2015년 10월 2일 금요일

エルサレムの牧者たちとイエス様の12弟子たちと 今日の啓示録に約束した12支派長たち

エルサレムの牧者たちとイエス様の12弟子たちと
今日の啓示録に約束した12支派長たち


本文:イザ1章、マタ19:27-28、啓7章


 エルサレムの牧者たちとイエス様の十二弟子たちと、今日の啓示録に約束した十二支派長たちは、どのように異なるのか。
 初臨当時のエルサレムの牧者たちは、イザヤ書1章のように、背教した牧者たちであり、イエス様の十二弟子たちは、当時の牧者たちではなく、漁師と取税人など、卑しい者たちであった。

 今日、啓示録の時には、どうなのか。
 収穫されて印を押された者のうち、12名を選んで、十二支派長にしたので、これは、新約に約束した御言葉(マタ19:27-28、啓7章参考)と同じである。今日の十二支派長たちの名称は、イエス様の十二弟子の名前によって命名した12支派の長として呼ぶものである。
 神様が初めの御言葉であること(ヨハ1:1)のように、その子イエス様も初めの御言葉だと言った(Ⅰヨハ1:1-2)。イエス様を初めの御言葉だと言われたことも、初めの御言葉である神様が共におられたからである。だが、今日の始まりは、初臨の時と異なる点がある。ルカの福音書13:28-29のようである。これは、完全に成就するためである。

 イザヤ書1章のユダとエルサレムの背教者たちは、イエス様の初臨の時のエルサレムの牧者とそのユダヤ人たちを話した(預言)のであった。だが、彼らは、自分たちに対してわからず、自分たちが最高の選民であるとだけ思っていた。しかし、このエルサレムとユダは、モーセの時、神様と結んだ契約を(出19:5-6)破って、ソロモンの時、異邦の神に仕えることで(Ⅰ列11章)、北側のイスラエル(11支派)と南側のユダ(1支派)にわかれるようになった。イスラエルに属した11支派は、先に異邦に滅亡されて、残った一つの支派(ユダ支派)も神様に背くことで、結局、異邦の所属になった(イザ1章)。

 このように、今日の韓基総がお金と権威と名誉のために二つに分かれた。そして、互いに異端だと敵対して、紛争を起こしている。この事で韓基総は、教徒の数が急減した。古くなって腐敗するということは、なくなる過程を見せてくださっているのである。だが、新しい天地(新天地)は、韓基総ののろいと悪口と迫害の中でも、日々、急成長を遂げている。これは、約束通り御言葉が応じていることを見せてくださっているのである。これが勝利、すなわち、神様の勝利である。

 三種類のイスラエルの聖書の知識の差は、どうなのか、調べてみよう。
 肉的イスラエルの聖書の知識は、モーセ五書と律法を知っていることであり、イエス様の弟子たち、すなわち、霊的イスラエルの聖書の知識は、昔の秘密を比喩で表したことと、新約を比喩で預言したことと、旧約を成し遂げたことを知っていることであった。
 今日の霊的新しいイスラエルの聖書の知識は、どうだろうか。彼らは、旧・新約の預言とその成就と比喩したものの実体を知っている。初臨のイエス様が昔の秘密を比喩で語って表され、新約の預言も、その当時にははっきりと明らかにせず、比喩で語られ、今日の霊的新しいイスラエルの時、はっきりと明らかにされる。今日、啓示録の時は、神様の最後の働きであり、6千年間、隠されたものを全て明らかにして成し遂げる重大な時代で、6千年間、地球村を主管してきた竜を捕えて閉じ込めて、神様が統治される時代である。それゆえ、この時の知識は、この上ない人類最大の真理として、この時の12支派長たちは、最高の真理を所有してあかしする者たちである。
 こうしてヤコブの時、イエス様の初臨の時、再臨の時、この三つの時代のうち、再臨の今日が最高の真理の時であることがわかるだろう。

 この時は、神様の新しい国と新しい民族が誕生する時である。これを妨害する者たちの罪が小さいだろうか。神様は、アダムが罪を犯した後、6千年間、一時も創造した地球村と人類を忘れたことがなく、再び取り戻すために休まず働いてこられ、成し遂げてこられた。しかし、人間はサタンの神(霊)の心を受け入れて、神様の御言葉を受け入れなかったので、回復が難しかった。だが、イエス様が父の御心を受け入れて、血を流されることによって、その血で人の心を変えることができ、サタン・竜を捕えることができた。こうして、イエス様とその弟子たちは、この知らせを全世界に知らせることを2千年間してきて、初めて今日、全世界に伝えられることによって約束した新約を成し遂げるようになった。イエス様の血で竜を捕えて閉じ込めて、その血で人々を罪から解放することができるようになったのである(啓1:5-6)。これが新しい契約であり、新約であり、今日の成就である。

 神様も、聖書も信じなさいと言ったことが、まさにこれである。人類世界は、人類の滅亡より、人類の救いに歩んでいかなければならない。このためには、イエス様が新約に約束された牧者と成就について知ることが優先である。これが救いに歩んでいく道である。

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