なくなる以前の天、以前の地
(本文:啓21:1(創37:9-11))
なくなる以前の天と以前の地は、どんなものであり、新しく創造された新しい天と新しい地は、どんなものなのか?
キリスト教徒たちが、聖書がいう末世を不信者たちの世として見ているが、これは間違った判断である。聖書がいう終末(末世)は、キリスト教の終末を言ったのである。
神様の6千年間の働きを見たように、腐敗したアダムの世界がなくなって、ノアの新しい国が立つようになって、腐敗したノアの世界がなくなって、モーセによる肉的イスラエルが創造され、腐敗した肉的イスラエルがなくなって、イエス様の霊的イスラエルが創造された。イエス様の霊的イスラエルも、2千年が過ぎた今日、腐敗して、霊的イスラエル、すなわち、以前の天、以前の地がなくなって、霊的新しいイスラエルが創造されるので、これが本文の新しい天、新しい地である。
創世記37:9-11に、ヤコブの家族を太陽と月と星と言ったので、彼らがいる所が、すなわち、天である。そして、土で造った肉体が、すなわち、地である。自然界の天と地である地球を言ったのではない。以前の天と以前の地(先天の霊的イスラエル)が腐敗したので、新しい天と新しい地を再び創造されたのである。これは、先天の牧者と教会が腐敗する事によってむなしくなって、再び後天の新しい牧者と教会を創造された事を語られたのである。
啓示録21章に、以前の天と以前の地がなくなって、新しい天、新しい地が創造されたと、2千年前にイエス様が弟子、使徒ヨハネに預言された、その以前の天と以前の地は、イエス様以後の先天の霊的イスラエルを語られたのであり、新しい天、新しい地が創造されたと言ったのは、今日、新天地イエス教が創造された事を前もって見て聞いて預言した、それである。
この新しい天、新しい地は、イエス様の預言通り、種を蒔いた畑、すなわち、教会から、今日、穀物の聖徒たちを収穫して、啓示録7章でのように、印を押された12支派、144,000人(祭司長)と白い群れの民たちである。彼らは異端ではなく、イエス様の預言が成し遂げられた実体である。彼らは、イエス様の血であがなわれた国と祭司長たちであり、イエス様の血で罪を洗われた聖徒たちである。イエス様が初臨の時、十字架にかかられた事も、血を流された事も、2千年間、福音の種を蒔いた事も、今日の背教・滅亡の事件と救いの働きも、ただ、神様の国、12支派を創造するためのものであった。これを異端だと言う者はみな、神様に属さない者たちであり、収穫されなかった毒麦、すなわち、悪魔の子どもたちである。
まことにイエス様とその御言葉を信じるならば、約束通り成し遂げられた事を、なぜ、信じないのか?イエス様が種を蒔いた畑(教会)に、サタンの牧者も自分の種を蒔いたので、イエス様の畑には、世の終りの日まで、この二種類の種が一緒に育って来て、収穫の時、穀物、すなわち、神様の種でできた者たちだけ、収穫して来たので、教会に残ったものは、悪魔の種、毒麦だけである(マタ13:24-30)。この毒麦は、悪魔の子どもたちだと言ったので(マタ13:38-39)、収穫されなかった牧者と所属の教徒たち、すなわち、毒麦(悪魔の種でできた悪魔の子どもたち)たちだけ残ったのである。彼らが収穫されて行った穀物たちに異端だと言うと言って、異端になるだろうか?まことの異端は、毒麦である悪魔の子どもたちである。
ノアの時にも、ロトの時にも、イザヤ1章のユダとエルサレムに関する預言が成就された時、すなわち、イエス様の初臨の時にも、少しの種だけ残って、後代に引き継いで来たように、今日も、収穫された少しの群れが後代を成し遂げるのである(啓3:4,6:6参考)。肉的イスラエルがイエス様を信じなかった理由は、彼らが旧約の預言を信じなかったから、その預言を成し遂げる時、信じなかったのであり、今日、再臨の時も、霊的イスラエルが新しい天、新しい地に関する預言を信じなかったから、新しい天、新しい地、すなわち、霊的新しいイスラエルの実体を信じなかったのである。
新約の成就について信じない理由を見ると、一つは新約、すなわち、新しい契約の預言を悟れず、信じないのであり、もう一つは、サタン(悪魔)の牧者と、そして、その種でできた毒麦、すなわち、悪魔の種でできた悪魔の子どもだから、悟る事も、信じる事もできないのである。
二種類の種を蒔く時や、二種類の種が育つ時や、二種類の種に対する収穫の時があり、穀物は、刈り取って神様に行って、毒麦は、刈り取って審判されると、啓示録14章にも、マタイの福音書13章にも同じく説明している。これは、旧約(エレ31章)から始まって、啓示録で完成されるのであった。収穫の時は世の終りであり(教会の終末)、悪魔の群れと神様の群れがいて、神様と悪魔との戦争がある。この時、先天の選民が侵害されて、天から背教して、地、すなわち、肉に戻る背教があり、この選民を滅亡させる滅亡者がいる。これが終末を預言した啓示録の事件であり、このような末世に救われるために聖書の御言葉の中に入って、背教の働きと、滅亡の働きと、この時の救い主の働きを詳しくわからなければならない。
彼らを知ることによって不品行のぶどう酒、すなわち、善悪の実を食べないだろうし、命の木の実を食べるようになるだろう。この命の木は、12の枝があり、12種の実を結び、この木の上には鳥(聖霊)がいて、この木の葉は万国を蘇醒させるためにある(エゼ47:12、啓22:2)。この命の木の実を食べれば、永遠に生きると記録されている。
この命の木は、まことのぶどうの木であり、まことのぶどうの木から生まれた新しいぶどう酒が永遠に生きる酒であり、万国を倒させた啓示録17章、18章の不品行のぶどう集は、善悪の木からできた蛇の毒であり、まむしの悪じである(申32:33)。アダムも、エバも、今日の万国も、これを飲んで、倒れて、死んだのである。
この二種類の木は、神様と悪魔であり、神様の牧者と悪魔の牧者である。二種類の酒、ぶどう酒は、神様の啓示の御言葉と悪魔の偽りの言葉である。この二種類の酒のうち、神様から出た者は、神様の新しいぶどう酒、啓示の御言葉を好み、悪魔の種で生まれた者は、不品行のぶどう酒、すなわち、悪魔の偽りの言葉を好む。これはまことの牧者と偽りの牧者を、ぶどうの木にたとえて比喩を施して語られたのであり、真理と非真理を酒に比喩したのである。アダムの時も、今日も、二種類の木の実と果実酒によって生と死が来たのである。
今日、チョンジキ教育印も、韓基総の注釈の言葉も、まことのぶどう酒だと信じるか?ぶどう酒に水が混ざったように(イザ1:22参考)、偽りの言葉が混ざれば、これをまことのぶどう酒と言えるだろうか?また、その行いが正しい行いでなければ、どんな木だろうか?
アダムの一つの時代が善悪の実で終わって、ノアの世界が創造されたように、肉的イスラエルがアダムのように(ホセ6:7)、異邦の神に拝む事によって終わって、イエス様の世界を立てたように、今日の先天の諸教会が腐敗して、異邦の不品行のぶどう酒を飲んで、異邦の神に拝んで、天から地に、聖霊で始まったのに肉に戻ったこの時代を清算して、新しい時代の約束の国を啓示録の約束通り創造された。この国が「新天地イエス教」である。これは、聖書通り成し遂げられた事がはっきりしているのに、なぜ、信じないのか?これ以外に聖書で何を待っていたのか?新約、すなわち、啓示録は、将来に成し遂げられる事を約束したものであり、これを加減すれば、天国に行かれず、のろわれるという御言葉も(啓22:18-19)、加減せず信じなさいという御言葉である。
成し遂げられる時は、記録された啓示録22章までが全て成し遂げられた時、啓示録21:6のように、「全て成就した。」と言える。我が新天地は、これを現場で見て、触った証人である。韓基総のカルヴァン主義者たちが新天地の悪口を言うのは、神様も、イエス様も、新天地も信じないからであり、新天地のまことのあかしによって、自分たちが間違ったあかしをした偽りの言葉が明らかになるからである。
神様が先天を終わらせて、後天、すなわち、新しい天地を創造されたので、どんな話があるのか?信じなければ、地獄の火に行くだろうし、信じれば、永遠の命の国、天国に行くだろう。私たちの新しい天地は、神様とイエス様と預言の使徒たちに永遠に感謝、感謝する。アーメン!
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