2015년 11월 5일 목요일

第一の復活と千年王国

第一の復活と千年王国



本文:啓20章(ヨハ5章)



 本文が言う第一の復活者は誰であり、千年王国はどんなところなのか。



この第一の復活者は、啓示録7章で神様の印を押された144,000人と(啓7:4-8)、啓示録6章で見た殉教者たちであり(啓6:9-11)、千年王国は、殉教者たちと印を押された者たちがいのちの復活に出て、共に生きる千年城である。天で成し遂げた聖なる都、新しいエルサレムがあり、この地で天のものを見てそのように創造した新しいエルサレムの都があり、千年城は、天の新しいエルサレムの都がこの地の新しいエルサレムの都に下って来て、一つになった千年王国である。もう一度言えば、霊界と肉界が一つになって生きる聖なる都である。これを啓示録21章では、以前の天と以前の地がなくなって、新しい天と新しい地があるようになり、この新しい天と新しい地に天の聖なる都、新しいエルサレムが下って来て、共にいるので、死も苦しみも悲しみもなくなると言われた。

 なぜ、新しい天、新しい地、新しいエルサレムと言われたのか。今日を指して、ノアの時、ロトの時のようだと言われたように、昔のものは終わってなくなって、この啓示録の時、再び創造されたからである。

 

 第一の復活者について調べてみよう。

 神様から生気(いのちの息)を受けて、生霊(生きもの)になったアダムが蛇の善悪の実を食べることによって生霊が死んで、肉体も死んで、土に戻った(創3:19)。

 旧約のエゼキエル書37章では、死んだイスラエルの民たちが神様の生気を受けて墓から出て来て、神様の神(霊)を受けて生きるようになったと記録されている。この預言が成就されたのは、イエス様の初臨の時であり、マタイの福音書23章とヨハネの福音書5章によく説明されている。マタイの福音書23章に、エルサレムの牧者は蛇であり、エルサレムの聖殿は、白く塗られた墓であり、その中には、死んだ者の骨が満ちていた。イエス様は、この墓に行って語られた。すなわち、ヨハネの福音書5章の御言葉である。イエス様は、エルサレムにいる者たちを死んだ者たちだと言われ、エルサレムを墓だと言われ、彼らに「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、死(エルサレム)からいのち(神様)に移っているのです。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は、いのちの復活に出て来ます(よみがえっていのちを受けるのです)。」と言われた。この御言葉は、旧約のエゼキエル書37章の預言を成し遂げた御言葉であった。しかし、これは肉の死ではなく、霊の死であり、肉の復活ではなく、霊の復活であった。霊が倒れるならば、肉も倒れて、結局、肉が死ぬのである。そして、神様が下さる生気は、生かすものであり、悪魔が与える善悪の実は、殺すものである。



 啓示録が言う死と復活は、どんなものなのか。

 啓示録で見たように、サタンの牧者に刻印を押されて拝んだ者たちが不品行を行って(啓2章)、サタンと結婚までした(啓18章)。このように、サタンが与える善悪の実、すなわち、サタンの食物を食べることで、幕屋の聖徒たちが啓示録8章と9章と12章で見たように、1/3、1/3、1/3ずつみんな死んだ。彼らの死も霊の死であり、結局は、肉も死ぬようになる。



 しかし、啓示録20章4-6節に、第一の復活者たちは、竜の牧者に額と右の手に刻印を押されなかった者たちだと言ったので、彼らは、13章と18章のように、サタンに刻印を押されて、彼らと結婚した者たちではない。

 では、誰ということなのか。新約の啓示録の預言が始まる時、まずは、選民が背教する事件があり(Ⅱテサ2:1-4)、この背教者たちが啓示録18章のように滅亡者に滅亡されるようになる。この後、マタイの福音書24章29-31節のように、主が御使いたちと共に来られて、東西南北、四方から収穫するようになる。この時、町から一人、氏族から二人ずつ連れて行って(エレ3:14参考)、印を押して、祭司長にした。これを旧約では、収穫して行った後、捨てられた落穂を拾うようで、実をみんな取って行った後、枝の上に一つ二つ残った少ない種を集めるようだと言った。世の終わりの事件も、全て滅亡された後、収穫して、印を押すことがあるようになる。旧・新約の預言がこのように成就されたのである。また、太陽・月・星のような選民、霊的イスラエルが天から落ちたので、聖霊で始まったのに肉に戻ったのである。これを啓示録21章では、以前の天と地がなくなったと表現した。これは伝統の霊的イスラエルの終末を言ったのである。

 だから、竜の獣(偽りの牧者)に額と手に刻印を受けず、拝みもしなかった者たちと、殉教者たちが共に第一の復活にあずかるようになると言われた(啓20:4-6)。



 人は、誰でもみんなアダムの遺伝子で生まれた罪人たちである。だから、死んだ者に違いがない。だが、主が再び来られる時、彼らは断ち切られた命綱が再びつながることで復活するようになったのである。従って、この人々は、啓示録7章と14章の収穫されて印を押された祭司長たちであり、これを信じない者は、収穫されず、畑に残った者たちであり、収穫されない理由は、神様の種で生まれなかったからである。マタイの福音書13章に、神様の種と悪魔の種が一つの畑に蒔かれて、収穫の時、神様の種で生まれた者だけ連れて行ったので、残ったものは、毒麦、すなわち、悪魔の種で生まれた者たちである。この悪魔の種で生まれた者たちが、収穫されて行った神様の種、すなわち、天国の子どもたちを苦しめて迫害している。これは当然ではないのか。同じ国、同じ神、同じ種ではないから。同じ畑から、ある者は天国に収穫されて行くが、自分は収穫されないので、神様の種ではなく、悪魔の種で生まれたということが明らかになる。だから迫害を日常にするのであり、このような行為をすることは、悪魔の本性が迫害と妨害をすることだからである。

 これを見ても悟れないということは、盲人であり、耳しいだからである。一つの世が終わり、新しい世、すなわち、神様が統治される天国の世界が始まる。これが千年王国である。



 神様とイエス様は、啓示録を通して前もって約束されて、今日、時になって成し遂げられて、代言の使者を諸教会に遣わして、その成し遂げられたことをあかしさせられた(啓22:16)。旧約の預言を成し遂げられたことを(ヨハ19:30)イエス様があかしされたように、新約の預言をイエス様が成し遂げられて、ご自分の使者を諸教会に遣わしてあかしさせられた。これを信じる者は、天国と永遠のいのちを得るようになる。ヨハネの福音書3章31-34節を見よ。これは、新しい天地、千年王国の第一の復活である。



 ここで参考として預言とその成就について話す。

 その昔、南師古が見た預言、韓国の天道教が見た預言、インドのタゴールが見た預言(詩)1)は、啓示録と類似した内容である。



 2000年前、イエス様の弟子、使徒ヨハネを通しての神様の約束、啓示録が韓国で成し遂げられたので、時は良い天国時代の到来である。

 

 その昔、アブラハムと約束された預言をモーセの時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、旧約の預言者たちの預言を初臨のイエス様の時、成し遂げられたことを信じる者であるならば、使徒ヨハネが記録した新約の啓示録の預言を信じる者であるならば、今日、啓示録が成就されたことを信じなければならない。

 信じない者は、旧約時代や初臨の時、信じないで迫害した者と同じだと言えるだろう。これを信じない者に、何を信じるのかと聞くならば、口があっても言葉がないのである(有口無言)。



 今日、私たちに約束されたことは、啓示録の預言と成就である。私は、多くの先知者たちと預言者たちに知らせた預言よりも、これを伝える預言者たちよりも、今日、新約の預言が成就されたことを見た者として、これを伝えよという主の代言の使者として遣わされたので、これは聖書の歴史上、歴代のどんな使者たちよりももっと大きな使命者として遣わされたのである。その理由は、今の働きが私たちの神様の最後の働きだからである。



 私が、神様について知っているのは、百分の一に過ぎないと考える。だが、聖書の意味が全てわかるようにしてくださったのは、神様が神様の仕事をさせてくださることなので、時には、幻の世界、すなわち、天国のことを見せてくださるのも、そのためである。



 人を神様に比べることができないのは、人が罪を犯し、罪のしもべ(悪魔のしもべ)になったことで、神様と敵対する心を持っているからである。だから、主の使者を遣わしても受け入れず敵対したのである。これを知っている主の使者は、どれほど嘆くだろう。でも、悟るようにしてのみ働きができる。



1)東方のともしび

早くからアジアの黄金時代に / 輝いていたともしびの一つであるコリア

そのともしび、再び輝く日に / あなたは東方の明るい光となるだろう

心に恐れのない / 頭を高くあげている所

知識は自由で(自由な知識がある) / 狭い塀によって世界が粉々に分かれていない所

真実の深い中から御言葉が湧き出る所 / 絶えない努力が完成に向かって手を広げる所

知性の澄んだ流れが / 固くなった習慣の砂の野原で道に迷わない所

無限に広がる考えと行動で / 私たちの心が導かれる所

そのような自由の天国へ / 私の心の祖国コリアよ、目をさませ。

댓글 없음:

댓글 쓰기