創造主、まことの神様と
まことの牧者と結んだ契約
本文:マラ2:11-17
聖書で、創造主、まことの神様とまことの牧者が結んだ契約はどのようなものなのか。
天地創造主、神様がいて、偽りの神(エゼ28章)がいる。そして、まことの神様と結んだ契約のまことの牧者がいて、アダム・エバのように背教した牧者がいて、偽りの神の所属であるサタンの牧者もいる。
マラキ書1,2,3,4章の御言葉は、神様が預言者マラキを通してイスラエルに語られた警告である。しかし、この御言葉は、天の下で神様を信じる全ての牧者たちと聖徒たちに該当する御言葉であり、この御言葉を受け入れて、自分の行いを直さなければならないだろう。
もし、初臨当時、肉的イスラエルとユダヤ人たちが自分たちの罪と聖書に対する無知を知っていたならば、悔い改めたはずである。また、自分たちが、神様の御言葉と遠く離れていたことがわかっていたならば、契約を守っていないことがわかっていたならば、本当に約束の牧者がイエス様であることがわかっていたならば、悔い改めたはずであり、信じたはずである。また、聖書をもって対話してみたはずである。
このように再臨の今日、霊的イスラエルの伝統の信仰人たちが、自分たちの無知と知識のなさと罪を犯したという事実と新約の約束を悟ったならば、まず、自分たちの罪に対して悔い改めたはずである。彼らはかたくなで、高慢で、自分たちだけが最高で、天国に行くと信じていて、自分たちの教団に所属していなければ無条件に異端だと言い、罪人もしくは下等動物よりもさらに悪く扱う。これは、愛でも赦しでも祝福でも戒めでもない。彼らはかえって、ののしりと呪いと迫害と軽蔑といいかげんに冷遇することが、真理と伝統だと思っている(ヨハ16:1-3参考)。これは、まことの神様の教訓でも真理でもなく、サタンの牧者(啓2章)の教訓であり、背教者たちの行いであり、反逆する行為である。
祭司長たちと結んだ神様の契約はこれである。すなわち、祭司長(牧者)は神様と共に歩む者であり、その口には真理の教えがあり、民たちがその口から教えを求めるようにならなければならないし、祭司長は神様の使いになって、多くの人を正しい道へ導く者である。しかし、祭司長たちが正道から離れ、多くの人を真理から離れさせ、非真理を食べさせ、偏頗的に治めるということは、神様との契約を破ったということである。
犯罪者アダムの遺伝子で生まれた人々は、誰でもアダムのような罪人である。本当に、赦して愛して祝福する者として新しく生まれてこそ、罪から離れた者になるだろう。
私がまことの神様に属した牧者なのか。私がまことの神様に属した聖徒なのか。偽りの神様、偽りの牧者に属している者ではないか。聖書をもって確認してみなければならない。
地獄に行っこうが、天国に行こうが構わず、お金さえあればそれでいい、人が与える名誉、権勢さえあれば満足だと思うなら、審判の日、耐えられるだろうか。
天国に入る者はどんな者で、地獄に入る者がどんな者かということを、神様は聖書ですでに教えてくださった。また、教会の終末の時には、どのような宗教にどのような前兆があるかも記録してくださった。また、主の再臨はどのような過程と形で来られるのかも、誰に来られるのかも教えてくださった。また、どんな者が主を迎える資格者であり、どんな者が主を裏切った者、会えない者かも詳しく語ってくださった。
勧められる時に聞かなければならないことは、ノアの時を考えてみればわかるだろう。また、使徒たち(Ⅰヨハ4章)の語られた言葉も思い出さなければならない。盲人と耳しいになってわからないので、何をもってわかるようにするだろうか。神様とその御言葉を信じず、無条件に自分の教団と自分の牧者の言葉だけ信じて悪い行いをするならば、その結果はどうなるだろうか。
天国に入る資格者は下記のようである。自分と比べて見よ。
1.神様の種と霊で新しく生まれなければならない。
2.収穫されなければならない。
3.印を押されなければならない。
4.約束された12支派に所属しなければならない。
5.啓示録を加減しないで、守らなければならない。
6.いのちの書に名が書き記されなければならない。
これが、ともしびと油を準備した者である。これを準備したのか。
「主よ主よ」と言うと言って、みんな天国に入るのではなく、約束(新しい契約)の御言葉を守る者であってこそ、入ることができる(マタ7:21)。
私が従う牧者がまことの神様が選んだ牧者なのか、サタンの牧者なのか、背教した牧者なのか。
私は聖書が語る誰なのか。
教会の終末の時には、聖書が語る約束の牧者以外には救い主がいない。これは、初臨の時と同じである。
まことに信じる者は、まことの神様とまことのイエス様とその御言葉を加減しないで信じて守る者である。
これが、救いに対する答えである。アーメン。
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