2015년 1월 9일 금요일

海外の各国と我が国(韓国)の信仰の比較

海外の各国と我が国(韓国)の信仰の比較
 (本文:使7:51-53)


韓国の牧者たちと海外の各国の牧者たちの信仰は、どうだろうか?聖書についての知識は同じだと思うが、行いは全く違うと思う。

海外の牧者たちは、親切で、優しくて、身なりも行ないも低くなっていて、高慢な事を見る事がなく、協力的であった。また、祝福を受ける事を望み、相手を自分よりも高くして、友好的であった。
韓国の牧者たちは、どうだろうか?過度に高慢で、自分を高くする事に力を尽くして、自分だけを一番に思って、きよいふりをして、救われた正統だと自認して、お金を好んで、他人を無視して、愛よりのろいを好んで、迫害とのろう事を信仰だと考えていると思う。

海外の各国の礼拝は、ほとんど賛美礼拝であり、イエス様をあかしする礼拝であり、祝福の礼拝であった。韓国の牧者たちは説教の時間に主に、世の話をする事が大多数であり、祈福(福を祈ること)信仰をする事で知られている。そして、聖書の啓示の御言葉を恣意的に解説した。注釈を聖書の上において、主に注釈の言葉で説教する。

海外の牧者たちも連合会がある。しかし、信仰の自由によって単独教団が多く、それなのにもかかわらず、互いに往来し合っている。どんな教団も責めず、友好的に過ごしている。韓国の教団は、全く違う。自分たちの所属教団でなければ、異邦、または、異端だと罪に定め、他の教団(仏教、儒教、ヒンドゥー教、イスラム教)などを悪魔と罪に定め、のろう批評をインターネットのアンチカフェなどに載せる特異な面が多い。
例を挙げれば、海外の牧者たちは、一般の不信者のような批評をするにはするが、主日礼拝だけは賛美と祝福によってするように見える。韓国は特に教団の区分がひどく、祈福信仰をして、聖書の解釈は注釈に頼って、礼拝の時、終末論について極端な主張をする傾向がある。聖書を恣意的に解く事が注釈であり、この注釈の内容で教育と礼拝をリードしている。

海外の諸教会は、安全で、静かで、平穏に見える。韓国の教会は、教団ごとに戦争である。はなはだしくは、自分たちと教理が異なる教団に対して戦争を仕掛けている。夜が明ければ、宗教新聞、放送などは、偽りまで動員して、偽りで歪曲報道をする。これは戦争を誘発する行為に見える。

このような理由が何だろうか?
今の時は、聖書での名前の通り、真理の聖霊が来られる時である。一方、全世界の教会は、終末の時、すなわち、太陽・月・星が全て落ちる時である。
神様の6千年の働きの中にあった事を調べて見ると、神様の使者、すなわち、預言者が現れる時ごとに紛争が起こって、迫害があり、遣わされた預言者たちが殺された。イエス様とその弟子たちもそうであった。誰が殺したのか?同じ宗教の指導者たちが殺した。初臨の時を見よ。その答がある。
今日、韓国にイエス様の初臨の時のように神様とイエス様と真理の聖霊と天国が来たならば、悪魔がじっとしてだけいるだろうか?昔のように(マタ23:30-37、使7:51-53)殺そうとするだろう。これが聖書が言った戦争であり、患難である。

聖書は、この時を知らせて、勝利せよと言ったのであり、イエス様の血とあかしする言葉で勝利したと言われた(啓12章)。このような事がなければならないし、この事実は免れないだろう。しかし、神様と天国が韓国に来られる事よりさらに大きな祝福はないだろう。韓国が新しい選民、新しいイスラエルになって、新しいエルサレム、新しい天、新しい地になって、新しい天国が成し遂げられる。

神様とその働きが現れる所に悪魔が働くようになり、霊的戦争があるようになった。今日、この戦争で悪魔が負けて、神様が勝利し、悪魔が地獄に捕らえられて閉じ込められるようになるので、平和が来て、神様が6千年目に始めて統治するようになる(啓19:6)送旧迎新、好時節になるだろう。

このため、神様は、休まずに6千年間働いて来られたのである。ここで誰が悪魔の行動をして、誰が背教の行動をし、誰が救いの働きをしたのか、聖書、すなわち、啓示録でその答を探そう。悪魔の行動をした者と、背教した者は共に地獄に行くだろうし、救いの働きをする者は、天国に行くだろう。

啓示録13章、16章の実体たち、啓示録14-15章の実体たち、啓示録6章と7章の実体たち、啓示録17-18章の実体たち、啓示録2-3章のと12章の実体たちをわかるのか?私は見た。だから、誰なのか知っている。
初臨の時のように、イエス様がこの事実を諸教会に知らせようと私を遣わされた。エゼキエル3章のように、啓示録22:16のようにという事である。

今、この世の宗教は、イエス様の初臨の時の肉的イスラエルのように終わった。私たちは、新しい時代を迎えている。アダムの世界→ノアの世界→モーセの世界→イエス様の初臨の世界→イエス様の再臨の世界のようにという事である。

今は、神様と天国とイエス様と御使いたちが大韓民国に来られて(初臨の時のように)、その御心が天で成し遂げられたように(啓21章)、今日、韓国で成し遂げられている。これは、人類の最高の祝福であり、この国は、天国と永遠の命の国である。今は、これを受け入れなければならない。事実がこのようなのに、信仰人たちは、どこを探しているのか?

天国と神様とイエス様が探そうとする人は、啓示録3:12のように、成し遂げられた所に来てこそ、見るようになり、ここに来た事が、すなわち、天国に来たのである。ここは、シオン山があり、十二の門、十二支派がある。ここには、イギンジャもいる。来て見よ!ここに天国がある。神様もイエス様も御使いたちもいる。毎月、十二種の実を結ぶ命の木もあり、水晶のような命の水が大通りの中央を流れている。ここが天国である。

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