2014년 12월 26일 금요일

教会の終末、世の終りと収穫と平和

教会の終末、世の終りと収穫と平和


(本文:マタ13章(イザ52:7、ルカ2:14、19:38-44))



教会の終末である世の終りと収穫と平和は、各々何を意味するのか?

神様は、旧約聖書に平和を約束されて、初臨のイエス様が来られて平和の働きを知らせたが(イザ52:7、ルカ2:14、19:42)、肉的イスラエルの牧者たちは受け入れず、迫害に迫害を加えた。これにイエス様は、彼らに「(再臨の時)あなたがたの家、すなわち、教会が石が一つもなく倒れて、捕虜になって、滅亡するという事」を知らせた。マタイの福音書24章と啓示録13章と18章にこの事実を詳しく知らせた。

この時、神様の種で生まれた者たちを収穫して、印を押して、神様が統治される事を啓示録19章に知らせて、この時をノアの時のようだと言った(マタ24:37-39、ルカ17:26-30)。選民アダムの世界が極度に腐敗した時、ノアを立てて、アダムの世界を掃き捨てた(創7章)。このように、イエス様の再臨の時も、霊的イスラエルが蛇のぶどう酒であり、善悪の実の酒である不品行のぶどう酒を飲んで、 極度に腐敗して、万国が倒れて、蛇の毒である不品行のぶどう酒で商売をして、金持ちになって、サタンと結婚する光景が啓示録13章、17章、18章に詳しく記録されている。ルカの福音書19章のイエス様の平和の働きを受け入れなかった彼らの刑罰についての預言が、今日、応じたのである。

イエス様は、初臨の時、旧約のイザヤ52章7節の預言通り成し遂げられなかった平和の世界を、再臨で再び成し遂げられる事を約束されて、再臨の時、来られて、それ以前の世界をまず審判されて、初臨以後、種を蒔いて来た畑から穀物を収穫して、創造した国を父なる神様が統治するようにされるのである(啓6,7,14章、啓19:6)。この働きを誰が阻むだろうか?

主が約束通り平和の使者、代言者を探して立て、これを諸教会に伝えさせられた(啓22:16)。韓基総は、また戦争を宣布したが、主が遣わされた代言の使者は、主の御心を受け入れて、全世界に平和を伝えている。この働きが、イエス様がエルサレムで語られた平和の働きである(ルカ19:38-44参考)。

今日、諸教会が終末になった事は、ノアの時のように腐敗する事によるのであり、神様の種を探して、印を押す事は、神様の新しい国、天民を探して印を押す事である。

聖書で天国と永遠の命を得るために信仰をして、神様に行くためにするのが信仰の目的であるが、死んだ者であれ、生きている者であれ、ただの一人も天国と神様に行った者がなく、主の中で死んだ者は、神様が再び来られる時、連れて来られるようになり(Ⅰテサ4:14)、この地で神様の種で生まれた者は、収穫して、連れて来られるようになる。死んだ者も、生きている者も、自ら来るのではなく、連れて来られるのである。

偽りの牧者の「天国に行く、天国に行った。」という言葉は、自分の言葉であり、偽りの言葉で、だます悪魔の言葉である。聖書は廃す事ができない(ヨハ10:35)。

神様と天国はどこであり、死んだ者と生きている者が行く所はどこなのか?そこは、啓示録3:12の通り成し遂げられた所である。

新約聖書が約束した主の再臨は、ノアの時のアダムの世界のように、イエス様の初臨の時の肉的イスラエルのように、先天の世界が背教によって滅亡された後、あるようになる。教会の牧者たちが聖徒たちをだまし、自分たちが滅亡されて、終末になる事を、世の人々の終末だとだましているが、聖書が言った世の終りは、教会の終末を言ったのである。

アダムの世界が神様の御言葉を信じず、蛇の言葉を信じて、神様に背教する事によって神様が創造した世は、蛇の世になって、悪魔が6千年間、世を統治して来た。しかし、今日、啓示録の時、すなわち、主の再臨の時を迎えて、サタンが捕らわれて、縛られて、底知れぬ穴に閉じ込められるので(啓20:1-3)、この時から創造主、神様が統治される世界が到来するのである。

今日、新天地の平和の世界に来ない者は、苦痛の中で生きて終わるだろうし、平和の世界を味わえない者たちになる。偽りの牧者の言葉をアダムのように信じたので、偽りの牧者に従って共に底知れぬ穴に入るだろう。ここが地獄である。

神様の約束の御言葉を信じる者は、約束の新しい国、新天地、天国に来るだろう。牧者と聖徒に聖霊が共におられるならば、天の深みにまで至るだろう(Ⅰコリ2:10)。これをわからない者は、自分から聖霊が離れて、肉体だけである事を知って、自ら悔い改めて、聖霊を再び探さなければならない。

聖霊がない者たちが知っているものが何なのか?悪口をして、のろって、迫害する事以外に何があるのか?どうして、自分を見ないのか?聖書の鏡に照らしてみよ。見えるだろう。

神様の種で新しく生まれず、収穫されず、印を押されず、啓示録を加減して、約束の国、12支派に属さず、命の本に名が記録されないので、どうして天国に行けるだろうか?

教会の滅亡、すなわち、死から、また善悪の実である不品行のぶどう酒から命、すなわち、命の木に移ってこそ、救いがある。ここで復活があるようになる。アーメン!

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