2015년 1월 14일 수요일

天国の秘密を預言した比喩とその成就

天国の秘密を預言した比喩とその成就
(本文:詩78:1-4、マタ13:34-35、ヨハ16:25)


天国の秘密を預言した比喩とその成就は、どんなものなのか?
神様の御言葉、詩篇78:2に、「たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。」と言われた。この事は、誰が成就されたのか?アダムの9代目の子孫であるノアの10代目の子孫アブラハムからダビデまでが14代、ダビデからバビロンに移住する時までが14代、バビロンに移住した後から14代目に聖霊によってイエス様がお生まれになり(マタ1:16-17)、イエス様を通して詩篇78編の預言を成就されたので、すなわち、天国の秘密を比喩で語られたのであった(マタ13:34-35)。

比喩で語られた天国の秘密は、必ずわからなければならない人がいて、絶対にわかってはならない人がいる(マタ13:10-11)。この二種類の人は、どんな人なのか?必ず聞いて悟らなければならない人は、神様の所属の人であり、絶対に聞いて悟ってはならない人は、悪魔の所属の人である。聞いて悟れなくさせるという事は、蛇(サタン)の人になったアダムとエバが、その手を伸ばし、いのちの木の実を取って食べないように、エデンの園から追い出して、その道をふさがれた事(創3:22-24)と同じである。

天国の秘密、比喩の重大性は、どうだろうか?
比喩を悟ってわかる人は、選民であり、罪を赦されて、比喩を悟れない人は、外人であり、罪を赦されない(マコ4:10-12)。前で言ったように、神様の所属は、悟って罪を赦されて、悪魔の所属は、悟れず、罪を赦されない。選民と外人は、肉体を指して言っているのではなく、その人の所属の神によって外人と選民になる事ができる。比喩を悟れない理由は、まさに、悪魔の神の所属だからであり、神様の種と霊で新しく生まれなければ、罪を赦されないので、罪人であるのみである。天のものを聞いて見て信じる者が、印を押された者であり、聖霊が共にいると言われた・・・(ヨハ3:31-34)。

啓示される信仰が来る前には、律法の下にいて、養育係の下にいて、この律法では罪を赦されないので(ヘブ10:1-8)、新しい事、すなわち、種を蒔く働きがあるようになった。神様の預言、詩篇78編は、イエス様が来られて天国の秘密を比喩で語られた事によって成し遂げられて、神様がエレミヤを通して預言された通りイエス様は、天国の秘密の種(良い種)を蒔かれて(エレ31:27、マタ13:24-25)、この時、悪魔は、毒麦の種をさらに蒔いた。この二種類の蒔いた種のうち、良い種の実(穀物の聖徒)は、再臨の時、収穫されて、神様の国と祭司長になるようになる(啓5:9-10)。これが種に対する秘密である。

では、イエス様が比喩で語られた(預言)その実体は、いつ、わかるようになり、見るようになるのか?これは、再臨の収穫の時である。その時は、預言が成し遂げられた実体を、顔と顔を合わせて見るようになるのでたとえ(比喩で話す言葉)ではなく、実体ではっきりとあかしする事ができる(ヨハ16:25、Ⅰコリ13:12)。

初臨のイエス様は、当時、旧約を全て成し遂げられて(ヨハ19:30)、将来(再臨の時)に成し遂げられる事を比喩で語られた。イエスが天国の福音を蒔いたという事は、旧約を成し遂げた事であり、天の神様の種を蒔いた事である。この蒔いた種の実を刈り取って来るので、これが再臨の働きである。この時、神様の種でできた実は、神様の息子たちであり、悪魔の種、毒麦は悪魔の子どもたちである(マタ13:37-39)。神様の種で生まれた神様の子どもたちは、神様の行いをするだろうし、悪魔の種で生まれた悪魔の子どもたちは、悪魔の行いをするだろう(マタ7:15-21参考)。
神様は、まことの言葉、すなわち、真理を語られる。しかし、悪魔は、まことの言葉ではなく、偽りの言葉、すなわち、非真理を話す。これは偽りの種で生まれたからである。悪魔の子どもたちは、昔も今も、自分たちの間違いを神様の子どもたちに濡れ衣を着せる偽りを話す。インターネット・アンチカフェ(Anti Cafe)に入って見ると、どれくらいたくさんの偽りの話を総動員しているのか、のろい、迫害、殺人、偽りが乱舞している。本当に目を覆いたくなるほどである。あらゆるのろい、あらゆる偽りの話を全て動員したので、これがどうして人だと言えるのか?獣よりももっとひどい。これをどうして神様が赦されるだろうか?再臨の時を、ロトの時とノアの時のようだとイエス様は語られた(ルカ17:26-30)。本当にノアの時、ロトの時も、こうだっただろうか?今が、その時よりももっとひどいと思う、何倍も。

今は、教会の救いではなく、教会の終末の時であり、世の終わりだと言った。アンチカフェに上っている偽りの話は、大多数が彼らの牧者の指示によってしているものだというのは明らかであった。個人的に出会って、戒めるならば、みんな「間違っていた、ごめんなさい。」と言い、許しを求めた。ある宗教放送に行って、「新天地について、なぜ、偏頗・歪曲をしたのか?」と言うと、「ごめんなさい。」と言い、間違いを認めた。では、訂正報道をしなさいと言ってみると、「それはできない。」と言った。その理由は、「自分たちはサラリーマンで、これを指示した人がいて、8ヶ所の教団の牧者が訂正報道をしなさいと言ったならば、訂正報道をする事ができる。」と言った。これが教会の末年の宗教世界の現実である。

この時、救われる人は、Ⅱコリント6:14-18の御言葉のように、悪から出て来て、分離して、祈ってこそ、救いが可能になるだろう。末世の悪は、悪の神から始まって、その悪は、その神が人の心を動かす事によってあるようになると思う。聖書の戒めを守れないそれ自体が悪であり、不法である。インターネットカフェに載せる悪意的な内容、それ自体がその人の所属を語っている。

審判の時、どこに行くだろうか?善の道に出て行く事を祈っている。

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