2014년 12월 27일 토요일

新しく生まれた天民

新しく生まれた天民



(本文:ヨハ3:1-6)


イエス様は、ご自身の血で私たちを罪から解放され、国と祭司長にされた(啓1:5-6、5:9-10)。

神様が共におられる子イエス様が「人が水と御霊によって新しく生まれなければ神様の国に入る事はできない(ヨハ3:5)。」と言われた。なぜ、水と御霊によって新しく生まれなければ、神様の国、天国に入れないのか?

水と御霊で新しく生まれるという事は、何を言ったのだろうか?

創世記6章の神様の子どもたちも、創世記3章のアダムとエバも、神様の生気(命の息)を受けて生霊(生きもの)となった神様の神の子孫であった。神様であられる初めの御言葉が神であり、神の生気によって、御言葉を受けた人を神と言われたのである(ヨハ10:35)。神(神の子孫)である人にサタン(蛇)が蛇の毒であり、まむしの悪い毒である実を食べさせる事によって人が本来の姿であるちりに戻った(死、申32:33)。

毎月、12種の実を結ぶ命の木は、神様とイエス様であり(ヨハ15:1-5)、死の毒が出て来る善悪の木は、蛇、すなわち、竜とバビロンのサタンの牧者であった(ダニ4章)。

もし、神の子孫である神様の子ども、アダムが善悪の実を食べなかったならば、再び、ちりに帰らなかっただろう。アダムが罪を犯した後、地上の人々は、死の毒を食べたアダムの遺伝子で生まれた者たちなので、全てがアダムのように土に帰った(創3:17-19参考)。天地万物もアダムによって、結局は、土に戻った。

仏教の釈迦も、故イビョンチョル氏も知りたかった生老病死の理由も、これであった。死と苦痛の罪から解放させる事のできる薬は、ただ、イエス様の血であった。それゆえ、釈迦が聞いて悟った事は、救い主イエス様であり、500年後、イエス様が来られるならば、自分が教えた事は、油のないともしびに過ぎないと言ったのである。

2千年前、イエス様が血を流されたが、人類世界は、今まで死と苦痛がなかった事はなかった。なぜ、血の効力が現れなかったのか?血を流されたイエス様と、その弟子たちが伝えた福音は、再臨の時、血の効力があるようになる事を啓示録と四福音書に約束しているが、今まで隠されていた。この全ての事は、真理の聖霊保恵師が来て、知らせて下さることを約束された(ヨハ16:25)。

約束のその日、啓示録の時には、すでに啓示によって知らせて下さったように(啓6、13章参考)、カトリック教の一人の預言家も、「彼が生きた12世紀初半以後、112番目の教皇の時までに先天世界、カトリック教の福音時代が終わって、新しい時代が開かれる」という事を預言したと言った。釈迦の仏教のように1) 、カトリック教をさらに延長させないで、天の啓示の御言葉を守って、聖徒が祝福を受けるようにしなければならない。そして、教皇自身も時に従って新しく生まれて、天民になる事に力を尽くしてこそ、救いがある。事実を話そうとすれば、教皇は神様とイエス様である。そして、カトリック教で聖職者に神父と言い、父、すなわち、お父さんという呼び名を使うが、事実、父は神様であられる。

ひよこを見て、遺伝子の形と行動を知ろう。孵化したひよこは、雄鶏と雌鳥の姿に似ていた。孵化してから3日もたたないのに、その両親である鶏の行動をする。水を飲む姿も、足で地面を掻いて餌を探して食べる事も、親鳥の行動をする。互いに戦う練習など、親の遺伝子で生まれたので、同じ行動をする。

犯罪者、蛇とアダム・エバの遺伝子で生まれた人も、その姿、その形の行動をするのであり、その遺伝の血によって犯罪を犯させるのである。背教と不法でできた人が口では信じると言って神様の御心通りにするだろうか?6千年の罪悪の歴史が証明している。それゆえ、再び生まれなければならない。神様の種と神様の霊で再び生まれなければならない。肉で生まれたものは肉であり、霊で生まれたものは霊である(ヨハ3:1-6)。

サタンの霊が肉体の中で人を動かすと言っても、神様の種、霊で再び生まれてこそ、天民になって、神様の家族として天国に入る事ができる。

神様の種と霊で生まれた者の行動(実)と、悪魔の種で生まれた者の行動(実)によって、その木、すなわち、牧者をわかると、マタイの福音書7:15-20に記録した。この牧者が木であるならば、自分自身は、どの木の実なのか、わからなければならないだろう。わかる事のできる方法は、新約の約束された御言葉でわかるようになる。

罪の種と罪の霊で生まれたので、再び神様の種と霊で生まれてこそ、天国に入る事ができる。神様の種と霊で生まれた者は、神様の御言葉の意味を知って、サタンの種で生まれた夜の子どもたちは、神様の御心も、約束もわからず、信じもしない。

私たちは、神様の統治と平和を約束して成し遂げていて、敵対する者たちは、戦争を宣布して、不法を犯している事を見る、その通りである。戦争と患難を遺産として残すのだろうか?戦争を終息させて、平和を遺産として残すのだろうか?

後天の新しい時代を開く我が新天地は、神様の御心に従って平和の世界を成し遂げ、私たちの神様、父が統治される事を感謝している。地上の全ての人々が私たちのように新しく生まれて、神様の御心と国に共におられる事を祈っている。

1)仏経に、「イエス様が来られるならば、釈迦の道(仏教)は、油のないともしびのように使い道がなくなる。」と言ったというが、2千年が過ぎた今でも、仏教は続いている。

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