(本文:マタ24章(ヨハ6章))
各時代的信仰と食物は、何を言ったのか?
時代は、アダムの時から今日まで、アダム、ノア、モーセ、イエス様の初臨の時があり、また、イエス様の再臨の時がある。
時代的信仰はどんなものなのか?時代ごとに預言があり、成就された事柄があった。これを信じる事が信仰である。
食物は、二種類がある。一つは肉の食物であり、一つは霊の食物である。時に応じて下さる食物は(マタ24:45-47)、霊の食物であり、信仰の食物で、預言が成就される時にその預言と成就された実状を知らせて下さるものが、その時の食物である。
本文のマタイの福音書24章は、成し遂げられる御言葉であり、この預言(マタ24章)が成し遂げられる時は、マタイの福音書24章の御言葉(預言)とこの御言葉通り成し遂げられる実状が、この時の取って食べる食物である。
神様がアブラハムと約束された(創15章)事をモーセの時、成し遂げられた。この時、食べるべき食物は、その預言(約束)の御言葉と、その成し遂げられた実状である。旧約の預言者たちに預言された事は、イエス様の時、成し遂げられたので、この時、取って食べるべき食物は、旧約の預言と、イエス様の時、それを成し遂げた実状である。ヨハネの福音書6章で、イエス様の肉と血をいのちのパン(食物)と言ったが、この肉と血が、すなわち、旧約を成し遂げた啓示であり、当時に食べるべき霊的食物であった。イエス様が2千年前に約束された事は、新約の預言であり、この預言が2千年が過ぎた今日、大韓民国で成し遂げられた。この時、聖徒が取って食べるべき食物は、新約の預言と、その預言通り成し遂げられた実状である。
これが、時に応じて下さる時代的信仰と食物である。
肉の食物は、どの時代でも食物であるならば、みんな食べても大丈夫だが、霊の食物は、そうではない。約束した新約を成し遂げたにもかかわらず、相変わらず、旧約の預言と旧約を成し遂げたものをあかしするという事は、新約を成し遂げた時の食物になる事ができない。新約を成し遂げた時の食物は、新約(預言)と、その成し遂げた実状であり、新約の啓示録が成就された今日は、これ(新約の預言とその実状)を食べてこそ、救いがある。
旧約と、その成し遂げたれたものを取って食べたとしても、新約の預言を成し遂げられた時、これを見る事も聞く事もできないので、信じられないという事は、時に応じて下さる食物を食べた者になれず、相変わらず、飢えるだろうし、暗い夜のように見えず、過ぎ去ってしまうだろうし、見る事も、聞く事もできなかった。信じられないので、救われない。
2千年前のイエス様のあかしは、旧約を成し遂げた事であり(ヨハ19:30)、イエス様の再臨の時のあかしは、新約を成し遂げた事である(啓21:6)。主の再臨の時は、旧約を全て成し遂げたように、新約を全て成し遂げられる。イエス様が新約の封じられた本(啓5章)の印を解いて開かれて(啓6,9章)、その本を啓示録10章で一人の人(約束の牧者、新しいヨハネ)に食べさせて下さった。そして、新約(啓示録全章の事件)を全て成し遂げられて、その成し遂げられた事をこの一人の全て見せて下さった(啓22:8)。そして、啓示の本を食べた者であり、啓示録全章の事件の成就を全て見た一人(牧者)を選んで、諸教会のためにご自分の使者にして、その見て聞いた事を諸教会に行ってあかしさせられた(啓22:16)。この約束を信じなければならない事が、聖徒の義務ではないのか?
イエス様が七つの印を全て解かれる事によって開かれた本を受けて食べて者に、全章の事件を全て見た者に聞いて見なければならないという事が、天の父の御心通りする信仰である。この御心通りする者が、天国に入ると言われた(マタ7:21参考)。この御心通りできない者は、天国に入れない。
新約の啓示録が成就された実状の食物を取って食べない者は、飢え渇くだろうし、また、聞く事も見る事もできないので、信じない。
神様が啓示録を成し遂げられる目的は、何なのか?それは、神様の国と祭司長と白い群れたちを創造されるためであった。アダムが罪を犯した後、この地には、まことの神様の国と牧者と民がいなかった。アダムの世界も、ノアの世界も、モーセの世界も同じように契約を破って、腐敗して、結局、滅亡されてしまった。もし、アダムやノアやモーセのイスラエルが神様の契約を守ったならば、神様が後の時代を約束されなかっただろう(ホセ6:7、出19:5-6、エレ31:31-32)。このゆえに、神様が啓示録1:5-6に、「罪から私たちを解放されて、神様の国と祭司長にされた。」と言われたので、これが啓示録を成し遂げる目的である。
神様が約束された啓示録の十二支派が約束の国であり、祭司長であり、白い群れである。ここに属さない者は、誰であるにもかかわらず、ただの一人も救われる者はない。アダムのように、肉的イスラエルのように(ホセ6:7)、なぜ、契約を信じないのか?
新約に約束した啓示録の成就と代言の使者の言葉を信じる事が、すなわち、イエス様の御言葉を信じる事である(啓1:1-3参考)。信じる者は、天国と永遠の命を得るようになる。アーメン!
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