2015년 1월 27일 화요일

神様の子どもと悪魔の子どもの行動

神様の子どもと悪魔の子どもの行動


本文:マタ7:15-27(マタ13:24-43)

 神様の種で生まれた神様の子どもたちと悪魔の(啓12:9、啓20:2参考)種で生まれた悪魔の子どもたちの行動は、どのように異なるのか。
 イエス様は、「その実によってその木がわかる。」と言われ、「主よ、主よという者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者が入るのです。」と言われ、「その日には、主の名によって預言をし、悪霊を追い出し、奇跡を行った者に、不法をなす者ども、わたしから離れて行け。」と言われた。ただ、主の御言葉を聞いて守った者が救われる者だと言われた。

 マタイの福音書23章を見る。
 当時のイスラエルは、世界の民族の中で神様が選んだ選民であり、エルサレムの聖殿は、一番聖なる聖殿であった。当時のエルサレムの祭司長のザカリヤとバプテスマのヨハネが追い出されて、律法学者たちとパリサイ人たちがモーセの座に着いた時であった。このエルサレムの主管者は、誰なのか。エルサレムは、白く塗られた墓であり、その中には死んだ者の骨が満ちていて、主管者たちは蛇、悪魔の牧者であった。もう一度言えば、神様の聖殿が、サタンとサタンの牧者が主管者になったという事である。
 当時のユダヤ人たちがエルサレムの聖殿がこんな所になった事を、どうわかっただろう。

 イエス様は、旧約のエゼキエル37章をあかしして、成し遂げられなければならないので、このエルサレムがエゼキエル37章の現場である事をあかしされた。だが、彼らは、イエス様の御言葉を信じず、ただ、イエス様を殺す事だけに血眼になっていた。その理由は、自分たちの秘密と事実をあかしするからであった。
 今日、啓示録が語った再臨の時は、どうなのか。道を備える者とサタンの牧者と約束の牧者が出現するようになる。この三つの存在を秘密だと言われ、三つの存在は、背教者と滅亡者と救い主である。だが、この事件、啓示録をわかる者は天上天下に一人もいないと言われた(啓5:1-3)。この啓示録を開いて、成し遂げてこそ、神様の御心も、信じる聖徒たちの希望もあるようになる。

 この時に神様から生まれた子どもたちの行動と、悪魔から生まれた子どもたちの行動は、どのように異なるのか。
 まず、時代ごとにあった聖句で見よう。
 マタ5:11-12、マタ7:1-5、マタ23:30-36、使7:51-53、ヨハ16:1-4、ルカ20:9-16。
 これが神様の所属者と悪魔の所属者の行動である。
 迫害する者は悪魔の所属であり、迫害される者は神様の所属であった。

 初めの御言葉から生まれた者は、御言葉を知っていて、悪魔から生まれた毒麦、すなわち、悪魔の子どもたちは、神様の御言葉がなく、人の言葉だけである。彼らに公開討論、及び、対話に招いても出て来ない。その理由は、自分たちの正体がばれるかと恐れているからである。彼らは、名誉と教権とお金を好む。神様の約束の御言葉よりも世の権威と言葉をもっと好む。彼らは、イエス様の戒め、赦しと愛と祝福する事を憎んで、悪口と迫害と呪いと偽りを作り出して、相手を苦しめる。神様の御言葉を語る者を憎んで、殺すまで憎む。イエス様は、敵をも愛しなさいと言われ、敵が飢えれば食べさせなさいと言われた(マタ5:44、ロマ12:20)。一ミリオン行けと強いるような者とは、一緒に二ミリオンを行きなさいと言われた(マタ5:41)。これが異なる点である。

 サタンの子どもたちは、神様の御言葉を学んで知る事を不満に思って、学べないように、積極的に阻む。御言葉が神様だとも言われた。ヨハネの福音書1:1、第一ヨハネ1:1を見なさい。御言葉を学ぶ事は、神様を学ぶ事である(ホセ6:6)。悪魔の子どもたちは、聖徒が神様を知る事を望まない。だが、人が造った世の神学校では、神様の御言葉がなく、世の言葉があり、世の教会でも世の言葉が出て来て、神様の約束の御言葉よりも世の言葉を教えている。彼らの教育と反対になる事が、すなわち、神様の御言葉である。
 旧・新約の預言者や使徒たちを殺した者は、異邦や不信者ではなく、偽りの牧者たちが同じようにみんな殺した(使7:51-53)。外側は神様を信じると言うが、その内側には悪を吐き出す毒とサタンの神が主管している事は、聖書で見たその通りである。

 神様の御言葉をなぜ、学べないようにするのか。この御言葉の中には、神様と悪魔を悟らせる御言葉があるからである。御言葉がわかるようになれば、まことの神様と悪魔がわかるようになり、まことの牧者と偽りの牧者がわかるようになって、サタンの教徒と神様の聖徒がわかるようになる。サタンの組織と神様の組織がわかるようになって、地獄と天国の道がわかるようになる。預言とその預言を成し遂げた実体がわかるようになる。だが、サタンの所属の牧者たちが神様の御言葉を学べないようにする。
 神様の御心と御言葉がわかるようになる時、サタンは、この地からさらに足を踏む所がなくなって、底知れぬ穴(地獄)に捕らわれるようになって、閉じ込められるようになる。
 もし、御言葉を学べないように妨害する者に真理があるならば、その真理で間違って話した事を指摘するだろう。自分に真理がないので、御言葉で言わず、手段と方法を選ばず、御言葉を学べないように妨害するのである。
 私たち聖徒が偽りの牧者と戦って勝利できる武器は、私たちが知っている真理であり、真理であかしする言葉によって勝利する。

 韓国の韓基総は、イエス様の初臨の時の肉的イスラエルのエルサレムのような所である。当時のエルサレムの牧者たちがイエス様を迫害したように、今日の韓国もそうである。もし、彼らに真理があれば、真理で話すだろう。真理がないので、悪を行うのである。
 韓基総が分かれる前に、チェ牧師を異端鑑別師として立てて、チェ牧師は、韓基総の所属ではない者たちをみんな異端として罵倒した。韓基総が二つに分かれた後、韓基総は、自分が立てたチェ牧者を最悪な異端だと新聞に報道した。最悪な異端を立てた韓基総は、最悪な異端の首領ではないのか。

 韓基総所属の新天地アンチカフェに入ってみよう。何が記録されているのか。新天地についてあらゆる悪口、あらゆる嘘、あらゆる呪い、罵倒と迫害の言葉を、どうして話せるのだろうか。まさに目を開けて見る事のできないほどである。この悪口は、彼らの心や考えから出て来たのである。イエス様は、「口から入るものより、その口から出て来るものが人を害する(マタ15:11、17-20)。」と言われた。彼らが行った悪行は、自分の家庭で学んだものだろうか、学校で学んだ行動だろうか。この青年たちが自分の教会の牧者から指令を受けて、取った行動である。これは腐敗の線を越えて、罪を義とする者たちであり、悪質な教法なのである。彼らが、どうして神様の義の種によって生まれた者だと言えるだろうか。また、この集団が神様の組織体だと言えるだろうか。
 神様から生まれた者は、神様の戒めを守るだろうし、悪魔から生まれた者は、悪魔の悪行をするだろう。だが、その実によってその木、すなわち、その牧者とその神がわかると言われたのである。

 イエス様以後、教会には、二種類の種が蒔かれて(マタ13:24-30)、一つは神様の種であり、一つは悪魔の種であった。再臨の時、神様の種で生まれた者は、収穫されて行って、悪魔の種で生まれた者は、収穫されなかった者たちである。誰が救われた者だろうか。見てもわからないという事は、この御言葉を信じない者である。
 収穫された者と収穫されない者のうち、誰が誰を迫害するだろうか。今、収穫されなかった牧者とその教徒が、収穫された者と収穫して行った者に迫害を加えている。見てもわからないのか。悪行をする者は、悪魔の子どである事を自らあかしするのである。

 聖軍、聖徒にならなければならない。神様の種と霊で再び生まれて、新しい被造物になって、天国と永遠の命を得て、永遠に共に生きる神様の一つの家族になる事を祈っている。アーメン。


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