2015년 9월 17일 목요일

遠い天国の道、天国はどこにあるのか

遠い天国の道、天国はどこにあるのか


 遠い天国の道、天国はどこにあるのか

 数多くの宗教人たちが天国を探している。どこにあるのか、方向もわからないのに、目の見えない盲人なのに、見えもしないのに熱心に進んでいる。

 モーセは、天の御国を見て、この地にそれと同じように模型を造りもし(出25章)、イエス様は、御心が天で成し遂げられたように、この地にもそのように成し遂げられると言われた。
 まことの牧者は、天国を見て(ヨハ3:31-34)教えなければならない。

 盲人になった牧者に従って行くならば、二人とも穴に落ちると言われた(マタ15:14)。信じるか。
 初臨の時、マタイの福音書15:14の盲人になった牧者たちと、マタイの福音書23:16-26の目の見えぬ偽善者たちがいたように、啓示録3:17-18に、主が再び来られる時、牧者も聖徒たちも盲人だと言われた。あなたは盲人ではないのか。

 まことの主に出会って、火で精錬された金と白い衣と目薬を価なしに買い、目薬を塗って見えるようにしよう(啓3:18)。
 これを紹介する。

 見えない天国を探す宗教人たちに勧める。
 天国は、私たちが探して行くのではなく、神様と天国とイエス様と御使いたちが私たちに来られるのである。どこに来られるのか。啓示録3:12に来られる。ここで、神様にも、天国にも出会うことができる。

 筆者は、ここを知らせようと思う。
 ここでイエス様から上の三つ、すなわち金と白い衣と目薬を買って、目薬を塗って、見て、正しい行い(白い衣)で真理(金)を話す者になろう。
 モーセの律法は、道の初歩であり、イエス様の比喩は、昔からのなぞを表した天国の秘密であり、再臨の今日は、天国の秘密である比喩ではなく、その実体を知らせる時である(ヨハ16:25)。
 私たちが歩んで来た信仰の道、私が持っている真珠は、どんなものなのか。点検しよう。さらに良い真珠と取り替えよう。
 
 聖書も牧者も教会も、ただ、聖徒たちのためにあるのである。
 まことの真理と公義公道の信仰で御言葉を悟って、真理できよくなろう(ヨハ17:17-19)。
 約束の御言葉が私に成し遂げられてこそ、天国に入る資格になる。啓示録の事件は、新約の預言を総合したものであり、加減すれば、天国に入れず、のろわれるようになる(啓22:18-19)。知るべきことは知ってこそ、信仰が生まれる。

 6千年の働きの中にあった事ごとを調べて見る。
 神様が離れて行かれた世をサタンが主管して、時代ごとにまことの神様は、人類の回復のために使者たちを遣わされて来たが、かえって、世の牧者たちが集中して迫害して殺した。これはサタンが支配した世界を守るためである。こうして、主人であられる神様が世に足を着けることも、帰ることも、御言葉を伝えることもできなくさせたのである。
 サタンがサタンの牧者を通してどれくらい騒ぎを起こしただろうか。神様が創造された人が、サタンに属して、神様に敵対するということである。初臨の時、神様とイエス様が約束され、創造したイスラエルに来られたが、彼らは受け入れないで、かえって、のろって、悪口を言って、迫害して殺した(ヨハ1:1-14)。これが悪魔が主管する世であり、悪魔の牧者になった牧者たちであった。

 世の罪を負って亡くなられたイエス様は、マタイの福音書21:41-45に、「神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられるということ」を知らせて行かれた。行かれたイエス様は、昇天された後、弟子ヨハネを天に呼んで、将来に成し遂げられることを見せてくださったので、すなわち、啓示録である。この啓示録が成し遂げられる時には、悪魔、すなわち、竜が捕えられて底知れぬ穴に閉じ込められる時である(啓20:1-3)。それゆえ、悪魔が初臨のイエス様に、「まだその時ではないので、底知れぬ穴に行けとは言わないで、豚の群れの中にやって下さい。」と言った(マタ8:28-31)。このように、主の再臨の時は、6千年間、世を主管してきた竜、すなわち悪魔が捕えられて、神様が統治される時に変わる時代である。この事実を悪魔は、その時から知っていて、神様は、まず、天で成し遂げられて、今、地でそのように成し遂げられるので、確実に成し遂げられるのである。

 時代ごとにそうだったので、啓示録が成し遂げられる時の悪魔の行動は、どうだろうか。過去の地球村の中に神様の使者が現れて働くたびに、サタンの兵士、すなわち牧者たちが死生決断をして神様の使者を苦しめた。このように、最後の働きである啓示録の成就の時、サタンんがじっとしているわけがない。
 一次的で、啓示録13章の神様の幕屋の聖徒と戦ってサタンの群れが勝利して、聖徒たちの額と手に獣の刻印を押して、獣に拝ませた。この後、啓示録12章の神様の約束の牧者と戦って、竜とその所属の牧者が負けた。負けることによって天の幕屋から追い出されて、七つの道に逃げて行った。勝利者は、収穫して、12支派を創設した。啓示録16章の戦争と審判で見るようになる。
 12章で勝利した者たちが、15章のガラスの海のほとりに集まって、彼らに神様の怒りを入れて(勝利者たちが怒りの鉢になり)16章の背教者たちとサタンの国と座とその牧者たちにぶちまけた。どんな事が起こったのか。
 13章に入って来た竜と獣と偽りの預言者の口から悪霊の霊が出て来て、天下の王たち、すなわち牧者たちに行って、神様の牧者と戦おうと戦場に彼らを集めると言った。

 これは初臨の時と同じく、最後の働きなので、最高潮にはむかってくるのである。だから、今日、彼らの迫害が少ないだろうか。必死にとびかかってくる。現実がそうではないのか。
 聖書に代わって彼らが恣意的に造った注釈は、彼らの口から出て来た霊の指示で作られたものなので、これは、サタンの教理であり、サタンの霊の食物である。初臨の時のエルサレムの牧者たちが蛇であったように、エルサレムの聖殿が墓であったように、今日、啓示録13章で入って来た竜の群れが蛇であり、サタンの牧者たちだということを知らなければならない。

 約束の牧者は、啓示録通り成し遂げられた事件を見て、これをあかしすることで、神様の約束、新しい契約を成し遂げたということを知らせるのである。しかし、神様の御言葉であり、約束であり、新しい契約である啓示録が応じたことを信じないことが罪である。初臨の時も、再臨の今日も、啓示録2章で、白い石を受けたということは、審判の権威を受けたということである。ところが、かえってこの世の権威者たちが世の権威で白い石を受けた者を審判するが、結局は、この世の審判者が天の審判者(白い石)に審判されるようになる。

 啓示録の成就の時、見て、聞いて、悟った者は、悟ったそれが、すなわち新約を信じる信仰であり、完全な信仰である。今日、創造された新しい国は、永遠の神様の国であり、神様が統治する時代であることをあかししている。この新しい国がまさに、今日、信仰する聖徒たちが希望して、探す天国である。アーメン。

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