and Jesus are with (Rv 3:12). This is the way to the kingdom of heaven and to God, and this is the will of God (Mt 7:21). John 14:16-17 and 26 says that the Counselor, or the Spirit of truth, dwells in a person just like God and Jesus do, and in John 14:23-24, the Spirit works through that person. The one who understands, believes, and takes part in this is acting according to God’s will.
People persecute without knowing the Bible or understanding its meaning, like the Pharisees, because an evil spirit lives in them. A true religion has prophecy and fulfillment; it has promises of a kingdom, people, and a pastor, and the corresponding physical entities as the fulfillment. On the contrary, false religions do not have any prophecies or fulfillment, and they have no promised pastor. Many think that the teachings of men and worldly cultures are religions, but they are merely cultures of the world. Moreover, if a believer does not understand the scripture of the true religion—the religion that has a promised pastor and prophecies and fulfillment in its scripture—he still cannot be considered as a true believer.
God promised in the New Testament that His seed will be sown, that the fruits will be harvested and sealed to establish the twelve tribes, and that they will be the priests and a great multitude in white who are redeemed by Jesus’ blood.
God’s will and purpose is to create the twelve tribes, His kingdom and people, as recorded in the Bible. A religion or its believers cannot be regarded as true if they do not have this truth.
Among the many religious scriptures, only the Christian Bible has prophecies and fulfillment of a kingdom, people, and a pastor. Catholicism, Protestantism, Lutheranism, the Anglican Church, and the Orthodox Church are factions of Christianity that use the Bible to carry out their life of faith.
However, just as it is recorded in Revelation 5, no one from these groups has been able to understand the meaning of the New Testament prophecies. The only one who understands them is the promised pastor of this era. Except for the Christian Bible, the religious scriptures of the world are not promises made through a revelation from the true God. They are merely teachings of the earth, products of arbitrary cultures of the world.
True religion belongs to the heavens. It is not a worldly knowledge or a culture of the earth, but the Word of God that is learned from God. Today one can only receive salvation if he believes and keeps the promises of heaven. And God and the Bible promise that there will be a kingdom, people, and a pastor of God.
Jesus’ blood was shed 2,000 years ago to redeem the promised kingdom and people from sin. This is the promise of God, and they are the kingdom, people, and pastor born of God’s seed. They are the people who are qualified to receive salvation.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/755
Main references: Mt 7:21, Jn 3:5, Rv 22:18-19
Where is the kingdom of heaven? What is the will of God? And who is qualified to enter the kingdom of heaven?
The kingdom of heaven is where God dwells. God’s will is a promise, a prophecy. And those who are qualified to enter the kingdom of heaven are those who are reborn of water and the Spirit according to God’s will (Jn 3:5).
The Spirit is the spirit of God, and the water is the Word (Am 8:11-13), that is, the seed of God. Before the time of Jesus, the chosen people were born of flesh and of natural descent. But after the time of Jesus, they were no longer born of flesh and of natural descent, but born of God, becoming the children of God (Jn 1:13). These are the children of God who are reborn, and this is God’s will (Mt 13:38).
Jesus brought the seed of God into the world and sowed it. He said that this seed is the secret of the kingdom of heaven (Mt 13:10-11). About 2,600 years ago, God promised through Jeremiah that He will sow two kinds of seeds, and Jesus came later to sow it as God promised. However, the devil came to the very field Jesus sowed his seed and planted his own (Jer 31:27, Mt 13:24-25). Thus, two kinds of seeds have been growing together in one field until the time of harvest. But at the time of harvest, only those who are born of God’s seed that was sown by Jesus will be harvested. Those who remain in the field are born of the devil’s seed. Being harvested or not shows whether someone is a child with God’s seed or a child with the devil’s seed.
Again, God’s will is the promise of the New Testament, the entire Book of Revelation. Because it is the will of God, anyone who adds or takes words away from the book of Revelation cannot enter the kingdom of heaven (Rv 22:18-19). This is why Jesus said, “Blessed are those who read, hear, and keep the words of this prophecy (Rv 1:3).”
Today, some declare war while others proclaims peace, and this work has lasted for 6,000 years. Jesus proclaimed peace in Jerusalem (Lk 19:38-42), but the pastors in Jerusalem declared war. War is murder and comes from the devil, but peace is life and comes from God.
The false pastors, the group of the dragon who waged war, are victorious in Revelation 13, but are defeated in Revelation 12. The dragon is seized, thrown into the Abyss, and locked up in Revelation 20. This is God’s victory. The kingdom of God is created henceforth, and the era of His reign finally begins.
How can congregation members of the earth enter the kingdom of heaven where God and Jesus dwell?
They must learn from the pastor who received and ate the open scroll in Revelation 10, accept the testimony of the messenger Jesus sends for the churches in Revelation 22:16, and go to the one who overcomes, whom God, the kingdom of heaven, and Jesus are with (Rv 3:12). This is the way to the kingdom of heaven and to God, and this is the will of God (Mt 7:21). John 14:16-17 and 26 says that the Counselor, or the Spirit of truth, dwells in a person just like God and Jesus do, and in John 14:23-24, the Spirit works through that person. The one who understands, believes, and takes part in this is acting according to God’s will.
People persecute without knowing the Bible or understanding its meaning, like the Pharisees, because an evil spirit lives in them. A true religion has prophecy and fulfillment; it has promises of a kingdom, people, and a pastor, and the corresponding physical entities as the fulfillment. On the contrary, false religions do not have any prophecies or fulfillment, and they have no promised pastor. Many think that the teachings of men and worldly cultures are religions, but they are merely cultures of the world. Moreover, if a believer does not understand the scripture of the true religion—the religion that has a promised pastor and prophecies and fulfillment in its scripture—he still cannot be considered as a true believer.
God promised in the New Testament that His seed will be sown, that the fruits will be harvested and sealed to establish the twelve tribes, and that they will be the priests and a great multitude in white who are redeemed by Jesus’ blood.
God’s will and purpose is to create the twelve tribes, His kingdom and people, as recorded in the Bible. A religion or its believers cannot be regarded as true if they do not have this truth.
Among the many religious scriptures, only the Christian Bible has prophecies and fulfillment of a kingdom, people, and a pastor. Catholicism, Protestantism, Lutheranism, the Anglican Church, and the Orthodox Church are factions of Christianity that use the Bible to carry out their life of faith.
However, just as it is recorded in Revelation 5, no one from these groups has been able to understand the meaning of the New Testament prophecies. The only one who understands them is the promised pastor of this era. Except for the Christian Bible, the religious scriptures of the world are not promises made through a revelation from the true God. They are merely teachings of the earth, products of arbitrary cultures of the world.
True religion belongs to the heavens. It is not a worldly knowledge or a culture of the earth, but the Word of God that is learned from God. Today one can only receive salvation if he believes and keeps the promises of heaven. And God and the Bible promise that there will be a kingdom, people, and a pastor of God.
Jesus’ blood was shed 2,000 years ago to redeem the promised kingdom and people from sin. This is the promise of God, and they are the kingdom, people, and pastor born of God’s seed. They are the people who are qualified to receive salvation.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
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2015년 11월 22일 일요일
Der Wille Gottes und diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um in das Himmelreich zu gehen
Der Wille Gottes und diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um in das Himmelreich zu gehen
Referenz: Mt 7:21, Joh 3:5, Offb 22:18-19
Was sind das Himmelreich und der Wille Gottes? Und was für Personen besitzen die Voraussetzung, um in das Himmelreich hineinzugehen?
Das Himmelreich ist das Reich, in dem sich Gott befindet. Der Wille Gottes ist die Verheißung, also die Vorhersage. Diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um in das Himmel hineinzugehen, sind Personen, die nach dem Willen Gottes durch Wasser und Heiligen Geist wiedergeboren sind (Joh 3:5).
Der Heilige Geist ist der Geist Gottes, und das Wasser ist der Same Gottes, also das Wort (Amos 8:11-13). In der Welt vor Jesus waren zwar die aus Fleisch und Geblüt Geborenen das auserwählte Volk, aber in der auf Jesus folgenden Welt sind nicht die aus Fleisch und Geblüt Geborenen, sondern die aus Gott Geborenen die Kinder Gottes (auserwähltes Volk; Joh 1:13). Sie sind die wiedergeborenen Kinder Gottes, der Wille Gottes (Mt 13:38).
Jesus brachte den Samen Gottes und säte ihn. Dieser Same wird als Geheimnis des Himmelsreichs bezeichnet (Mt 13:10-11). Gott verhieß vor etwa 2600 Jahren an Jeremia, dass die zwei Arten von Samen gesät werden, und Jesus kam, um den verheißenen Samen zu säen. Doch auch der Teufel kam zum Acker, auf dem Jesus den Samen säte, und streute dort den Samen des Teufels (Jer 31:27, Mt 13:24-25). So sind in einem Acker zwei Arten von Samen gemeinsam bis zur Erntezeit herangewachsen. Doch in der Erntezeit werden nur diejenigen geerntet, die aus dem von Jesus gesäten Samen Gottes geboren sind. Die Übriggebliebenen sind die aus dem Samen des Teufels Geborenen. Dies ist das Zeugnis über die Kinder des Samens Gottes und die Kinder des Samens des Teufels.
Wenn man nochmals auf den Willen Gottes zu sprechen kommt, entspricht dieser den gesamten Kapiteln der Offenbarung, die die Verheißung des Neuen Testaments darstellt. Sie ist der Wille Gottes. Wenn man ihr etwas hinzufügt und wegnimmt, kann man nicht in das Himmelreich hineingehen (Offb 22:18-19). Folglich heißt es, dass der liest sowie die das in ihr Niedergeschriebene hören und bewahren, gesegnet sind (Offb 1:3)
Heutzutage gibt es jene, die den Krieg ausrufen, und diejenigen, die den Frieden ausrufen. Jesus rief damals in Jerusalem den Frieden aus (Lk 19:38-42), und die Hirten Jerusalems riefen den Krieg aus. Der Krieg ist der Mord und Teufel. Der Friede ist das Leben und Gott. Dieses Werk ist 6000 Jahre vorangeschritten.
Die falschen Hirten der Gruppierung des Drachen, die in Offenbarung 13 und 12 den Krieg beschreiten, siegen in Offenbarung 13 und in Kapitel 12 unterliegen sie. Der Drache wird in Offenbarung 20 gefangen, sodass er in den Abgrund geht und dort eingeschlossen wird. Dies stellt den Sieg Gottes dar. Von dieser Zeit an gibt es das Reich Gottes, und von dieser Zeit an kommt es zum Zeitalter der Herrschaft Gottes.
Was müssen die Heiligen auf der Erde in solch einer Zeit tun, damit sie zu dem Ort gelangen, an dem sich Gott, Jesus und das Himmelreich befinden?
Man muss vom Hirten lernen, der in Offenbarung 10 das offenbarte Buch zu essen bekommt, und man muss an das Zeugnis des Boten aus Offenbarung 22:16, der von Jesus zu den Gemeinden gesandt worden ist, annehmen, und man muss zum Überwinder gehen, der gemeinsam mit Gott, dem Himmelreich und Jesus ist (Offb 3:12). Dies ist der Weg zu Gott und zum Himmelreich. Es ist der Wille Gottes (Mt 7:21). Des Weiteren ist der Beistand des Heiligen Geistes der Wahrheit aus Johannes 14:16-17 und 26 so wie Gott und Jesus im Inneren eines Menschen, und durch diesen Menschen wirkt er wie in Johannes 14:23-24. Derjenige, der hierüber Erkenntnis erlangt sowie daran glaubt und mitwirkt, ist jemand, der nach deren Bedeutung handelt.
Wenn man weder die Bibel noch deren Bedeutung kennt, und nur damit beschäftigt ist, wie die Pharisäer die Verfolgung auszuüben, dann verhält es sich so, weil in seinem Inneren der Gott des Bösen ist. Die wahre Religion besitzt die verheißene Vorhersage, und sie erfüllt diese Vorhersage. Des Weiteren besitzt sie ein verheißenes Reich und Volk sowie einen verheißenen Hirten, und es gibt erfüllte Wirklichkeiten, durch die sie erfüllt werden. Doch eine falsche Religion besitzt weder die Vorhersage noch deren Erfüllung, und ebenso fehlt ein verheißener Hirte. Die Gebote der Menschen sowie die Kulturen der Welt werden zwar als Religion bezeichnet, aber sie sind keine Religion, sondern sie sind lediglich Kulturen der Welt. Und auch wenn in den religiösen Schriften eine Vorhersage und deren Erfüllung sowie ein verheißener Hirte vorhanden sein mögen, wenn die Gläubigen weder die Bedeutung noch den Inhalt ihrer eigenen religiösen Schrift kennen, dann ist solch eine Religion keine wahre Religion und ebenso sind ihre Glaubensangehörigen keine wahren Religionsangehörigen.
Die Verheißung des Neuen Testaments Gottes enthält das Säen des Samens Gottes, das Ernten, das Versiegeln und die Gründung der 12 Stämme sowie die Priester und das Volk der weißen Schar, die die Sündenvergebung erlangen.
Der Wille und das Ziel Gottes bestehen darin, die 12 Stämme des Reichs und Volks Gottes, über die geschrieben steht, zu errichten. Wenn solch Tatsachen nicht bestehen, dann stellt es nicht die Religion Gottes dar und man ist auch kein wahrer Gläubiger.
Unter den einzelnen Schriften der Religionen stellt die Bibel des Christentums diejenige dar, die eine Verheißung über die Vorhersage sowie deren Erfüllung besitzt und in der das verheißene Reich und Volk sowie der verheißene Hirte vorhergesagt werden. Konfessionen, die mittels der Bibel des Christentums ein Glaubensleben führen, sind die katholische Kirche, die reformierte Kirche, die lutherische Kirche, die anglikanische Kirche, die griechisch-orthodoxe Kirche u. a. Sie sind allesamt Splittergruppierungen des Christentums.
Doch im Christentum gibt es gemäß des Wortes aus Offenbarung 5 nicht einen einzigen Menschen, der die Bedeutung der Vorhersage im Neuen Testament kennt. Derjenige, der sie kennt, ist heutzutage allein der verheißene Hirte. Die darüberhinaus gehenden Schriften der Religionen im Einzelnen stellen keine Verheißungen dar, die durch eine Offenbarung des wahren Gottes entstanden sind. Sie sind bloß willkürliche Kulturen der Welt sowie irdische Lehren.
Die wahre Religion stellt die Dinge des Himmels dar. Sie ist das göttliche Wort. Man lernt von Gott. Sie ist weder die Erkenntnis noch die Kultur der irdischen Welt. Nur wenn man an die Verheißung des Himmels glaubt und sie hält, erlangt man die Errettung. Was Gott und die Bibel verheißen, sind das Reich, das Volk und der Hirte Gottes, die verheißen worden sind.
Der Grund dafür, dass der Herr vor 2000 Jahren das Blut vergoss, ist die Sündenvergebung des verheißenen Reichs und Volks. Dies ist die Verheißung Gottes. Sie stellen das aus dem Samen Gottes geborene Reich und Volk sowie den verheißenen Hirte dar. Sie sind diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um die Errettung zu erlangen. Amen.
Referenz: Mt 7:21, Joh 3:5, Offb 22:18-19
Was sind das Himmelreich und der Wille Gottes? Und was für Personen besitzen die Voraussetzung, um in das Himmelreich hineinzugehen?
Das Himmelreich ist das Reich, in dem sich Gott befindet. Der Wille Gottes ist die Verheißung, also die Vorhersage. Diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um in das Himmel hineinzugehen, sind Personen, die nach dem Willen Gottes durch Wasser und Heiligen Geist wiedergeboren sind (Joh 3:5).
Der Heilige Geist ist der Geist Gottes, und das Wasser ist der Same Gottes, also das Wort (Amos 8:11-13). In der Welt vor Jesus waren zwar die aus Fleisch und Geblüt Geborenen das auserwählte Volk, aber in der auf Jesus folgenden Welt sind nicht die aus Fleisch und Geblüt Geborenen, sondern die aus Gott Geborenen die Kinder Gottes (auserwähltes Volk; Joh 1:13). Sie sind die wiedergeborenen Kinder Gottes, der Wille Gottes (Mt 13:38).
Jesus brachte den Samen Gottes und säte ihn. Dieser Same wird als Geheimnis des Himmelsreichs bezeichnet (Mt 13:10-11). Gott verhieß vor etwa 2600 Jahren an Jeremia, dass die zwei Arten von Samen gesät werden, und Jesus kam, um den verheißenen Samen zu säen. Doch auch der Teufel kam zum Acker, auf dem Jesus den Samen säte, und streute dort den Samen des Teufels (Jer 31:27, Mt 13:24-25). So sind in einem Acker zwei Arten von Samen gemeinsam bis zur Erntezeit herangewachsen. Doch in der Erntezeit werden nur diejenigen geerntet, die aus dem von Jesus gesäten Samen Gottes geboren sind. Die Übriggebliebenen sind die aus dem Samen des Teufels Geborenen. Dies ist das Zeugnis über die Kinder des Samens Gottes und die Kinder des Samens des Teufels.
Wenn man nochmals auf den Willen Gottes zu sprechen kommt, entspricht dieser den gesamten Kapiteln der Offenbarung, die die Verheißung des Neuen Testaments darstellt. Sie ist der Wille Gottes. Wenn man ihr etwas hinzufügt und wegnimmt, kann man nicht in das Himmelreich hineingehen (Offb 22:18-19). Folglich heißt es, dass der liest sowie die das in ihr Niedergeschriebene hören und bewahren, gesegnet sind (Offb 1:3)
Heutzutage gibt es jene, die den Krieg ausrufen, und diejenigen, die den Frieden ausrufen. Jesus rief damals in Jerusalem den Frieden aus (Lk 19:38-42), und die Hirten Jerusalems riefen den Krieg aus. Der Krieg ist der Mord und Teufel. Der Friede ist das Leben und Gott. Dieses Werk ist 6000 Jahre vorangeschritten.
Die falschen Hirten der Gruppierung des Drachen, die in Offenbarung 13 und 12 den Krieg beschreiten, siegen in Offenbarung 13 und in Kapitel 12 unterliegen sie. Der Drache wird in Offenbarung 20 gefangen, sodass er in den Abgrund geht und dort eingeschlossen wird. Dies stellt den Sieg Gottes dar. Von dieser Zeit an gibt es das Reich Gottes, und von dieser Zeit an kommt es zum Zeitalter der Herrschaft Gottes.
Was müssen die Heiligen auf der Erde in solch einer Zeit tun, damit sie zu dem Ort gelangen, an dem sich Gott, Jesus und das Himmelreich befinden?
Man muss vom Hirten lernen, der in Offenbarung 10 das offenbarte Buch zu essen bekommt, und man muss an das Zeugnis des Boten aus Offenbarung 22:16, der von Jesus zu den Gemeinden gesandt worden ist, annehmen, und man muss zum Überwinder gehen, der gemeinsam mit Gott, dem Himmelreich und Jesus ist (Offb 3:12). Dies ist der Weg zu Gott und zum Himmelreich. Es ist der Wille Gottes (Mt 7:21). Des Weiteren ist der Beistand des Heiligen Geistes der Wahrheit aus Johannes 14:16-17 und 26 so wie Gott und Jesus im Inneren eines Menschen, und durch diesen Menschen wirkt er wie in Johannes 14:23-24. Derjenige, der hierüber Erkenntnis erlangt sowie daran glaubt und mitwirkt, ist jemand, der nach deren Bedeutung handelt.
Wenn man weder die Bibel noch deren Bedeutung kennt, und nur damit beschäftigt ist, wie die Pharisäer die Verfolgung auszuüben, dann verhält es sich so, weil in seinem Inneren der Gott des Bösen ist. Die wahre Religion besitzt die verheißene Vorhersage, und sie erfüllt diese Vorhersage. Des Weiteren besitzt sie ein verheißenes Reich und Volk sowie einen verheißenen Hirten, und es gibt erfüllte Wirklichkeiten, durch die sie erfüllt werden. Doch eine falsche Religion besitzt weder die Vorhersage noch deren Erfüllung, und ebenso fehlt ein verheißener Hirte. Die Gebote der Menschen sowie die Kulturen der Welt werden zwar als Religion bezeichnet, aber sie sind keine Religion, sondern sie sind lediglich Kulturen der Welt. Und auch wenn in den religiösen Schriften eine Vorhersage und deren Erfüllung sowie ein verheißener Hirte vorhanden sein mögen, wenn die Gläubigen weder die Bedeutung noch den Inhalt ihrer eigenen religiösen Schrift kennen, dann ist solch eine Religion keine wahre Religion und ebenso sind ihre Glaubensangehörigen keine wahren Religionsangehörigen.
Die Verheißung des Neuen Testaments Gottes enthält das Säen des Samens Gottes, das Ernten, das Versiegeln und die Gründung der 12 Stämme sowie die Priester und das Volk der weißen Schar, die die Sündenvergebung erlangen.
Der Wille und das Ziel Gottes bestehen darin, die 12 Stämme des Reichs und Volks Gottes, über die geschrieben steht, zu errichten. Wenn solch Tatsachen nicht bestehen, dann stellt es nicht die Religion Gottes dar und man ist auch kein wahrer Gläubiger.
Unter den einzelnen Schriften der Religionen stellt die Bibel des Christentums diejenige dar, die eine Verheißung über die Vorhersage sowie deren Erfüllung besitzt und in der das verheißene Reich und Volk sowie der verheißene Hirte vorhergesagt werden. Konfessionen, die mittels der Bibel des Christentums ein Glaubensleben führen, sind die katholische Kirche, die reformierte Kirche, die lutherische Kirche, die anglikanische Kirche, die griechisch-orthodoxe Kirche u. a. Sie sind allesamt Splittergruppierungen des Christentums.
Doch im Christentum gibt es gemäß des Wortes aus Offenbarung 5 nicht einen einzigen Menschen, der die Bedeutung der Vorhersage im Neuen Testament kennt. Derjenige, der sie kennt, ist heutzutage allein der verheißene Hirte. Die darüberhinaus gehenden Schriften der Religionen im Einzelnen stellen keine Verheißungen dar, die durch eine Offenbarung des wahren Gottes entstanden sind. Sie sind bloß willkürliche Kulturen der Welt sowie irdische Lehren.
Die wahre Religion stellt die Dinge des Himmels dar. Sie ist das göttliche Wort. Man lernt von Gott. Sie ist weder die Erkenntnis noch die Kultur der irdischen Welt. Nur wenn man an die Verheißung des Himmels glaubt und sie hält, erlangt man die Errettung. Was Gott und die Bibel verheißen, sind das Reich, das Volk und der Hirte Gottes, die verheißen worden sind.
Der Grund dafür, dass der Herr vor 2000 Jahren das Blut vergoss, ist die Sündenvergebung des verheißenen Reichs und Volks. Dies ist die Verheißung Gottes. Sie stellen das aus dem Samen Gottes geborene Reich und Volk sowie den verheißenen Hirte dar. Sie sind diejenigen, die die Voraussetzung besitzen, um die Errettung zu erlangen. Amen.
神的旨意与有资格进入天国的人
神的旨意与有资格进入天国的人
主要经文:太7:21,约3:5,启22:18-19
天国与神的旨意指的是什么?有资格进入天国的人是怎样的人?
天国是神所在的国度;神的旨意就是应许,即预言;有资格进入天国的人是按照神的旨意从水和圣灵重生的人(约3:5)。
圣灵是神的灵,水是神的种子,即话语(摩8:11-13)。在耶稣之前的世界,选民是从肉体与血气而生;而在耶稣之后的世界,不再是从肉体与血气,而是从神生的人要成为神的子女(选民)(约1:13)。这就是蒙重生的神的子女,是神的旨意(太13:38)。
耶稣带来并撒下了神的种子,又说这种子就是天国的奥秘(太13:10-11)。约两千六百年前,神向耶利米应许要撒下两种种子,耶稣来临后撒下了(神)所应许的种子,魔鬼也来齟一块田里撒下了魔鬼的种子(耶31:27,太13:24-25)。直到收割之时,两种种子长齟一块田里。待到收割之时,只有从耶稣所撒下的神的种子而生的人才会被收割,留在田里的是从魔鬼的种子而生的人。这就是对从神的种子和从魔鬼的种子而生的子女的见证。
重申神的旨意,就是新约的应许,即启示录全章。这就是神的旨意,若加删(启示录)则无法进天国(启22:18-19)。因此,(经上说)念这书上预言的,和那些听见又遵守其中所记载的,都是有福的(启1:3)。
今日,有宣告战争之人,也有宣告和平之人。古时,耶稣在耶路撒冷宣告了和平(路19:38-42),耶路撒冷的牧者们则宣告了战争。战争是杀人与魔鬼,和平是生命与神。六千年来此事一直延续至今。
今日,在启示录13章与12章的战争中,龙的组织假牧者们在启示录13章中得了胜,又在12章中战败。这龙要在启示录20章中被捉住且关进无底坑里。这就是神的胜利,从此,神的国度就要来到,神作王的时代就要来临。
这时,世上的圣徒们该怎样做才能进入有神、耶稣和天国的所在之处?
(圣徒们)应到在启示录10章中接过并吃下启示书卷的牧者那里学习,接受启示录22章16节中耶稣为众教会差遣而来的使者的见证,去往有神、天国和耶稣同在的得胜者所在之处(启3:12)才行。这就是通往神和天国之路,是神的旨意(太7:21)。在四福音书中的约翰福音14章16-17节及26节中的真理的圣灵保惠师会像神与耶稣一样住在人的里面,如约翰福音14章23-24节的记载一样,通过人来做工。领悟、相信并与此同工的人就是遵行(神)旨意的人。
不明白圣经及其旨意,像法利赛人一样只是专心行逼迫的人是因有恶灵在他里面。真宗教中有应许的预言及成就,还有应许的国度、民族和立约的牧者及其成就的实体。假宗教中没有预言及成就,也没有立约的牧者。由人的诫命和世上的文化而成的宗教虽被称为宗教,却只不过是世上的文化而已。即使宗教经书中有应许的预言与成就,以及立约的牧者,若信仰人不明白自己经书中的旨意与内容的话,即便是真宗教,但这信仰人却不是真宗教人。
新约中神的应许包括撒下神的种子、收割、印(神)印、创建十二支派,以及用耶稣的血脱离罪恶的祭司与穿白衣的民族。
神的旨意与目的就是创建所记载的十二支派即神的国度及民族。若没有这一事实,就无法称作是神的宗教,也无法称作是真信仰人。
在各宗教经书中,只有基督教的经书中有关于预言及其成就的应许,还有关于应许的国度和民族及立约的牧者的预言。天主教、新教、路德教、圣公会、正教会等教团都以基督教的圣经做信仰,都为基督教的派系。
然而,正如启示录5章的记载一样,在基督教中未曾有人明白新约圣经中的预言之意,明白之人只有一位,就是今日立约的牧者。此外,其他的宗教经书都不是真神所应许的启示,不过是凭私意(而解)的世上文化,是地上的教育而已。
真宗教是属天的,是神的话语,是从神而学的,不是地上属世的知识与文化。只有相信并遵守天上的应许才能够得到救恩。神与圣经中所应许的就是应许的神的国度和民族及立约的牧者。
为了赦免应许的国度和民族的罪,主在两千年前流下了宝血。这就是神的应许,是从神的种子而生的国度和民族及立约的牧者,是有资格得救恩的人。阿们。
主要经文:太7:21,约3:5,启22:18-19
天国与神的旨意指的是什么?有资格进入天国的人是怎样的人?
天国是神所在的国度;神的旨意就是应许,即预言;有资格进入天国的人是按照神的旨意从水和圣灵重生的人(约3:5)。
圣灵是神的灵,水是神的种子,即话语(摩8:11-13)。在耶稣之前的世界,选民是从肉体与血气而生;而在耶稣之后的世界,不再是从肉体与血气,而是从神生的人要成为神的子女(选民)(约1:13)。这就是蒙重生的神的子女,是神的旨意(太13:38)。
耶稣带来并撒下了神的种子,又说这种子就是天国的奥秘(太13:10-11)。约两千六百年前,神向耶利米应许要撒下两种种子,耶稣来临后撒下了(神)所应许的种子,魔鬼也来齟一块田里撒下了魔鬼的种子(耶31:27,太13:24-25)。直到收割之时,两种种子长齟一块田里。待到收割之时,只有从耶稣所撒下的神的种子而生的人才会被收割,留在田里的是从魔鬼的种子而生的人。这就是对从神的种子和从魔鬼的种子而生的子女的见证。
重申神的旨意,就是新约的应许,即启示录全章。这就是神的旨意,若加删(启示录)则无法进天国(启22:18-19)。因此,(经上说)念这书上预言的,和那些听见又遵守其中所记载的,都是有福的(启1:3)。
今日,有宣告战争之人,也有宣告和平之人。古时,耶稣在耶路撒冷宣告了和平(路19:38-42),耶路撒冷的牧者们则宣告了战争。战争是杀人与魔鬼,和平是生命与神。六千年来此事一直延续至今。
今日,在启示录13章与12章的战争中,龙的组织假牧者们在启示录13章中得了胜,又在12章中战败。这龙要在启示录20章中被捉住且关进无底坑里。这就是神的胜利,从此,神的国度就要来到,神作王的时代就要来临。
这时,世上的圣徒们该怎样做才能进入有神、耶稣和天国的所在之处?
(圣徒们)应到在启示录10章中接过并吃下启示书卷的牧者那里学习,接受启示录22章16节中耶稣为众教会差遣而来的使者的见证,去往有神、天国和耶稣同在的得胜者所在之处(启3:12)才行。这就是通往神和天国之路,是神的旨意(太7:21)。在四福音书中的约翰福音14章16-17节及26节中的真理的圣灵保惠师会像神与耶稣一样住在人的里面,如约翰福音14章23-24节的记载一样,通过人来做工。领悟、相信并与此同工的人就是遵行(神)旨意的人。
不明白圣经及其旨意,像法利赛人一样只是专心行逼迫的人是因有恶灵在他里面。真宗教中有应许的预言及成就,还有应许的国度、民族和立约的牧者及其成就的实体。假宗教中没有预言及成就,也没有立约的牧者。由人的诫命和世上的文化而成的宗教虽被称为宗教,却只不过是世上的文化而已。即使宗教经书中有应许的预言与成就,以及立约的牧者,若信仰人不明白自己经书中的旨意与内容的话,即便是真宗教,但这信仰人却不是真宗教人。
新约中神的应许包括撒下神的种子、收割、印(神)印、创建十二支派,以及用耶稣的血脱离罪恶的祭司与穿白衣的民族。
神的旨意与目的就是创建所记载的十二支派即神的国度及民族。若没有这一事实,就无法称作是神的宗教,也无法称作是真信仰人。
在各宗教经书中,只有基督教的经书中有关于预言及其成就的应许,还有关于应许的国度和民族及立约的牧者的预言。天主教、新教、路德教、圣公会、正教会等教团都以基督教的圣经做信仰,都为基督教的派系。
然而,正如启示录5章的记载一样,在基督教中未曾有人明白新约圣经中的预言之意,明白之人只有一位,就是今日立约的牧者。此外,其他的宗教经书都不是真神所应许的启示,不过是凭私意(而解)的世上文化,是地上的教育而已。
真宗教是属天的,是神的话语,是从神而学的,不是地上属世的知识与文化。只有相信并遵守天上的应许才能够得到救恩。神与圣经中所应许的就是应许的神的国度和民族及立约的牧者。
为了赦免应许的国度和民族的罪,主在两千年前流下了宝血。这就是神的应许,是从神的种子而生的国度和民族及立约的牧者,是有资格得救恩的人。阿们。
2015년 11월 20일 금요일
God’s Will, the Sin, Forgiveness, Love and Salvation
God’s Will, the Sin, Forgiveness, Love and Salvation
Main reference: Mt 6:12-15 (Jas 1:15, 1 Pt 1:23)
Adam, the first man who was created in God’s own image and likeness sinned. Therefore, all people born of the gene of Adam are all sinners. Because of this, every person should hope for his or her sins to be forgiven and try to be free of sin. For this, we should love our neighbors as ourselves and forgive others, do good and keep the commandments of God. Jesus said to love even your enemies, and forgive our debtors so that we can be forgiven.
(Jn 15:9-12)
9. “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love.
10. If you obey my commands, you will remain in my love, just as I have obeyed my Father’s commands and remain in his love.
11. I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete.
12. My command is this: Love each other as I have loved you.”
(1 Jn 4:5-8)
5. They are from the world and therefore speak from the viewpoint of the world, and the world listens to them.
6. We are from God, and whoever knows God listens to us; but whoever is not from God does not listen to us. This is now we recognize the Spirit of truth and the spirit of falsehood.
7. Dear friends, let us love one another, for love comes from God. Everyone who loves has been born of God and knows God.
8. Whoever does not love does not know God, because God is love.
Because God has loved us who are sinners, there is salvation for us; and when we love sinners there is salvation for them. Therefore, we should love even our enemies. We should forgive others their faults in order for us to be forgiven. Through this we can know God’s true love and know ourselves. When we start understanding God’s true will we start to know our work.
Adam was created by God, but he betrayed and went to the serpent, taking with him all the inheritance given from God. However, God has been working to restore everything back to its origin. He has loved all creation giving us light, rain and air. This is God’s love that has given us life.
People sin after desire has conceived, it gives birth to sin; and sin, when it is full-grown, gives birth to death (Jas 1:15). God has loved even sinners, so whoever comes from God should love others as God does.
If people properly understand about God, religion, history, and ancestors, they will also understand that they are all are sinners since they are born by Adam’s gene. As the ancestor is the same, we are all brothers and sisters. People who belong to the earth are all sinners, but God is the Holy Creator. We have been given the love of the Holy God, who sacrificed His one and only son for us, the sinners. We are all the same sinners, if we persecute and curse the same brothers who are born from the same ancestor, even though we receive this kind of love, we depart from the word in Matthew 5:43-48; whereas Holy God loves sinners. Although we are the same sinners, still, if people hate and persecute, this action becomes an evidence they have received an evil spirit. Wouldn’t that be so? The Lord told us love your enemies. We should follow what the Lord, who gives us life, says.
People’s deaths are the result of sins. Sin is given by the serpent, who is the devil. Hardships and pains are also from the devil. Those who are born of God will love like God does; yet those who are born of the devil will act on sin and evilness instead of love. It is recorded Jesus will send the Advocate to us, and he will make known to us what he received from Jesus (Jn 16:7-15). Jesus also spoke about him, saying: (When he comes, he will prove the world) about sin, because people do not believe in the LORD; about righteousness, because you can see me no longer; and about judgment, because the prince of this world now stands condemned. The Counselor, the Spirit of truth, whom the Father will send in Jesus’ name, will teach you all things and will remind you of everything Jesus has said to you (Jn 14:26), and he will guide you into all the truth. Also Jesus said he, the Counselor, will live with you (Jn 14:16-17).
John the Baptist came in the name of Elijah ( Mt 11:13-14, Lk 1:17), Jesus came in the name of Father (Jn 5:43), the Counselor comes in Jesus’ name. This Counselor (spirit) works with the messenger who speaks on behalf of Jesus, who is sent to the churches in Revelation 22:16. This person delivers the fulfillment of the prophecy of Revelation and he testifies what he saw to the churches.
The will of God is to forgive, love sinners and do the work of salvation. His son Jesus, with the same heart, atoned for our sin by bearing the cross and shed his blood for sinner’s sin in order to forgive and save them. This is the love of God and Jesus, and this is an eternal love of life. Therefore, Jesus told us to love one another in the same way. Jesus did not create sin and carry out the act of putting the guilt on someone else.
The love of God and Jesus has left because our life of faith became old and corrupted. Evil and Satan have come. If Satan enters, we do carry out evil actions like Satan, and come to like evil more than love. This is the proof of Satan’s evil spirit being with them, not Christ’s spirit of love. The person who has the Spirit of Christ, has love and forgiveness like Christ, as well as righteousness.
True believers must not betray like Adam and must not do evil deeds like the serpent. The serpent deceived Adam and Eve, who were able to live eternally, and caused them to die. Evil, even a minor thing, even the image of it must not be seen. How can there be forgiveness without God’s will and love and salvation? In the New Testament, which is the promise of God, there is the work of betrayal, destruction and the work of salvation. In this salvation, there is love and forgiveness.
Where we will go is where our Holy God is, the holy Heaven! Those who live there must also become holy like our God. That is the only way to live there with Him. If we do not live by the commands (love and forgiveness) given to us by our Lord, we will not be able to go to Heaven. Therefore, only those who act according to God will go to Heaven. Everyone will be judged before God on judgment day. They will be judged according to the words recorded in the book (Bible). (Jn 12:48, Rv 20:12)
We need to become a clean bowl, as clear as glass with no faults or blemishes when we stand before God. The reason God left man-kind was because he couldn’t co-exist with sinners. The only-begotten son’s blood was necessary in order to cleans that sin. Furthermore, we need to be born again with the seed of God to be in the image and likeness of God once more.
We were released from the captivity of sin by the blood of Jesus. We were born again by the seed of God to become an entirely new creation, the holy children of God. This new creation was the result of the priceless love of Jesus and God, a sinner into a righteous being. They are the re-created people of Heaven. The thoughts of the flesh are death, and the thoughts of the spirit are eternal life. The thoughts of flesh and loving worldly things is going against God. (Rom 8:5-7, Jas 4:4) This world is conquered by the devil, and the people returned to the flesh, just like Adam, whose spirit died. And the world received judgment because the sons of God and the daughters of the earth became one in flesh, as told in Genesis chapter 6.
Therefore, we need to believe and follow the God of heaven. We must become His children to become one family to live with God in Heaven, where He reigns, once He captures the dragon. We are the twelve tribes; the people of heaven spoken of in Revelations. Let’s offer our thanks and glory to our Father God.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/752
Main reference: Mt 6:12-15 (Jas 1:15, 1 Pt 1:23)
Adam, the first man who was created in God’s own image and likeness sinned. Therefore, all people born of the gene of Adam are all sinners. Because of this, every person should hope for his or her sins to be forgiven and try to be free of sin. For this, we should love our neighbors as ourselves and forgive others, do good and keep the commandments of God. Jesus said to love even your enemies, and forgive our debtors so that we can be forgiven.
(Jn 15:9-12)
9. “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love.
10. If you obey my commands, you will remain in my love, just as I have obeyed my Father’s commands and remain in his love.
11. I have told you this so that my joy may be in you and that your joy may be complete.
12. My command is this: Love each other as I have loved you.”
(1 Jn 4:5-8)
5. They are from the world and therefore speak from the viewpoint of the world, and the world listens to them.
6. We are from God, and whoever knows God listens to us; but whoever is not from God does not listen to us. This is now we recognize the Spirit of truth and the spirit of falsehood.
7. Dear friends, let us love one another, for love comes from God. Everyone who loves has been born of God and knows God.
8. Whoever does not love does not know God, because God is love.
Because God has loved us who are sinners, there is salvation for us; and when we love sinners there is salvation for them. Therefore, we should love even our enemies. We should forgive others their faults in order for us to be forgiven. Through this we can know God’s true love and know ourselves. When we start understanding God’s true will we start to know our work.
Adam was created by God, but he betrayed and went to the serpent, taking with him all the inheritance given from God. However, God has been working to restore everything back to its origin. He has loved all creation giving us light, rain and air. This is God’s love that has given us life.
People sin after desire has conceived, it gives birth to sin; and sin, when it is full-grown, gives birth to death (Jas 1:15). God has loved even sinners, so whoever comes from God should love others as God does.
If people properly understand about God, religion, history, and ancestors, they will also understand that they are all are sinners since they are born by Adam’s gene. As the ancestor is the same, we are all brothers and sisters. People who belong to the earth are all sinners, but God is the Holy Creator. We have been given the love of the Holy God, who sacrificed His one and only son for us, the sinners. We are all the same sinners, if we persecute and curse the same brothers who are born from the same ancestor, even though we receive this kind of love, we depart from the word in Matthew 5:43-48; whereas Holy God loves sinners. Although we are the same sinners, still, if people hate and persecute, this action becomes an evidence they have received an evil spirit. Wouldn’t that be so? The Lord told us love your enemies. We should follow what the Lord, who gives us life, says.
People’s deaths are the result of sins. Sin is given by the serpent, who is the devil. Hardships and pains are also from the devil. Those who are born of God will love like God does; yet those who are born of the devil will act on sin and evilness instead of love. It is recorded Jesus will send the Advocate to us, and he will make known to us what he received from Jesus (Jn 16:7-15). Jesus also spoke about him, saying: (When he comes, he will prove the world) about sin, because people do not believe in the LORD; about righteousness, because you can see me no longer; and about judgment, because the prince of this world now stands condemned. The Counselor, the Spirit of truth, whom the Father will send in Jesus’ name, will teach you all things and will remind you of everything Jesus has said to you (Jn 14:26), and he will guide you into all the truth. Also Jesus said he, the Counselor, will live with you (Jn 14:16-17).
John the Baptist came in the name of Elijah ( Mt 11:13-14, Lk 1:17), Jesus came in the name of Father (Jn 5:43), the Counselor comes in Jesus’ name. This Counselor (spirit) works with the messenger who speaks on behalf of Jesus, who is sent to the churches in Revelation 22:16. This person delivers the fulfillment of the prophecy of Revelation and he testifies what he saw to the churches.
The will of God is to forgive, love sinners and do the work of salvation. His son Jesus, with the same heart, atoned for our sin by bearing the cross and shed his blood for sinner’s sin in order to forgive and save them. This is the love of God and Jesus, and this is an eternal love of life. Therefore, Jesus told us to love one another in the same way. Jesus did not create sin and carry out the act of putting the guilt on someone else.
The love of God and Jesus has left because our life of faith became old and corrupted. Evil and Satan have come. If Satan enters, we do carry out evil actions like Satan, and come to like evil more than love. This is the proof of Satan’s evil spirit being with them, not Christ’s spirit of love. The person who has the Spirit of Christ, has love and forgiveness like Christ, as well as righteousness.
True believers must not betray like Adam and must not do evil deeds like the serpent. The serpent deceived Adam and Eve, who were able to live eternally, and caused them to die. Evil, even a minor thing, even the image of it must not be seen. How can there be forgiveness without God’s will and love and salvation? In the New Testament, which is the promise of God, there is the work of betrayal, destruction and the work of salvation. In this salvation, there is love and forgiveness.
Where we will go is where our Holy God is, the holy Heaven! Those who live there must also become holy like our God. That is the only way to live there with Him. If we do not live by the commands (love and forgiveness) given to us by our Lord, we will not be able to go to Heaven. Therefore, only those who act according to God will go to Heaven. Everyone will be judged before God on judgment day. They will be judged according to the words recorded in the book (Bible). (Jn 12:48, Rv 20:12)
We need to become a clean bowl, as clear as glass with no faults or blemishes when we stand before God. The reason God left man-kind was because he couldn’t co-exist with sinners. The only-begotten son’s blood was necessary in order to cleans that sin. Furthermore, we need to be born again with the seed of God to be in the image and likeness of God once more.
We were released from the captivity of sin by the blood of Jesus. We were born again by the seed of God to become an entirely new creation, the holy children of God. This new creation was the result of the priceless love of Jesus and God, a sinner into a righteous being. They are the re-created people of Heaven. The thoughts of the flesh are death, and the thoughts of the spirit are eternal life. The thoughts of flesh and loving worldly things is going against God. (Rom 8:5-7, Jas 4:4) This world is conquered by the devil, and the people returned to the flesh, just like Adam, whose spirit died. And the world received judgment because the sons of God and the daughters of the earth became one in flesh, as told in Genesis chapter 6.
Therefore, we need to believe and follow the God of heaven. We must become His children to become one family to live with God in Heaven, where He reigns, once He captures the dragon. We are the twelve tribes; the people of heaven spoken of in Revelations. Let’s offer our thanks and glory to our Father God.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
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The One Who Overcomes, the Promised Pastor and the Tabernacle in the New Testament
The One Who Overcomes, the Promised Pastor and the Tabernacle in the New Testament
Main reference: Rv 12 (Rv 2 ~ 3, 15)
Who and where are the promised pastor, the one who overcomes, and the tabernacle in the New Testament?
At the first coming of Jesus, the promised pastor, who was the one who overcomes (Jn 16:33), was Jesus (Is 7:14, Mi 5:2, Zec 9:9, Mt 1:18-21, Lk 19:33-42). Today, the promised pastor (Rv 2, 3) of the New Testament is the (male) child who overcame with the blood of Jesus and the word of testimony in Revelation 12, is one of the ones who overcame in Revelation 15, and is the one who overcomes whom God, Jesus and Heaven dwell with in Revelation chapter 3 verse 12. This person, as the messenger of Jesus, is the messenger sent to the churches in Revelation 22:16, and the counselor that become one with the truth and the holy spirit in John 14 verse 16-17, and verse 26. He is also the promised pastor who, in Revelation 10, eats and testifies the revealed word as Jesus did, has seen and heard all the events of Revelation and has been sent as the promised messenger. He is also the messenger who “gives the food at the proper time” (Mt 24:45) at the end of the age in Matthew 24.
If one believes and keeps the words of promise in the New Testament without adding to and subtracting from it, then he or she must accept the promised pastor to receive salvation. One must not call him a heresy and persecute him, like they did to Jesus at the First Coming, but must receive his testimony. The one who overcomes and his congregation are at the promised Tabernacle of Testimony in Revelation 15, the time is when, like in Revelation 21, the former heaven, the churches of tradition (the first heaven and first earth, Revelation 13) end and disappear, and the era of the New Heaven and Earth (Shincheonji) begins as the new heaven and the new earth is created. At this time, just as everything was fulfilled (Jn 19:30) at the time of Jesus, everything that was prophesied in the New Testament is fulfilled (Rv 21:6).
But there are those who have created their own organizations and left the New Heaven and Earth. They are the ones who have fulfilled the prophecies in Jude, the ones who have left their positions and authority and have followed the path of Balaam and Canaan, the ones who have followed their own desires, which are not godly, they ridicule others and so they are bound to the physical world and have no spirit. They are the ones who persecute the New Heaven and Earth.
At the time of Revelation’s fulfillment, the betrayers, the destroyers and the savior appear as prophesied and work accordingly (2 Thes 2:1-12). The betrayers are the people of the tabernacle of heaven, the former heaven, in Revelation 13 and the nations that have fallen in Revelation 18, the destroyers are the organization of the dragon, the beast with 7 heads and 10 horns, the organization of the prostitute, 1] the Stewardship Education Center that have the same roots as the Christian Council of Korea today. And the savior is the one who overcomes in Rev 2, 3, 12 and 15. God, heaven and Jesus come to the one who overcomes (Rv 3:12), and the one who overcomes sits with Jesus on his throne (Rv 3:21).
The one who overcomes, as stated before, is the one who sees and hears all the prophecies of Revelation being fulfilled on site, is the one who eats and testifies the open book of Revelation, and is the messenger of Jesus who was sent to the churches in Revelation 22:16. He is the promised pastor, and the place where he is is the temple of the tabernacle of the testimony, the temple promised in the Bible. The ordinary pastors and their denominations are self-created titles, and are not the temple nor the pastor promised in the Bible.
The New Heaven and Earth, the Temple of the Tabernacle of the Testimony has done nothing that is not according to the Bible. Just as Moses built the tabernacle on earth as he saw it in heaven, the New Heaven and Earth has seen things in heaven and has created them accordingly. The holy city, the New Jerusalem has 12 foundations and 12 doors. Just like this, the place that has been fulfilled as it states in the Bible is the temple of the New Heaven and Earth.
There are many pastors, churches, and religions in the world, but when God’s promise is fulfilled, there is only one pastor and one temple. Therefore, there is only one pastor that all believers must meet, this is the promised pastor. There is also only one temple promised in the New Testament, only one place where the New Testament is fulfilled, only one messenger who has been sent to the churches, only one person who has seen and testified to the whole of Revelation, the prophecies of the New Testament, and only one person who has been sent. The end of the traditional denominations and the creation of the New Heaven and Earth occur during a single era which has been promised. This era is when one generation ends and a new generation begins, like Noah’s era, and in this era, the dragon, Satan, is captured and destroyed, therefore, the era of the dragon’s reign ends, and the era where God, the victorious one, reigns begins (Rv 19:6).
At this time, the people of God’s Kingdom are not those from before the fulfillment of Revelation, but are the 12 tribes of the new kingdom who, after the events of betrayal and destruction, were brought one by one from the north, south, east and west and were sealed, just as the grains were harvested (refer to Isa 17:5-6). They are the first fruits who were yielded by God’s seed. Out of the two seeds which were sown after the First Coming, those who were born of Satan’s seed cannot enter, and end after receiving judgment. They are in the process of being destroyed. The reason the New Heaven and Earth is growing quickly is because they have been created quickly because it is “what must soon take place” as recorded in Revelation 1:1.
Those who cannot recognize the betrayers, the destroyers, and the savior, even after seeing them with their own eyes, are blind. Eye salve is found at the New Heaven and Earth. The fruit of eternal life and the tree of life (Rv 2, 3) which yield 12 kinds of fruit every month are also at the New Heaven and Earth. You will live eternally when you eat this. Let us continue to give glory and thanks to God and Jesus who prophesied and fulfilled this.
Amen!
1] The Stewardship Education Center is an education center for pastors which mainly focused on Presbyterianism, and The Christian Council of Korea was formed according to this Presbyterian denomination.
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/749
Main reference: Rv 12 (Rv 2 ~ 3, 15)
Who and where are the promised pastor, the one who overcomes, and the tabernacle in the New Testament?
At the first coming of Jesus, the promised pastor, who was the one who overcomes (Jn 16:33), was Jesus (Is 7:14, Mi 5:2, Zec 9:9, Mt 1:18-21, Lk 19:33-42). Today, the promised pastor (Rv 2, 3) of the New Testament is the (male) child who overcame with the blood of Jesus and the word of testimony in Revelation 12, is one of the ones who overcame in Revelation 15, and is the one who overcomes whom God, Jesus and Heaven dwell with in Revelation chapter 3 verse 12. This person, as the messenger of Jesus, is the messenger sent to the churches in Revelation 22:16, and the counselor that become one with the truth and the holy spirit in John 14 verse 16-17, and verse 26. He is also the promised pastor who, in Revelation 10, eats and testifies the revealed word as Jesus did, has seen and heard all the events of Revelation and has been sent as the promised messenger. He is also the messenger who “gives the food at the proper time” (Mt 24:45) at the end of the age in Matthew 24.
If one believes and keeps the words of promise in the New Testament without adding to and subtracting from it, then he or she must accept the promised pastor to receive salvation. One must not call him a heresy and persecute him, like they did to Jesus at the First Coming, but must receive his testimony. The one who overcomes and his congregation are at the promised Tabernacle of Testimony in Revelation 15, the time is when, like in Revelation 21, the former heaven, the churches of tradition (the first heaven and first earth, Revelation 13) end and disappear, and the era of the New Heaven and Earth (Shincheonji) begins as the new heaven and the new earth is created. At this time, just as everything was fulfilled (Jn 19:30) at the time of Jesus, everything that was prophesied in the New Testament is fulfilled (Rv 21:6).
But there are those who have created their own organizations and left the New Heaven and Earth. They are the ones who have fulfilled the prophecies in Jude, the ones who have left their positions and authority and have followed the path of Balaam and Canaan, the ones who have followed their own desires, which are not godly, they ridicule others and so they are bound to the physical world and have no spirit. They are the ones who persecute the New Heaven and Earth.
At the time of Revelation’s fulfillment, the betrayers, the destroyers and the savior appear as prophesied and work accordingly (2 Thes 2:1-12). The betrayers are the people of the tabernacle of heaven, the former heaven, in Revelation 13 and the nations that have fallen in Revelation 18, the destroyers are the organization of the dragon, the beast with 7 heads and 10 horns, the organization of the prostitute, 1] the Stewardship Education Center that have the same roots as the Christian Council of Korea today. And the savior is the one who overcomes in Rev 2, 3, 12 and 15. God, heaven and Jesus come to the one who overcomes (Rv 3:12), and the one who overcomes sits with Jesus on his throne (Rv 3:21).
The one who overcomes, as stated before, is the one who sees and hears all the prophecies of Revelation being fulfilled on site, is the one who eats and testifies the open book of Revelation, and is the messenger of Jesus who was sent to the churches in Revelation 22:16. He is the promised pastor, and the place where he is is the temple of the tabernacle of the testimony, the temple promised in the Bible. The ordinary pastors and their denominations are self-created titles, and are not the temple nor the pastor promised in the Bible.
The New Heaven and Earth, the Temple of the Tabernacle of the Testimony has done nothing that is not according to the Bible. Just as Moses built the tabernacle on earth as he saw it in heaven, the New Heaven and Earth has seen things in heaven and has created them accordingly. The holy city, the New Jerusalem has 12 foundations and 12 doors. Just like this, the place that has been fulfilled as it states in the Bible is the temple of the New Heaven and Earth.
There are many pastors, churches, and religions in the world, but when God’s promise is fulfilled, there is only one pastor and one temple. Therefore, there is only one pastor that all believers must meet, this is the promised pastor. There is also only one temple promised in the New Testament, only one place where the New Testament is fulfilled, only one messenger who has been sent to the churches, only one person who has seen and testified to the whole of Revelation, the prophecies of the New Testament, and only one person who has been sent. The end of the traditional denominations and the creation of the New Heaven and Earth occur during a single era which has been promised. This era is when one generation ends and a new generation begins, like Noah’s era, and in this era, the dragon, Satan, is captured and destroyed, therefore, the era of the dragon’s reign ends, and the era where God, the victorious one, reigns begins (Rv 19:6).
At this time, the people of God’s Kingdom are not those from before the fulfillment of Revelation, but are the 12 tribes of the new kingdom who, after the events of betrayal and destruction, were brought one by one from the north, south, east and west and were sealed, just as the grains were harvested (refer to Isa 17:5-6). They are the first fruits who were yielded by God’s seed. Out of the two seeds which were sown after the First Coming, those who were born of Satan’s seed cannot enter, and end after receiving judgment. They are in the process of being destroyed. The reason the New Heaven and Earth is growing quickly is because they have been created quickly because it is “what must soon take place” as recorded in Revelation 1:1.
Those who cannot recognize the betrayers, the destroyers, and the savior, even after seeing them with their own eyes, are blind. Eye salve is found at the New Heaven and Earth. The fruit of eternal life and the tree of life (Rv 2, 3) which yield 12 kinds of fruit every month are also at the New Heaven and Earth. You will live eternally when you eat this. Let us continue to give glory and thanks to God and Jesus who prophesied and fulfilled this.
Amen!
1] The Stewardship Education Center is an education center for pastors which mainly focused on Presbyterianism, and The Christian Council of Korea was formed according to this Presbyterian denomination.
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/749
2015년 11월 9일 월요일
聖書の預言と成就と約束の牧者
聖書の預言と成就と約束の牧者
本文:ヨハ14:29、ヨハ19:30、啓21:6
聖書が言う預言とその成就は何であり、約束の牧者は誰なのか。
聖書は、神様が神様とその御心を人に知らせる文章であり、これを悟って信じさせたのである。預言は、成し遂げることを前もって知らせたものであり、その成就は、約束した預言をその通りに成し遂げた実体である。そして、約束の牧者は、預言を成し遂げる時、見て伝える牧者で、聖書に前もって決めておいた牧者である。預言を成し遂げる時、神様は、約束の牧者に来られて、共におられて、預言を成し遂げて、あかしするようにされた。
神様は、約束された預言が全ての人にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられた(マタ24:14)後、この預言を成し遂げられた。
神様が創世記15章に、アブラハムと約束された預言は、出エジプトしたモーセの時、全て成し遂げられて、旧約の預言者たちに預言されたことは、イエス様の初臨の時、全て成し遂げられ(ヨハ19:30)、新約の啓示録に預言された事は、約束の牧者、勝利者に来られて、全て成し遂げられた(啓21:6)。
約束したことに対する信仰は、神様が約束された預言を人が見て悟った時、信じるようになるのである。もし、神様が約束されたことがなければ、信仰人がこれを待つ必要もなく、希望も、信仰もないだろう。望んでいる希望が預言の中にあるので、これを守って待ち、信じるのである。信じない理由は、預言も、成就も悟れなかったからである。神様が創造されたアダムとエバは、神様の御言葉を完全に悟れなかったので、蛇、すなわち、悪魔(竜、サタン)に惑わされたのである。
アダムとエバを惑わした蛇は、誰なのか。ここで蛇は、比喩したものであり、蛇は、神様が創造した野の獣の中の一つである(創3:1)。イザヤ書14章12-15節では、これを暁の子、明けの明星(啓明星)と言い、この明けの明星がまことの神様に敵対したと言った。そして、エゼキエル書28章では、これを「覆うケルブ」と言い、この覆うケルブは、四つの生き物のうちの一つであった(エゼ1章、エゼ10:15-20)。彼は、自分を神だと言って追い出されて、サタンになり、自分がまず、神様に背教して、神様の子どもたちを惑わして、背教させる者である。そして、啓示録では、2章と8,9章と13章と17,18章で、神様の幕屋の人々を惑わして、倒し、自分の名前で聖徒たちの額と手に刻印を押して、自分に拝ませた者、すなわち、蛇(竜)である。
神様の本、聖書の中には、この蛇のせいで創世から啓示録の時まで昔の秘密と比喩の言葉があるようになったのである(マタ13:10-15)。イエス様が言われた比喩の御言葉を悟れなければ、他の人(外人)になり、罪を赦されないと言われた(マコ4:10-12)。
新約の末世論を話しているマタイの福音書24章と啓示録で、イエス様が惑わされないように気をつけなさいと言われたことも、蛇の惑わしを言ったのである。イエス様は、まことのぶどうの木であり、いのちの木であり(ヨハ15章)、野の獣である蛇は、野ぶどうの木であり、善悪の木である。申命記32章31-33節に見たように、蛇のぶどうの木があり、そのぶどう酒は、蛇の毒であり、まむしの悪い毒だと言った。啓示録17,18章に見たように、この不品行のぶどう酒で万国を惑わして、倒した。
アダムの時にあった事件が、今日、啓示録の時にもあるので、竜の群れ、七つの頭と十本の角を持った獣、すなわち、偽りの牧者たちの行いである。これがわからなければ、彼らに惑わされるようになって、善悪の実を食べるようになる。
地上には、数多くの宗教がある。これらがみんな神様が下さった宗教なのか。経書の中で見たものは、二種類の神がいる。一つはまことの神様の聖神であり、もう一つは蛇の悪神である。この二種類の神がアダムの時から今日まで、6千年間、戦ってきた。
神様は、ただ一つの道に一貫とした歴史と預言と成就で働いてこられて、悪魔、蛇はあらゆる姿で神様の宗教を混沌とさせるためににせものの宗教を作ってきた。宗教という名称を持っているが、私教と国教と文化などで宗教にしてきて、人々は無知で、これを信じてきた。
この宗教の中に儒・仏・仙(仙教:道教、神仙思想)の三つの道があるが、この中で仏教は恣意的なものと初歩の内容が入っていて、儒教は、文字的な解説で初歩的預言と生活的道具として信じてきた。仙教(道教)と脈を同じくするキリスト教は、歴史と教訓と預言と成就の信仰がある。全ての宗教の中で最もたる御言葉である。
今は、預言の成就の時であり、審判の時である。この時、審判の石を(啓2:17)受けた者がまことと偽りを審判するようになる。人の考えと悪魔の思想で作られた宗教は、悪魔の宗教である。まことの神様の宗教は、そのあかしがある。善行をすると言ってまことではなく、知識があると言ってまことの宗教ではなく、歴史と経書があると言って、文化があると言って、数が多いと言って、礼法があると言ってまことの宗教になることはできない。まことの神様の宗教は、歴史と教訓と預言と成就がある。
歴史は、唯一神から今日まであったように、流れがあり、系図があり、宗教の教訓は、天から来た神様の啓示である。天の神様の教育、すなわち、教えである。地の知識と教育ではない。人生の善行は人の基本であり、これによって宗教になることはできない。預言は、神様の成し遂げられる約束であり、成就は、預言したことを成し遂げたことである。預言と成就がなければ、何を信じることができるのか。
神様は、アダムが罪を犯した後、地球村を離れておられ、アダムを惑わした蛇(サタン)の神が6千年間、地球村を統治してきた。それで、この事実と将来に成し遂げることを神様は、地球村の人々に知らせてきたのが聖書の御言葉である。そして、まことの神様は、6千年間、約束した預言を全て成し遂げてこられた。なので、神様と神様の約束は、信じることができるのである。以前の預言が成就されたことがなければ、また約束した預言があるとしても、どうして信じて待つだろうか。約束した預言とその成就がない宗教は、神様の宗教ではないのである。
神様は、生命体であられ、生命体であられる神様が人から離れたということは、いのちが離れたということなので、死ぬようになるのであり、生命体であられる神様が人に再び臨まれるならば、断ち切られた命の綱が再びつながって生きるようになる。神様が人から離れられるようになった理由は、自分を創造した主であられる神様を背教して、他の神、すなわち、蛇の神に仕えるので離れられたのであり、人の中には、蛇の毒があり、死が来たのである。
人の中にある死の罪を何によって、どのようになくすことができるだろうか。いけにえの法は、この罪のためにあるようになったのである(ヘブ10:1-18)。しかし、牛と羊の血でいけにえを捧げ、人に振りかけたが、人の罪はなくならなかった。これがモーセを通しての律法のいけにえの法であった。
人の中にある罪は、ただ、義人の血でだけ罪を赦すことができるのであった。世の全ての人々が罪人アダムの遺伝子で生まれたので、みんな罪人である。義人はいない、一人もいなかった。だから、神様の子、聖なる独り子が来て、父の御心に従って十字架を負って、血を流されることで人類の罪を赦すことができる条件になったのである。
まことの宗教は、人の罪を赦すことができる宗教である。もう一つは、人の肉の欲求や血によって生まれたのではなく、神様の種で再び生まれることによって神様の子どもになることができる(ヨハ1:13)。義人の血で罪を赦されて、生きておられる神様の種で再び生まれた人は、新しい被造物としての神様の家族であり、子どもなので、神様と共に生きることができ、神様が共におられることができる。これが救いであり、希望を成し遂げた者になる。これ以外には、どんな宗教の名前でも救われることはできず、恐ろしい審判だけがあるようになる。
宗教と信仰の目的は、永遠のいのちと天国であり、神様のまことの家族である子どもになるのである。宗教を全て信じないで、神様が約束されて、共におられる宗教と約束の牧者に出会って信じることが希望を成し遂げた宗教人になる。神様が約束されて、遣わされた使者に出会って、希望に至る者になろう。アーメン。
本文:ヨハ14:29、ヨハ19:30、啓21:6
聖書が言う預言とその成就は何であり、約束の牧者は誰なのか。
聖書は、神様が神様とその御心を人に知らせる文章であり、これを悟って信じさせたのである。預言は、成し遂げることを前もって知らせたものであり、その成就は、約束した預言をその通りに成し遂げた実体である。そして、約束の牧者は、預言を成し遂げる時、見て伝える牧者で、聖書に前もって決めておいた牧者である。預言を成し遂げる時、神様は、約束の牧者に来られて、共におられて、預言を成し遂げて、あかしするようにされた。
神様は、約束された預言が全ての人にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられた(マタ24:14)後、この預言を成し遂げられた。
神様が創世記15章に、アブラハムと約束された預言は、出エジプトしたモーセの時、全て成し遂げられて、旧約の預言者たちに預言されたことは、イエス様の初臨の時、全て成し遂げられ(ヨハ19:30)、新約の啓示録に預言された事は、約束の牧者、勝利者に来られて、全て成し遂げられた(啓21:6)。
約束したことに対する信仰は、神様が約束された預言を人が見て悟った時、信じるようになるのである。もし、神様が約束されたことがなければ、信仰人がこれを待つ必要もなく、希望も、信仰もないだろう。望んでいる希望が預言の中にあるので、これを守って待ち、信じるのである。信じない理由は、預言も、成就も悟れなかったからである。神様が創造されたアダムとエバは、神様の御言葉を完全に悟れなかったので、蛇、すなわち、悪魔(竜、サタン)に惑わされたのである。
アダムとエバを惑わした蛇は、誰なのか。ここで蛇は、比喩したものであり、蛇は、神様が創造した野の獣の中の一つである(創3:1)。イザヤ書14章12-15節では、これを暁の子、明けの明星(啓明星)と言い、この明けの明星がまことの神様に敵対したと言った。そして、エゼキエル書28章では、これを「覆うケルブ」と言い、この覆うケルブは、四つの生き物のうちの一つであった(エゼ1章、エゼ10:15-20)。彼は、自分を神だと言って追い出されて、サタンになり、自分がまず、神様に背教して、神様の子どもたちを惑わして、背教させる者である。そして、啓示録では、2章と8,9章と13章と17,18章で、神様の幕屋の人々を惑わして、倒し、自分の名前で聖徒たちの額と手に刻印を押して、自分に拝ませた者、すなわち、蛇(竜)である。
神様の本、聖書の中には、この蛇のせいで創世から啓示録の時まで昔の秘密と比喩の言葉があるようになったのである(マタ13:10-15)。イエス様が言われた比喩の御言葉を悟れなければ、他の人(外人)になり、罪を赦されないと言われた(マコ4:10-12)。
新約の末世論を話しているマタイの福音書24章と啓示録で、イエス様が惑わされないように気をつけなさいと言われたことも、蛇の惑わしを言ったのである。イエス様は、まことのぶどうの木であり、いのちの木であり(ヨハ15章)、野の獣である蛇は、野ぶどうの木であり、善悪の木である。申命記32章31-33節に見たように、蛇のぶどうの木があり、そのぶどう酒は、蛇の毒であり、まむしの悪い毒だと言った。啓示録17,18章に見たように、この不品行のぶどう酒で万国を惑わして、倒した。
アダムの時にあった事件が、今日、啓示録の時にもあるので、竜の群れ、七つの頭と十本の角を持った獣、すなわち、偽りの牧者たちの行いである。これがわからなければ、彼らに惑わされるようになって、善悪の実を食べるようになる。
地上には、数多くの宗教がある。これらがみんな神様が下さった宗教なのか。経書の中で見たものは、二種類の神がいる。一つはまことの神様の聖神であり、もう一つは蛇の悪神である。この二種類の神がアダムの時から今日まで、6千年間、戦ってきた。
神様は、ただ一つの道に一貫とした歴史と預言と成就で働いてこられて、悪魔、蛇はあらゆる姿で神様の宗教を混沌とさせるためににせものの宗教を作ってきた。宗教という名称を持っているが、私教と国教と文化などで宗教にしてきて、人々は無知で、これを信じてきた。
この宗教の中に儒・仏・仙(仙教:道教、神仙思想)の三つの道があるが、この中で仏教は恣意的なものと初歩の内容が入っていて、儒教は、文字的な解説で初歩的預言と生活的道具として信じてきた。仙教(道教)と脈を同じくするキリスト教は、歴史と教訓と預言と成就の信仰がある。全ての宗教の中で最もたる御言葉である。
今は、預言の成就の時であり、審判の時である。この時、審判の石を(啓2:17)受けた者がまことと偽りを審判するようになる。人の考えと悪魔の思想で作られた宗教は、悪魔の宗教である。まことの神様の宗教は、そのあかしがある。善行をすると言ってまことではなく、知識があると言ってまことの宗教ではなく、歴史と経書があると言って、文化があると言って、数が多いと言って、礼法があると言ってまことの宗教になることはできない。まことの神様の宗教は、歴史と教訓と預言と成就がある。
歴史は、唯一神から今日まであったように、流れがあり、系図があり、宗教の教訓は、天から来た神様の啓示である。天の神様の教育、すなわち、教えである。地の知識と教育ではない。人生の善行は人の基本であり、これによって宗教になることはできない。預言は、神様の成し遂げられる約束であり、成就は、預言したことを成し遂げたことである。預言と成就がなければ、何を信じることができるのか。
神様は、アダムが罪を犯した後、地球村を離れておられ、アダムを惑わした蛇(サタン)の神が6千年間、地球村を統治してきた。それで、この事実と将来に成し遂げることを神様は、地球村の人々に知らせてきたのが聖書の御言葉である。そして、まことの神様は、6千年間、約束した預言を全て成し遂げてこられた。なので、神様と神様の約束は、信じることができるのである。以前の預言が成就されたことがなければ、また約束した預言があるとしても、どうして信じて待つだろうか。約束した預言とその成就がない宗教は、神様の宗教ではないのである。
神様は、生命体であられ、生命体であられる神様が人から離れたということは、いのちが離れたということなので、死ぬようになるのであり、生命体であられる神様が人に再び臨まれるならば、断ち切られた命の綱が再びつながって生きるようになる。神様が人から離れられるようになった理由は、自分を創造した主であられる神様を背教して、他の神、すなわち、蛇の神に仕えるので離れられたのであり、人の中には、蛇の毒があり、死が来たのである。
人の中にある死の罪を何によって、どのようになくすことができるだろうか。いけにえの法は、この罪のためにあるようになったのである(ヘブ10:1-18)。しかし、牛と羊の血でいけにえを捧げ、人に振りかけたが、人の罪はなくならなかった。これがモーセを通しての律法のいけにえの法であった。
人の中にある罪は、ただ、義人の血でだけ罪を赦すことができるのであった。世の全ての人々が罪人アダムの遺伝子で生まれたので、みんな罪人である。義人はいない、一人もいなかった。だから、神様の子、聖なる独り子が来て、父の御心に従って十字架を負って、血を流されることで人類の罪を赦すことができる条件になったのである。
まことの宗教は、人の罪を赦すことができる宗教である。もう一つは、人の肉の欲求や血によって生まれたのではなく、神様の種で再び生まれることによって神様の子どもになることができる(ヨハ1:13)。義人の血で罪を赦されて、生きておられる神様の種で再び生まれた人は、新しい被造物としての神様の家族であり、子どもなので、神様と共に生きることができ、神様が共におられることができる。これが救いであり、希望を成し遂げた者になる。これ以外には、どんな宗教の名前でも救われることはできず、恐ろしい審判だけがあるようになる。
宗教と信仰の目的は、永遠のいのちと天国であり、神様のまことの家族である子どもになるのである。宗教を全て信じないで、神様が約束されて、共におられる宗教と約束の牧者に出会って信じることが希望を成し遂げた宗教人になる。神様が約束されて、遣わされた使者に出会って、希望に至る者になろう。アーメン。
2015년 11월 7일 토요일
Die Vorhersage und Erfüllung der Bibel sowie der verheißene Hirte
Die Vorhersage und Erfüllung der Bibel sowie der verheißene Hirte
Referenz: Joh 14:29, Joh 19:30, Offb 21:6
Was sind die Vorhersage und deren Erfüllung, über die die Bibel spricht, und wer ist der verheißene Hirte?
Die Bibel stellt die Schrift dar, in der Gott den Menschen sich Selbst und Seinen Willen bekanntgibt. Hierüber soll man Erkenntnis erlangen, damit man daran glauben kann. Die Vorhersage besteht darin, dass das, was erfüllt werden soll, vorab bekanntgegeben wird. Deren Erfüllung sind die erfüllten Wirklichkeiten, die gemäß der verheißenen Vorhersage entsprechend erfüllt werden. Wenn sich die Vorhersage erfüllt, ist der verheißene Hirte derjenige, der es sieht und verkündet. Er ist der Hirte, der vorab in der Bibel festgelegt worden ist. Wenn sich die Vorhersage erfüllt, kommt Gott zu dem verheißenen Hirten, Er ist mit ihm gemeinsam und Er erfüllt die Vorhersage. So lässt Er ihn dies schließlich bezeugen.
Damit die verheißene Vorhersage allen Menschen bezeugt wird, erfüllt Gott diese Vorhersage, nachdem es in der ganzen Welt verbreitet worden ist (Mt 24:14).
Die Vorhersage, die Gott in 1. Mose 15 an Abraham verhieß, wurde vollständig erfüllt, als Mose aus Ägypten auszog. Was Gott den Propheten des Alten Testaments vorhersagte, wurde zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu vollständig erfüllt (Joh 19:30). Und das, was Gott in der Offenbarung des Neuen Testaments vorhergesagt hat, wird vollständig erfüllt, indem Gott zu dem verheißenen Hirten, dem Überwinder, kommt (Offb 21:6).
Der Glaube an das Verheißene entsteht, wenn die Menschen die von Gott verheißene Vorhersage sehen und Erkenntnis über sie erlangen. Angenommen es würde das von Gott Verheißene fehlen, dann würden die Gläubigen nicht darauf zu warten brauchen und es wäre keine Hoffnung und auch kein Glaube vorhanden. Da die Hoffnung, nach der man sich sehnt, in der Vorhersage enthalten ist, hält man die Vorhersage und wartet auf sie, wodurch man letztlich an sie glaubt. Doch der Grund, warum man nicht glauben kann, liegt daran, weil man weder über die Vorhersage noch über die Erfüllung Erkenntnis erlangt. Da Adam und Eva, die von Gott erschaffen wurden, über Gottes Wort nicht vollkommen Erkenntnis erlangen konnten, wurden sie von der Schlange, also dem Teufel (Drache, Satan), verführt.
Wer ist die Schlange, die Adam und Eva verführte? Hier steht die Schlange in einem Gleichnis geschrieben. Die Schlange war eines unter den erschaffenen wilden Tieren (1Mo 3:1). In Jesaja 14:12-15 wird sie als Glanzstern, Sohn der Morgenröte, bezeichnet. Dieser Morgenstern feindete den wahren Gott an. Und in Hesekiel 28 wird er als “schirmender Cherub” bezeichnet. Dieser schirmende Cherub ist einer unter den vier lebendigen Wesen (Hes 1, Hes 10:15-20). Als dieser sich als Gott bezeichnete, wurde er vertrieben, sodass er zum Satan wurde. Er ist derjenige, der zuerst von Gott abfiel und die Kinder Gottes verführte, sodass er sie abfielen ließ. Und er ist derjenige, der in Offenbarung 2, 8, 9, 13, 17 und 18 die Menschen im Zelt Gottes verführt, dieses zu Fall bringt und die Stirn und die Hand der Heiligen mit seinem Namen versieht, damit sie ihn anbeten. Er ist also die Schlange (Drache).
Aufgrund dieser Schlange sind in der Bibel, dem Buch Gottes, von der Genesis an bis zur Zeit der Offenbarung die Rätsel aus der Vorzeit und die Worte der Gleichnisse vorhanden (Mt 13:10-15). Es heißt, wenn man über das Wort der Gleichnisse, die Jesus sprach, keine Erkenntnis erlangt, wird man zu einem Fremden und man kann keine Sündenvergebung erlangen (Mk 4:10-12).
Als Jesus in Matthäus 24 und in der Offenbarung, die das Ende der Welt im Neuen Testament behandeln, davor warnte, dass man nicht verführt werden solle, hat sich dies letztlich auch auf die Verführung der Schlange bezogen. Jesus ist der wahre Weinstock, der Baum des Lebens (Joh 15). Die Schlange, die ein wildes Tier ist, ist der wilde Weinstock, der Baum der Erkenntnis des Guten und Bösen. Wenn man 5. Mose 32:31-33 betrachtet, kommt dort der Weinstock der Schlange vor und dort heißt es, dass dessen Wein das Schlangengift ist, das grausame Viperngift. Wenn man Offenbarung 17 und 18 betrachtet, heißt es dort, dass mit dem Wein der Unzucht die Nationen verführt und zu Fall gebracht werden.
Da sich der Vorfall, der sich zu der Zeit Adams ereignete, auch heutzutage zu der Zeit der Offenbarung ereignet, stellt er die Handlungen von dem Tier mit den sieben Köpfen und zehn Hörnern des Drachen, also der falschen Hirten, dar. Wenn man dies nicht weiß, wird man verführt und man isst die Frucht der Erkenntnis des Guten und Bösen.
Auf der Erde gibt es zahlreiche Religionen. Sind dies alles Religionen, die Gott gegeben hat? Was in der religiösen Schrift gesehen wird, sind die zwei Arten von Göttern. Der eine ist der Heilige Gott des wahren Gottes und der andere ist der böse Gott der Schlange. Diese beiden Götter haben von der Zeit Adams an bis heutzutage 6000 Jahre lang gekämpft.
Gott hat mit dem tagtäglichen Werk und durch die Genealogie, die Vorhersage und die Erfüllung auf einem einzigen Weg gewirkt. Doch um die Religion Gottes wüst zu machen, hat der Teufel, die Schlange, falsche Religionen nach seiner Gestalt gemacht. Sie werden zwar als Religion bezeichnet, doch letztlich sind sie häretische Religionen, Staatskirchen und Kulturen u. a., die zur Religion gemacht worden sind. Da die Menschen unwissend sind, haben sie an diese geglaubt.
Unter den Religionen werden der Konfuzianismus, der Buddhismus und der Daoismus als die drei Lehren bezeichnet. Unter diesen beinhaltet der Buddhismus das Willkürliche und den anfänglichen Weg. Der Konfuzianismus ist wortwörtlich ausgelegt und man glaubt an ihn als eine Vorhersage des anfänglichen Wegs und als alltägliches Werkzeug. Da das Christentum, dessen Ader sich mit der des Daoismus gleicht, den Glauben an die Geschichte, Lehre, Vorhersage und Erfüllung besitzt, ist sie unter allen Religionen das Wort, das an erster Stelle steht.
Die Gegenwart stellt die Zeit der Vorhersage und der Erfüllung dar, die Zeit des Gerichts. In dieser Zeit richtet derjenige, der den Stein des Gerichts (Offb 2:17) empfangen hat, über das Wahre und Falsche. Die Religionen, die durch die Gedanken des Menschen und der Ideologie des Teufels entstanden sind, sind Religionen des Teufels. Die Religion des wahren Gottes besitzt Dessen Zeugnis. Nur weil man behauptet, dass man Gutes tun solle, ist es noch nicht wahrhaftig, und nur weil man behauptet, dass man Wissen besitze, ist es noch nicht eine wahre Religion. Und nur weil man behauptet, dass man eine Geschichte, eine religiöse Schrift, eine Kultur und eine große Anzahl von Personen sowie Sakramente besitze, wird man damit noch nicht zu einer wahren Religion. Die Religion des wahren Gottes besitzt die Geschichte, Lehre, Vorhersage und Erfüllung.
Die Geschichte hat einen Verlauf und eine Genealogie, die vom alleinigen Gott bis auf heutzutage zurückreicht. Die Lehre der Religion ist eine vom Himmel kommende Offenbarung Gottes. Es ist eine Ausbildung, also eine Lehre, vom Gott des Himmels. Es ist kein Wissen und keine Ausbildung der Erde. Gute Handlungen im Leben stellen etwas Grundsätzliches für den Menschen dar, hierdurch wird es noch nicht zu einer Religion. Die Vorhersage ist die Verheißung Gottes, die erfüllt werden soll, und die Erfüllung ist das, was die Vorhersage erfüllt. Wenn die Vorhersage und die Erfüllung fehlen, woran kann man dann glauben?
Gott verließ die Erde nach der Schuld Adams und der Gott der Schlange (Satan), der Adam verführte, hat 6000 Jahre lang die Erde beherrscht. Diese Tatsachen und das, was in der Zukunft erfüllt werden soll, hat Gott den Menschen der Erde bekanntgegeben, wobei dies das Wort der Bibel darstellt. Der wahre Gott hat 6000 Jahre lange die verheißenen Vorhersagen vollständig erfüllt. So sind Gott und Gottes Verheißung glaubwürdig. Wenn die vormaligen Vorhersagen nicht erfüllt worden wären, wie sollte man dann glauben und warten, auch wenn verheißene Vorhersagen vorhanden sein sollen? Religionen, denen verheißene Vorhersagen und deren Erfüllungen fehlen, sind keine Religion Gottes.
Gott ist die Verkörperung des Lebens. Dass Gott, der die Verkörperung des Lebens ist, die Menschen verließ, ist gleichbedeutend damit, dass das Leben die Menschen verließ, sodass sie letztlich sterben. Wenn Gott, die Verkörperung des Lebens, wieder auf den Menschen herabkommt, wird der unterbrochene Lebensfaden wieder zusammengefügt und sie werden leben. Der Grund, warum Gott die Menschen verließ, war, weil sie von Gott, dem Herrn, der sie erschaffen hat, abgefallen sind. Da sie anderen Göttern, also dem Gott der Schlange, gedient haben, hat Er sie verlassen. Im Menschen ist das Schlangengift, sodass der Tod gekommen ist.
Wodurch und wie kann man die Sünde des Todes, die im Inneren des Menschen ist, beseitigen? Die Opfergesetze gab es aufgrund dieser Sünde (Hebr 10:1-18). Doch es wurde zwar das Blut von Ochsen und Schafen geopfert und auf die Menschen gesprengt, aber die Sünde des Menschen ist nicht verschwunden. Dies stellte die Opfervorschriften des Gesetzes durch Mose dar.
Die Sünde im Inneren des Menschen konnte nur durch das Blut eines Gerechten vergeben werden. Da alle Menschen der Welt durch das Erbgut Adams als Sünder geboren worden sind, hat es nicht einen einzigen Gerechten gegeben. So kam der eingeborene Heilige Sohn Gottes. Indem er dem Willen des Vaters folgte, das Kreuz trug und sein Blut vergoss, ist die Voraussetzung geschaffen worden, dass der Sünde der Menschheit vergeben werden kann.
Die wahre Religion stellt eine Religion dar, die die Sünde des Menschen vergeben kann. Da nicht aus dem Fleisch und Geblüt des Menschen, sondern aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, kann man zu einem Kind Gottes werden (Joh 1:13). Die Menschen, die durch das Blut des Gerechten die Sündenvergebung erlangen und letztlich leben, indem sie aus dem Samen Gottes wiedergeboren sind, sind die neuen Geschöpfe in der Familie Gottes. Da sie Gottes Kinder sind, können sie gemeinsam mit Gott leben und Gott kann mit ihnen gemeinsam leben. Dies ist die Rettung. Sie werden zu solchen, an denen sich die Hoffnung erfüllt. Welchen Namen eine Religion auch tragen mag, ausgenommen von diesen kann keine Rettung erlangt werden und es bleibt lediglich das beängstigende Gericht.
Das Ziel der Religion und des Glaubenslebens ist das ewige Leben und das Himmelreich. Es besteht darin, dass man zu einem Kind wird, das zur wahren Familie Gottes gehört. Man sollte nicht einfach an alle Religionen glauben. Wenn man der Religion und dem verheißenen Hirten, die Gott verheißen hat und mit denen Er gemeinsam ist, begegnet und an sie glaubt, wird man zu einem Religionsangehörigen, an dem sich die Hoffnung erfüllt. Lassen Sie uns dem Boten, der von Gott verheißen und gesandt worden ist, begegnen, um solche zu werden, an denen sich die Hoffnung erfüllt. Amen.
Referenz: Joh 14:29, Joh 19:30, Offb 21:6
Was sind die Vorhersage und deren Erfüllung, über die die Bibel spricht, und wer ist der verheißene Hirte?
Die Bibel stellt die Schrift dar, in der Gott den Menschen sich Selbst und Seinen Willen bekanntgibt. Hierüber soll man Erkenntnis erlangen, damit man daran glauben kann. Die Vorhersage besteht darin, dass das, was erfüllt werden soll, vorab bekanntgegeben wird. Deren Erfüllung sind die erfüllten Wirklichkeiten, die gemäß der verheißenen Vorhersage entsprechend erfüllt werden. Wenn sich die Vorhersage erfüllt, ist der verheißene Hirte derjenige, der es sieht und verkündet. Er ist der Hirte, der vorab in der Bibel festgelegt worden ist. Wenn sich die Vorhersage erfüllt, kommt Gott zu dem verheißenen Hirten, Er ist mit ihm gemeinsam und Er erfüllt die Vorhersage. So lässt Er ihn dies schließlich bezeugen.
Damit die verheißene Vorhersage allen Menschen bezeugt wird, erfüllt Gott diese Vorhersage, nachdem es in der ganzen Welt verbreitet worden ist (Mt 24:14).
Die Vorhersage, die Gott in 1. Mose 15 an Abraham verhieß, wurde vollständig erfüllt, als Mose aus Ägypten auszog. Was Gott den Propheten des Alten Testaments vorhersagte, wurde zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu vollständig erfüllt (Joh 19:30). Und das, was Gott in der Offenbarung des Neuen Testaments vorhergesagt hat, wird vollständig erfüllt, indem Gott zu dem verheißenen Hirten, dem Überwinder, kommt (Offb 21:6).
Der Glaube an das Verheißene entsteht, wenn die Menschen die von Gott verheißene Vorhersage sehen und Erkenntnis über sie erlangen. Angenommen es würde das von Gott Verheißene fehlen, dann würden die Gläubigen nicht darauf zu warten brauchen und es wäre keine Hoffnung und auch kein Glaube vorhanden. Da die Hoffnung, nach der man sich sehnt, in der Vorhersage enthalten ist, hält man die Vorhersage und wartet auf sie, wodurch man letztlich an sie glaubt. Doch der Grund, warum man nicht glauben kann, liegt daran, weil man weder über die Vorhersage noch über die Erfüllung Erkenntnis erlangt. Da Adam und Eva, die von Gott erschaffen wurden, über Gottes Wort nicht vollkommen Erkenntnis erlangen konnten, wurden sie von der Schlange, also dem Teufel (Drache, Satan), verführt.
Wer ist die Schlange, die Adam und Eva verführte? Hier steht die Schlange in einem Gleichnis geschrieben. Die Schlange war eines unter den erschaffenen wilden Tieren (1Mo 3:1). In Jesaja 14:12-15 wird sie als Glanzstern, Sohn der Morgenröte, bezeichnet. Dieser Morgenstern feindete den wahren Gott an. Und in Hesekiel 28 wird er als “schirmender Cherub” bezeichnet. Dieser schirmende Cherub ist einer unter den vier lebendigen Wesen (Hes 1, Hes 10:15-20). Als dieser sich als Gott bezeichnete, wurde er vertrieben, sodass er zum Satan wurde. Er ist derjenige, der zuerst von Gott abfiel und die Kinder Gottes verführte, sodass er sie abfielen ließ. Und er ist derjenige, der in Offenbarung 2, 8, 9, 13, 17 und 18 die Menschen im Zelt Gottes verführt, dieses zu Fall bringt und die Stirn und die Hand der Heiligen mit seinem Namen versieht, damit sie ihn anbeten. Er ist also die Schlange (Drache).
Aufgrund dieser Schlange sind in der Bibel, dem Buch Gottes, von der Genesis an bis zur Zeit der Offenbarung die Rätsel aus der Vorzeit und die Worte der Gleichnisse vorhanden (Mt 13:10-15). Es heißt, wenn man über das Wort der Gleichnisse, die Jesus sprach, keine Erkenntnis erlangt, wird man zu einem Fremden und man kann keine Sündenvergebung erlangen (Mk 4:10-12).
Als Jesus in Matthäus 24 und in der Offenbarung, die das Ende der Welt im Neuen Testament behandeln, davor warnte, dass man nicht verführt werden solle, hat sich dies letztlich auch auf die Verführung der Schlange bezogen. Jesus ist der wahre Weinstock, der Baum des Lebens (Joh 15). Die Schlange, die ein wildes Tier ist, ist der wilde Weinstock, der Baum der Erkenntnis des Guten und Bösen. Wenn man 5. Mose 32:31-33 betrachtet, kommt dort der Weinstock der Schlange vor und dort heißt es, dass dessen Wein das Schlangengift ist, das grausame Viperngift. Wenn man Offenbarung 17 und 18 betrachtet, heißt es dort, dass mit dem Wein der Unzucht die Nationen verführt und zu Fall gebracht werden.
Da sich der Vorfall, der sich zu der Zeit Adams ereignete, auch heutzutage zu der Zeit der Offenbarung ereignet, stellt er die Handlungen von dem Tier mit den sieben Köpfen und zehn Hörnern des Drachen, also der falschen Hirten, dar. Wenn man dies nicht weiß, wird man verführt und man isst die Frucht der Erkenntnis des Guten und Bösen.
Auf der Erde gibt es zahlreiche Religionen. Sind dies alles Religionen, die Gott gegeben hat? Was in der religiösen Schrift gesehen wird, sind die zwei Arten von Göttern. Der eine ist der Heilige Gott des wahren Gottes und der andere ist der böse Gott der Schlange. Diese beiden Götter haben von der Zeit Adams an bis heutzutage 6000 Jahre lang gekämpft.
Gott hat mit dem tagtäglichen Werk und durch die Genealogie, die Vorhersage und die Erfüllung auf einem einzigen Weg gewirkt. Doch um die Religion Gottes wüst zu machen, hat der Teufel, die Schlange, falsche Religionen nach seiner Gestalt gemacht. Sie werden zwar als Religion bezeichnet, doch letztlich sind sie häretische Religionen, Staatskirchen und Kulturen u. a., die zur Religion gemacht worden sind. Da die Menschen unwissend sind, haben sie an diese geglaubt.
Unter den Religionen werden der Konfuzianismus, der Buddhismus und der Daoismus als die drei Lehren bezeichnet. Unter diesen beinhaltet der Buddhismus das Willkürliche und den anfänglichen Weg. Der Konfuzianismus ist wortwörtlich ausgelegt und man glaubt an ihn als eine Vorhersage des anfänglichen Wegs und als alltägliches Werkzeug. Da das Christentum, dessen Ader sich mit der des Daoismus gleicht, den Glauben an die Geschichte, Lehre, Vorhersage und Erfüllung besitzt, ist sie unter allen Religionen das Wort, das an erster Stelle steht.
Die Gegenwart stellt die Zeit der Vorhersage und der Erfüllung dar, die Zeit des Gerichts. In dieser Zeit richtet derjenige, der den Stein des Gerichts (Offb 2:17) empfangen hat, über das Wahre und Falsche. Die Religionen, die durch die Gedanken des Menschen und der Ideologie des Teufels entstanden sind, sind Religionen des Teufels. Die Religion des wahren Gottes besitzt Dessen Zeugnis. Nur weil man behauptet, dass man Gutes tun solle, ist es noch nicht wahrhaftig, und nur weil man behauptet, dass man Wissen besitze, ist es noch nicht eine wahre Religion. Und nur weil man behauptet, dass man eine Geschichte, eine religiöse Schrift, eine Kultur und eine große Anzahl von Personen sowie Sakramente besitze, wird man damit noch nicht zu einer wahren Religion. Die Religion des wahren Gottes besitzt die Geschichte, Lehre, Vorhersage und Erfüllung.
Die Geschichte hat einen Verlauf und eine Genealogie, die vom alleinigen Gott bis auf heutzutage zurückreicht. Die Lehre der Religion ist eine vom Himmel kommende Offenbarung Gottes. Es ist eine Ausbildung, also eine Lehre, vom Gott des Himmels. Es ist kein Wissen und keine Ausbildung der Erde. Gute Handlungen im Leben stellen etwas Grundsätzliches für den Menschen dar, hierdurch wird es noch nicht zu einer Religion. Die Vorhersage ist die Verheißung Gottes, die erfüllt werden soll, und die Erfüllung ist das, was die Vorhersage erfüllt. Wenn die Vorhersage und die Erfüllung fehlen, woran kann man dann glauben?
Gott verließ die Erde nach der Schuld Adams und der Gott der Schlange (Satan), der Adam verführte, hat 6000 Jahre lang die Erde beherrscht. Diese Tatsachen und das, was in der Zukunft erfüllt werden soll, hat Gott den Menschen der Erde bekanntgegeben, wobei dies das Wort der Bibel darstellt. Der wahre Gott hat 6000 Jahre lange die verheißenen Vorhersagen vollständig erfüllt. So sind Gott und Gottes Verheißung glaubwürdig. Wenn die vormaligen Vorhersagen nicht erfüllt worden wären, wie sollte man dann glauben und warten, auch wenn verheißene Vorhersagen vorhanden sein sollen? Religionen, denen verheißene Vorhersagen und deren Erfüllungen fehlen, sind keine Religion Gottes.
Gott ist die Verkörperung des Lebens. Dass Gott, der die Verkörperung des Lebens ist, die Menschen verließ, ist gleichbedeutend damit, dass das Leben die Menschen verließ, sodass sie letztlich sterben. Wenn Gott, die Verkörperung des Lebens, wieder auf den Menschen herabkommt, wird der unterbrochene Lebensfaden wieder zusammengefügt und sie werden leben. Der Grund, warum Gott die Menschen verließ, war, weil sie von Gott, dem Herrn, der sie erschaffen hat, abgefallen sind. Da sie anderen Göttern, also dem Gott der Schlange, gedient haben, hat Er sie verlassen. Im Menschen ist das Schlangengift, sodass der Tod gekommen ist.
Wodurch und wie kann man die Sünde des Todes, die im Inneren des Menschen ist, beseitigen? Die Opfergesetze gab es aufgrund dieser Sünde (Hebr 10:1-18). Doch es wurde zwar das Blut von Ochsen und Schafen geopfert und auf die Menschen gesprengt, aber die Sünde des Menschen ist nicht verschwunden. Dies stellte die Opfervorschriften des Gesetzes durch Mose dar.
Die Sünde im Inneren des Menschen konnte nur durch das Blut eines Gerechten vergeben werden. Da alle Menschen der Welt durch das Erbgut Adams als Sünder geboren worden sind, hat es nicht einen einzigen Gerechten gegeben. So kam der eingeborene Heilige Sohn Gottes. Indem er dem Willen des Vaters folgte, das Kreuz trug und sein Blut vergoss, ist die Voraussetzung geschaffen worden, dass der Sünde der Menschheit vergeben werden kann.
Die wahre Religion stellt eine Religion dar, die die Sünde des Menschen vergeben kann. Da nicht aus dem Fleisch und Geblüt des Menschen, sondern aus dem Samen Gottes wiedergeboren wird, kann man zu einem Kind Gottes werden (Joh 1:13). Die Menschen, die durch das Blut des Gerechten die Sündenvergebung erlangen und letztlich leben, indem sie aus dem Samen Gottes wiedergeboren sind, sind die neuen Geschöpfe in der Familie Gottes. Da sie Gottes Kinder sind, können sie gemeinsam mit Gott leben und Gott kann mit ihnen gemeinsam leben. Dies ist die Rettung. Sie werden zu solchen, an denen sich die Hoffnung erfüllt. Welchen Namen eine Religion auch tragen mag, ausgenommen von diesen kann keine Rettung erlangt werden und es bleibt lediglich das beängstigende Gericht.
Das Ziel der Religion und des Glaubenslebens ist das ewige Leben und das Himmelreich. Es besteht darin, dass man zu einem Kind wird, das zur wahren Familie Gottes gehört. Man sollte nicht einfach an alle Religionen glauben. Wenn man der Religion und dem verheißenen Hirten, die Gott verheißen hat und mit denen Er gemeinsam ist, begegnet und an sie glaubt, wird man zu einem Religionsangehörigen, an dem sich die Hoffnung erfüllt. Lassen Sie uns dem Boten, der von Gott verheißen und gesandt worden ist, begegnen, um solche zu werden, an denen sich die Hoffnung erfüllt. Amen.
Der Unterschied im Glaubensleben zwischen den traditionellen Gemeinden und der Gemeinde des neuen Himmels und der neue Erde
Der Unterschied im Glaubensleben zwischen den traditionellen Gemeinden und der Gemeinde des neuen Himmels und der neue Erde
Referenz: Offb 21
Inwiefern unterscheidet sich das Glaubensleben der traditionellen Gemeinden vom Glaubensleben der Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde (Shincheonji)?
Die traditionellen Gemeinden sind solche, die von der Zeit des Ersten Kommens Jesu vor 2000 Jahren an bis zur Gegenwart fortlaufend vorangeschritten sind. Die Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde hingegen ist keine Gemeinde, die von der Zeit des Ersten Kommens Jesu an bis zur Gegenwart vorangeschritten ist, sondern sie ist die neue Gemeinde, die zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung erschaffen wird.
Wenn man das Werk in den 66 Büchern der Bibel, dem Buch Gottes, betrachtet, hat Gott in jedem verdorbenen Zeitalter die Welt jener Verdorbenen beendet und ein neues Zeitalter erschaffen.
Wenn man das Glaubensleben und dessen Wert in den traditionellen Gemeinden sowie in der Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde, über die in der Referenz gesprochen wird, miteinander vergleicht, dann verhält es sich so wie mit der verdorbenen Welt Adams und der wieder erschaffenen Welt Noahs, so wie mit der verdorbenen Welt Noahs (Kanaan) und der wieder erschaffenen Welt Moses (Fleischliches Israel) und wie mit der verdorbenen Welt des Fleischlichen Israel und der wieder erschaffenen Welt Jesu Christi (Geistliches Israel). So ist in jedem Zeitalter das eine verdorbene Zeitalter beendet und ein neues Zeitalter erschaffen worden. Da das Geistliche Israel, welches mit dem Ersten Kommen Jesu begann, in der heutigen Zeit der Erfüllung der Offenbarung so wie die Welt Adams zur Zeit Noahs verdorben ist, wird es beendet und das, was wieder erschaffen wird, ist die Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde. Dies ist das verheißene Wort im Neuen Testament. Es betrifft das Wort (Vorhersage) aus Offenbarung 6 und 21.
Wenn man das Alte Testament der Bibel betrachtet, heißt es dort, dass die Nachkommen Jakobs die Sonne, der Mond und die Sterne sind, die zum Himmel gehören (1Mo 37:9-11). In Bezug auf die heutige Zeit heißt es im Neuen Testament der Bibel, dass das Geistliche Israel die Sonne, der Mond und die Sterne des Himmels sind (Mt 24:29, Offb 6:12-14). Durch ihre Verdorbenheit verfinstern sich die Sonne, der Mond und die Sterne (Licht) und fallen vom Himmel auf die Erde. Sie haben mit dem heiligen Geist begonnen, aber sie kehren zur Erde, also zum Fleisch, zurück. So wie auch schon Adam. Anders gesagt haben sie zwar an Gott und Jesus geglaubt sowie zu Gott und Jesus im Himmel gehört, doch sie sind in der Zeit ihres endgültigen Endes angelangt, welches das verheißene Ende der Welt darstellt. Durch die Verführung durch den Geist Satans gehören sie nun so wie Adam zur Erde.
Aufgrund der Verführung durch Satan lieben sie die Macht, den Ruhm und das Geld der Welt mehr als die Wahrheit. Sie glauben ihren eigenen Pastoren und ihren Worten mehr als Gott und Gottes Wort. Sie erachten die Kirchendoktrin ihrer eigenen Konfessionen wichtiger als die Gebote Gottes. Sie entfernen sich vom Wort der Verheißung Gottes und halten es nicht. Da sie sich nur auf die traditionellen Konfessionen berufen, verhalten sie sich so wie die Juden zur Zeit des Ersten Kommens Jesu, die sich nur auf das Gesetz Moses beriefen.
Gott und Jesus verhießen das Neue Testament. Die Offenbarung ist das, was vorab verkündet worden ist, damit man glaubt, wenn es sich erfüllt. Dies ist die Verheißung des neuen Bundes (Neues Testament). Die traditionellen Konfessionen behaupten zwar, dass sie an Jesus glauben, aber sie glauben nur an den Jesus der Zeit des Ersten Kommens und kümmern sich nicht um das Neue Testament, das die Verheißung der Wiederkunft Jesu ist. Deshalb fügen sie der Offenbarung etwas hinzu und nehmen ihr gleichzeitig etwas weg. Sie interpretieren die Bibel auf zwanghafte Weise, erstellen Kommentare und lehren in der Folge etwas, das nicht den Tatsachen entspricht. Dadurch geben sie den Wein der Unzucht zu trinken. Die Frucht der Erkenntnis des Guten und Bösen wird also zu essen gegeben.
Die Ereignisse der Offenbarung beinhalten drei Arten von Geheimnissen, und es gibt drei Arten von Plagen. Die drei Arten der Geheimnisse sind die Geheimnisse der Abgefallenen, der Zerstörer und des Retters. In der Zeit der Erfüllung der Offenbarung erscheinen diese drei Wesensarten, und sie erfüllen das, was sie dem im Buch (Offenbarung) Niedergeschriebenen nach betrifft. Die Abgefallenen sind die Hirten und Gemeindemitglieder der traditionellen Gemeinden, die bis zur heutigen Zeit so wie die Sonne, der Mond und die Sterne zum Himmel gehört haben. Die Zerstörer sind die falschen Hirten und die zu ihnen gehörenden Gemeindemitglieder, die zum Drachen, also dem Teufel (Schlange, Satan, Offb 12:9, 22:2) gehören. Der Retter dieser Zeit ist der Hirte, der im Neuen Testament der Bibel verheißen worden ist.
Wenn man ein Mensch ist, der sein Glaubensleben gemäß der Bibel führt, dann wird man an das, was die Bibel sagt, glauben und ihrer Bedeutung folgen. Gott hat stets das zu Erfüllende geplant und vorausgesagt. Nur wenn man Seinem Willen folgt und nach Seinem Willen handelt, wird man gerettet.
Alle Vorhersagen, die Gott den Propheten des Alten Testaments verheißen hatte, erfüllte Er zur Zeit des Ersten Kommens Jesu (Joh 19:30). Die Vorhersagen des Neuen Testaments, die durch Jesus verheißen worden sind, werden in der heutigen Zeit der Wiederkunft Jesu erfüllt. Gegenwärtig wurden sie fast vollständig erfüllt (Offb 21:6). Jesus kam gemäß der Verheißung des Alten Testaments und erfüllte all die Werke, die im Alten Testament verheißen worden waren. In gleicher Weise ist auch der Hirte, der von Jesus im Neuen Testament verheißen worden ist, in der heutigen Zeit gemäß der Verheißung gekommen. Er erfüllt all das, was verheißen worden ist. Jene, die nicht daran glauben, sind keine wahren Gläubigen. Sie sind es nur äußerlich. Sie sind falsche und lügnerische Gläubige.
Wenn der Herr sagte, dass man glauben solle, dann muss man an das Verheißene glauben. Warum wird die Wirklichkeit, die die Verheißung erfüllt, nicht geglaubt? Die Gebote Gottes und Jesu als auch die Verheißung werden nicht gehalten. Wenn man der verheißenen Offenbarung etwas hinzufügt und davon wegnimmt und statt an sie an die Worte der Kommentare glaubt - welche die Gedanken von Menschen darstellen -, dann glaubt man letztlich nicht an Gott und an das Wort der Verheißung Gottes. Kann man denn behaupten, dass man an Gott und Sein Wort glaubt, wenn man lediglich an den eigenen Pastor und dessen Worte glaubt?
Lassen Sie uns das Wort aus Jeremia Kapitel 31 betrachten, um die verheißene Vorhersage und Erfüllung zu untersuchen.
Gott verhieß durch Jeremia das neue Werk, das Säen der zwei Arten von Samen und das Errichten des neuen Bundes (Jer 31:22, 27, 31). Nachdem dieses Wort der Verheißung über 600 Jahre lang verbreitet wurde, kam Jesus gemäß der Verheißung, und er erfüllte diese Verheißung (Mt 1:18-23, 13:24, Lk 22:20).
Jesus, der den Samen säte, verhieß, dass er wiederkommen wird, um zu ernten, und er ging fort (Mt 13:24-30, Offb 14:14-16). Damit dieses Werk allen Völkern bezeugt wird, ist es 2000 Jahre lang bis an das Ende der Erde verbreitet worden (Mt 24:14). Heutzutage ist es gemäß der Verheißung verbreitet worden und der Herr kommt, um das Neue Testament zu erfüllen. Es wird also geerntet und versiegelt, sodass die 12 Stämme des neuen Reichs Gottes gemäß der Verheißung der Offenbarung erfüllt werden. Dieses heutige Werk betrifft diejenigen, die nach den Werken des Abfalls und der Zerstörung aus den vier Himmelsrichtungen Osten, Westen, Süden und Norden geerntet werden (2Thess 2:1-4, Mt 24:31). Sie sind jene, die aus dem Samen Gottes geboren sind. Solche aber, die in dieser Zeit nicht geerntet werden können und in ihrem eigenen Acker verbleiben, bezeugen damit, dass sie das Unkraut, also die aus dem Samen des Teufels Geborenen, sind.
Das Gericht wird durch dieses Wort vollzogen (Joh 12:48). Diejenigen, die aus dem guten Samen geboren sind, werden das Gute tun, doch jene, die aus dem bösen Samen geboren sind, werden das Böse tun. Wer tut gegenwärtig das Gute und wer das Böse? Auf der einen Seite (traditionelle Konfessionen) wird der Krieg ausgerufen, während auf der anderen Seite (neuer Himmel und neue Erde) der Friede und die Liebe ausgerufen wird. So enden die traditionellen Konfessionen in der Zeit der Erfüllung der Offenbarung, und Gott gründet das neue Volk des neuen Reichs, nämlich den neuen Himmel und die neue Erde.
Die Heiligen des neuen Himmels und der neuen Erde sind nicht Gläubige der traditionellen Konfessionen, sondern das Volk des Himmels, welches das neue Volk des neuen Reiches darstellt, das heutzutage in der Offenbarung zum ersten Mal erschaffen wird. Amen.
Referenz: Offb 21
Inwiefern unterscheidet sich das Glaubensleben der traditionellen Gemeinden vom Glaubensleben der Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde (Shincheonji)?
Die traditionellen Gemeinden sind solche, die von der Zeit des Ersten Kommens Jesu vor 2000 Jahren an bis zur Gegenwart fortlaufend vorangeschritten sind. Die Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde hingegen ist keine Gemeinde, die von der Zeit des Ersten Kommens Jesu an bis zur Gegenwart vorangeschritten ist, sondern sie ist die neue Gemeinde, die zu der Zeit der Erfüllung der Offenbarung erschaffen wird.
Wenn man das Werk in den 66 Büchern der Bibel, dem Buch Gottes, betrachtet, hat Gott in jedem verdorbenen Zeitalter die Welt jener Verdorbenen beendet und ein neues Zeitalter erschaffen.
Wenn man das Glaubensleben und dessen Wert in den traditionellen Gemeinden sowie in der Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde, über die in der Referenz gesprochen wird, miteinander vergleicht, dann verhält es sich so wie mit der verdorbenen Welt Adams und der wieder erschaffenen Welt Noahs, so wie mit der verdorbenen Welt Noahs (Kanaan) und der wieder erschaffenen Welt Moses (Fleischliches Israel) und wie mit der verdorbenen Welt des Fleischlichen Israel und der wieder erschaffenen Welt Jesu Christi (Geistliches Israel). So ist in jedem Zeitalter das eine verdorbene Zeitalter beendet und ein neues Zeitalter erschaffen worden. Da das Geistliche Israel, welches mit dem Ersten Kommen Jesu begann, in der heutigen Zeit der Erfüllung der Offenbarung so wie die Welt Adams zur Zeit Noahs verdorben ist, wird es beendet und das, was wieder erschaffen wird, ist die Gemeinde des neuen Himmels und der neuen Erde. Dies ist das verheißene Wort im Neuen Testament. Es betrifft das Wort (Vorhersage) aus Offenbarung 6 und 21.
Wenn man das Alte Testament der Bibel betrachtet, heißt es dort, dass die Nachkommen Jakobs die Sonne, der Mond und die Sterne sind, die zum Himmel gehören (1Mo 37:9-11). In Bezug auf die heutige Zeit heißt es im Neuen Testament der Bibel, dass das Geistliche Israel die Sonne, der Mond und die Sterne des Himmels sind (Mt 24:29, Offb 6:12-14). Durch ihre Verdorbenheit verfinstern sich die Sonne, der Mond und die Sterne (Licht) und fallen vom Himmel auf die Erde. Sie haben mit dem heiligen Geist begonnen, aber sie kehren zur Erde, also zum Fleisch, zurück. So wie auch schon Adam. Anders gesagt haben sie zwar an Gott und Jesus geglaubt sowie zu Gott und Jesus im Himmel gehört, doch sie sind in der Zeit ihres endgültigen Endes angelangt, welches das verheißene Ende der Welt darstellt. Durch die Verführung durch den Geist Satans gehören sie nun so wie Adam zur Erde.
Aufgrund der Verführung durch Satan lieben sie die Macht, den Ruhm und das Geld der Welt mehr als die Wahrheit. Sie glauben ihren eigenen Pastoren und ihren Worten mehr als Gott und Gottes Wort. Sie erachten die Kirchendoktrin ihrer eigenen Konfessionen wichtiger als die Gebote Gottes. Sie entfernen sich vom Wort der Verheißung Gottes und halten es nicht. Da sie sich nur auf die traditionellen Konfessionen berufen, verhalten sie sich so wie die Juden zur Zeit des Ersten Kommens Jesu, die sich nur auf das Gesetz Moses beriefen.
Gott und Jesus verhießen das Neue Testament. Die Offenbarung ist das, was vorab verkündet worden ist, damit man glaubt, wenn es sich erfüllt. Dies ist die Verheißung des neuen Bundes (Neues Testament). Die traditionellen Konfessionen behaupten zwar, dass sie an Jesus glauben, aber sie glauben nur an den Jesus der Zeit des Ersten Kommens und kümmern sich nicht um das Neue Testament, das die Verheißung der Wiederkunft Jesu ist. Deshalb fügen sie der Offenbarung etwas hinzu und nehmen ihr gleichzeitig etwas weg. Sie interpretieren die Bibel auf zwanghafte Weise, erstellen Kommentare und lehren in der Folge etwas, das nicht den Tatsachen entspricht. Dadurch geben sie den Wein der Unzucht zu trinken. Die Frucht der Erkenntnis des Guten und Bösen wird also zu essen gegeben.
Die Ereignisse der Offenbarung beinhalten drei Arten von Geheimnissen, und es gibt drei Arten von Plagen. Die drei Arten der Geheimnisse sind die Geheimnisse der Abgefallenen, der Zerstörer und des Retters. In der Zeit der Erfüllung der Offenbarung erscheinen diese drei Wesensarten, und sie erfüllen das, was sie dem im Buch (Offenbarung) Niedergeschriebenen nach betrifft. Die Abgefallenen sind die Hirten und Gemeindemitglieder der traditionellen Gemeinden, die bis zur heutigen Zeit so wie die Sonne, der Mond und die Sterne zum Himmel gehört haben. Die Zerstörer sind die falschen Hirten und die zu ihnen gehörenden Gemeindemitglieder, die zum Drachen, also dem Teufel (Schlange, Satan, Offb 12:9, 22:2) gehören. Der Retter dieser Zeit ist der Hirte, der im Neuen Testament der Bibel verheißen worden ist.
Wenn man ein Mensch ist, der sein Glaubensleben gemäß der Bibel führt, dann wird man an das, was die Bibel sagt, glauben und ihrer Bedeutung folgen. Gott hat stets das zu Erfüllende geplant und vorausgesagt. Nur wenn man Seinem Willen folgt und nach Seinem Willen handelt, wird man gerettet.
Alle Vorhersagen, die Gott den Propheten des Alten Testaments verheißen hatte, erfüllte Er zur Zeit des Ersten Kommens Jesu (Joh 19:30). Die Vorhersagen des Neuen Testaments, die durch Jesus verheißen worden sind, werden in der heutigen Zeit der Wiederkunft Jesu erfüllt. Gegenwärtig wurden sie fast vollständig erfüllt (Offb 21:6). Jesus kam gemäß der Verheißung des Alten Testaments und erfüllte all die Werke, die im Alten Testament verheißen worden waren. In gleicher Weise ist auch der Hirte, der von Jesus im Neuen Testament verheißen worden ist, in der heutigen Zeit gemäß der Verheißung gekommen. Er erfüllt all das, was verheißen worden ist. Jene, die nicht daran glauben, sind keine wahren Gläubigen. Sie sind es nur äußerlich. Sie sind falsche und lügnerische Gläubige.
Wenn der Herr sagte, dass man glauben solle, dann muss man an das Verheißene glauben. Warum wird die Wirklichkeit, die die Verheißung erfüllt, nicht geglaubt? Die Gebote Gottes und Jesu als auch die Verheißung werden nicht gehalten. Wenn man der verheißenen Offenbarung etwas hinzufügt und davon wegnimmt und statt an sie an die Worte der Kommentare glaubt - welche die Gedanken von Menschen darstellen -, dann glaubt man letztlich nicht an Gott und an das Wort der Verheißung Gottes. Kann man denn behaupten, dass man an Gott und Sein Wort glaubt, wenn man lediglich an den eigenen Pastor und dessen Worte glaubt?
Lassen Sie uns das Wort aus Jeremia Kapitel 31 betrachten, um die verheißene Vorhersage und Erfüllung zu untersuchen.
Gott verhieß durch Jeremia das neue Werk, das Säen der zwei Arten von Samen und das Errichten des neuen Bundes (Jer 31:22, 27, 31). Nachdem dieses Wort der Verheißung über 600 Jahre lang verbreitet wurde, kam Jesus gemäß der Verheißung, und er erfüllte diese Verheißung (Mt 1:18-23, 13:24, Lk 22:20).
Jesus, der den Samen säte, verhieß, dass er wiederkommen wird, um zu ernten, und er ging fort (Mt 13:24-30, Offb 14:14-16). Damit dieses Werk allen Völkern bezeugt wird, ist es 2000 Jahre lang bis an das Ende der Erde verbreitet worden (Mt 24:14). Heutzutage ist es gemäß der Verheißung verbreitet worden und der Herr kommt, um das Neue Testament zu erfüllen. Es wird also geerntet und versiegelt, sodass die 12 Stämme des neuen Reichs Gottes gemäß der Verheißung der Offenbarung erfüllt werden. Dieses heutige Werk betrifft diejenigen, die nach den Werken des Abfalls und der Zerstörung aus den vier Himmelsrichtungen Osten, Westen, Süden und Norden geerntet werden (2Thess 2:1-4, Mt 24:31). Sie sind jene, die aus dem Samen Gottes geboren sind. Solche aber, die in dieser Zeit nicht geerntet werden können und in ihrem eigenen Acker verbleiben, bezeugen damit, dass sie das Unkraut, also die aus dem Samen des Teufels Geborenen, sind.
Das Gericht wird durch dieses Wort vollzogen (Joh 12:48). Diejenigen, die aus dem guten Samen geboren sind, werden das Gute tun, doch jene, die aus dem bösen Samen geboren sind, werden das Böse tun. Wer tut gegenwärtig das Gute und wer das Böse? Auf der einen Seite (traditionelle Konfessionen) wird der Krieg ausgerufen, während auf der anderen Seite (neuer Himmel und neue Erde) der Friede und die Liebe ausgerufen wird. So enden die traditionellen Konfessionen in der Zeit der Erfüllung der Offenbarung, und Gott gründet das neue Volk des neuen Reichs, nämlich den neuen Himmel und die neue Erde.
Die Heiligen des neuen Himmels und der neuen Erde sind nicht Gläubige der traditionellen Konfessionen, sondern das Volk des Himmels, welches das neue Volk des neuen Reiches darstellt, das heutzutage in der Offenbarung zum ersten Mal erschaffen wird. Amen.
圣经的预言与成就及立约的牧者
圣经的预言与成就及立约的牧者
主要经文:约14:29,约19:30,启21:6
圣经所说的预言及其成就是什么,立约的牧者是谁?
圣经是神向世人晓喻神及其旨意的书,为的是叫(世人)领悟并信。预言是指预先告知将成之事,其成就是指照(神)应许的预言得以成就的实体。立约的牧者是在预言成就之时看见(成就的事件)并为此作见证的牧者,是(神)在圣经里预先指定的牧者。在成就预言之时,神会临到立约的牧者与之同行,成就预言并为其作见证。
为了对万民作见证,神在应许的预言传遍天下(太24:14)之后才成就了预言。
神在出埃及的摩西时代成就了所有在创世记15章中与亚伯拉罕所应许的预言;在耶稣初临时成就了所有对旧约先知们所做的预言(约19:30);神也将临到立约的牧者得胜者成就所有在新约启示录中所做的预言(启21:6)。
人只有看见并领悟神所应许的预言时,才能相信应许。如果没有神的应许,那么信仰人就没有必要等待,也不会有盼望和信心。然而,正是因为预言当中有盼望,(信仰人)才会遵守等待(神的应许)。不信是因为没有领悟(神的)预言及其成就。神所造的亚当和夏娃就是因为没有完全领悟神的话语,才会受蛇即魔鬼(龙、撒但)的迷惑。
迷惑亚当和夏娃的蛇是谁?此蛇是有所比喻,蛇是神所造的田野的一切活物之中的一个(创3:1)。在以赛亚书14章12-15节中称其为“明亮之星,早晨之子”,还说这明亮之星与真神对抗。在以西结书28章中又称其为“遮掩约柜的基路伯”,这遮掩约柜的基路伯是四活物之中的一个(结1章,结10:15-20)。他因居心自比神而被赶出,而后成了撒但,先是自己背弃神,后又迷惑神的子女背弃神。这蛇(龙)还在启示录2章与8、9章及13章和17、18章中迷惑神帐幕里的人使之倾倒,使圣徒们在额上和手上受了自己名的印记并拜自己。
就是因为这蛇,(神)才会在神书即圣经中的创世记到启示录里记载了古时的谜语和比喻的话语(太13:10-15)。若是不明白耶稣所说的比喻就会成为外人,罪不得赦(可4:10-12)。
在新约记载着有关末了之事的马太福音24章和启示录中,耶稣也曾吩咐说“要谨慎,免受迷惑”,其中所的指正是这蛇的迷惑。耶稣是真葡萄树和生命树(约15章),为野兽的蛇则是野葡萄树和分别善恶的树。在申命记32章31-33节中可知,有属蛇的葡萄树,其葡萄酒是大蛇的毒气、虺蛇残害的恶毒。在启示录17、18章中可知,(蛇)以这邪淫的葡萄酒迷惑列国并使之倾倒。
在亚当时发生的事件同样发生在今日的启示录时代,(此事)是龙的组织七头十角兽即假牧者们的所为。(世人)若是不知此(真相)就会受他们的迷惑吃下善恶果。
世上有众多宗教,那么这些都是神所赐的宗教吗?查看经书可知(世上)有两种神,一种是属真神的圣神(或作“灵”),另一种是属蛇的恶神(或作“灵”)。从亚当至今,这两种神已持续争战了六千年。
神走的只有一条路,并以一贯的历史、族谱、预言和成就做工;魔鬼即蛇则使出各样花招造出假宗教,使神的宗教陷入混沌。这些(假宗教)虽以宗教之称,其实是以邪教、国教或文化来充当宗教。而世人则因无知便信以为是。
在这些宗教当中,有儒、佛、仙三教。其中,佛教是一己私见和有关(道的)初级内容;儒教中有只按字面解释的预言,(人们)是将此作为生活准则来信;与仙教一脉相通的基督教则是对历史、教训、预言与成就的信,这是所有宗教当中的至上的道。
如今是预言成就之时,亦是(施行)审判之时。此时,领受审判之石(启2:17)的使者将会施行审判、断明真假。按人的想法和魔鬼的思想而造的宗教是属魔鬼的宗教。真神的宗教是有其证据的。不是说行善就是真(宗教),不是说有知识就是真宗教,也不是说有历史、经书、文化,或说人多、有教法就能成为真宗教。真神的宗教中是有历史、教训、预言及其成就的。
历史记载着从独一神起至今的所有脉络以及有关的族谱;宗教的教训是从天上而来的神的启示,是属天上之神的教育即教导,不是属地的知识和教育。在人生里,行善是为人之本,这不能成为宗教。预言是神将要成就的应许,成就是预言得以成就的(实体)。若是没有预言和成就,那还有什么可信的?
亚当犯罪后,神离开了地球村,六千年来迷惑亚当的蛇(撒但)主管着地球村。圣经话语就是神为了将此事实和将成之事晓喻地球村的人类(而记载的)。同时,真神成就了六千年来所应许的所有预言。因此,才使得(我们)能够信神和神的应许。若是之前的预言没有与之相应的成就,那么即便另有应许的预言,(我们)又怎能持着信心等待?因此,没有应许的预言及其成就的宗教就不是属神的宗教。
神是生命体,为生命体的神离开了人类,也就是生命离开了(人类),因此(人类)才会死亡。为生命体的神若重新临于人类,(人类)断开了的生命线就会重新连接起来,就能活着。神之所以离开是因为人类了背弃创造自己的主即神,侍奉别神即蛇的神(或作“灵”)。正是因为有蛇的毒在人的里面,死亡才会降临。
要怎样、用何物才能除掉人里面的死亡之罪?献祭就是为这罪而行(来10:1-18)。然而,用牛、羊的血献祭或洒在人身上则无法除罪。这就是(神)通过摩西所赐的律法里的献祭之事。
人里面的罪只能用义人的血才可以除掉。因所有世人都是从罪人亚当的遗传因子而生,都是罪人,所以没有义人,连一个也没有。因此,神的独生圣子来到(世上),照神的旨意背负十字架、洒下宝血,这也就成了能够除掉人类的罪的条件。
真宗教是能够使人类的罪得赦免的宗教。不是从人的情欲或血气生的,只有从神的种子重生才能成为神的子女(约1:13)。因着义人的血罪得赦免并从永生神的种子蒙重生的人就是新的受造之物,就能成为神的家人和子女并与神一同生活,与神同在。这就是救恩,是实现盼望的人。除此之外,以其他任何宗教之名都得不到救恩,等候(他们)的只有令人战惧的审判。
宗教与信仰的目的是永生与天国,是成为神真正的家人和子女。不要盲目信从宗教,只有信神所应许的、有神同行的宗教以及看见并信(神)立约的牧者,才能成为实现盼望的宗教人。让(我们)都能见到神所应许并差来的使者,成为实现盼望的人。阿们。
主要经文:约14:29,约19:30,启21:6
圣经所说的预言及其成就是什么,立约的牧者是谁?
圣经是神向世人晓喻神及其旨意的书,为的是叫(世人)领悟并信。预言是指预先告知将成之事,其成就是指照(神)应许的预言得以成就的实体。立约的牧者是在预言成就之时看见(成就的事件)并为此作见证的牧者,是(神)在圣经里预先指定的牧者。在成就预言之时,神会临到立约的牧者与之同行,成就预言并为其作见证。
为了对万民作见证,神在应许的预言传遍天下(太24:14)之后才成就了预言。
神在出埃及的摩西时代成就了所有在创世记15章中与亚伯拉罕所应许的预言;在耶稣初临时成就了所有对旧约先知们所做的预言(约19:30);神也将临到立约的牧者得胜者成就所有在新约启示录中所做的预言(启21:6)。
人只有看见并领悟神所应许的预言时,才能相信应许。如果没有神的应许,那么信仰人就没有必要等待,也不会有盼望和信心。然而,正是因为预言当中有盼望,(信仰人)才会遵守等待(神的应许)。不信是因为没有领悟(神的)预言及其成就。神所造的亚当和夏娃就是因为没有完全领悟神的话语,才会受蛇即魔鬼(龙、撒但)的迷惑。
迷惑亚当和夏娃的蛇是谁?此蛇是有所比喻,蛇是神所造的田野的一切活物之中的一个(创3:1)。在以赛亚书14章12-15节中称其为“明亮之星,早晨之子”,还说这明亮之星与真神对抗。在以西结书28章中又称其为“遮掩约柜的基路伯”,这遮掩约柜的基路伯是四活物之中的一个(结1章,结10:15-20)。他因居心自比神而被赶出,而后成了撒但,先是自己背弃神,后又迷惑神的子女背弃神。这蛇(龙)还在启示录2章与8、9章及13章和17、18章中迷惑神帐幕里的人使之倾倒,使圣徒们在额上和手上受了自己名的印记并拜自己。
就是因为这蛇,(神)才会在神书即圣经中的创世记到启示录里记载了古时的谜语和比喻的话语(太13:10-15)。若是不明白耶稣所说的比喻就会成为外人,罪不得赦(可4:10-12)。
在新约记载着有关末了之事的马太福音24章和启示录中,耶稣也曾吩咐说“要谨慎,免受迷惑”,其中所的指正是这蛇的迷惑。耶稣是真葡萄树和生命树(约15章),为野兽的蛇则是野葡萄树和分别善恶的树。在申命记32章31-33节中可知,有属蛇的葡萄树,其葡萄酒是大蛇的毒气、虺蛇残害的恶毒。在启示录17、18章中可知,(蛇)以这邪淫的葡萄酒迷惑列国并使之倾倒。
在亚当时发生的事件同样发生在今日的启示录时代,(此事)是龙的组织七头十角兽即假牧者们的所为。(世人)若是不知此(真相)就会受他们的迷惑吃下善恶果。
世上有众多宗教,那么这些都是神所赐的宗教吗?查看经书可知(世上)有两种神,一种是属真神的圣神(或作“灵”),另一种是属蛇的恶神(或作“灵”)。从亚当至今,这两种神已持续争战了六千年。
神走的只有一条路,并以一贯的历史、族谱、预言和成就做工;魔鬼即蛇则使出各样花招造出假宗教,使神的宗教陷入混沌。这些(假宗教)虽以宗教之称,其实是以邪教、国教或文化来充当宗教。而世人则因无知便信以为是。
在这些宗教当中,有儒、佛、仙三教。其中,佛教是一己私见和有关(道的)初级内容;儒教中有只按字面解释的预言,(人们)是将此作为生活准则来信;与仙教一脉相通的基督教则是对历史、教训、预言与成就的信,这是所有宗教当中的至上的道。
如今是预言成就之时,亦是(施行)审判之时。此时,领受审判之石(启2:17)的使者将会施行审判、断明真假。按人的想法和魔鬼的思想而造的宗教是属魔鬼的宗教。真神的宗教是有其证据的。不是说行善就是真(宗教),不是说有知识就是真宗教,也不是说有历史、经书、文化,或说人多、有教法就能成为真宗教。真神的宗教中是有历史、教训、预言及其成就的。
历史记载着从独一神起至今的所有脉络以及有关的族谱;宗教的教训是从天上而来的神的启示,是属天上之神的教育即教导,不是属地的知识和教育。在人生里,行善是为人之本,这不能成为宗教。预言是神将要成就的应许,成就是预言得以成就的(实体)。若是没有预言和成就,那还有什么可信的?
亚当犯罪后,神离开了地球村,六千年来迷惑亚当的蛇(撒但)主管着地球村。圣经话语就是神为了将此事实和将成之事晓喻地球村的人类(而记载的)。同时,真神成就了六千年来所应许的所有预言。因此,才使得(我们)能够信神和神的应许。若是之前的预言没有与之相应的成就,那么即便另有应许的预言,(我们)又怎能持着信心等待?因此,没有应许的预言及其成就的宗教就不是属神的宗教。
神是生命体,为生命体的神离开了人类,也就是生命离开了(人类),因此(人类)才会死亡。为生命体的神若重新临于人类,(人类)断开了的生命线就会重新连接起来,就能活着。神之所以离开是因为人类了背弃创造自己的主即神,侍奉别神即蛇的神(或作“灵”)。正是因为有蛇的毒在人的里面,死亡才会降临。
要怎样、用何物才能除掉人里面的死亡之罪?献祭就是为这罪而行(来10:1-18)。然而,用牛、羊的血献祭或洒在人身上则无法除罪。这就是(神)通过摩西所赐的律法里的献祭之事。
人里面的罪只能用义人的血才可以除掉。因所有世人都是从罪人亚当的遗传因子而生,都是罪人,所以没有义人,连一个也没有。因此,神的独生圣子来到(世上),照神的旨意背负十字架、洒下宝血,这也就成了能够除掉人类的罪的条件。
真宗教是能够使人类的罪得赦免的宗教。不是从人的情欲或血气生的,只有从神的种子重生才能成为神的子女(约1:13)。因着义人的血罪得赦免并从永生神的种子蒙重生的人就是新的受造之物,就能成为神的家人和子女并与神一同生活,与神同在。这就是救恩,是实现盼望的人。除此之外,以其他任何宗教之名都得不到救恩,等候(他们)的只有令人战惧的审判。
宗教与信仰的目的是永生与天国,是成为神真正的家人和子女。不要盲目信从宗教,只有信神所应许的、有神同行的宗教以及看见并信(神)立约的牧者,才能成为实现盼望的宗教人。让(我们)都能见到神所应许并差来的使者,成为实现盼望的人。阿们。
The Final Destination of Faith in Heaven’s Religion of 6,000 Years
The Final Destination of Faith in Heaven’s Religion of 6,000 Years
Main reference: Book of Revelation from the New Testament
The final destination of faith in heaven’s religion, which has been going on for the past 6,000 years—where is that place? Who is waiting for us there? Is it a road found by people blindly following the empty sounds of cowbells? Is it a place of hope or is it a place of disappointment?
The final destination of Adam’s generation who betrayed was Noah, and the final destination of Noah’s generation was Moses. The final destination of Moses’ generation—that is, the physical Israelites and Abraham’s descendants—was Jesus’ first coming, and the final destination of Jesus’ spiritual Israelites is the era of the Book of Revelation in the New Testament.
I wish to speak of what I know, the facts, and the truth. Throughout the 6,000 years of God’s work, one era always passed away while another appeared. Therefore, what era must end, and what era must begin today? God knows. A person’s death is a result of sin, but who would wish for death even if one is a sinner? God sacrificed His one and only son because He really wanted to resolve this deadly sin. What more can one possibly do for a sinner? It is impossible for a person to escape sin, nor can sin leave a person.
God has only one solution, and that is God’s seed, the secret of heaven. He desires His seed to be planted inside the heart of a person who is like dust, so that this person can overcome sin, and the seed can grow and bear fruit. We can feel God’s frustration as He delivers judgment in Isaiah 5. “He dug it up and cleared it of stones and planted it with the choicest vines… Then he looked for a crop of good grapes, but it yielded only bad fruit” (“venom of serpents” in Dt 32:33). Let’s apply these words to the present day, which is at the time of Revelation. While the vineyard in Isaiah 5 symbolized the people of Israel, a similar scenario unfolds in Revelation 6.
What awaits us at the final destination of a 6,000-year life of faith and the Book of Revelation? We shall take a look at what will become an irrevocable proof. As long as Satan exists on earth, sin will persist no matter how much a foolish man might train or even if the era or pastor changes. This is because Satan will always use a third party. Satan, the root of all sin, must be captured by revealing his identity. If Satan were to patiently watch God’s work unfold, then this world will become God’s, and Satan will lose his place. Satan would never sit still to watch God work. Furthermore, Satan would never do nothing while watching God’s promised pastor work. He therefore hinders, persecutes, curses, hates, and tries to kill the promised pastor in order to stop him from working. If this pastor were on his side, then Satan would not do such things. Because this pastor does not belong to Satan, he becomes an enemy for Satan to do such things. Satan, however, ends up revealing his own identity as a result of all this. In any given era, Satan has always deceived and murdered God’s pastors. Just like during Adam’s generation, Moses’ generation, the time of Jesus, and the time of the two witnesses in Revelation 11, orthodox churches have always deteriorated and become one with Satan.
Who would Satan want to fight against today? God’s promised pastor, of course. Corrupt orthodox churches hate, insult, and curse today’s promised pastor because he is not a part of them. The promised pastor of this era has mastered the Book of Revelation that he will fulfill, but the orthodox churches are oblivious to this fact. Which side is God’s side? Would Satan’s traditional churches simply watch the promised pastor by the sidelines if they were aware of this truth? They would hate him to the point of death.
The conditions today are different. After the dragon is captured and imprisoned in the Abyss at the time of Revelation’s fulfillment, the souls of the martyrs and those who did not receive the mark of the beast will reign with Christ for 1,000 years. They are those who will take part in the first resurrection. What kind of resurrection is this? The dry bones in Ezekiel 37 represented the Israelites, the people of Jerusalem, at the time of Jesus’ first coming. Although their death was a spiritual death, they resurrected to life by hearing Jesus’ voice (Jn 5:24-29). In Revelation, 1/4 of the people were killed in chapter 6, and the remaining people were killed 1/3 at a time in chapters 8, 9, and 12, respectively. These are also spiritual deaths, and they will resurrect to life upon hearing the revealed words of Revelation today. However, this only applies to those who did not worship the beast nor receive its mark. While the people in Revelation 13 received the mark of the beast on their foreheads and right hands, those who did not do the same in Revelation 14 will be harvested from the north, south, east, and west to take part in the first resurrection. Therefore, this resurrection refers to the resurrection of a person’s spirit that was once dead.
There will be those who return to righteousness in 1,000 years, and judgment awaits everyone outside the city after the 1,000 years pass. All the souls of those who passed on since creation, along with all of Satan’s spirits, will be judged at this time. Such judgment will proceed according to what each person has done, as recorded in the book. This will be the end of both the spirit and the flesh, but we will enter an everlasting era henceforth.
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/740
Main reference: Book of Revelation from the New Testament
The final destination of faith in heaven’s religion, which has been going on for the past 6,000 years—where is that place? Who is waiting for us there? Is it a road found by people blindly following the empty sounds of cowbells? Is it a place of hope or is it a place of disappointment?
The final destination of Adam’s generation who betrayed was Noah, and the final destination of Noah’s generation was Moses. The final destination of Moses’ generation—that is, the physical Israelites and Abraham’s descendants—was Jesus’ first coming, and the final destination of Jesus’ spiritual Israelites is the era of the Book of Revelation in the New Testament.
I wish to speak of what I know, the facts, and the truth. Throughout the 6,000 years of God’s work, one era always passed away while another appeared. Therefore, what era must end, and what era must begin today? God knows. A person’s death is a result of sin, but who would wish for death even if one is a sinner? God sacrificed His one and only son because He really wanted to resolve this deadly sin. What more can one possibly do for a sinner? It is impossible for a person to escape sin, nor can sin leave a person.
God has only one solution, and that is God’s seed, the secret of heaven. He desires His seed to be planted inside the heart of a person who is like dust, so that this person can overcome sin, and the seed can grow and bear fruit. We can feel God’s frustration as He delivers judgment in Isaiah 5. “He dug it up and cleared it of stones and planted it with the choicest vines… Then he looked for a crop of good grapes, but it yielded only bad fruit” (“venom of serpents” in Dt 32:33). Let’s apply these words to the present day, which is at the time of Revelation. While the vineyard in Isaiah 5 symbolized the people of Israel, a similar scenario unfolds in Revelation 6.
What awaits us at the final destination of a 6,000-year life of faith and the Book of Revelation? We shall take a look at what will become an irrevocable proof. As long as Satan exists on earth, sin will persist no matter how much a foolish man might train or even if the era or pastor changes. This is because Satan will always use a third party. Satan, the root of all sin, must be captured by revealing his identity. If Satan were to patiently watch God’s work unfold, then this world will become God’s, and Satan will lose his place. Satan would never sit still to watch God work. Furthermore, Satan would never do nothing while watching God’s promised pastor work. He therefore hinders, persecutes, curses, hates, and tries to kill the promised pastor in order to stop him from working. If this pastor were on his side, then Satan would not do such things. Because this pastor does not belong to Satan, he becomes an enemy for Satan to do such things. Satan, however, ends up revealing his own identity as a result of all this. In any given era, Satan has always deceived and murdered God’s pastors. Just like during Adam’s generation, Moses’ generation, the time of Jesus, and the time of the two witnesses in Revelation 11, orthodox churches have always deteriorated and become one with Satan.
Who would Satan want to fight against today? God’s promised pastor, of course. Corrupt orthodox churches hate, insult, and curse today’s promised pastor because he is not a part of them. The promised pastor of this era has mastered the Book of Revelation that he will fulfill, but the orthodox churches are oblivious to this fact. Which side is God’s side? Would Satan’s traditional churches simply watch the promised pastor by the sidelines if they were aware of this truth? They would hate him to the point of death.
The conditions today are different. After the dragon is captured and imprisoned in the Abyss at the time of Revelation’s fulfillment, the souls of the martyrs and those who did not receive the mark of the beast will reign with Christ for 1,000 years. They are those who will take part in the first resurrection. What kind of resurrection is this? The dry bones in Ezekiel 37 represented the Israelites, the people of Jerusalem, at the time of Jesus’ first coming. Although their death was a spiritual death, they resurrected to life by hearing Jesus’ voice (Jn 5:24-29). In Revelation, 1/4 of the people were killed in chapter 6, and the remaining people were killed 1/3 at a time in chapters 8, 9, and 12, respectively. These are also spiritual deaths, and they will resurrect to life upon hearing the revealed words of Revelation today. However, this only applies to those who did not worship the beast nor receive its mark. While the people in Revelation 13 received the mark of the beast on their foreheads and right hands, those who did not do the same in Revelation 14 will be harvested from the north, south, east, and west to take part in the first resurrection. Therefore, this resurrection refers to the resurrection of a person’s spirit that was once dead.
There will be those who return to righteousness in 1,000 years, and judgment awaits everyone outside the city after the 1,000 years pass. All the souls of those who passed on since creation, along with all of Satan’s spirits, will be judged at this time. Such judgment will proceed according to what each person has done, as recorded in the book. This will be the end of both the spirit and the flesh, but we will enter an everlasting era henceforth.
SHINCHEONJI Healing All Nations
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Six Thousand Years of God’s Work and Suffering
Six Thousand Years of God’s Work and Suffering
Main reference: Mt 5:11-12
How much persecution and suffering did God endure during the 6,000 years since He started His work?
God created the heavens and the earth, created all things, and gave us life through the light, rain, and air of heaven. But why do people, who live under such grace from God, persecute those who do God’s work? Is this not the same as persecuting God?
Throughout the 6,000 years that God worked, most of the persecutors were believers from the traditional church who claimed to believe in God. Many who were persecuted were even stoned to death. What kind of spirit is inside the persecutors and what kind of spirit is inside those who receive persecution that both sides would fight for 6,000 years? Believers must be the light and lead the nonbelievers. But why do believers lie to each other, hit, insult, curse, and fight with one another? The nonbelievers, those who do not practice any faith, know how to love, help, and trust. And they are friendly to others. Are the nonbelievers better or the believers? As seen in the 6,000 years of history in the Bible, God left the human world due to man’s sins, and the world became a world of sin. This is the kind of world that people live in today. It has become a formless world, empty with darkness over the surface of the deep. It is a world without the true light.
The Scripture speaks of two types of spirits—a holy spirit and an evil spirit. Of the two, with whose seed have I been born? Which spirit is with me? Which spirit is leading me? Who am I in the Bible? At the First Coming, Jesus said that you will know the tree by its fruit (Mt 7:15-20). One is the tree of life and the other is the tree of the knowledge of good and evil. As a fruit, which tree do I belong to? A puppy born of a dog’s seed will behave like a dog, and a lamb born of a sheep’s seed will behave like a sheep.
Israel, the chosen people once known as the greatest in the world, became divided into North Israel and South Judah. God and His son, Jesus, came to the people of Jerusalem and Judah who were known as the holiest of the twelve tribes of Israel. But what did the chosen people do? They swore at Jesus, spat on him, and cursed him, saying that he was the devil. They even stoned and crucified him. These were the actions of God’s people who called themselves kingdom and priests and the holiest nation in the world (Jn 1).
God, who left long ago due to Adam’s sin of betrayal, spoke to the people of Israel through Moses, because when they heard God’s voice, they felt like they could not breathe. They said to Moses, "Speak to us yourself and we will listen. But do not have God speak to us or we will die," (Ex 20:18-19). In the same way, sinners will die just by hearing the voice of God. At the time of Moses, a sinner died when he placed his hand on the ark of the covenant that Moses built, because God was with the ark of the covenant. This is why God left the world of sinners, and this is the reason God cannot live with sinners.
Thus, Jesus shed his blood on the cross for us, sinners, to forgive our sins and allow us to reunite with God. But if this is true, there should be no more sin in people. Because sin was forgiven, people should have reunited with God. However, there has been no reunification and sin has not disappeared. Sin has become worse. How did this happen? Let us find out the truth through the Word.
It has been about 2,000 years since Jesus bore the cross. However, there are endless conflicts and wars between nations, peoples, and religions in this generation. From the 6,000 years of God’s history, the world is at its worst and at risk of imminent destruction due to the development of advanced weapons of destruction. As written in Matthew 24, the world is at its worst, for the destroyer stands in the holy place and the sun, moon, and stars darken and fall. Is this truly a world that has received forgiveness, a world without sin? Both religion and the rest of the world are in the most corrupt era of all time.
The Scriptures prophesied that the end times will be like the time of Noah and Lot. Jesus said to believe this. At such a time, we are calling out to all mankind to repent. God is trying to end this wicked era. Thus, we can stop God’s hand of discipline only if we repent. The only solution is repentance from humanity. International laws on the cessation of war and achievement of world peace must be enacted, and all religion must repent and become one under God. God must reign over the world, for this is the only way for us to survive. People in society, politics, and religion must humble themselves and everyone must follow the Word of God. True refuge lies only in the Word and in God.
The new covenant that Jesus and God made with Jesus’ blood 2,000 years ago is the New Testament, and the prophecy that sums up the New Testament is the book of Revelation. In Revelation, it is recorded that one era (traditional religious world) will come to an end and a new era will come, and that no one must add or take words away from what is written in the book of Revelation (Rv 22:18-19). The words of promise tell us to believe the prophecy and its fulfillment (refer to Jn 14:29). In the book of Revelation, the betrayers, destroyers, and the savior appear and fulfill their roles according to what is written in the book respectively. Therefore, anyone who understands the meaning of this prophecy will recognize the betrayers, destroyers, and the savior.
During the great tribulation, the refuge is at a mountain like at the time of Noah and Lot, and this mountain is the place where God and Jesus dwell. Anyone who truly understands and believes the prophecy of Revelation will know this place of refuge. This is the time of the great tribulation, the time when the sun, moon, and stars darken and fall. The only place we can live at a time like this is at the promised mountain. God made known when and where we must live at such a time, just like in the days of Noah and Lot. Therefore, people who are born of God will know these things.
The location of the tree of the knowledge of good and evil is where death resides, but the location of the tree of life is where life is found. Which will you choose (Dt 30:19-20)? Salvation is not gained through strategies and methods, nor is it obtained by money or power. One receives it only by obeying the Word. Will the blood that Jesus shed 2,000 years ago truly save us or will it not? Let’s listen once again to Jesus’ words of promise.
In Luke 22, Jesus gathered with his disciples on the night of Passover and made the new covenant. In John 6, he spoke about his flesh and blood. The blood of Jesus was poured out to forgive our sins, and Jesus made the new covenant with this very blood. This new covenant was promised in Jeremiah 31:31-32, and this prophecy was fulfilled approximately 600 years later.
Jesus also said that he is the true vine (Jn 15). On the night of Passover, Jesus said, “I will not drink of this fruit of the vine from now on until that day when I drink it anew in my Father’s kingdom” (Mt 26:29). Since Jesus is the grape vine, the fruit of the vine is Jesus’ flesh and blood. Where can we eat this fruit? We eat it in the Father’s kingdom. Where is the Father’s kingdom? It is recorded in Revelation 5:9-10. What was it created with? It is created with the blood of Jesus. When is this work fulfilled? It is fulfilled when Jesus returns.
Jesus said that those who eat his flesh and blood will have eternal life (Jn 6:51-57). Jesus’ blood takes effect at the Second Coming, and the second coming of Jesus is the time when Revelation is fulfilled. In Revelation 12, the group of the dragon was fought against and overcome with the blood of Jesus. In Revelation 5:9-10 and 1:5-6, [Jesus] freed us from our sins and made us to be a kingdom and priests with Jesus’ blood. In Revelation 7:14, the great multitude (people) dressed in white was created as they washed [their robes] with Jesus’ blood. In Exodus 19:5-6, God promised to make those who came out of Egypt a kingdom and priests, but because they did not keep God’s covenant, the covenant was broken. At the time of Revelation, the new covenant made with blood on the night of Passover will fulfill. This is the fulfillment of God’s hope as well as our own.
Today is the time when Revelation fulfills. It is written that if anyone adds or takes words away from Revelation, God will take away from his share in the kingdom of heaven [holy city] and add plagues (Rv 22:18-19). As seen in Revelation 16, many demons of the earth enter false pastors (like the pastors of Jerusalem) in the place where Revelation fulfills and make the congregation members who believe Revelation suffer. However, those who are faithful will not waver. In the war of Revelation 12, the dragon puts everything down after his defeat, and in Revelation 20, the dragon is seized and locked up in the Abyss. The 6,000-year reign of the serpent and dragon ends henceforth, and God the Creator reigns.
Today, there are the traditional Christian Council of Korea (CCK) and the twelve tribes of New Heaven and New Earth (Shincheonji), which God established. Since both the dragon and its group were defeated, they must leave after giving up everything. Will the CCK continue to deny even after seeing the fulfillment today? Today, the “Canaan” people are increasing (“Canaan” is pronounced “gah-nah-ahn” in Korean. When pronounced backwards, it sounds like “ahn-nah-gah,” which means “I won’t go [or attend church]”). People are leaving to go to the Catholic Church, New Heaven and New Earth (Shincheonji Church of Jesus), or to practice Buddhism, while the CCK is separating into two organizations (CCK and CCIK: Communion of Churches in Korea). The CCK is also joining hands with cults, appointing people as cult specialists of the Cult Countermeasure Committee, in order to persecute New Heaven and New Earth as heresy. But it is actually the traditional CCK that is coming to an end.
We, the New Heaven and New Earth, have overcome the world. We overcame with the Truth. We overcame with leadership and competitiveness. The evidence is the reality. Despite the oppression from the CCK, we grew rapidly in number while the number of church members in the CCK dropped drastically.
However, even the most blessed nation and people can receive either blessings or curses according to their deeds. At the time of Moses, the gentile nation of Egypt received curses while the chosen people of Israel received the land of Canaan. God and Jesus came to Israel, which became God’s kingdom and priests from among all nations in the world, but because they did not accept God and Jesus, they were cursed. Anyone whose spiritual eyes are open will know that Korea is the most blessed nation and people today, at the second coming of Jesus. However, if one follows or is supported by the CCK, he will end up in the same place that they are heading (hell). Politics must be separate from religion. If politics follow a traditional religion that is doomed to perish (Rv 21:1), it will end up like Egypt and Israel.
The world must know what era we are living in today (Mt 24:32-35) and meet the person promised by God. This is the way to live. Once this nation meets the person promised by God and the messenger who speaks on behalf of God, it will become the best nation in the world and be exalted above all nations. “How can people of the world recognize him?” He is the one who will appear with the abundance of three kinds of “grain” (fire, rain, and dew, meaning, the word of truth), and the one chosen by the heavens. He is the one who walks with God, has truth on his lips, and is the messenger who speaks on behalf of God. One must see and believe him for the very work he does. We have read Hebrews 11 and Romans 8.
We have suffered from death, hardships, and unwanted oppression. We sought to be freed from sin and fought for freedom (Jn 8:31-32). Like the morning light that shines in the darkness or the light of life that shines like true light, the light of life has come from afar over a long period of time. Freedom has finally come to us who were slaves to sin and suffering.
Persecution and suffering is not something only we undergo. Such trials have persisted among the apostles since the First Coming. But now the cold ice melts, buds sprout, and flowers bloom. A warm, fragrant spring sought after by birds and butterflies has arrived. This is the kingdom of heaven. This is paradise. This is home.
We will enjoy the glory that is incomparable to the suffering we have endured. Jesus, the disciples, and martyred spirits who shed their blood have persevered and waited for this day. If there was no such hope, how could they have endured their hardships? They persevered through bitter pain and suffering all to free us from sin and agony.
We are living witnesses of their efforts. The song of heavenly flowers of eternal life will bloom and rise from sorrow and pain to transform into the eternal gospel…Without their blood and pain, our dreams would have dissipated into sorrow and agony. We would have had no hope. However, the fact that our hope will fulfill creates in us songs of gratitude and joy, praises of thanks and glory.
I truly want to proclaim what I know and what I have seen to the people who do not know. But because they do not have ears to hear, I am afraid they will take these Words of life as a reproach or as a curse.
Nevertheless, the Word must be taught and preached. Whether they listen or not, I must tell them what I have seen and heard. As it is written, he who has an ear let him hear it over and over again (1 Jn 1 ~ 5). Those who belong to God and those with ears to hear will appear and fulfill according to what is written.
The world is streaming in with obedience. This proves that they are under God’s control. Thank you, Father God. I truly give thanks for guarding and protecting the family of Shincheonji. Thank you for your grace in always being with us and delivering us from evil. We are working toward the day of completion. We believe that people’s hearts and minds will be connected through your orchestration.
Please grant perception to the politicians and religious people in Korea. Because the Father God and Jesus are with us, we will absolutely overcome with leadership and competitiveness. Please turn their hearts [toward you] as soon as possible. The nation of Korea is divided into the North and South. Please grant a heart of unification to both North and South Korea. Though I am nothing, I wish to reveal your glory. Father God, please make all of this possible. Beloved Lord, please guide us. We believe in you. Because you said that anything is possible if we believe, we will believe and we will work. This article was written at an altitude of 38,000 feet.
October 1, 2015
Man Hee Lee the Peace Advocate
SHINCHEONJI Healing All Nations
Main reference: Mt 5:11-12
How much persecution and suffering did God endure during the 6,000 years since He started His work?
God created the heavens and the earth, created all things, and gave us life through the light, rain, and air of heaven. But why do people, who live under such grace from God, persecute those who do God’s work? Is this not the same as persecuting God?
Throughout the 6,000 years that God worked, most of the persecutors were believers from the traditional church who claimed to believe in God. Many who were persecuted were even stoned to death. What kind of spirit is inside the persecutors and what kind of spirit is inside those who receive persecution that both sides would fight for 6,000 years? Believers must be the light and lead the nonbelievers. But why do believers lie to each other, hit, insult, curse, and fight with one another? The nonbelievers, those who do not practice any faith, know how to love, help, and trust. And they are friendly to others. Are the nonbelievers better or the believers? As seen in the 6,000 years of history in the Bible, God left the human world due to man’s sins, and the world became a world of sin. This is the kind of world that people live in today. It has become a formless world, empty with darkness over the surface of the deep. It is a world without the true light.
The Scripture speaks of two types of spirits—a holy spirit and an evil spirit. Of the two, with whose seed have I been born? Which spirit is with me? Which spirit is leading me? Who am I in the Bible? At the First Coming, Jesus said that you will know the tree by its fruit (Mt 7:15-20). One is the tree of life and the other is the tree of the knowledge of good and evil. As a fruit, which tree do I belong to? A puppy born of a dog’s seed will behave like a dog, and a lamb born of a sheep’s seed will behave like a sheep.
Israel, the chosen people once known as the greatest in the world, became divided into North Israel and South Judah. God and His son, Jesus, came to the people of Jerusalem and Judah who were known as the holiest of the twelve tribes of Israel. But what did the chosen people do? They swore at Jesus, spat on him, and cursed him, saying that he was the devil. They even stoned and crucified him. These were the actions of God’s people who called themselves kingdom and priests and the holiest nation in the world (Jn 1).
God, who left long ago due to Adam’s sin of betrayal, spoke to the people of Israel through Moses, because when they heard God’s voice, they felt like they could not breathe. They said to Moses, "Speak to us yourself and we will listen. But do not have God speak to us or we will die," (Ex 20:18-19). In the same way, sinners will die just by hearing the voice of God. At the time of Moses, a sinner died when he placed his hand on the ark of the covenant that Moses built, because God was with the ark of the covenant. This is why God left the world of sinners, and this is the reason God cannot live with sinners.
Thus, Jesus shed his blood on the cross for us, sinners, to forgive our sins and allow us to reunite with God. But if this is true, there should be no more sin in people. Because sin was forgiven, people should have reunited with God. However, there has been no reunification and sin has not disappeared. Sin has become worse. How did this happen? Let us find out the truth through the Word.
It has been about 2,000 years since Jesus bore the cross. However, there are endless conflicts and wars between nations, peoples, and religions in this generation. From the 6,000 years of God’s history, the world is at its worst and at risk of imminent destruction due to the development of advanced weapons of destruction. As written in Matthew 24, the world is at its worst, for the destroyer stands in the holy place and the sun, moon, and stars darken and fall. Is this truly a world that has received forgiveness, a world without sin? Both religion and the rest of the world are in the most corrupt era of all time.
The Scriptures prophesied that the end times will be like the time of Noah and Lot. Jesus said to believe this. At such a time, we are calling out to all mankind to repent. God is trying to end this wicked era. Thus, we can stop God’s hand of discipline only if we repent. The only solution is repentance from humanity. International laws on the cessation of war and achievement of world peace must be enacted, and all religion must repent and become one under God. God must reign over the world, for this is the only way for us to survive. People in society, politics, and religion must humble themselves and everyone must follow the Word of God. True refuge lies only in the Word and in God.
The new covenant that Jesus and God made with Jesus’ blood 2,000 years ago is the New Testament, and the prophecy that sums up the New Testament is the book of Revelation. In Revelation, it is recorded that one era (traditional religious world) will come to an end and a new era will come, and that no one must add or take words away from what is written in the book of Revelation (Rv 22:18-19). The words of promise tell us to believe the prophecy and its fulfillment (refer to Jn 14:29). In the book of Revelation, the betrayers, destroyers, and the savior appear and fulfill their roles according to what is written in the book respectively. Therefore, anyone who understands the meaning of this prophecy will recognize the betrayers, destroyers, and the savior.
During the great tribulation, the refuge is at a mountain like at the time of Noah and Lot, and this mountain is the place where God and Jesus dwell. Anyone who truly understands and believes the prophecy of Revelation will know this place of refuge. This is the time of the great tribulation, the time when the sun, moon, and stars darken and fall. The only place we can live at a time like this is at the promised mountain. God made known when and where we must live at such a time, just like in the days of Noah and Lot. Therefore, people who are born of God will know these things.
The location of the tree of the knowledge of good and evil is where death resides, but the location of the tree of life is where life is found. Which will you choose (Dt 30:19-20)? Salvation is not gained through strategies and methods, nor is it obtained by money or power. One receives it only by obeying the Word. Will the blood that Jesus shed 2,000 years ago truly save us or will it not? Let’s listen once again to Jesus’ words of promise.
In Luke 22, Jesus gathered with his disciples on the night of Passover and made the new covenant. In John 6, he spoke about his flesh and blood. The blood of Jesus was poured out to forgive our sins, and Jesus made the new covenant with this very blood. This new covenant was promised in Jeremiah 31:31-32, and this prophecy was fulfilled approximately 600 years later.
Jesus also said that he is the true vine (Jn 15). On the night of Passover, Jesus said, “I will not drink of this fruit of the vine from now on until that day when I drink it anew in my Father’s kingdom” (Mt 26:29). Since Jesus is the grape vine, the fruit of the vine is Jesus’ flesh and blood. Where can we eat this fruit? We eat it in the Father’s kingdom. Where is the Father’s kingdom? It is recorded in Revelation 5:9-10. What was it created with? It is created with the blood of Jesus. When is this work fulfilled? It is fulfilled when Jesus returns.
Jesus said that those who eat his flesh and blood will have eternal life (Jn 6:51-57). Jesus’ blood takes effect at the Second Coming, and the second coming of Jesus is the time when Revelation is fulfilled. In Revelation 12, the group of the dragon was fought against and overcome with the blood of Jesus. In Revelation 5:9-10 and 1:5-6, [Jesus] freed us from our sins and made us to be a kingdom and priests with Jesus’ blood. In Revelation 7:14, the great multitude (people) dressed in white was created as they washed [their robes] with Jesus’ blood. In Exodus 19:5-6, God promised to make those who came out of Egypt a kingdom and priests, but because they did not keep God’s covenant, the covenant was broken. At the time of Revelation, the new covenant made with blood on the night of Passover will fulfill. This is the fulfillment of God’s hope as well as our own.
Today is the time when Revelation fulfills. It is written that if anyone adds or takes words away from Revelation, God will take away from his share in the kingdom of heaven [holy city] and add plagues (Rv 22:18-19). As seen in Revelation 16, many demons of the earth enter false pastors (like the pastors of Jerusalem) in the place where Revelation fulfills and make the congregation members who believe Revelation suffer. However, those who are faithful will not waver. In the war of Revelation 12, the dragon puts everything down after his defeat, and in Revelation 20, the dragon is seized and locked up in the Abyss. The 6,000-year reign of the serpent and dragon ends henceforth, and God the Creator reigns.
Today, there are the traditional Christian Council of Korea (CCK) and the twelve tribes of New Heaven and New Earth (Shincheonji), which God established. Since both the dragon and its group were defeated, they must leave after giving up everything. Will the CCK continue to deny even after seeing the fulfillment today? Today, the “Canaan” people are increasing (“Canaan” is pronounced “gah-nah-ahn” in Korean. When pronounced backwards, it sounds like “ahn-nah-gah,” which means “I won’t go [or attend church]”). People are leaving to go to the Catholic Church, New Heaven and New Earth (Shincheonji Church of Jesus), or to practice Buddhism, while the CCK is separating into two organizations (CCK and CCIK: Communion of Churches in Korea). The CCK is also joining hands with cults, appointing people as cult specialists of the Cult Countermeasure Committee, in order to persecute New Heaven and New Earth as heresy. But it is actually the traditional CCK that is coming to an end.
We, the New Heaven and New Earth, have overcome the world. We overcame with the Truth. We overcame with leadership and competitiveness. The evidence is the reality. Despite the oppression from the CCK, we grew rapidly in number while the number of church members in the CCK dropped drastically.
However, even the most blessed nation and people can receive either blessings or curses according to their deeds. At the time of Moses, the gentile nation of Egypt received curses while the chosen people of Israel received the land of Canaan. God and Jesus came to Israel, which became God’s kingdom and priests from among all nations in the world, but because they did not accept God and Jesus, they were cursed. Anyone whose spiritual eyes are open will know that Korea is the most blessed nation and people today, at the second coming of Jesus. However, if one follows or is supported by the CCK, he will end up in the same place that they are heading (hell). Politics must be separate from religion. If politics follow a traditional religion that is doomed to perish (Rv 21:1), it will end up like Egypt and Israel.
The world must know what era we are living in today (Mt 24:32-35) and meet the person promised by God. This is the way to live. Once this nation meets the person promised by God and the messenger who speaks on behalf of God, it will become the best nation in the world and be exalted above all nations. “How can people of the world recognize him?” He is the one who will appear with the abundance of three kinds of “grain” (fire, rain, and dew, meaning, the word of truth), and the one chosen by the heavens. He is the one who walks with God, has truth on his lips, and is the messenger who speaks on behalf of God. One must see and believe him for the very work he does. We have read Hebrews 11 and Romans 8.
We have suffered from death, hardships, and unwanted oppression. We sought to be freed from sin and fought for freedom (Jn 8:31-32). Like the morning light that shines in the darkness or the light of life that shines like true light, the light of life has come from afar over a long period of time. Freedom has finally come to us who were slaves to sin and suffering.
Persecution and suffering is not something only we undergo. Such trials have persisted among the apostles since the First Coming. But now the cold ice melts, buds sprout, and flowers bloom. A warm, fragrant spring sought after by birds and butterflies has arrived. This is the kingdom of heaven. This is paradise. This is home.
We will enjoy the glory that is incomparable to the suffering we have endured. Jesus, the disciples, and martyred spirits who shed their blood have persevered and waited for this day. If there was no such hope, how could they have endured their hardships? They persevered through bitter pain and suffering all to free us from sin and agony.
We are living witnesses of their efforts. The song of heavenly flowers of eternal life will bloom and rise from sorrow and pain to transform into the eternal gospel…Without their blood and pain, our dreams would have dissipated into sorrow and agony. We would have had no hope. However, the fact that our hope will fulfill creates in us songs of gratitude and joy, praises of thanks and glory.
I truly want to proclaim what I know and what I have seen to the people who do not know. But because they do not have ears to hear, I am afraid they will take these Words of life as a reproach or as a curse.
Nevertheless, the Word must be taught and preached. Whether they listen or not, I must tell them what I have seen and heard. As it is written, he who has an ear let him hear it over and over again (1 Jn 1 ~ 5). Those who belong to God and those with ears to hear will appear and fulfill according to what is written.
The world is streaming in with obedience. This proves that they are under God’s control. Thank you, Father God. I truly give thanks for guarding and protecting the family of Shincheonji. Thank you for your grace in always being with us and delivering us from evil. We are working toward the day of completion. We believe that people’s hearts and minds will be connected through your orchestration.
Please grant perception to the politicians and religious people in Korea. Because the Father God and Jesus are with us, we will absolutely overcome with leadership and competitiveness. Please turn their hearts [toward you] as soon as possible. The nation of Korea is divided into the North and South. Please grant a heart of unification to both North and South Korea. Though I am nothing, I wish to reveal your glory. Father God, please make all of this possible. Beloved Lord, please guide us. We believe in you. Because you said that anything is possible if we believe, we will believe and we will work. This article was written at an altitude of 38,000 feet.
October 1, 2015
Man Hee Lee the Peace Advocate
SHINCHEONJI Healing All Nations
2015년 11월 5일 목요일
第一の復活と千年王国
第一の復活と千年王国
本文:啓20章(ヨハ5章)
本文が言う第一の復活者は誰であり、千年王国はどんなところなのか。
この第一の復活者は、啓示録7章で神様の印を押された144,000人と(啓7:4-8)、啓示録6章で見た殉教者たちであり(啓6:9-11)、千年王国は、殉教者たちと印を押された者たちがいのちの復活に出て、共に生きる千年城である。天で成し遂げた聖なる都、新しいエルサレムがあり、この地で天のものを見てそのように創造した新しいエルサレムの都があり、千年城は、天の新しいエルサレムの都がこの地の新しいエルサレムの都に下って来て、一つになった千年王国である。もう一度言えば、霊界と肉界が一つになって生きる聖なる都である。これを啓示録21章では、以前の天と以前の地がなくなって、新しい天と新しい地があるようになり、この新しい天と新しい地に天の聖なる都、新しいエルサレムが下って来て、共にいるので、死も苦しみも悲しみもなくなると言われた。
なぜ、新しい天、新しい地、新しいエルサレムと言われたのか。今日を指して、ノアの時、ロトの時のようだと言われたように、昔のものは終わってなくなって、この啓示録の時、再び創造されたからである。
第一の復活者について調べてみよう。
神様から生気(いのちの息)を受けて、生霊(生きもの)になったアダムが蛇の善悪の実を食べることによって生霊が死んで、肉体も死んで、土に戻った(創3:19)。
旧約のエゼキエル書37章では、死んだイスラエルの民たちが神様の生気を受けて墓から出て来て、神様の神(霊)を受けて生きるようになったと記録されている。この預言が成就されたのは、イエス様の初臨の時であり、マタイの福音書23章とヨハネの福音書5章によく説明されている。マタイの福音書23章に、エルサレムの牧者は蛇であり、エルサレムの聖殿は、白く塗られた墓であり、その中には、死んだ者の骨が満ちていた。イエス様は、この墓に行って語られた。すなわち、ヨハネの福音書5章の御言葉である。イエス様は、エルサレムにいる者たちを死んだ者たちだと言われ、エルサレムを墓だと言われ、彼らに「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、死(エルサレム)からいのち(神様)に移っているのです。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は、いのちの復活に出て来ます(よみがえっていのちを受けるのです)。」と言われた。この御言葉は、旧約のエゼキエル書37章の預言を成し遂げた御言葉であった。しかし、これは肉の死ではなく、霊の死であり、肉の復活ではなく、霊の復活であった。霊が倒れるならば、肉も倒れて、結局、肉が死ぬのである。そして、神様が下さる生気は、生かすものであり、悪魔が与える善悪の実は、殺すものである。
啓示録が言う死と復活は、どんなものなのか。
啓示録で見たように、サタンの牧者に刻印を押されて拝んだ者たちが不品行を行って(啓2章)、サタンと結婚までした(啓18章)。このように、サタンが与える善悪の実、すなわち、サタンの食物を食べることで、幕屋の聖徒たちが啓示録8章と9章と12章で見たように、1/3、1/3、1/3ずつみんな死んだ。彼らの死も霊の死であり、結局は、肉も死ぬようになる。
しかし、啓示録20章4-6節に、第一の復活者たちは、竜の牧者に額と右の手に刻印を押されなかった者たちだと言ったので、彼らは、13章と18章のように、サタンに刻印を押されて、彼らと結婚した者たちではない。
では、誰ということなのか。新約の啓示録の預言が始まる時、まずは、選民が背教する事件があり(Ⅱテサ2:1-4)、この背教者たちが啓示録18章のように滅亡者に滅亡されるようになる。この後、マタイの福音書24章29-31節のように、主が御使いたちと共に来られて、東西南北、四方から収穫するようになる。この時、町から一人、氏族から二人ずつ連れて行って(エレ3:14参考)、印を押して、祭司長にした。これを旧約では、収穫して行った後、捨てられた落穂を拾うようで、実をみんな取って行った後、枝の上に一つ二つ残った少ない種を集めるようだと言った。世の終わりの事件も、全て滅亡された後、収穫して、印を押すことがあるようになる。旧・新約の預言がこのように成就されたのである。また、太陽・月・星のような選民、霊的イスラエルが天から落ちたので、聖霊で始まったのに肉に戻ったのである。これを啓示録21章では、以前の天と地がなくなったと表現した。これは伝統の霊的イスラエルの終末を言ったのである。
だから、竜の獣(偽りの牧者)に額と手に刻印を受けず、拝みもしなかった者たちと、殉教者たちが共に第一の復活にあずかるようになると言われた(啓20:4-6)。
人は、誰でもみんなアダムの遺伝子で生まれた罪人たちである。だから、死んだ者に違いがない。だが、主が再び来られる時、彼らは断ち切られた命綱が再びつながることで復活するようになったのである。従って、この人々は、啓示録7章と14章の収穫されて印を押された祭司長たちであり、これを信じない者は、収穫されず、畑に残った者たちであり、収穫されない理由は、神様の種で生まれなかったからである。マタイの福音書13章に、神様の種と悪魔の種が一つの畑に蒔かれて、収穫の時、神様の種で生まれた者だけ連れて行ったので、残ったものは、毒麦、すなわち、悪魔の種で生まれた者たちである。この悪魔の種で生まれた者たちが、収穫されて行った神様の種、すなわち、天国の子どもたちを苦しめて迫害している。これは当然ではないのか。同じ国、同じ神、同じ種ではないから。同じ畑から、ある者は天国に収穫されて行くが、自分は収穫されないので、神様の種ではなく、悪魔の種で生まれたということが明らかになる。だから迫害を日常にするのであり、このような行為をすることは、悪魔の本性が迫害と妨害をすることだからである。
これを見ても悟れないということは、盲人であり、耳しいだからである。一つの世が終わり、新しい世、すなわち、神様が統治される天国の世界が始まる。これが千年王国である。
神様とイエス様は、啓示録を通して前もって約束されて、今日、時になって成し遂げられて、代言の使者を諸教会に遣わして、その成し遂げられたことをあかしさせられた(啓22:16)。旧約の預言を成し遂げられたことを(ヨハ19:30)イエス様があかしされたように、新約の預言をイエス様が成し遂げられて、ご自分の使者を諸教会に遣わしてあかしさせられた。これを信じる者は、天国と永遠のいのちを得るようになる。ヨハネの福音書3章31-34節を見よ。これは、新しい天地、千年王国の第一の復活である。
ここで参考として預言とその成就について話す。
その昔、南師古が見た預言、韓国の天道教が見た預言、インドのタゴールが見た預言(詩)1)は、啓示録と類似した内容である。
2000年前、イエス様の弟子、使徒ヨハネを通しての神様の約束、啓示録が韓国で成し遂げられたので、時は良い天国時代の到来である。
その昔、アブラハムと約束された預言をモーセの時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、旧約の預言者たちの預言を初臨のイエス様の時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、使徒ヨハネが記録した新約の啓示録の預言を信じる者であるならば、今日、啓示録が成就されたことを信じなければならない。
信じない者は、旧約時代や初臨の時、信じないで迫害した者と同じだと言えるだろう。これを信じない者に、何を信じるのかと聞くならば、口があっても言葉がないのである(有口無言)。
今日、私たちに約束されたことは、啓示録の預言と成就である。私は、多くの先知者たちと預言者たちに知らせた預言よりも、これを伝える預言者たちよりも、今日、新約の預言が成就されたことを見た者として、これを伝えよという主の代言の使者として遣わされたので、これは聖書の歴史上、歴代のどんな使者たちよりももっと大きな使命者として遣わされたのである。その理由は、今の働きが私たちの神様の最後の働きだからである。
私が、神様について知っているのは、百分の一に過ぎないと考える。だが、聖書の意味が全てわかるようにしてくださったのは、神様が神様の仕事をさせてくださることなので、時には、幻の世界、すなわち、天国のことを見せてくださるのも、そのためである。
人を神様に比べることができないのは、人が罪を犯し、罪のしもべ(悪魔のしもべ)になったことで、神様と敵対する心を持っているからである。だから、主の使者を遣わしても受け入れず敵対したのである。これを知っている主の使者は、どれほど嘆くだろう。でも、悟るようにしてのみ働きができる。
1)東方のともしび
早くからアジアの黄金時代に / 輝いていたともしびの一つであるコリア
そのともしび、再び輝く日に / あなたは東方の明るい光となるだろう
心に恐れのない / 頭を高くあげている所
知識は自由で(自由な知識がある) / 狭い塀によって世界が粉々に分かれていない所
真実の深い中から御言葉が湧き出る所 / 絶えない努力が完成に向かって手を広げる所
知性の澄んだ流れが / 固くなった習慣の砂の野原で道に迷わない所
無限に広がる考えと行動で / 私たちの心が導かれる所
そのような自由の天国へ / 私の心の祖国コリアよ、目をさませ。
本文:啓20章(ヨハ5章)
本文が言う第一の復活者は誰であり、千年王国はどんなところなのか。
この第一の復活者は、啓示録7章で神様の印を押された144,000人と(啓7:4-8)、啓示録6章で見た殉教者たちであり(啓6:9-11)、千年王国は、殉教者たちと印を押された者たちがいのちの復活に出て、共に生きる千年城である。天で成し遂げた聖なる都、新しいエルサレムがあり、この地で天のものを見てそのように創造した新しいエルサレムの都があり、千年城は、天の新しいエルサレムの都がこの地の新しいエルサレムの都に下って来て、一つになった千年王国である。もう一度言えば、霊界と肉界が一つになって生きる聖なる都である。これを啓示録21章では、以前の天と以前の地がなくなって、新しい天と新しい地があるようになり、この新しい天と新しい地に天の聖なる都、新しいエルサレムが下って来て、共にいるので、死も苦しみも悲しみもなくなると言われた。
なぜ、新しい天、新しい地、新しいエルサレムと言われたのか。今日を指して、ノアの時、ロトの時のようだと言われたように、昔のものは終わってなくなって、この啓示録の時、再び創造されたからである。
第一の復活者について調べてみよう。
神様から生気(いのちの息)を受けて、生霊(生きもの)になったアダムが蛇の善悪の実を食べることによって生霊が死んで、肉体も死んで、土に戻った(創3:19)。
旧約のエゼキエル書37章では、死んだイスラエルの民たちが神様の生気を受けて墓から出て来て、神様の神(霊)を受けて生きるようになったと記録されている。この預言が成就されたのは、イエス様の初臨の時であり、マタイの福音書23章とヨハネの福音書5章によく説明されている。マタイの福音書23章に、エルサレムの牧者は蛇であり、エルサレムの聖殿は、白く塗られた墓であり、その中には、死んだ者の骨が満ちていた。イエス様は、この墓に行って語られた。すなわち、ヨハネの福音書5章の御言葉である。イエス様は、エルサレムにいる者たちを死んだ者たちだと言われ、エルサレムを墓だと言われ、彼らに「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、死(エルサレム)からいのち(神様)に移っているのです。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は、いのちの復活に出て来ます(よみがえっていのちを受けるのです)。」と言われた。この御言葉は、旧約のエゼキエル書37章の預言を成し遂げた御言葉であった。しかし、これは肉の死ではなく、霊の死であり、肉の復活ではなく、霊の復活であった。霊が倒れるならば、肉も倒れて、結局、肉が死ぬのである。そして、神様が下さる生気は、生かすものであり、悪魔が与える善悪の実は、殺すものである。
啓示録が言う死と復活は、どんなものなのか。
啓示録で見たように、サタンの牧者に刻印を押されて拝んだ者たちが不品行を行って(啓2章)、サタンと結婚までした(啓18章)。このように、サタンが与える善悪の実、すなわち、サタンの食物を食べることで、幕屋の聖徒たちが啓示録8章と9章と12章で見たように、1/3、1/3、1/3ずつみんな死んだ。彼らの死も霊の死であり、結局は、肉も死ぬようになる。
しかし、啓示録20章4-6節に、第一の復活者たちは、竜の牧者に額と右の手に刻印を押されなかった者たちだと言ったので、彼らは、13章と18章のように、サタンに刻印を押されて、彼らと結婚した者たちではない。
では、誰ということなのか。新約の啓示録の預言が始まる時、まずは、選民が背教する事件があり(Ⅱテサ2:1-4)、この背教者たちが啓示録18章のように滅亡者に滅亡されるようになる。この後、マタイの福音書24章29-31節のように、主が御使いたちと共に来られて、東西南北、四方から収穫するようになる。この時、町から一人、氏族から二人ずつ連れて行って(エレ3:14参考)、印を押して、祭司長にした。これを旧約では、収穫して行った後、捨てられた落穂を拾うようで、実をみんな取って行った後、枝の上に一つ二つ残った少ない種を集めるようだと言った。世の終わりの事件も、全て滅亡された後、収穫して、印を押すことがあるようになる。旧・新約の預言がこのように成就されたのである。また、太陽・月・星のような選民、霊的イスラエルが天から落ちたので、聖霊で始まったのに肉に戻ったのである。これを啓示録21章では、以前の天と地がなくなったと表現した。これは伝統の霊的イスラエルの終末を言ったのである。
だから、竜の獣(偽りの牧者)に額と手に刻印を受けず、拝みもしなかった者たちと、殉教者たちが共に第一の復活にあずかるようになると言われた(啓20:4-6)。
人は、誰でもみんなアダムの遺伝子で生まれた罪人たちである。だから、死んだ者に違いがない。だが、主が再び来られる時、彼らは断ち切られた命綱が再びつながることで復活するようになったのである。従って、この人々は、啓示録7章と14章の収穫されて印を押された祭司長たちであり、これを信じない者は、収穫されず、畑に残った者たちであり、収穫されない理由は、神様の種で生まれなかったからである。マタイの福音書13章に、神様の種と悪魔の種が一つの畑に蒔かれて、収穫の時、神様の種で生まれた者だけ連れて行ったので、残ったものは、毒麦、すなわち、悪魔の種で生まれた者たちである。この悪魔の種で生まれた者たちが、収穫されて行った神様の種、すなわち、天国の子どもたちを苦しめて迫害している。これは当然ではないのか。同じ国、同じ神、同じ種ではないから。同じ畑から、ある者は天国に収穫されて行くが、自分は収穫されないので、神様の種ではなく、悪魔の種で生まれたということが明らかになる。だから迫害を日常にするのであり、このような行為をすることは、悪魔の本性が迫害と妨害をすることだからである。
これを見ても悟れないということは、盲人であり、耳しいだからである。一つの世が終わり、新しい世、すなわち、神様が統治される天国の世界が始まる。これが千年王国である。
神様とイエス様は、啓示録を通して前もって約束されて、今日、時になって成し遂げられて、代言の使者を諸教会に遣わして、その成し遂げられたことをあかしさせられた(啓22:16)。旧約の預言を成し遂げられたことを(ヨハ19:30)イエス様があかしされたように、新約の預言をイエス様が成し遂げられて、ご自分の使者を諸教会に遣わしてあかしさせられた。これを信じる者は、天国と永遠のいのちを得るようになる。ヨハネの福音書3章31-34節を見よ。これは、新しい天地、千年王国の第一の復活である。
ここで参考として預言とその成就について話す。
その昔、南師古が見た預言、韓国の天道教が見た預言、インドのタゴールが見た預言(詩)1)は、啓示録と類似した内容である。
2000年前、イエス様の弟子、使徒ヨハネを通しての神様の約束、啓示録が韓国で成し遂げられたので、時は良い天国時代の到来である。
その昔、アブラハムと約束された預言をモーセの時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、旧約の預言者たちの預言を初臨のイエス様の時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、使徒ヨハネが記録した新約の啓示録の預言を信じる者であるならば、今日、啓示録が成就されたことを信じなければならない。
信じない者は、旧約時代や初臨の時、信じないで迫害した者と同じだと言えるだろう。これを信じない者に、何を信じるのかと聞くならば、口があっても言葉がないのである(有口無言)。
今日、私たちに約束されたことは、啓示録の預言と成就である。私は、多くの先知者たちと預言者たちに知らせた預言よりも、これを伝える預言者たちよりも、今日、新約の預言が成就されたことを見た者として、これを伝えよという主の代言の使者として遣わされたので、これは聖書の歴史上、歴代のどんな使者たちよりももっと大きな使命者として遣わされたのである。その理由は、今の働きが私たちの神様の最後の働きだからである。
私が、神様について知っているのは、百分の一に過ぎないと考える。だが、聖書の意味が全てわかるようにしてくださったのは、神様が神様の仕事をさせてくださることなので、時には、幻の世界、すなわち、天国のことを見せてくださるのも、そのためである。
人を神様に比べることができないのは、人が罪を犯し、罪のしもべ(悪魔のしもべ)になったことで、神様と敵対する心を持っているからである。だから、主の使者を遣わしても受け入れず敵対したのである。これを知っている主の使者は、どれほど嘆くだろう。でも、悟るようにしてのみ働きができる。
1)東方のともしび
早くからアジアの黄金時代に / 輝いていたともしびの一つであるコリア
そのともしび、再び輝く日に / あなたは東方の明るい光となるだろう
心に恐れのない / 頭を高くあげている所
知識は自由で(自由な知識がある) / 狭い塀によって世界が粉々に分かれていない所
真実の深い中から御言葉が湧き出る所 / 絶えない努力が完成に向かって手を広げる所
知性の澄んだ流れが / 固くなった習慣の砂の野原で道に迷わない所
無限に広がる考えと行動で / 私たちの心が導かれる所
そのような自由の天国へ / 私の心の祖国コリアよ、目をさませ。
創造と再創造と契約と新しい契約
創造と再創造と契約と新しい契約
本文:創1章、啓21章(エレ31:31-34)
創造と再創造と契約と新しい契約は、どんなものなのか。
天地は、神様と御言葉が創造されて、御言葉によって創造されなかったものはない(ヨハ1:1-4)。それゆえ、神様と御言葉は、すなわち、創造主であられる。
神様が創世記1章に、「初めに、神が天と地を創造した。」と言われた。約束された天地創造は、第二日と第三日にされて、これは、天地再創造である。第一日に見たように、混沌として、空虚な地があり、やみは天にあり、水の上があり、光はなかった。だから、光を探されて、光とやみを区別されることで、夜と昼があるようになった。第二日に水の中に大空、すなわち、天を造られて、大空の上の水と大空の下の水に分けられ、第三日に天の下の水を一所に集めることで、陸が現れた。すなわち、地であった。これが天と地を創造(再創造)されたことである。第四日に水の中にある大空、すなわち、天に太陽、月、星を造って、昼夜を主管させられ、第五日に魚と空中の鳥を造られた。六日目に家畜や獣を創造されて、また人を男と女に造られて、彼らに生めよ、ふえよ、地を満たせ、地を従えよ、支配せよと言われた。そして、第七日に安息された。
本文で見たように、創世記1章6-13節の天地創造(再創造)以前に天と地(陸)が既にあり(創1:2)、その後に、新しく創造された天地と太陽・月・星と人がある。この太陽・月・星と人は、水の中にある大空にある。それゆえ、創世記1章の中には、重大な秘密が入っていると思われる。それで、詩篇78篇には、神様が昔からのなぞをたとえ話を語り、後の時代に語り告げようと言われ、この事を行われた方が、マタイの福音書13章のイエス様であられた。このように、創造の秘密があることを知らせてくださった。
神様が立てられた世界が神様との秘密、または、契約を守れず、腐敗する度に、神様は、牧者を変えられて、新しい時代を開かれた。アダムの時、ノアの時、モーセの時、イエス様の初臨の時など、時代ごとに犯罪の原因は蛇、すなわち、サタンであり、アダム以後の人は、誰もが皆犯罪者アダムの遺伝子で生まれた罪人であり、この罪人はサタンが共にいて、主管してきた。このような人に神様は、イエス様を通して神様の種と神様の聖霊で再び生まれなさいと言われた。これがエレミヤ書31章に約束された新しい契約であり、ルカの福音書22章20節の新しい契約である。
人は、誰でも再び生まれる前には罪人であり、サタンの所属である。神様の再創造、すなわち、啓示録21章の創造は、再び生まれることであり、万物までも蘇醒しなければならない。また、天で成し遂げられたように、この地でも新しい契約(新約)のように、神様の新しい国12支派が印を押されて創造されなければならない。この時は、啓示録21章と6章のように、以前の天と以前の地、すなわち、創世記の第一日の地と天のようなものがなくなって、新しい天と新しい地が創造されなければならない。これはノアの時、アダムの世界が終わるように、モーセの時、ノアの世界が終わるように、イエス様の初臨の時、肉的イスラエルが終わるように、主の再臨の啓示録の時、霊的イスラエルが終わるのが、啓示録6章と13章と21章の御言葉である。だから、伝統に固執する者は、神様の新しい契約も、聖書も、神様の御心もわからない者である。
マタイの福音書23章は、イエス様の初臨の当時の事件であり、マタイの福音書24章は、イエス様の再臨の時に起こる事件であり、啓示録もそうである。記録された新しい契約の御言葉で見たように、イエス様の初臨以後、2千年間は、成し遂げられる新約、すなわち、天国の福音が全ての民族にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられる期間であり、全て宣べ伝えられるならば、約束した新約の事件が成し遂げられる。これは、イエス様の初臨の時、旧約が成し遂げられた(ヨハ19:30)ように、成し遂げられるのであり、信仰人たちも、万物たちも、この時を待ち望んできたのである。この約束が成し遂げられるこの時、信仰人が世に属して、世の綱を握って、世の人生と希望を望むならば、これがどうして神様の約束を信じる信仰人だろうか。待ち望んだ希望の時が来たならば、この一つの体、全て捧げて忠誠し、希望に入らなければならないのではないのか。世に希望を置くのか、天国と永遠のいのちに希望を置くのか、判断しなければならないだろう。
この時は、もう一度、来るのではない。神様が成し遂げようとした新しい契約の御言葉は、背教と滅亡の事件の後、収穫して、印を押されて、神様の新しい国12支派を創造されることであり、竜を捕えて閉じ込められて、神様が統治されて、万物を新しくする働きである。これが新約であり、救いであり、新しい創造である。一方、伝統の信仰人は、背教して、啓示録13章と18章のように、滅亡者、サタンの牧者によって滅亡されるようになり、サタンも捕えられるようになる事件である。収穫も、背教と滅亡の後にあるようになるので、収穫されて行かない者は、神様の種で生まれたかった所以である。この事件は、神様の種で生まれた者の救いであり、悪魔の種で生まれた者の滅亡であり、終末である。
私たち信仰人は、新約の約束の意味を悟って、自分を見なければならない。自分自身が伝統の背教者の所属なのか、滅亡者の所属なのか、そうでなければ、神様の種で生まれた救われた所属なのか、確認してみなければならない。神学校であれ、教会であれ、牧者であれ、教徒であれ、御言葉がないということ(者)は、神様がいないということ(人)である。誰でも、その話す言葉にキリストの霊がいなければ、キリスト人ではなく、神様の霊がいなければ、新しく生まれた神様の人ではない(ロマ8:9)。
韓基総の群れは、第一、御言葉がない。一般の社会人よりももっと愚かではないのか。まことの信仰人は、神様と共に歩む者であり、御言葉がある者である。約束通り成し遂げられる神様の家族は、誰でも御言葉で再び生まれた者なので、御言葉がある。御言葉があるので、神様が共におられる。
啓示録の時、創造されるものは、新しい天と新しい地であり、この新しい天と新しい地の家族は、神様の御言葉の種と聖霊で再び生まれた者たちである。そして、啓示録の時、なくなるものは、伝統の教会(以前の天、以前の地)の背教者たちとサタンの牧者と、その所属者たちである。以前の伝統教会がなくなる理由は、神様の契約を捨てたからであり、新しい契約を守れなかったからである。新しい天、新しい地の聖徒は、新しい契約を守った。これは啓示録が証明している。アーメン。
本文:創1章、啓21章(エレ31:31-34)
創造と再創造と契約と新しい契約は、どんなものなのか。
天地は、神様と御言葉が創造されて、御言葉によって創造されなかったものはない(ヨハ1:1-4)。それゆえ、神様と御言葉は、すなわち、創造主であられる。
神様が創世記1章に、「初めに、神が天と地を創造した。」と言われた。約束された天地創造は、第二日と第三日にされて、これは、天地再創造である。第一日に見たように、混沌として、空虚な地があり、やみは天にあり、水の上があり、光はなかった。だから、光を探されて、光とやみを区別されることで、夜と昼があるようになった。第二日に水の中に大空、すなわち、天を造られて、大空の上の水と大空の下の水に分けられ、第三日に天の下の水を一所に集めることで、陸が現れた。すなわち、地であった。これが天と地を創造(再創造)されたことである。第四日に水の中にある大空、すなわち、天に太陽、月、星を造って、昼夜を主管させられ、第五日に魚と空中の鳥を造られた。六日目に家畜や獣を創造されて、また人を男と女に造られて、彼らに生めよ、ふえよ、地を満たせ、地を従えよ、支配せよと言われた。そして、第七日に安息された。
本文で見たように、創世記1章6-13節の天地創造(再創造)以前に天と地(陸)が既にあり(創1:2)、その後に、新しく創造された天地と太陽・月・星と人がある。この太陽・月・星と人は、水の中にある大空にある。それゆえ、創世記1章の中には、重大な秘密が入っていると思われる。それで、詩篇78篇には、神様が昔からのなぞをたとえ話を語り、後の時代に語り告げようと言われ、この事を行われた方が、マタイの福音書13章のイエス様であられた。このように、創造の秘密があることを知らせてくださった。
神様が立てられた世界が神様との秘密、または、契約を守れず、腐敗する度に、神様は、牧者を変えられて、新しい時代を開かれた。アダムの時、ノアの時、モーセの時、イエス様の初臨の時など、時代ごとに犯罪の原因は蛇、すなわち、サタンであり、アダム以後の人は、誰もが皆犯罪者アダムの遺伝子で生まれた罪人であり、この罪人はサタンが共にいて、主管してきた。このような人に神様は、イエス様を通して神様の種と神様の聖霊で再び生まれなさいと言われた。これがエレミヤ書31章に約束された新しい契約であり、ルカの福音書22章20節の新しい契約である。
人は、誰でも再び生まれる前には罪人であり、サタンの所属である。神様の再創造、すなわち、啓示録21章の創造は、再び生まれることであり、万物までも蘇醒しなければならない。また、天で成し遂げられたように、この地でも新しい契約(新約)のように、神様の新しい国12支派が印を押されて創造されなければならない。この時は、啓示録21章と6章のように、以前の天と以前の地、すなわち、創世記の第一日の地と天のようなものがなくなって、新しい天と新しい地が創造されなければならない。これはノアの時、アダムの世界が終わるように、モーセの時、ノアの世界が終わるように、イエス様の初臨の時、肉的イスラエルが終わるように、主の再臨の啓示録の時、霊的イスラエルが終わるのが、啓示録6章と13章と21章の御言葉である。だから、伝統に固執する者は、神様の新しい契約も、聖書も、神様の御心もわからない者である。
マタイの福音書23章は、イエス様の初臨の当時の事件であり、マタイの福音書24章は、イエス様の再臨の時に起こる事件であり、啓示録もそうである。記録された新しい契約の御言葉で見たように、イエス様の初臨以後、2千年間は、成し遂げられる新約、すなわち、天国の福音が全ての民族にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられる期間であり、全て宣べ伝えられるならば、約束した新約の事件が成し遂げられる。これは、イエス様の初臨の時、旧約が成し遂げられた(ヨハ19:30)ように、成し遂げられるのであり、信仰人たちも、万物たちも、この時を待ち望んできたのである。この約束が成し遂げられるこの時、信仰人が世に属して、世の綱を握って、世の人生と希望を望むならば、これがどうして神様の約束を信じる信仰人だろうか。待ち望んだ希望の時が来たならば、この一つの体、全て捧げて忠誠し、希望に入らなければならないのではないのか。世に希望を置くのか、天国と永遠のいのちに希望を置くのか、判断しなければならないだろう。
この時は、もう一度、来るのではない。神様が成し遂げようとした新しい契約の御言葉は、背教と滅亡の事件の後、収穫して、印を押されて、神様の新しい国12支派を創造されることであり、竜を捕えて閉じ込められて、神様が統治されて、万物を新しくする働きである。これが新約であり、救いであり、新しい創造である。一方、伝統の信仰人は、背教して、啓示録13章と18章のように、滅亡者、サタンの牧者によって滅亡されるようになり、サタンも捕えられるようになる事件である。収穫も、背教と滅亡の後にあるようになるので、収穫されて行かない者は、神様の種で生まれたかった所以である。この事件は、神様の種で生まれた者の救いであり、悪魔の種で生まれた者の滅亡であり、終末である。
私たち信仰人は、新約の約束の意味を悟って、自分を見なければならない。自分自身が伝統の背教者の所属なのか、滅亡者の所属なのか、そうでなければ、神様の種で生まれた救われた所属なのか、確認してみなければならない。神学校であれ、教会であれ、牧者であれ、教徒であれ、御言葉がないということ(者)は、神様がいないということ(人)である。誰でも、その話す言葉にキリストの霊がいなければ、キリスト人ではなく、神様の霊がいなければ、新しく生まれた神様の人ではない(ロマ8:9)。
韓基総の群れは、第一、御言葉がない。一般の社会人よりももっと愚かではないのか。まことの信仰人は、神様と共に歩む者であり、御言葉がある者である。約束通り成し遂げられる神様の家族は、誰でも御言葉で再び生まれた者なので、御言葉がある。御言葉があるので、神様が共におられる。
啓示録の時、創造されるものは、新しい天と新しい地であり、この新しい天と新しい地の家族は、神様の御言葉の種と聖霊で再び生まれた者たちである。そして、啓示録の時、なくなるものは、伝統の教会(以前の天、以前の地)の背教者たちとサタンの牧者と、その所属者たちである。以前の伝統教会がなくなる理由は、神様の契約を捨てたからであり、新しい契約を守れなかったからである。新しい天、新しい地の聖徒は、新しい契約を守った。これは啓示録が証明している。アーメン。
2015년 11월 3일 화요일
神様と悪魔の最後の戦争、啓示録
神様と悪魔の最後の戦争、啓示録
本文:啓1-22章
啓示録1章1節-8節までは、啓示録の全章を要約した結論であり、啓示録1章9節からヨハネが見て聞いた啓示録の事件が始まる。だが、啓示録1,2,3章の事件は、ヨハネが見る以前からあった事件であった。
啓示録1,2章の七つの星(使者)の出現は秘密だと言ったので(啓1:20)、あえて問いただすことはできない。だが、この七つの星がイエス様の手にあることを見ると、イエス様が立てて働かれたことは事実である。イエス様は、ヨハネを選んで、七つの星と七つの金の燭台の幕屋についての秘密を知らされた後、七つの星に悔い改めよという手紙を送るよう言われ、ヨハネは、指示された通り手紙を送った。
手紙の内容と出現人物たちを見てみよう。
ヨハネがまず見たことは、イエス様であり、次が七つの星であり、その次がサタン・ニコライ派であった。そして、教会(七つの金の燭台の幕屋)の聖徒たちであった。
送った手紙の内容は、悔い改めよということと、サタン・ニコライ派と戦って勝利せよということと、戦って勝利すれば啓示録2,3章に約束したものを与えるという御言葉であった。啓示録2,3章の状況を見る時、イエス様が立てられた七つの星の幕屋にサタン・ニコライ派が侵入して、七つの星(七人の使者)に偶像の供え物とサタンの教訓で不品行を行わせることがあるが、七つの星がこれを受け入れていることを見て、ヨハネにさせて、事実を知らせる手紙であった。
問題は、七つの星がサタン・ニコライ派と戦って勝利することである。このニコライ派は誰であり、何によって戦って、どのように勝利しなければならないのか。これを見て聞いて記録してから約2千年になった。(この文章を書いている今は、2015年10月12日である。)
イエス様の指示通り七つの教会の七人の使者に悔い改めよという手紙を送ったヨハネは、天の召しを受けて、天(霊界)に上って行き、次の事を見るようになった(啓4-5章)。天の神様の御座の形を見て、神様の右の手にある七つの封印で封じられた本を見た。だが、この本の七つの封印を解く者も、開く者も、見る者もいないと言う。しかし、イエス様が勝利することによって、この七つの封印を解かれるのであると言い、その本をイエス様が受け取られた。そして、イエス様の血で私たちを贖って、神様の国と祭司長にされると言った。
この本の七つの封印は、啓示録6章から解かれる。
本の封印を一つずつ解かれる度に、四つの生き物が出現する。そして、馬とそれに乗っている者が、弓と剣と量りと地の獣によって背教した幕屋の選民から平和を取り除き、選民の1/4を殺す(第一-第四の封印)。そして、殉教した霊たちが血の訴えをする(第五の封印)。第六の封印を解かれる時は、太陽・月・星が暗くなって落ちて、天と地がなくなる。これはイエス様が封印を解かれながら太陽・月・星がに対する審判をされたのである。審判をする理由は、啓示録2,3章の事件のためである。
この後、啓示録7章では、四つの生き物の審判を中止させ、神様の印で十二支派144000人に印を押す働きが始まる。そして、印を押す働きが終わった後、あらゆる国民、部族、民族、国語から大勢の白い群れが出て来る。彼らは、イエス様の血でその衣を洗って白くした(罪を赦された)者たちである。
最後の第七の封印は、啓示録8章で解かれる。この時は、七人の御使いが七つのラッパを受け取って吹くようになる。ラッパの音が吹き鳴らされる度に、啓示録6章で追い出された者たちが1/3ずつ死ぬようになる。
啓示録9章では、底知れぬ穴から出て来るいなごのような敵に苦しめられ、死を求めても死が逃げて行く。これは、罪の罰である。ユーフラテス川につながれていた四人の御使いを解き放すと、騎兵の軍勢の数は二万万であり、彼らが人の1/3を殺す。この馬たちの頭は尾にあり、その口からは火と煙と硫黄が出て、人々を殺すが、幕屋の聖徒たちは、このような災害にも悔い改めない。これが啓示録で現れた事件である。
イエス様が受け取られた本の封印は、啓示録6章で全て解かれたので、封じられた本はサッと開かれた。この本をイエス様が御使いを使って啓示録10章のヨハネに持って行って与える。ヨハネは、この開かれた本を受けて食べて民族と国民と国語と王に伝える。啓示録9章では、第六のラッパまで吹かれたので、最後の一つのラッパが残っている。イエス様は、最後の第七のラッパの音を秘密だと知らせてくださる(啓10:7)。
啓示録11章には、主に仕える二人の証人が底知れぬ穴から出て来た獣に犠牲になり、三日半後にいのちの息を受けて再び生き返るようになり、この時から最後の第七のラッパを吹くようになる。この時は、世の国が神様の国になる勝利の時になる。救いは、この第七のラッパの時からである。これは秘密の救いのラッパの音である。
啓示録13章では、海から竜の群れが出て来て、天の幕屋の人々と戦って勝利して、聖徒たちの手と額に獣の刻印を押す。そして、刻印を押された聖徒たちは、獣に拝む、これが背教である。
しかし、啓示録12章では、天の幕屋に入って来た竜の七つの頭と十本の角を持った獣と戦って、子どもとその兄弟たちが勝利することによって、竜が追い出されて、この時から神様の国と救いがあるようになる。この勝利者たちは、啓示録2,3章に約束した祝福を受けるようになり、啓示録15章で、審判の権威を受けて(神様の怒りの鉢になって)16章で、背教者たちと滅亡者たちを審判するようになる。この審判の時に竜と獣と偽りの預言者たちが天下の王たちに行って、神様の兵士と戦おうと兵士たちを集める。だが、最後の第七の鉢によってバビロンは、三つに裂ける。
啓示録17章では、サタンの淫婦の正体と獣の秘密を明らかにする。17章の淫婦は、悪魔の花嫁であり、竜の七つの頭と十本の角を持った獣は、淫婦が悪魔の種を受けて生んだ子どもたち(牧者)であり、彼らが食べさせた不品行のぶどう酒は悪魔の教理であり、これは、アダム・エバに食べさせた善悪の実である。ところが、十本の角を持った獣は、八番目の王で七つの頭とは異なる者であり、一時、七つの頭に属したことのある者で、彼らは、ダニエル書7章と2章の鉄と粘土の関係である。八番目の獣は、十本の角と共に淫婦を審判して、淫婦の国バビロンを奪って、自分の所有にした。
バビロンは、旧約時代にエルサレム(神様の国)を侵略した国であり、悪霊の国である。このバビロンが啓示録18章で見たように、不品行のぶどう酒で万国を倒し、倒れた万国の民たちを竜の神と結婚させた。彼らが商売する商品は、彼らが喜ぶ注釈の教理である。これが彼らの教法であり、この教法を勢力にして、自分たちに所属しない者たちをみんな異端だと処理したのであった。この事が、6千年間続いてきた。だが、今や、終わるのである。
神様は、啓示録18章で、バビロンの悪霊の国を審判された後、啓示録19章では、16,17,18章で、捕えた牛と獣をほふって(マタ22:4参考)、小羊の婚姻の宴を開かれる。この時、鳥、すなわち、殉教した霊たちも客として来て、伝道された者たちも集まって来て、捕えておいた獣で満腹となり、満足する。
啓示録の事件は、結局、神様の勝利で終わった。アーメン。
啓示録20章では、竜を捕えて底知れぬ穴に閉じ込めて、千年時代が始まる。啓示録21章は、アダムの世界以後、6千年間、そして、イエス様の初臨以後、2千年間、走ってきた信仰の終点である。啓示録の終点に来て見ると、霊的イスラエルの終末が待っていて、到来する世界は伝統霊的イスラエルではなく、新しい時代の新しい牧者、新しい民が創造される世界である。天地創造(創1章)が終わって、天地再創造になったのである。これもまず、天で成し遂げられたように、今日、この地でも成し遂げられたのである。もう一度言えば、6千年間の罪悪の世界が終わって、再創造世界があるようになったのであり、以前の天と以前の地が終わって、新しい天と新しい地が創造されたのである。
以後、多くの人が永遠の福音を受けて、いのちの木がある聖なる都に入ろうと努力するだろう。これは啓示録22章の御言葉と同じである。犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、都の外にいる。誰でも求める者は価なくいのちの水を受けるようになる。アーメン。
<参考聖句>
・啓示録のイエス様の血
啓1:5-6、啓5:9-10、啓7:14、啓12:11
・啓示録で獣、竜に刻印を受けて拝む者
啓13章(啓14:9-10)
※啓20:4 刻印を受けも、拝みもしなかった者
・啓示録の二種類の食物
神様が下さる食物―啓2:7、啓2:17
悪魔が与える食物―啓2:14、啓17:2、啓18:3、12-13、14、啓8章の苦星
・啓19章の牛と獣
・啓22章のいのちの木の実
本文:啓1-22章
啓示録1章1節-8節までは、啓示録の全章を要約した結論であり、啓示録1章9節からヨハネが見て聞いた啓示録の事件が始まる。だが、啓示録1,2,3章の事件は、ヨハネが見る以前からあった事件であった。
啓示録1,2章の七つの星(使者)の出現は秘密だと言ったので(啓1:20)、あえて問いただすことはできない。だが、この七つの星がイエス様の手にあることを見ると、イエス様が立てて働かれたことは事実である。イエス様は、ヨハネを選んで、七つの星と七つの金の燭台の幕屋についての秘密を知らされた後、七つの星に悔い改めよという手紙を送るよう言われ、ヨハネは、指示された通り手紙を送った。
手紙の内容と出現人物たちを見てみよう。
ヨハネがまず見たことは、イエス様であり、次が七つの星であり、その次がサタン・ニコライ派であった。そして、教会(七つの金の燭台の幕屋)の聖徒たちであった。
送った手紙の内容は、悔い改めよということと、サタン・ニコライ派と戦って勝利せよということと、戦って勝利すれば啓示録2,3章に約束したものを与えるという御言葉であった。啓示録2,3章の状況を見る時、イエス様が立てられた七つの星の幕屋にサタン・ニコライ派が侵入して、七つの星(七人の使者)に偶像の供え物とサタンの教訓で不品行を行わせることがあるが、七つの星がこれを受け入れていることを見て、ヨハネにさせて、事実を知らせる手紙であった。
問題は、七つの星がサタン・ニコライ派と戦って勝利することである。このニコライ派は誰であり、何によって戦って、どのように勝利しなければならないのか。これを見て聞いて記録してから約2千年になった。(この文章を書いている今は、2015年10月12日である。)
イエス様の指示通り七つの教会の七人の使者に悔い改めよという手紙を送ったヨハネは、天の召しを受けて、天(霊界)に上って行き、次の事を見るようになった(啓4-5章)。天の神様の御座の形を見て、神様の右の手にある七つの封印で封じられた本を見た。だが、この本の七つの封印を解く者も、開く者も、見る者もいないと言う。しかし、イエス様が勝利することによって、この七つの封印を解かれるのであると言い、その本をイエス様が受け取られた。そして、イエス様の血で私たちを贖って、神様の国と祭司長にされると言った。
この本の七つの封印は、啓示録6章から解かれる。
本の封印を一つずつ解かれる度に、四つの生き物が出現する。そして、馬とそれに乗っている者が、弓と剣と量りと地の獣によって背教した幕屋の選民から平和を取り除き、選民の1/4を殺す(第一-第四の封印)。そして、殉教した霊たちが血の訴えをする(第五の封印)。第六の封印を解かれる時は、太陽・月・星が暗くなって落ちて、天と地がなくなる。これはイエス様が封印を解かれながら太陽・月・星がに対する審判をされたのである。審判をする理由は、啓示録2,3章の事件のためである。
この後、啓示録7章では、四つの生き物の審判を中止させ、神様の印で十二支派144000人に印を押す働きが始まる。そして、印を押す働きが終わった後、あらゆる国民、部族、民族、国語から大勢の白い群れが出て来る。彼らは、イエス様の血でその衣を洗って白くした(罪を赦された)者たちである。
最後の第七の封印は、啓示録8章で解かれる。この時は、七人の御使いが七つのラッパを受け取って吹くようになる。ラッパの音が吹き鳴らされる度に、啓示録6章で追い出された者たちが1/3ずつ死ぬようになる。
啓示録9章では、底知れぬ穴から出て来るいなごのような敵に苦しめられ、死を求めても死が逃げて行く。これは、罪の罰である。ユーフラテス川につながれていた四人の御使いを解き放すと、騎兵の軍勢の数は二万万であり、彼らが人の1/3を殺す。この馬たちの頭は尾にあり、その口からは火と煙と硫黄が出て、人々を殺すが、幕屋の聖徒たちは、このような災害にも悔い改めない。これが啓示録で現れた事件である。
イエス様が受け取られた本の封印は、啓示録6章で全て解かれたので、封じられた本はサッと開かれた。この本をイエス様が御使いを使って啓示録10章のヨハネに持って行って与える。ヨハネは、この開かれた本を受けて食べて民族と国民と国語と王に伝える。啓示録9章では、第六のラッパまで吹かれたので、最後の一つのラッパが残っている。イエス様は、最後の第七のラッパの音を秘密だと知らせてくださる(啓10:7)。
啓示録11章には、主に仕える二人の証人が底知れぬ穴から出て来た獣に犠牲になり、三日半後にいのちの息を受けて再び生き返るようになり、この時から最後の第七のラッパを吹くようになる。この時は、世の国が神様の国になる勝利の時になる。救いは、この第七のラッパの時からである。これは秘密の救いのラッパの音である。
啓示録13章では、海から竜の群れが出て来て、天の幕屋の人々と戦って勝利して、聖徒たちの手と額に獣の刻印を押す。そして、刻印を押された聖徒たちは、獣に拝む、これが背教である。
しかし、啓示録12章では、天の幕屋に入って来た竜の七つの頭と十本の角を持った獣と戦って、子どもとその兄弟たちが勝利することによって、竜が追い出されて、この時から神様の国と救いがあるようになる。この勝利者たちは、啓示録2,3章に約束した祝福を受けるようになり、啓示録15章で、審判の権威を受けて(神様の怒りの鉢になって)16章で、背教者たちと滅亡者たちを審判するようになる。この審判の時に竜と獣と偽りの預言者たちが天下の王たちに行って、神様の兵士と戦おうと兵士たちを集める。だが、最後の第七の鉢によってバビロンは、三つに裂ける。
啓示録17章では、サタンの淫婦の正体と獣の秘密を明らかにする。17章の淫婦は、悪魔の花嫁であり、竜の七つの頭と十本の角を持った獣は、淫婦が悪魔の種を受けて生んだ子どもたち(牧者)であり、彼らが食べさせた不品行のぶどう酒は悪魔の教理であり、これは、アダム・エバに食べさせた善悪の実である。ところが、十本の角を持った獣は、八番目の王で七つの頭とは異なる者であり、一時、七つの頭に属したことのある者で、彼らは、ダニエル書7章と2章の鉄と粘土の関係である。八番目の獣は、十本の角と共に淫婦を審判して、淫婦の国バビロンを奪って、自分の所有にした。
バビロンは、旧約時代にエルサレム(神様の国)を侵略した国であり、悪霊の国である。このバビロンが啓示録18章で見たように、不品行のぶどう酒で万国を倒し、倒れた万国の民たちを竜の神と結婚させた。彼らが商売する商品は、彼らが喜ぶ注釈の教理である。これが彼らの教法であり、この教法を勢力にして、自分たちに所属しない者たちをみんな異端だと処理したのであった。この事が、6千年間続いてきた。だが、今や、終わるのである。
神様は、啓示録18章で、バビロンの悪霊の国を審判された後、啓示録19章では、16,17,18章で、捕えた牛と獣をほふって(マタ22:4参考)、小羊の婚姻の宴を開かれる。この時、鳥、すなわち、殉教した霊たちも客として来て、伝道された者たちも集まって来て、捕えておいた獣で満腹となり、満足する。
啓示録の事件は、結局、神様の勝利で終わった。アーメン。
啓示録20章では、竜を捕えて底知れぬ穴に閉じ込めて、千年時代が始まる。啓示録21章は、アダムの世界以後、6千年間、そして、イエス様の初臨以後、2千年間、走ってきた信仰の終点である。啓示録の終点に来て見ると、霊的イスラエルの終末が待っていて、到来する世界は伝統霊的イスラエルではなく、新しい時代の新しい牧者、新しい民が創造される世界である。天地創造(創1章)が終わって、天地再創造になったのである。これもまず、天で成し遂げられたように、今日、この地でも成し遂げられたのである。もう一度言えば、6千年間の罪悪の世界が終わって、再創造世界があるようになったのであり、以前の天と以前の地が終わって、新しい天と新しい地が創造されたのである。
以後、多くの人が永遠の福音を受けて、いのちの木がある聖なる都に入ろうと努力するだろう。これは啓示録22章の御言葉と同じである。犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、都の外にいる。誰でも求める者は価なくいのちの水を受けるようになる。アーメン。
<参考聖句>
・啓示録のイエス様の血
啓1:5-6、啓5:9-10、啓7:14、啓12:11
・啓示録で獣、竜に刻印を受けて拝む者
啓13章(啓14:9-10)
※啓20:4 刻印を受けも、拝みもしなかった者
・啓示録の二種類の食物
神様が下さる食物―啓2:7、啓2:17
悪魔が与える食物―啓2:14、啓17:2、啓18:3、12-13、14、啓8章の苦星
・啓19章の牛と獣
・啓22章のいのちの木の実
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