2015년 1월 4일 일요일

真理と自由

真理と自由
(本文:ヨハ8:32-55)


<ヨハ8:32-55>

32.
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
33.
彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか。」
34.
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。
35.
奴隷はいつまでも家にいるのではありません。しかし、息子はいつまでもいます。
36.
ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。
37.
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかしあなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちにはいっていないからです。
38.
わたしは父のもとで見たことを話しています。ところが、あなたがたは、あなたがたの父から示されたことを行なうのです。」
39.
彼らは答えて言った。「私たちの父はアブラハムです。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたがアブラハムの子どもなら、アブラハムのわざを行ないなさい。
40.
ところが今あなたがたは、神から聞いた真理をあなたがたに話しているこのわたしを、殺そうとしています。アブラハムはそのようなことはしなかったのです。
41.
あなたがたは、あなたがたの父のわざを行なっています。」彼らは言った。「私たちは不品行によって生まれた者ではありません。私たちにはひとりの父、神があります。」
42.
イエスは言われた。「神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。
43.
あなたがたは、なぜわたしの話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです。
44.
あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。
45.
しかし、このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。
46.
あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。
47.
神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。」
48.
ユダヤ人たちは答えて、イエスに言った。「私たちが、あなたはサマリヤ人で、悪霊につかれていると言うのは当然ではありませんか。」
49.
イエスは答えられた。「わたしは悪霊につかれてはいません。わたしは父を敬っています。しかしあなたがたは、わたしを卑しめています。
50.
しかし、わたしはわたしの栄誉を求めません。それをお求めになり、さばきをなさる方がおられます。
51.
まことに、まことに、あなたがたに告げます。だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を見ることがありません。」
52.
ユダヤ人たちはイエスに言った。「あなたが悪霊につかれていることが、今こそわかりました。アブラハムは死に、預言者たちも死にました。しかし、あなたは、『だれでもわたしのことばを守るならば、その人は決して死を味わうことがない。』と言うのです。
53.
あなたは、私たちの父アブラハムよりも偉大なのですか。そのアブラハムは死んだのです。預言者たちもまた死にました。あなたは、自分自身をだれだと言うのですか。」
54.
イエスは答えられた。「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは『私たちの神である。』と言っています。
55.
けれどもあなたがたはこの方を知ってはいません。しかし、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしはあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています。


イエス様とユダヤ人たちが互いにやり取りした言葉を調べてみると、次のようである。

イエス様がユダヤ人たちに、「真理を知れば、真理があなたがたを自由にする。」と言われた。この言葉を聞いたユダヤ人たちが、自分たちはアブラハムの子孫であり、他の人の奴隷になった事がないと言った。もう一度イエス様が語れるのに、「罪を犯した者はみな、みんな罪の奴隷である。」と言われた。そして、「奴隷は永遠に家に住まず、息子は、永遠住む。息子があなたがたを自由にするならば、あなたがたがまことに自由になる。」と言われた。そして、イエス様も、「あなたがたがアブラハムの子孫である事を知っている。」と言われた。「しかし、私の言葉があなたがたの中にないので、私を殺そうとする。」と言われた。イエス様は、再びアブラハムの子孫であるユダヤ人たちに語られるのに、「わたしはわたしの父の所で見たことを話し、あなたがたはあなたがたの父から聞いた事を行なう。」と言われた。
イエス様がアブラハムの子孫であるユダヤ人たちに、イエス様の父とユダヤ人たちの父が違うと言われ、イエス様の父は神様であられ、ユダヤ人たちの父は悪魔だと言われた。これは、肉の父を言ったのではなく、この二人の霊の父が違うという事を言われたのであった。イエス様とユダヤ人たちの肉は同じだとしても、その中にある霊とその父は違うという事である。

今日も、韓基総の所属の人々と新天地の聖徒たちの肉は同じだとしても、その中に生まれた霊と霊の種が違う事によって、各々父が違うので、殺そうと迫害を強めていて、戦争を仕掛けたのである。私たちもイエス様のように、彼らに真理を知らせるならば、真理が彼らを自由にするだろう。真理がその中にないので、自由人になれず、罪の奴隷になって、敵対者になったという事がわかる。罪の奴隷から解放される事と、悪魔の父から救い出される事も、ただ、まことの真理がその中になければならない。

私たちは、彼らに真理を与えて、再び生まれさせている。今、話しているこの言葉は、恣意的に話したり、自ら話す言葉ではなく、私を遣わされた方が、この言葉を話させているのである。今、時は、霊的イスラエルの終末であり、再創造の時であり、収穫されて、印を押されて、再び生まれてこそ、まことの神様が父になり、再び生まれた者は、神様の子どもになるのである。

天国は、神様の子どもたちの一つの家族が住む所である。これを信じる者は、再び生まれて、天国の家族になるだろう。アーメン!

댓글 없음:

댓글 쓰기