2015년 10월 29일 목요일

今の時は良い私たちの神様の統治の時

今の時は良い私たちの神様の統治の時



本文:啓19章



 今の良い時、すなわち、私たちの神様の統治の時は(啓19:6)、どんな時なのか。この時は、送旧迎新好時節であり、万物が待ち望む不老不死人永春である。神様とイエス様が語られたヨハネの福音書8章の永遠のいのちの時代である。人は、現実に属して信じなかったが、神様は事実を語られたのであった。

 人が御言葉(パン種)で変化されて、神様の種で新しく生まれた新しい被造物になる時(マタ13:33、ルカ8:11)、神様の命綱がつながって永遠に消えない火のように、永遠に生きる。これが創造の根本ではないのか。聖書は、語っている。信じるのか。それとも、反対して安逸で迫害するのか。



 記録されたように、エノクとエリヤとモーセとイエス様は、この地にその肉体がない。なぜ、ないのか。父なる神様が連れて行かれたからである。あかしがあるのか。ある。何なのか。新約のマタイの福音書17章で見たように、変化の山の上で雲の中に現れた神様とイエス様とエリヤとモーセである。生きているではないか。なぜ、彼らだけが霊存したのか。彼らは再び生まれて、ヨハネの福音書17章17-19節の御言葉通り、神様のようにきよめられたからである。

 なぜ、信じないのか。神様も、聖書の約束も信じないのに、なぜ、教会には行って、聖書は、なぜ、持って歩くのか。誰を信じるのか。牧師か。注釈か。天のものを信じて学ぶのか、地のものを見て聞いて信じて学ぶのか。地のものは、たくさん知っていても、天のものはわからないのか。信仰の根本は、天ではないのか。私たちが行って来るのも天と地である。天から受けて学ぶことも天のものであり、私たちが受けたいのちも、あの神様の天のもの、すなわち、光と雨と空気によるものである。このように、天の恵みを受けて生きてきた生命体たちである。この愛は、天よりも大きくて大きい。私たちもあの天のように愛さなければならない。互いのいのちのために。



 これが私たちを創造された父なる神様の御心であり、私たちの希望の思いである。国連は、私をシリアに送ってほしい。父と共にミンダナオに行ったように、父が遣わされるならば、私は行くだろう。理由がある。人類世界のいのちのためにである。これが父の御心であり、このために父も働いてこられたからである。シリアの内戦(宗教紛争)によって人類の滅亡が来ることもある。シリアの二つの組織は、私に出会ってこそ、シリアも生きて、人類も生きる。



 私は、私の神様の働きのため、世に遣わされた。まことの神様は、人間の世に二つの道を置かれた。一つは滅亡、一つは永存する永遠のいのちである。どこを選ぶだろうか。人類世界が終わりまで天命に逆らえば、地球村の戦争は終息せず、人類の滅亡をもたらすだろうし、平和といのちは永遠にないだろうし、地球はあの天の星のようになるだろうし、高貴な生命体たちは、完全になくなるだろうし、宇宙空間には、霊たちだけが存在するだろう。これが生命体である人類の終末である。では、6千年間の私たちの神様の苦労と努力と働きは、水の泡となり、仕上げ段階で消え去ってしまうだろう。

 

 大変で難しいことは、人の、罪となった心である。父が彼らの心を主管されて、この地でもサタンが彼らの心を主管できるから、人々がこれに苦しむので、御言葉を下さった。悟ったか。

 神様は、聖書に万物よりも醜く腐敗したのが人の心だと言われた。果たして、そうである。だから、これを正すため、聖なる御言葉を下さった。こうして、私たち罪人は、まず、神様の聖なる御言葉を心に留めなければならない。キリスト教の聖書の啓示録の預言は、神様の最後の警告であり、最後の人類の救いの働きである。だが、人が高慢で、恣意的宗教と他の霊の神をまことの神様の教訓だと間違えて受け入れて、まことの神様の約束を汚して、混沌とさせている。罪となった人の心は、どこに向かうだろうか。



 悟らせて、教えて、約束して、成し遂げて、見せてくださって、信じよと言われた。この時代に成し遂げられることは、新約の預言、啓示録である。これを信じよと言われた。私は、この事が成就されたことを知らせるために来た。

 昔も今も、預言者たちを立てたのは、預言者自身のことを話したのではなく、マラキ書2章のように、イエス様がヨハネの福音書5章と14章で語られたように、その中で神様が語られたのである。このように、今日もそうである。こうして、地上で救われる人々は、神様の約束の牧者に出会って、彼を通して神様の御言葉、啓示を受けてこそ、再び生まれて、神様の子どもとして救われるようになる。



 人類の6千年の歴史のうち、今日が人類に一番貴重であるとともに危険な時代である。悟った者には、永遠のいのちと天国があり、悟れない人には、永遠の刑罰がある。どこを選ぶのか。まず、御言葉の中に入って、聞いて見て判断しよう。アーメン。

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