2014년 12월 31일 수요일

罪と義に対する審判者

罪と義に対する審判者
(本文:啓20:12)


罪と義に対する審判は、誰がするのか?
マタイの福音書19:27-30に、ペテロの質問にイエス様が答えられ、「世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」と言われた。また、イエス様がヨハネの福音書12:48には、「わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終りの日にその人をさばくのです。」と言われた。また、ヨハネの福音書16:8-11でイエス様は、「その方(イエス様の名で来られる真理の御霊、保恵師)が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りをみとめさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」と言われた。
啓示録20:12-15には、「死んだ者たちが、大きい者も、小さい者も、書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。」と言われ、20:4には、「多くの御座を見た。その上に座った彼らにさばきを行う権威が与えられた。」と言われた。そこに座った者たちは、もちろん、神様であられ、その息子イエス様であられ、その弟子12支派長である。

モーセは、法が記録された石を受け取って審判して、勝利されたイエス様も生ける石として審判された(マタ21:42-44、Ⅰペテ2:4)。啓示録2章の勝利者も、イエス様から白い石を受けたので、これは審判する権威を受けたのである。前で見たように、神様の御言葉で審判すると言われたので、石は審判する権威である。そして、審判者は、印を押された十二支派長である。さらには十二支派の印を押された144000人が祭司長であり、審判者である。それゆえ、印を押されない者は、支派長にも、祭司長にも、審判者にもなる事ができないという事である。
もちろん、イギンジャは、あかしする言葉とイエス様の血で勝利したので、霊的新しいイスラエルになって、十二支派を創設して、白い石をイエス様から受け取ったので、審判者であり、イギンジャを通してなった十二弟子、すなわち、十二支派長も殉教したイエス様とその弟子たちと一緒に審判者になる。
世でも六法全書に通達した者が判決する裁判官に任命される。まして、神様の国では、天の法である聖書全書に通達した者であってこそ、その御言葉で審判する事ができるのではないだろうか?その理由は、主が語られた御言葉(ヨハ12:48)と、この御言葉である本(聖書)で審判すると、啓示録20:12に明示されている。もし、審判者が聖書に通達できなければ、審判する資格があるだろうか?それゆえ、白い石を受けたイギンジャである霊的新しいイスラエルは、実力者を、審判する支派長に立てて審判を任せるようになる。

私たちは、新約に約束された審判者である。任された使命を果たそう。このために祈る。人類最高の真理、最高の聖君になろう。私たちは、天の裁判官である。肝に銘じよ。私たちは、イエス様のように、神様の種で生まれた御言葉体になろう。そして、主に仕え、永遠に共に生きよう。
父なる神様、助けて下さい。信じます。アーメン!

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