2015년 1월 17일 토요일

新しい事と二種類の種と新しい契約

新しい事と二種類の種と新しい契約

本文:エレ31章(マタ13章、ルカ8:11、啓14:14-16)


今から約2600年前に、神様がエレミヤに新しい事と二種類の種を蒔く事と、新しい契約を立てる事を預言された(エレ31:22、27、31)。

(このエレミヤはベニヤミンの地、アナトテの祭司のヒルキヤの子である。神様の御言葉が23年間エレミヤに臨まれ、これを記録したのがエレミヤ1章から52章までであり、新しい事と二種類の種を蒔く事と新しい契約を立てる事は52章の中、31章に記録した。聖句:エレ1:1-3、エレ25:1-3、ヘブ8章)

約束した事(新しい事、二種類の種、新しい契約)は、いつ、誰を通して成し遂げられるのか。
この預言は全ての民族にあかしされるため約600年間宣べ伝えられ、全世界に宣べ伝えるため、このような期間が必要であった。約600年後、神様はエレミヤに約束された事を成し遂げるために約束された牧者を誕生させ、この約束された牧者を通して成し遂げられた。

約束された牧者はいつ、どこの誰なのか。イザ7:14、ミカ5:1-4、ホセ11:1、ゼカ9:9。これが約束である。この御言葉通りに来られた方がイエス様である。

神様は約束されたイエス様に来られた(ヨハ1:29-34)。そして、マタイの福音書13章でエレミヤに約束された(エレ31:27)二種類の種を蒔かれた。良い種はイエス様を通して、悪魔の種は蛇、パリサイ人の牧者を通して(ルカ8:11、マタ13:24-30、36-43)。
神様がアダムの以後、約束された預言は、その通り全て成し遂げられ、約束をその通り成し遂げなかった事はただの一度もない。もし、神様が約束を守られなかったならば、どうして神様を信じる事ができるだろうか。

新しい事とは、モーセの律法ではない、違う事を言われたのであり、二種類の種は人の肉的種を意味するのではなく(ヨハ1:13)、霊の種、すなわち、神様の種と悪魔の種を言われたのである。
そして、新しい契約という事は、モーセの時の契約ではなく、新しい契約を再びするという意味である(ヘブ8章)。エジプトから出て来た肉的イスラエルと契約をされたが(出19:5-8)、彼らがその契約を破ってしまったので、新しい契約をされたのであった。新しい契約は、イエス様の血で立てられた(ルカ22:20、Ⅰコリ11:25)。イエス様の血で立てた新しい契約が、すなわち、新約であり、新約を総合したものが啓示録である。この啓示録を成し遂げるという事を血で契約したのである。
この新しい契約を守る者と守れない者がいる。約束の種で生まれ、再臨の収穫の時、収穫され、新しい国、12支派に所属されるならば、新しい契約を履行した者となる。

イエス様の以後、宗教人は、二種類の種で生まれるようになる。神様の種で生まれた者は収穫の時、収穫されて行って、悪魔の種で生まれた者は、収穫されて行かず、自分の畑、すなわち、自分の教会に残った者である。これが二種類の種の証拠である。
新しい契約、すなわち、新約には種を蒔く時があり、収穫する時があり、印を押して神様の新しい国、12支派を創造する時がある。これが血で約束された新しい契約である。

宗教とは、人の論理でも、知識でも、思いでも、戒めでもない。宗教は天の神様の御心であり、肉的なものではなく、霊(神)的な働きである。それゆえ、天が約束したその御心通りにするのが宗教人である。しかし、地球上の6千年の歴史を振り返って見ると、最初のアダムの世界が腐敗によって終わって、代わりにノアの世界が繰り広げられ、ノアの世界が腐敗する時、肉的イスラエルの世界が繰り広げられ、肉的イスラエルの世界が腐敗する時、イエス様を通して霊的イスラエルが始まった。イエス様の世界は、初臨と再臨に分かれていて、再臨で完成される。
時代ごとに腐敗したひとつの時代は終わって、再び創造された新しい時代が主管して来た。これが聖書であり、歴史である。

宗教を人の戒めと知識と考える人は、宗教の意味をわからない者であり、世の人なので、世の中のものでだけ知っている者である。宗教は神の御心であり、神の教えであり、神からの学びである。宗教が語っているのは、神様の約束である。この約束を全世界に知らせた後、その約束を成し遂げられ、信じさせるのである。これが約束であり、信仰である。約束した事があかしされるためにあらかじめ約束され、時になって成し遂げられる。
種を蒔くと約束されて種を蒔かれ、種を蒔いた後、収穫しに来ると約束され、時になって来られ収穫された(啓14:1-5、14-16)。収穫した人で神様の新しい国(再創造)の12支派を創造されるという約束通り、印を押して創造された(啓7章、14章)。これを約束されて、信じなさいと言われたのである。

神様の種でできた人と神様の種でできていない人の差は大きい。その差は天民と世の中の人(世上人)である。人々が信じるか信じないか、これは事実であり、神様はこの二つのうち、どんな人に共におられ、祝福を下さるだろうか。結局は一つは終わり、一つは永遠に存在するようになる。アーメン。

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