2015년 1월 18일 일요일

新約が成就する時の状況

新約が成就する時の状況

本文:啓16章


新約が成し遂げられる時の状況はどうなのか。これはイエス様の初臨の時と同様である。マタイの福音書23章とヨハネの福音書5章を見なさい。

イエス様の初臨の時、腐敗した肉的なイスラエルが終わり、霊的イスラエルが始まったように、再臨の今日も腐敗した霊的イスラエルが終わって霊的新しいイスラエルが創造される。これは、啓示録6章で腐敗した一つの時代が審判されて終わり、啓示録7章で再び印を押して新しい国が創造されるのと同じである。また、啓示録21章では初めの天と初めの地が無くなって新しい天と新しい地があるようになり、この新しい天地に天国と神様が来られて共におられる事を約束された。

再臨の働きも初臨の時のように、道を備えるともしびの働きが先にあるようになる。その働きが啓示録2、3章の事である。この啓示録2、3章の現場が啓示録13章の現場である。ここ(天の幕屋)に滅亡者のサタンの牧者が侵入して占領するようになる。13章の天の幕屋は滅亡されたのであり、サタンの牧者は天の幕屋を所有するようになった。神様に属していた天の幕屋の七つの星(使者)とその聖徒たちが背教した事によって、サタンの群れに負けて、サタンの牧者が勝利したのであった。初臨の時も旧約の預言がエルサレムの聖殿で起こった事件であったように、再臨の働きも天の幕屋、すなわち七つの星の幕屋(聖殿)で起こった事件であった。このような事が先になければならないし、これが背教と滅亡の事件である。第二テサロニケ2章を見なさい。
これが神様の預言であり、約束であり、成し遂げる現実であるという事を地球上の牧者たちが分かるだろうか。

この事の後、啓示録12章に太陽、月、星を着た女から生まれた男の子とその兄弟たちがイエス様の血とあかしの言葉で竜の群れの牧者たちと戦って勝利した。この時から神様の国と救いがあるようになる。この時を知っているのか。また、この場所と出現した彼らの実体を知っているのか。
啓示録13章で天の幕屋の民たちと戦って勝利を得て、幕屋を飲み込んだ竜の牧者たちが啓示録12章では女から生まれた男の子とその兄弟たちに負けた。啓示録13章で竜の群れに負けた者たち(七つの星)が七つの道に逃げ去ったように、12章の竜の群も七つの道に逃げ去ったのである。申命記28章に勝利を得た者と負けた者に対する結果が詳しく記録されている。

誰が勝って、負けたのか、よく知っているだろう。啓示録12章で勝利を得た者たちが15章に獣とその像とその名を示す数字とに打ち勝って出て来た者たちであり、神様の御怒りを勝利を得た者に入れたので、彼らが御怒りの七つの鉢(啓15:7)である。啓示録16章で御使いたちがこの御怒りの七つの鉢を背教者(背教した幕屋の聖徒)たちと彼らを滅亡させたバビロンの竜と獣と偽りの預言者にぶちまけて審判した。この時、竜と獣と偽りの預言者の口からカエルのような汚れた霊が出て来て、天下の王たちに行って自分たちを審判した勝利を得た者たちと戦おうと彼らを戦場に集めると言った。
竜と七つの頭と十本の角を持った獣は、啓示録13章、12章で見た者たちであり、カエルのような悪霊が彼らの口から出て来たのは、この悪霊が彼らの中にあったという事であり、この霊の言葉を聞いて戦場に集まったという事は、彼らが仲間だという意味であり、天下の王たちは世の牧者たちの事を言っている。この獣の牧者たちは竜が与えた不品行のぶどう酒で万国を倒したので、天下の王たちも竜の所属の牧者たちに違いない。
 天下の竜の所属の霊たちと牧者たちが集まったので、啓示録が成就される現場がどうであったのかが十分に分かるだろう。神様が働かれる所に悪霊たちとその所属の牧者たちが集まる事は、イエス様の初臨の時にもそうであったし、今日もそうなのである。

考えてみると、啓示録の成就の現場は悪霊の天地であり、神様の所属からも霊たちが働かれたので、啓示録が成し遂げられるこの地には患難と苦しみが激しいという事は十分に推察できるだろう。12章で神様の所属があかしの言葉で勝利して、16章では御怒りを彼ら(竜の群れ)にぶちまけたので、この啓示録の現場は患難の渦となったのである。二つの所属の霊たちの間に、そして、二つの所属の人々の間に戦争と審判がたて続けに発生したので、混沌として空虚だっただろう。この事も生きている者は分かるだろうが、死んだ者はこれに対する感覚がないだろう。

七つの頭と十本の角を持った獣、すなわち竜の群れが不品行のぶどう酒で万国を倒したのである。この不品行のぶどう酒は何なのか。
イエス様はご自分の事をまことのぶどうの木だと言われたのであり、その枝は弟子たちであり、この枝にぶどうが沢山できたと言われたので、イエス様の御言葉はまことのぶどう酒である(ヨハ15章)。申命記32:32-33を見ると、蛇の毒、コブラの恐ろしい毒はサタンの野ぶどうであり、野ぶどう酒であった。これは彼らから出た教理であり、教法である。
神様(イエス様)のぶどうとぶどう酒は命を与えるのである。しかし、サタンの善悪の実、すなわち蛇の毒である不品行のぶどう酒はサタンの教法であり、サタンの偽りの教理である注釈である。これを万国に飲ませて倒したので、すなわち万国を死の中に置くようにしたのである。

今の時は神様の聖書の御言葉(真理)を宣べ伝えて、サタンの群れは偽りである注釈の言葉を伝える混濁した時である。聖徒たちがどうやって知識を得て、この事実を知って区分できるだろうか。
神様の御言葉には命があり、サタンの言葉には邪悪がある。もし、神様の働きとサタンの働きがなかったら、この時代は静かであったろう。しかし、約束した啓示録が成し遂げられなければ、神様とサタンとの戦争が終わらないようになっている。それゆえ、どちらにしても一度は直面しなければならない事である。この時、神様の使者(牧者)とサタンの使者の実体を誰が分かるだろうか。
神様は聖書でこれを知らせられた。成し遂げる啓示録の中には、神様が約束された事と約束された牧者について記録し、サタンとサタンの牧者がする事を記録した。それゆえ、その仕業をみると、誰の行動なのか分かるようになる。サタンは神様に偽装して、サタンの牧者もまことの牧者のように偽装する(Ⅱテサ2:4、Ⅱテサ11:13‐15)。しかし、その行動と仕業は異なる。もし、サタンの牧者が神様の事をするようになれば、サタンの立場がどのようになって、神様の牧者がサタンの事をするなら、神様の立場がどうなるだろうか。それゆえ、各々記録された通りに自分の事をするのである。

世の牧者が天の幕屋に入って来て聖徒たちの額と右の手に刻印を受けさせたなら、啓示録13章が成し遂げられたのである。
誰が天の幕屋の聖徒であり、誰が世(海)から入って来た者なのか。また、誰が誰の手と額に刻印をしたのか、誰が刻印を受けてその刻印をした者に拝んだのか。これはただ約束の御言葉である聖書でのみ、判断する事ができる。

啓示録は三つの組織(人物)の事を記録したので、彼らが秘密の人物であり、背教者、滅亡者、救い主である。
もし、啓示録の道を備える七つのともしびの働きが始まったのにもかかわらず、サタンがじっと見ているだけでいるならば、そのまま神様の国になってしまうだろう。だから、サタンは彼らの働きができないように積極的に妨害をするのである。この事によってサタンの正体が現れるようになる。
神様は神様と神様の人を聖徒たちに知らせる事で、聖徒たちはサタンを信じず、まことの神様を信じるのである。この事こそ神様がなさろうとする事である。聖徒たちが悪魔を信じようとするのではなく、悪魔の正体が分からないので、惑わされるのである。

まことの宗教は天の神様が人に教える事であり、人は天の神様から学ぶのである。
神様は時代ごとに将来に成し遂げる事を前もって預言されて、その預言が宣べ伝えられた後に、約束した牧者に来られて成し遂げられた。これを信じなさいという事である(ヨハ14:29)。これがまことの宗教である。正しくて良い事をしなさいと言うからと言って宗教だと誤解してはいけない。預言と成就がないのは宗教ではなく、神様の御言葉ではない。これは恣意的な事で、自分の知識と人の戒めに過ぎないのである。世の中には国教があって、私教があり、まことの宗教が腐敗により変質されたものがあり、権威を振るって宗教を事業のように思う世の中の教え(世上教)がある。

  聖書には「末世だ、終末だ。世の終わりだ。」という言葉がある。これは一つの時代が終わる事を言う。なぜ終わるのか。腐敗したからである。神様は腐敗した一つの時代を清算して、新しい時代を再び創造される。聖書が言ったのは、まさにこれである。預言の御言葉を悟って、この時を知る者は終わる時代にしがみ付かず、約束した新しい時代の創造に入る事に力を注ぐだろう。

神様は誰が何と言っても約束された啓示録通りに成し遂げられる。啓示録を鏡として自分の事を映してみなさい。どのように現れるのか。この本の御言葉で審判を受けるようになる。
新約が成就する時は啓示録の背教、滅亡、救いの事件が息詰まるように現れて解決されるはずなので、この時代の状況がどのようなのか、分かる事ができると思う。
三つの存在が現れる順理はまず、背教者の七つの星であり、次は滅亡者のサタンの群れであり、その次は救い主である(Ⅱテサ2:1-3)。この三つの中の誰に救いがあり、誰に付いて行ったら救われるのか判断しなければならない。
インターネットのアンチカフェで救い主である約束の牧者を迫害する牧者と青年、学生たちは、聖書で自分の姿を探してみなければならない。彼らは分からず迫害して呪うのが義であると思っている。自分たちの行為がサタンの行動である事が分かれば、そのような悪行をしないだろう。これが啓示録の成就の時、現れる状況である。

彼らは私たちと共に神様の種で植えられて、生まれ変わるならば、その時は悟る事ができて、悔い改めるだろう。そのようになる事を祈る。


-光と光の出会いは勝利-

38000フィート上空で書く。

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