2015년 10월 29일 목요일

2千年前のイエス様とサタンと試みと勝利

2千年前のイエス様とサタンと試みと勝利



本文:マタ4章、ヨハ16:33、啓12章、15章



 その昔、アダム・エバを惑わしたサタンがイエス様に来て、イエス様を試みた。サタンは、エバに食べる実(善悪の実)で試みたように、イエス様にも食べるパンで試みた(マタ4:3-4)。だが、イエス様は、この試みから勝利した。啓示録17,18章には、不品行のぶどう酒で万国を倒した内容が出てくる。啓示録13章に、竜の群れが天の幕屋に入って、幕屋の選民たちと戦って勝利して、自分に拝ませたように、サタンは、イエス様にも自分に拝むなら万国を与えると惑わした。サタンが惑わす手法は、昔も今日も同じである。申命記28章に、勝利すれば、全てのものを得るようになり、負ければ、全てのものを奪われると言った。勝利しなければならない。



 啓示録2,3章の約束は、勝利すれば、与えるという約束である。誰と戦って勝利しなければならないのか。もちろん、サタンである。勝利すれば、何を与えるのか。2,3章に約束したものである。2,3章に約束したものがなければ、人類世界は、救われることができなくなる。だから、勝利しなければならない。



 戦って勝利しなければならない対象は、竜とその所属の七つの頭と十本の角である。神様は、6千年間、サタンの策略と惑わしと、サタンの食物、不品行のぶどう酒について知らせてこられ、サタンを捕えるための罠を張ってこられたのであった。この罠が、マタイの福音書24章であり、啓示録13章である。選民を犠牲にしながらサタンの正体を明らかにされたのである。マタイの福音書24章と啓示録13章の事件は、サタンの正体を明らかにする事件であった。だから、サタンの正体を知らせることができ、捕えることができたのである。啓示録12章で、あかしする言葉でサタンに勝利して、勝利することでサタンの正体を知らせることができた。



 神様は、神様の最後の作戦であるこの啓示録に、ものすごい秘密を隠しておかれた。だが、今日まで、この地上では啓示録の実体を知っている者が一人もいなかった。本(啓示録)が七つの印で封じられ、隠されていたので、これを開封してこそ、実体が現れて、現れてこそ、見るようになる。この七つの印を解かれる方は、ただお一人であり、印を解いた本を受ける人も、ただ一人である。誰なのか知っているのか。神様と天国とイエス様が来られる所も、ただ一カ所である(啓3:12参考)。知っているのか。これを知らなくても、救いがあるだろうか。盲人になった者の高慢も取って捨てなければならない。自分を否認して、約束の牧者を探さなければならない。この約束の御言葉をたどれば、そこで出会うことができる。今は、自分の牧者の言葉を信じる時ではないので、神様の御言葉を信じて、御言葉に従わなければならない。



 神様は、啓示録に私たちが行くべき救いの道を知らせてくださった。啓示録には、行く道が三つある。一つは選民が背教して離れて行く道、一つは滅亡させる死の道、一つは生かす救いの道である。この三つが啓示録の秘密である。私は、啓示録が言う誰なのか。どの所属の実なのか。いくらじたばたしても私の所属が私を殺しも生かしもする。そして、ヨハネの福音書15章に言ったように、イエス様であるまことのぶどうの木の実になって、2千年間、育ってきたとしても、大風に吹かれて落ちれば、どうするのか。



 啓示録の預言を見れば、まず、伝統教団の堕落と腐敗によって選民が主に背教することがある。この事件は、サタンの惑わしによってあるようになる。二番目はサタンの組織が背教した選民を滅亡させて、自分の所有にする。こうして、伝統の選民がサタンの所属になり、サタンの兵士になる。この後に、救い主が現れる。この時、サタンの所属になった者たちが救い主をののしって、迫害して、のろって、異端だと敵対する。審判の権威を持って来た救い主が彼らにどのようにしなければならないだろうか。彼らをみんな絶滅させて、再び創造したいのではないか。彼らが、このような行動をしても、神様に、「なぜ、私たちを捨てられるのですか。」と言えるだろうか。



 だが、啓示録には、これを話している。2千年間、走ってきた伝統教団、霊的イスラエルが啓示録の成就の時、悟れなければ、終末を迎えて、信仰の終着点となる。イエス様の預言、マタイの福音書24章と啓示録6章、13章、18章を見よ。このように終わった後、神様は、新しい時代を再び創造するため、東西南北、四方を回りながら、まるで収穫した後に残った落穂のような(イザ17:5)種、すなわち、神様の種で生まれて、滅亡されなかった者たちを集めて、神様の新しい国を創造される。



 この啓示録の大戦では、犠牲が並大抵ではない。だが、この時初めて、6千年間の地球村を主管してきた竜が捕えられ、竜の組織が終わる。これが二つの陣営が戦った犠牲の値である。この事を世が、どうしてわかるだろうか。神様は、大きな犠牲を準備されたが、これは、不倶戴天の敵である竜を捕えなければならなかったからである。罪人は、どうあっても死ぬのは同じである。だが、神様は、約束を成し遂げられて、神様のまことの国を立てなければならなかった。これがどうして涙ぐむ事情ではないだろうか。もし、伝統牧者たちが本当に啓示録の事件を良く知っていて、聖徒たちに教育を十分にしたならば、サタンの惑わしから勝利する聖徒が多くいただろうが、牧者自身が知っていないことを、どうして知らせることができただろうか。天地を区分できない偽りの牧者たちが肉に戻って、お金と権威だけあれば生きれると思って傲慢であったが、空しいものであった。

 過去6千年の働きで見たように、数多くの信仰人たちが犠牲になった。彼らも、今日の啓示録の時代の事件も、何が違うだろうか。悟った者は、自分の立場からまず、見直さなければならない。



 啓示録の事件の時は、人類世界の宗教が手の施しようもなく混濁するようになる。秩序がなく、乱雑になるだろうし、党派が横行して、偽りの預言者とにせキリストが大手を振るうだろう。だが、神様は、啓示録21章のように、万物を新しくされる。万物がサタンの道具に変質されたので、再び蘇醒させなければならない。神様は、長い歳月、御心を成し遂げられて、今や、神様が統治される世界になった。どんな世界なのか。涙、苦しみ、死のない平和の世界であり、楽園の世界が成し遂げられる。イエス様は、2千年前に天国と永遠のいのちを叫ばれたが、人々は信じなかった。だが、その永遠のいのちの世界が啓示録の事件の後、あるようになる。エノクも、エレミヤも、モーセも、イエス様も生きておられる。その肉体を捨てずにということである。まことの言葉を偽りに、偽りをまことの言葉と信じてきたことが、この世の罪人たちの考えであった。永遠のいのちのあかしがあり、それが無駄ではなく、その日が、今日、戻ってきたのである。



 啓示録の時、創造された12支派、神様の国と、144000人の祭司長たちと白い群れ(民たち)は、本当に祝福された天民である。私は、これをあかしするため、イエス様の代言の使者として遣わされた(啓22:16)。私もイエス様のように、世界に平和を伝える(ルカ19:37-42)。



 長い歳月の末、父なる神様が統治される世界になった。私たち信じる者も、神様と共に希望に至るようになったので、永遠に感謝して、栄光を私たちの父なる神様に捧げよう。アーメン。

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