2015년 1월 8일 목요일

初臨と再臨の時の迫害の形

初臨と再臨の時の迫害の形
(本文:使7:51-53、マタ23:29-36)


創造主、神様が離れられた(創6:1-7)世界は、今日まで、蛇、すなわち、サタンが主管して来た(創1:1-啓22:21)。神様は、罪に落ちた人生を救われるため、時代ごとに預言者たちを遣わして、働かれたが、その時ごとにサタンは、自分の牧者を通して彼らを殺した。どんな理由で殺したのだろうか?

このように続いて来た世の中は、6千年になった。旧約を成し遂げられた方は、神様と勝利されたイエス様であられた(ヨハ17:3,16:33,19:30)。新約を成し遂げられた方は、イエス様と約束の牧者、すなわち、イギンジャである(啓21:6)。旧約の預言者たちは、神様から聞いて見た事を伝えて、見て聞いた事を記録した。すなわち、旧約聖書である。新約の弟子たちは、イエス様から聞いて見た事を伝えて、見て聞いた事を記録した。すなわち、新約聖書である。

旧約の預言者たちを殺した者たちは、異邦でも、不信者でもなく、選民の牧者たちであり、イエス様の初臨の時、イエス様とその弟子たちを殺した者たちもやはり、異邦でも、不信者でもなく、選民の牧者たちであった。上の本文の迫害者たちも、選民、すなわち、ユダとエルサレムの牧者たちであった。ヨハネの福音書8章で見たように、選民イスラエル、すなわち、ユダヤ人たちとパリサイ人たちの牧者とその民たちが迫害して殺した。なぜ、選民が自分たちのために遣わされた使者たちを迫害して、殺したのだろうか?これはサタンが彼らに入って働いたからである。なぜ、サタンが選民の牧者に入ったのか?これは、選民が自分の牧者を信じるからであり、サタンが入った選民の牧者は、偽りを通して神様が遣わされた使者が選民に接近できないようにさせるためのである。

使徒パウロは、人の心を畑、または、家だと言った(Ⅰコリ3:9)。神様が人の心から離れたのは、罪のためであり、神様が離れられた人の心は、空き家である。この罪の家にサタンが入って行動するのである。このサタンが神様の使者を好むだろうか?サタンは、アダムの時から今まで偽りをあかしして、不法を行なって来た。神様のまことの預言者たちが来て、まことを知らせるので、サタンとサタンの牧者の過ちが明らかになった。また、将来にある事を伝える事によってサタンの正体と不法が明らかになるので、これを隠すため、預言者たちを殺すまでに至ったのである。
神様は、「許しなさい、愛し合いなさい、祝福しなさい、隣人を自分の体のように愛しなさい、敵をも愛しなさい、敵が渇くならば、食べさせなさい、5里を共に行く事を望むなら、10里でも一緒に行きなさい、憎んではならない、憎む事は殺人罪である。」と言われた。これが神様の戒めであった。

イエス様の初臨の時の牧者たちは、モーセとその律法は信じても、旧約の預言者たちが伝えた神様の預言と、その預言を成し遂げたイエス様とその実体は信じなかった。今日も、旧約を成し遂げた事とイエス様は信じても、新約の預言とこの預言を成し遂げた事と、約束の牧者と成し遂げた実体は信じないでいる。まことに神様とイエス様とその御心を信じるならば、旧約も、新約も信じなければならないだろう。今日、旧約の成就が重要なのか、新約の成就が重要なのか?新約が旧約よりも何万倍もさらに重要である。聖書全書のまことの意味をわかるならば、誰でもこのように言うだろう。神様の6千年の働きは、今日、啓示録一つを成し遂げるため働いて来たと言っても過言ではない。
イエス様の初臨の時、サタンの牧者たちの迫害の強度を調べるため、彼らが迫害した理由を調べてみよう。
1.安息日を犯す(マタ12章、ヨハ5:1-16)。
2.神様を自分の父だと言う(ヨハ5:18)。
3.惑わす者だ(ルカ23:2)。
4.永遠の命を主張する(ヨハ8:51-59)。
5.悪霊に取り付かれた(ヨハ8:52)。
6.伝染病にかかった者だ(使24:5)。
7.王だと言う(ヨハ19:18-22)。
8.異端だ(使24:5)。
などである。

そして、イエス様の再臨の時の約束の牧者とその教団(組織)に与える迫害の強度を調べるため、彼らが迫害した理由を調べてみる。
   1.   教主だと言う。
   2.   永遠に生きると言う。
   3.   収穫すると言う。
   4.   難病にかかった者だ。
   5.   異端だ。
   6.   悪霊に取り付かれた。
   7.   詐欺だ。
   8.   暴行監禁者だ。
   9.   イエスだと言う。
   10.   保恵師だと言う。
   11.   新天地だと言う。
   12.   証拠幕屋だと言う。
   13.   不法集団だ。
   14.(聖書を教える宣教センターが)無料センターだと言う。
このように言いながら戦争を仕掛けた。

私たちは、迫害を受けるのみならず、聖徒の中に殺されるまでした者がいる。インターネットのアンチカフェがインターネット(ブログ、ウェブ、カフェなど)に登載した非難と迫害は、目を覆って見る事のできない状況である。この行為がイエス様の戒めなのか?
私たちは、何度も公開討論を要請して、手紙まで送って、解説をしなさいとも言った。どの誰もこれに応じなかった。聖徒たちが真理の町である新天地に集まって来るという事は、聖書通り成し遂げられるという事であり、彼らが聖書を間違って教えるので、良く教える所に来たという事である。
新天地に戦争を仕掛けた所は、教徒の数が急減して、教団は二つ、三つに裂けて、互いに異端だと言っていて、牧師も会長もお金で売り買いをしている。これが神様の御心なのか?命の真理なのか?光と塩なのか?

対話になれば悟る事ができるだろうか?その誰一人も御言葉で対話する人がいない。このような時、昔の預言者たちとイエス様の初臨の時の事々が思い出される。サタンとその牧者は、昔も今も、その手法が同じなのである。天国の門をふさいで、自分も入らず、入ろうとする者も入らせないでふさぐという(マタ23:13)言葉が、まさにこれである。古くなって、腐敗して、衰えて、背教した所、ここの教徒たちは、神様と聖書よりも自分の牧者の言葉だけ信じて、同じ思想で神様(イエス様)が遣わされた使者をのろって、悪口を言って、同じ偽りの言葉で迫害して、殺人を犯して、敵対して、異端だと言い、かえって、悪霊が取り付いたと言い、真理を探して行く聖徒たちを行かせないようにふさぐ。

神様の戒めとサタンの家族たちの行動を見た。どこが神様の所属であり、どこがサタンの所属なのか、幼い子どもでもわかるだろう。もし、これを見ても聞いても悟りがないならば、聖書と神様が必要ないだろう。
しかし、政治家たちは、選挙の時、票を意識して、真理と非真理に関係なく、彼らの言葉を認める姿を見せもする。

神様が韓国に人類最高の祝福を下さった。しかし、人々の行為によって、神様が下さった祝福が他の所に送られはしないかとひどく心配で、彼らが滅亡しないかと心配である。私たちは、二つの手のひらがぶつからないため気をつけて耐えている。イエス様は、天の十二の軍隊、さらには天軍によって審判できるにもかかわらず、耐えられた(マタ26:53-54)。モーセの時は、過越しの夜に天軍が下って来て、エジプトの最初に生まれた長子たちをみんな殺した。これによって、エジプトの王パロが神様の羊の群れを送ってくれた。

神様は、天地を呼んであかしをされて、命と死と祝福とのろいをあなたの前においた。あなたとあなたの子孫が生きるために命を選んで、神様を愛して、その御言葉に従順して、彼に服従しなさいと言われた(申30:19-20)。
神様は、婚姻の宴を前にして、万国を統治するため、竜を捕えて閉じ込めて、この後、サタンの群れと戦って勝利した者たちと、殉教した霊たちが一つになる第一の復活が成し遂げられる(啓20:1-6)。

聖書で見たように、世の終わりに聖徒が救われるためには、どこに行かなければならないのか?教会の終末の時、私たちの希望であられる神様とイエス様と天国がある所に行かなければならない。神様と天国は、どこにあり、どこに行かなければならないのか?天国に行く道は何なのか?初めの御言葉が、すなわち、道である(ヨハ1:1)。御言葉を道にして行かなければならない。どんな事、どんな事、どんな事の後、ここに神様と天国がある。彼らは、御言葉の道を否認するので、どうしてその道をわかるだろうか?シロアムに行って、目を開けて見なさい(ヨハ9:7参考)。見えるだろう。啓示録2,3章と、12章のイギンジャ(約束の牧者)がいなければ、人類世界の救いは永遠にない。これに反対する者はサタンであり、これを認める者には救いがある。

神様と天国は、啓示録3:12におられる。探す事ができるだろうか?ここが約束の国であり、私たちの希望であり、神様がおられる天国である。
これは信仰の目的地であり、神様が目的とした所である。

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