2015년 6월 11일 목요일

真理の聖霊、保恵師(助け主)と約束の牧者

真理の聖霊、保恵師(助け主)と約束の牧者



本文:ヨハ16:8-15、ヨハ14:26



 真理の聖霊、保恵師と約束の牧者は、どんな関係なのか。



  真理は神様の御言葉であり(ヨハ17:17)、聖霊は聖なる霊を言うのであり、保恵師は恵みで保護する師を意味するのであり、約束の牧者は、事が起こる前に前もって約束した(預言した)牧者を言うのである。記録されたように、真理の聖霊も、約束の牧者も将来に現れる存在をイエス様が前もって預言された存在であり、時になると、全ての聖徒が会わなければならない代言の牧者である。



 初臨当時の約束の牧者であるイエス様は、神様の代言の使者で、保恵師であった(Ⅰヨハ2:1 韓国語聖書欄下注「代言者=保恵師」)。これは、神様がイエス様に臨まれて一つになったので(ヨハ1:32、10:30-39)、代言の使者であり、保恵師であった。よってイエス様は「わたしは光として来、わたしの父の名によって来た。」と言われたのである(ヨハ12:46、5:43)。



 神様が直接イスラエルの民に語られず、モーセを通して語られた(出20:18-21)ように、神様が旧約(イザ19:1)通りイエス様に来られて、イエス様を通して語られたので(ヨハ14:24)、イエス様は、神様の代言の使者であり、保恵師であった。このように、イエス様が神様に願われて(ヨハ14:16-17)、神様はイエス様が願われた通り真理の聖霊を遣わされた。そして、真理の聖霊は、人の中にいて(ヨハ14:17)、人(牧者)を通して語られたので、人、すなわち、約束の牧者が聖霊の代言者になって、保恵師になったのである。これは、すなわち、初臨の時、神様がイエス様の中で語られて、イエス様は神様の御言葉を代言した事のようであり、イエス様が神様によって保恵師になったように、約束の牧者はイエス様(イエス様の名によって来られた真理の聖霊)によって保恵師、すなわち、「もう一人の保恵師(ヨハ14:16)」になったのである。



 真理の聖霊、保恵師は、イエス様の名によって来られた(ヨハ14:26)。イエス様は、神様の名によって来られ(ヨハ5:43)、バプテスマのヨハネはエリヤの名によって来た(マタ11:10、14、ルカ1:17)。イエス様はご自分を見た者は父を見たのだと言われた(ヨハ14:8-10)。このように、真理の聖霊、保恵師と一つになった牧者が自分を保恵師だと言ったと言って、間違いなのか。この牧者は、真理の聖霊と共に恵みで保護する師ではないのか。答えて見よ。もし、違うならば、神様が共におられるイエス様も代言者・保恵師と言えないだろう。牧者と一つになった真理の聖霊、保恵師も、代言者である牧者も、保恵師である。

 ヨハネの福音書16:8-15に見たように、保恵師は、イエス様のものを受けて教えると言われ、イエス様のものは、父なる神様のものだと言われた。保恵師である牧者は、イエス様の名によって来たので、イエス様ではなく、イエス様のものを受けて伝える牧者である。



 宗教人、すなわち、信仰人は誰もが聖霊の導きを受けるべきであり、聖霊の導きがない人は、肉体である人に過ぎない。3年間、イエス様と共にいて、イエス様に学んだ弟子たちにさえも聖霊を受けた後、あかししなさいと言われたのである(使1:4-8)。よって、バプテスマのヨハネは水でバプテスマを授けたが、イエス様以後には、聖霊でバプテスマを授けると言われたのである(マタ3:11、ルカ3:16)。このゆえに、悪霊ではなく、聖霊と共にする事が新約の信仰なのである。初めの御言葉である神様の聖霊も、神様の中で一つであり、私たち信仰人も神様の中で一つである。



 真理の聖霊、保恵師と約束の牧者は一つになって、聖徒たちを保護する師であり、恵みを注いでくれる牧者である。真理の聖霊、保恵師がその中にいない人は、信仰すると言葉では言うが、事実上、神様による信仰人になる事はできない。神様の聖霊がその中にいない人が、どうして神様と関係があると言えるだろう。 

 聖霊の導きを受ける事で、聖霊に対する信仰を持って働く事ができるのである。どの時代でも神様の聖霊がその時代の約束の牧者と共に働いて来たので、イエス様もそうであり、イエス様の弟子たちもそうであった。このように、新約の啓示録の成就の時も、約束の牧者がいて、神様も、天国も、イエス様も、主の中で死んだ霊たちも約束の牧者に来ると言われた(啓3:12)。約束の牧者は、勝利する事で審判する権威(白い石)も、永遠に生きる食物(隠れたマナ)も、万国を治める鉄の杖も受けて(啓2:17、26-27)、神様とイエス様の御座に共に着くようになり(啓3:21)、イエス様が御使いを通して天から来る開かれた本を食べさせて伝えなさいと言ったので(啓10章)、この牧者が約束のまことの牧者である。この事を信じなさいと約束したものが新しい契約である。これを信じるか。



 世の終わりである啓示録の時は、今までの伝統の諸教会の終わりであり、この時は、自分の教会の牧者に従っては救いがなく、ただ、約束の牧者を信じて、その御心通りする者が救いに至るようになる。四福音書と啓示録の意味がわかる者ならば、誰でもみんなこのように言うだろう。新約(新しい契約)聖書を信じるという事は、意味がわかる事によって、悟って信じるようになるのであり、信じるという事は、啓示録の三つの秘密の存在である背教者と滅亡者と救い主がわかるようになる事であり、このうち、救い主に属してこそ、救われるようになる。



 啓示録3:12のように、神様の名と霊界の聖なる都、新しいエルサレムの名とイエス様の新しい名とがその上に書きしるされる勝利者に来る事が、天国に来る事であり、神様とイエス様に来る事になる。これを信じる事ができるのか。信じる者は、救われるようになる。アーメン。

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