新約のアルファとオメガの結果と約束の牧者
本文:啓22:13(啓1:8、21:6、2:8)
聖書で言うアルファとオメガ、即ち始まりと終わりはどんなものなのか。これは預言と成就を言っている。その例として、神様がアブラハムと約束された預言はモーセの時、全て成し遂げられ(出12:37-42参考)、旧約の預言者を通して約束された預言はイエス様の初臨の時、全て成し遂げられた(ヨハ19:30)。このように新約の預言も約束の通り全て成し遂げられる(啓21:6)。これが新約のアルファとオメガである(啓22:13、21:6、1:8)。
神様は聖書に記録された通り、将来に成し遂げる事を計画され(イザ14:24)、預言者たちを通して先に預言され(ホセ12:10)、約束された預言を万国に知らせた後、あらかじめ約束された牧者を通して約束された事を成し遂げられた。神様は信じるくらいの証拠を過去6千年間、見せて下さり、このようにイエス様が新約で成し遂げる事を約束された事が預言であり、新約である。
イエス様の初臨の後、2千年間は、新約の働き(福音)を全ての民族にあかしするため、全世界に宣べ伝えた期間であり、今日、地の果てまで宣べ伝えられたので、これからは新約を成し遂げる時であり、現に成し遂げている。しかし、新約を信じなかったり、新約のその意味を知らなければ、成し遂げられたとしても初臨の時のようにわからず、敵対するようになる。イエス様が信じなさいと言われた事は新約であり、約束である(ヨハ14:29)。新約の預言とその成就をわからなければ救われない。新約が成し遂げられる前に救われたという者は、聖書も意味もわからない者であり、惑わしの言葉を話す者である。
新約が言っている世の終わりが来るようになれば、背教者が出現し、滅亡者が出現し、救い主が出現する。この三つの存在(牧者)が世の終わりに登場する人物たちである。預言されたこの三つの人物を見分けることができなければ救われない。
世の終わりの背教者は記録された背教の働きをするのでわかるようになり、滅亡者も記録された滅亡の働きをするので滅亡者だと分かるようになり、救い主も記録された救いの働きをするから救い主だと分かるようになる。
世の終わりの事件である啓示録6章と18章と13章で見た通り、万国がサタンの牧者から不品行のぶどう酒を受けて飲んで倒れ、サタンの神と結婚したので、これが背教でなければ何と言えるだろうか。異邦の偽りの牧者たちが、神様の民を、アダムの時の蛇のように善悪の木の実、即ち不品行のぶどう酒を飲ませ、万国を滅亡させたので、この偽りの牧者たちが滅亡者でなければ、何だろうか。これを見ても悟れなければ、死んだ者だろう。
神様が遣わされた牧者は、滅亡者たちに捕らわれている聖徒たちを召され、選ばれ、滅亡させた者たちと戦って勝利を得るのである。この事が啓示録15:2、17:14、18:4で見た事と同じである。これが新約が言っている世の終わりであり、世の終わりの事件である。世の終わりの時には背教、滅亡、救いの三つの存在を確実にわかってこそ、救いがある。
啓示録13章で見たように、竜も自分の牧者に権威と座を与えて働かせた。このようにイエス様も自分の使者を御座に共に着かせて下さり(啓3:21)、啓示録全章の事件を全部見せられた後、諸教会に遣わして、成し遂げられた事件、即ち背教、滅亡、救いの事件をあかしさせられた(啓22:16)。
第一ヨハネ2章を見ると、イエス様は神様の代言者であり、保恵師であった(韓国語聖書:Ⅰヨハ2:1「代言者」欄下注参考)。このようにイエス様もイエス様の御名で来られる真理の保恵師を遣わす事をヨハネの福音書14章、15章、16章に約束され、啓示録22:16にも、ご自分の使者を遣わすと言われた。世の終わりを迎えた聖徒たちが待ち望んでいるのはイエス様が約束された牧者である。旧約時代の聖徒たちが待ち望んでいた牧者はイエス様であったし、新約の聖徒たちが待ち望んでいる牧者は保恵師であり、遣わされたイエス様の使者(代言者)であり、敵と戦って勝利した約束の牧者である。
神様がイエス様と共におられる時、イエス様を見た事が、即ち神様を見た事になると言われたように、真理の聖霊が共におられるその牧者を見る事が、保恵師聖霊を見た事になる。保恵師というのは、真理で保護する師という意味である。
サタンの牧者も神様の牧者も働きが始まる時には、自分の牧者と共に働くようになる。これはニコライ派をサタンの会と言った事と同じで、イエス様を神様と言った事と同じである。どちらにしても霊は肉体を用いて働くようになる。
今のこの時代が必要とするものは、約束された使者である。モーセのように、イエス様のように、約束された新約の牧者が必要である。この牧者は再臨の時、成就された啓示録をあかしするようになる。
啓示録には三つの災害があり、三つの秘密がある。これを知っている牧者は全人類の世界の中でただ一人だけである。これを知ってこそ救いの事件もあるようになる。世の終わりの人々は自分の教団が腐敗した事も、倒れた事もわからず、自分の牧者によって救われると思っている。しかし、世の終わりには、自分の牧者が救い主ではなく、再び来られるイエス様と約束の牧者が救い主である。
世の終わりには、聖徒たちは、自分の教団、自分の教会、自分の牧者に陥っていて、自分の牧者の詐術(詐術:偽りでだましてそそのかすこと)に縛られている。誰が彼らを解放させるだろうか。約束の牧者は、啓示録12章のように、神様の民を捕えているサタンの牧者と戦って勝利し、聖徒たちをそこから救い出す。戦って勝利し、負けた証拠は申命記28章がよく語っている。負けた者は7つにの道に分かれて逃げ去り、勝利を得た者はイスラエルになって約束された神様の新しい国(霊的新しいイスラエル) 12支派を創設するようになる。この事を言って「収穫して、印を押し、12支派を創設する」というのである。
終末である世の終わりの事件が啓示録の事件であり、啓示録は加減なく記録された通りに成し遂げられたものなので、確認する事ができる。しかし、サタンの神に捕われた者たちは、これを知ろうともしない。当然、収穫され、印を押され、12支派に所属してこそ、約束された再創造の天民になる。
悪い者たちは、悪を思い切り行って地獄の火に入るようになるし、私たち、信じる者は楽園の世界、天国に入って神様と共に永遠に生きるようになる。アーメン。
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