2015년 1월 7일 수요일

新天地と韓基総、誰がまことなのか

新天地と韓基総、誰がまことなのか

(本文:Ⅱテサ2:1-4、Ⅰヨハ4:4-6、啓17-18章)


聖書で見るならば、韓基総と新天地、誰が背教者、滅亡者、救い主なのか?
背教者は背教をしてこそ、背教者になって、滅亡者は誰かを滅亡させてこそ、滅亡者になり、救い主は選民が誰かに滅亡された時、そこから救う働きがあってこそ、救い主になる。

まことの信仰人の信仰は、まことの神様とその御言葉を信じて、守る者である。
聖書66巻には、歴史・教訓・預言・成就があり、預言が成就される時には、預言で話した通り、背教者、滅亡者、救い主の順理で、この三つの存在が出現する(Ⅱテサ2:1-4)。

背教者は、神様の所属の聖徒だったが、アダム、エバのように蛇の惑わしを受けて背教する者であり、滅亡者は、選民を惑わして、滅亡させるサタンの牧者である。サタンに惑わされて滅亡された選民を再び救う者が救い主である。
新約のマタイの福音書24章と啓示録13章は、教会の終末を預言したものであり、この事の後、主が御使いと共に来られて収穫する働き、すなわち、救いの働きがあるようになる。マタイの福音書13章で、この収穫の時を世の終わりだと言った。この働きを再び言うならば、選民太陽・月・星が天から地に落ちる終末であり、教会(キリスト教の世界)の終末である。

これは、聖霊で始まって、肉に戻る背教である。蛇、すなわち、サタンがアダム、エバに善悪の実を食べさせて、滅亡させたように、今日、啓示録でもサタンの不品行のぶどう酒を食べさせて、万国を倒した(啓17-18章)。これは、宗教の末世である。アダムの世界が善悪の実によって肉に戻って、滅亡されれ終わって、ノアの世界もアダムの世界のように罪によって終わって、肉的イスラエルのモーセの世界も、ソロモンの時、異邦の神に仕える事によって終わった。霊的世界であるイエス様の初臨の世界も、アダムの世界のように善悪の実、すなわち、不品行のぶどう酒によって万国が倒れて終わった。

神様は、時代ごとに一つの時代が腐敗する事によって新しい時代を創造して来られた。アダムの世界→ノアの世界→モーセの世界→初臨のイエス様の世界→再臨のイエス様の世界にという事である。神様とイエス様が約束された新約、すなわち、四福音書と啓示録の預言とその成就を見たように、以前の世界は、背教、滅亡によって終わった。モーセの律法がキリストに導く養育係であるように、イエス様の初臨の時の天の福音の種蒔きが、再臨の収穫をあるようにしたのであり、この収穫は、主の再臨の時、背教、滅亡の事件の後のある事を新約聖書とイエス様が語られて(預言)、預言通り成し遂げられた。これらは、新約の主の再臨の時の事件であり、この預言通り成し遂げられた。

イエス様の初臨の時、旧約を成し遂げられた事をユダヤ人、パリサイ人たちの牧者たちが、その事をわからなかったように、新約の時代である今日も、この時代の牧者たちが新約が成し遂げられた事を全くわからなかった。その時と同じだという御言葉が応じたのである(ルカ17:26-30参考)。新約に記録された預言は、到来する事件であり、選民の背教と滅亡も必ずあるようになる事件で、これと同じく成就された。
旧約の預言、イザヤ29:9-10、この成し遂げられた初臨の時の盲人になった牧者たちのように(マタ15:14参考)、今日、啓示録3章の牧者たちも、盲人になって、預言も、成就もわからないのと同じであった(啓3:17-18参考)。聖書の神書は、神(霊)の心で見てこそ、悟りがあるようになる。

今日、預言通り背教、滅亡の事件の後、東西南北の種を蒔かれた畑に行って、収穫して、印を押して、12支派144,000人(祭司長)と白い群れ(民)を創造する事によって新しい時代、新しい国、新しい民族、すなわち、天民が創造されたのである。これ以外には、背教者と滅亡された者たちだと、聖書は言っている。
韓基総は、啓示録7章と14章の創造された新しい民族なのか?そうでなければ、そのように創造されなかった民族なのか?韓基総は、イエス様の初臨以後、遺伝された伝統の信仰人だという事は明らかである。新約の啓示録の背教・滅亡・救いの事件と新しい国、新しい民族の創造を信じないという事が明らかな事だと思える。
韓基総の種類は、長老教であり、長老教はカルヴァン長老教として始まったのであり、旧約時代のイスラエルのソロモンが異邦の神に拝んだように、日帝時代に日本の天皇の神に拝んで、賛美して、世の政治に加担して、御言葉よりも帰福信仰を旨として、会長と牧者職をお金で売り買いして来て、韓基総の所属でなければ、異端と罪に定め、迫害して、戦争を仕掛けた。
この韓基総は、今や古くなって、腐敗して、衰えて、二つ三つと裂けて、互いに異端だと紛争を起こして、衰退して行っている。これが韓基総の現実であり、終末である。

新しい天、新しい地、すなわち、新天地は、新約聖書通り創造された。これを韓基総が異端だと言うので、新天地は、初臨当時のイエス様のような偽物の異端、すなわち、まことの教団ではないのか?新天地が、どれ一つでも新約聖書通り創造されなかった事があれば、指摘せよ。新約の預言通り創造されたという事は、神様の御心通りできたのであり、これを迫害するという事は、すなわち、神様を迫害するという事である。新天地は、神様が預言されて、神様が成し遂げられたからという事である。

その昔、神様が旧約を預言されて、初臨の時、イエス様に来られて、旧約を成し遂げられた。これを当時の牧者たちが迫害したように、今日も、新約を預言された方が来られて、成し遂げられた事を世の牧者たちが迫害するので、その昔のその神が彼らに入って迫害させた事と同じである。真理と非真理の神が、このように入るという事は、マタイの福音書7:15-20の御言葉が応じたと思う(Ⅰヨハ4:4-6参考)。
獣は聞きもできず、話せもしない。誰でも神様の霊と神様の種で再び生まれてこそ、変化されて、新しい被造物になると思う(ヨハ3:5)。神様の者は、創造主、神様に戻って行かなければならないし、被造物は本主人であられる神様の中で祝福を受けるだろうし、神様は、自分のものとして愛されるだろう。これによって神様が天地を統治されるようになる。これが天国である。

私たちは、みんな一緒に国と民族を神様に捧げて、神様が統治されるようにしよう。そして、祝福を受けよう。これが平和であり、安息であり、戦争が終息された天国、楽園の世界である。アーメン!

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