2015년 1월 2일 금요일

新天地と李萬熙(イ・マンヒ)を売り渡す者

新天地と李萬熙(イ・マンヒ)を売り渡す者
(本文:マタ21:33-43)


古い昔話の物語の中に、万古孝女(親孝行の娘)のシンチョンが盲人である父親の目を見えるようにしようと、供養米300石で売られて、船倉に立って、両手を合わせて、神様を仰いで願う時、山川も泣き、樹木も泣いたと言う(お坊さんからお寺に供養米300石を寄付すれば、盲人の父親の目が見えるようになると聞かされた娘シンチョンは、海の嵐をおさめるためのいけにえが必要と言う話を聞いて、300石をもらえるならいけにえになると言っていけにえになった)。このシンチョンは、印塘水という深い池に身を投げたが、3日目に復活して、王妃になり、父の目を見えるようにしたと記録されている。
初臨で来られた神様の息子イエス様は、夜のような世の盲人たちの目を開けようとされて、銀貨30枚で売られて十字架上で天を仰いで神様に祈られて、死んでから3日目(第3日)に復活されて、天に上って、神様の右に着かれて、啓示をいただき、再び来られる事を約束された。
万古孝子のイエス様も、万古孝女のシンチョンも、万古の孝行の教訓となった。
再び来られるイエス様は、罪と関係なく、自分を望む者たちに現れると言われ、神様は来られて、世を統治される事が約束されている(ヘブ9:28、啓19:6)。

今の世は、どうだろうか?最悪の腐敗であり、宗教の末年になった現実である。これが夜であり、盲人になった事である。教会は、物質と権威と高慢で大荒れになった。神様がこの世をそのまま見過ごされるだろうか?主が再び来られる日を、ノアの時、ロト時のようだと言われた(ルカ17:26-30)。ノアの時も、ロトの時にも、彼らの腐敗のために神様が審判された。この時、神様がノアのように、モーセのように、イエス様のように一人の牧者を立てられて、腐敗した世界を清算されて、新しい時代を開かれた。この時、悪魔と腐敗した牧者たちが新しい牧者をそのまま見ているだけだろうか?また、どれくらい苦しめるだろうか?インターネットのアンチカフェに入ってみれば、確認できるだろう。どうしてこれが信仰と言えるのか?だから、啓示録21章では、以前の天、以前の地がなくなって、新しい天、新しい地を創設される事を明示した。これがノアの時のようだと言ったのである。

今日、世の教会の牧者たちと教徒たちが、神様の御心通り、聖書の指示と戒め通りまことなる信仰をして、新しい時代を開く新天地を苦しめている。ロトの時のように、偽りまで作り出して、埋葬に明け暮れている。キリスト教の一つの放送局で新天地に陰湿な攻撃をする目的で偽りの報道をした。探して行って「どうして、何なので、新天地がしてもいない事について偽りの報道をしたのか?」と聞いて見たら、彼らは、「すみません。間違いました。」とだけ言った。「では、訂正報道をしなさい。」と言ったら、「できません。」と言った。「どうしてできないのか?」と聞いた。すると、「本人たちはサラリーマンで、上の教団からさせられてしたので、訂正報道は、上の教団で訂正報道をしなさいと言えば、そのようにできます。」と言った。偽りの報道をしなさいとさせた者たちや、偽りの報道をした者たちが信仰人で、牧者なのか?

一時、MBC PD手帳は、情報提供者たちによって、新天地に対して偏頗・歪曲報道を二度もした(一度は、約50分間、もう一度は、総合編で約15分間)。これは、新天地のみならず、全国民をだます事であった。これが信仰人か?これがイエス様の戒めを守る事なのか?これが腐敗した末世であり、宗教の末世である。
今の牧者たちが聖徒たち、青年たちにさせて、インターネットカフェで新天地に対してあらゆる侮辱的な偽りを繰り広げている。これがイエス様の初臨の時の牧者たちが自分の教徒たちにさせて、偽りを話させた事(マタ28:11-15参考)と何が違うのか?その時より100倍も増えているのではないのか?今の教界とキリスト教の放送局とキリスト教の出版社・雑誌・新聞などで新天地と李萬熙(新天地の総会長)に対する偽りを作り出して、特集で売って生活をする所が一ヶ所二ヶ所ではないという。喜び勇んで、改宗牧者たちは、一回の改宗教育に数十万ウォンずつもらっていて、主日、及び、水曜日の礼拝は、新天地と李萬熙に対する迫害の説教を多くしている。これが果たして、宗教の末年でなければなんだと言うのか?ノアの時、ロトの時のように腐敗した者たちを、神様は、どのようにされるだろうか?こうして、彼らが滅亡されるか恐ろしい。
我が新天地があかしした内容は、救われて、天国に行こうとすれば、神様の種で生まれなければならないし、収穫されなければならないし、(神様の言葉で)印を押されなければならないし、啓示録を加減してはいけないし、12支派に所属しなければならないし、命の書に名が記録されなければならないという事である。これが神様の約束である。このような人々が誰を迫害する資格があるのか?誰を異端だという資格があるのか?このように腐敗した者たちが異端でなければ、聖書が間違ったという事だろう。彼らが、どうして信仰人と言えるのか?

我が新天地を迫害する事が彼らの説教であり、のろう事が彼らの真理であり、悪口雑言が飛び交って、互いが先を争って、新天地をのろう内容で叙述した本を売り出して、改宗教育で金儲けをして、本当に、本当に末世である。復讐は私がすることだと神様が言われた(ロマ12:19、ヘブ10:30)。

ノアの時、ロトの時のように、誰にかかわらず、再び生まれなくては、ただの一人も救われる者がない。新天地は、聖書に通達して、その御心通り不撤昼夜、最善を尽くしている。彼らのために祈りを休まずしている。

父なる神様、悪人も人なので、あの心を再び生まれさせて、新しい人になるようにして下さい。そして、天国の父の家族になるようにして下さい。お祈りいたします。アーメン!

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