偽善の盲人となった偽りの牧者
本文:マタ23章(マタ15:14)
偽善の盲人となった牧者は、どんな者たちなのか。神様が選ばれても、遣わしてもいない者、偽善者、偽りを言う者、見てもわからない者、人が立てた牧者、自ら牧者になった者である。
全世界の中から選民として選ばれた(出19:5-6)エルサレムの牧者たちを、イエス様は偽善の盲人たちだと言われた(マタ15:14)。これだけではなく、来る世について語られたマタイの福音書24章では、にせ預言者たち、にせキリストが多く現れると言われ、この時は、新約が成し遂げられる時だと言われた。
宗教の教典(聖書)を通して見たように、宗教世界には、二種類の霊がいて、二種類の神がいて、二種類の牧者がいて、二種類の教徒がいて、二種類の教理がある。それだけではなく、神様が立てられた選民が背教して、敵になったこともある。混沌として、空虚で、やみの世であり、乱れた世界である。
この時に、まことの神様の啓示がなければ、何によって判断して、区分することができるだろうか。この時は、まことの神様が必要であり、神様の啓示が必要である。神様の中、御言葉の中に入って、神様に聞こう。何が、どのようになって、どのようになるのか聞こう。
何がどのようになると言われたのかを、まず、聖書に入って見よう。
アブラハムとの約束もモーセを通して成し遂げられ、旧約の預言者たちと約束したこともイエス様を通して成し遂げられた。では、新約は、誰が来て、誰を通して成し遂げられるのか。
聖書は、語ってくれている。宗教の末年になることで、宗教人たちが宗教の教典の外で信仰をして、神様の御言葉よりも人の言葉をもっと信じて、自分の考えと判断に染まって神様の本、聖書は意味のない本になった。だが、神様は、聖書に約束された通り成し遂げられる。
人の考え、人の本、注釈は、食べれば死ぬ非真理、善悪の実である。だが、相変わらず、人の意志で作った注釈を聖書の上に置いて、教えて学んでいる。これは、初臨のイエス様の時の事件と同じである。再臨の働きも、初臨の働きも、その過程は違いがない。だが、今日はその時と違う。なぜなら結局、神様の勝利に戻るからであり、竜が捕えられて閉じ込められるからである。
全世界の中で、韓国の宗教世界が一層不義なのは、その昔のように、御言葉を応じさせるためなのである。御言葉が応じれば、御言葉通り私たちの神様の勝利と統治が成し遂げられるのである。霊的イスラエル(啓1:20の七つの金の燭台の幕屋=幕屋聖殿)に七度も悔い改めなさいと手紙を送ったが、信じず、彼らは肉的イスラエルのように、盲人と偽善が満ちて、腐敗が深刻となって、天の太陽・月・星が暗くなって落ちるように、終わるようになった。この反逆した宗教世代は、神様も、御言葉も、啓示もなく、人情も愛もなく、千年、万年、権威と名誉とお金が王となって生きると思ったのだろう。だが、今日は違う。審判があるようになる。この審判の権威である白い石(啓2:17)を受けた者によって審判されるようになる。罪を犯した者はみな、その罪が自分の体に記録されるので言い訳することができない。
偽善の盲人となった牧者は、外側では聖なるふりをするが、その中は、サタンが操っている。盲人が盲人を手引きするなら、二人とも穴に落ち込む(マタ15:14)。本当に自分が盲人であることがわかったならば、悔い改めて、主から目薬を買って、塗って、見るように(見ようと)しただろう(啓3:18)。口では、「救われた、聖霊を受けた、正統だ、神様の牧者だ、天国に入る、自分たちが伝統だ、自分の教団以外はみんな異端だ。」と言い、最高に神聖なふりをする。彼らと、また彼らに従う教徒たちも同じ盲人になって、ただの一人も救われず、地獄の判決を受けるようになる。
ノアの時も、ロトの時も、イエス様の初臨の時も、数え切れないほど叫んで伝えたが、気にも留めることもなく、かえって叫んで伝える者を異端だと言った。イエス様は、「預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。」と言われた(ルカ4:24)。
全世界の宗教人たちと政治家たちと法官たちと社会の各団体までも、我が新天地を信じて集まって来ている。雲のように……。だが、韓国の宗教、特にプロテスタントとカトリックは、同じ聖書を持っていながらも信じない。その意味さえ気に留めもしない。彼らは、地上のどんな宗教よりももっと腐敗した。人の心があるならば、対話でもしてみただろう。啓示録17、18章の御言葉のように、彼らの不品行のぶどう酒によって万国が倒れ、彼らはサタン・悪魔と結婚までしたと言われたのと同じである。どうして彼らが神様の御言葉を聞くだろうか。聞きはしない。
しかし、私たちは、最後まで最善の努力を尽くす。私たちは平和を宣布して、彼らは戦争を宣布した。彼らは、自分たちが言った伝統の教理を主張する。だが、この伝統は、啓示録で終わり、神様は、新しい国を立てられる(啓21章)。この新しい国は、永遠の天国の国である。アーメン。
댓글 없음:
댓글 쓰기