霊肉の天地創造と再創造
本文:創1章、啓21章
霊肉の天地創造と再創造は、どんなものであり、創造と再創造をする理由は何なのか。
創世記は、神様がモーセを選ばれて、罪を犯した国である、ノアの子孫カナンの地(世界)を征服して、住ませるために知らせて下さった御言葉である。
初めの神様(唯一であられる神)が天と地を創造された。
第一日に、光を探して、光があるようにされて、第二日に大空、すなわち、天を水の真っただ中に造られ、第三日に水の中からかわいた所が現れ、地と名づけられた。
第四日に、大きな光る物、小さな光る物、そして星を造られた。
第五日に、地の上に空中を飛ぶ鳥と水に住む魚を造られた。
第六日に、地(野)の獣と地の家畜とはうものを造られて、人を神様の形として、神様に似せて創造された。
神様は、第六日まで創造の働きをされて、第七日に安息された。六つの創造したものを分析してみる。
第一日、神様が天地を創造される(創1:8-10)前に、地も天もあった。茫漠として何もなかった地があり、やみの天があり、神様の霊は水の上を動いていたので、水もあった(創1:2)。
やみはあったが、光はなかった。光があった(創1:3)後に夕があり、朝があった(創1:5)。光がある前にもやみの天があった。
第二日、神様が動いていた水の真っただ中に大空(天)を造られた。これを天と言われ、上の水と下の水とを区別された。
第一日の「やみの天」と、第二日の「水の真っただ中に創造した天」は、どのように異なるのか。また、第三日、「水の中から現れたかわいた所、すなわち、地」と、第一日の「茫漠として何もなかった地」は、どのように異なるのか。
第三日にかわいた所、すなわち、地に草と植物と実を結ぶ木が生じた。
第四日に、水の真っただ中にある大空(天)に、大きな光る物(太陽)と小さな光る物(月)と星を造って、昼と夜を主管させ、光る物がしるしと季節と日と年のためにあるようにされた。
では、夕があり、朝があった第一日は、何なのか。第一日の光と、第四日の光る物は、どのように異なるのか。
第一日の光が光(太陽)でなければ、第三日の草と植物と木が生じる事はできないだろう。そして、この光がまことの光ならば、第四日にまた光を造ったので、天には大きな光る物二つと、小さな光る物一つ、すなわち、光る物が三つなければならないだろう。
記録された御言葉を見ると、創世記1章の天地創造は、自然界の創造をたとえた霊的な創造ではないのか。自然界の創造と見る時には、合わないことが一つや二つではない。
第一日に、天がやみで、地が茫漠として何もなかったと言ったが、これが、天地創造の経緯についておおまかに語ったものだとしても合わないことが多いが、自然界の創造をたとえて霊的創造を言ったのならば理解できる。
神様がモーセ以前の世界を概略でモーセに語られた(創2:4)。ここで将来に成し遂げる預言(エレ4章)をエレミヤから聞いてみる。
エレミヤが聞いて見たこと(エレ4:23-28)は、肉的イスラエルの終末を見たのであった。
(エレ4:23-28)私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。24私が山々を見ると、見よ、揺れ動き、すべての丘は震えていた。25私が見ると、見よ、人はひとりもいなく、空の鳥がみな飛び去っていた。26私が見ると、見よ、果樹園は荒野となり、町々は主の御前で、その燃える怒りによって、取りこわされていた。27まことに主はこう仰せられる。「全地は荒れ果てる。しかし、わたしはことごとくは滅ぼさない。28このために、地は嘆き悲しみ、上の天も暗くなる。わたしが語り、わたしが企てたからだ。わたしは悔いず、取りやめもしない。」
これは、創造されたものが荒れ果てたことを語られたもので、イエス様の初臨の時の肉的イスラエルがこのようであり、光のないここに神様がイエス様を選ばれて、イエス様は、光として来られた(ヨハ12:46)。従って、エレミヤに預言されたことも、イエス様の時に成し遂げられる預言であり、イエス様の初臨の時、地である人々は茫漠として、夜であって、イエス様は、昔の秘密を比喩で現された(マタ13:34-35)。
イエス様の初臨の当時の状況と創世記1章の状況が何が違うと言うのだろうか。肉的イスラエルの腐敗が創世記1章の第三日までであり、この時、光として来られたイエス様は、海のような世(ダニ7:3,17参考)の中に天を創造されて、星である弟子たちを創造された。この時から新しい日が数えられるようになるので、すなわち、年があるようになったのであった。これが第四日と同じである。
第五日は、地では鳥が飛び、海では魚が生息する。初臨のイエス様に聖霊が鳩のように臨まれて、この聖霊がマルコの屋根裏部屋の弟子たちにも臨んで、海のような世に魚のような聖徒たちを養育したので、これがどうして第五日と違うだろうか。
第六日の家畜とはう(はって飛ぶ)ものと地の獣を種類に従って造られた。啓示録4:6-7に見ると、霊界の神様の御座の周りにいる四つの生き物は、その御座の周辺にいる天軍の天使長である。第六日には、霊界の神様の国の四つの生き物のような組織が、この地に創造される。
ところで、神様は、人を神様のかたちとして神様に似せて創造される。神様の種で再び生まれるならば、神様のかたちのようになり、神様に似るようになるだろう。神様は、彼らに生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従えよと言われた。
これは創造の始まりも再創造も、このようになるだろう。これはアダムの時にも、ノアの時にも、アブラハムの時にも、イエス様の初臨の時にも、イエス様の再臨の時にも、このようになるのであった。信じられないことを信じると言っても、これは信じるのではなく、確実に悟った時、信じられるのである。地がどうして混沌として空虚だ(茫漠として何もない)と言えるだろうか。やみが大水の上にあるということは、光がないからであり、太陽・月・星が暗くなって落ちるならば(マタ24:29、啓6:12-14)、そのようになるだろう。
光、すなわち、太陽を「造られた」のではなく、水の上で「探された」。そして、天(大空)を水の真っただ中に創造された。どうして、天が水の真っただ中にあるのか。天を基準とするならば、どうして上の水と下の水があるのか。地が、どうして水から出て来たのか。
光が第一日にあったのに、第四日にもまた光があるのか。そして、なぜ、この光を水の真っただ中にある大空に置かれたのか。
水の魚も、天を飛ぶ鳥も、家畜、獣も、男女の人も、各々その始まりになることができる。自然界の太陽と月は、昼夜をつかさどる。しかし、星は、光とやみを分けられるとは思えないし、昼には見えないので、昼をつかさどることはできない。
ヨハネの福音書9:4-5に、イエス様は、光であり、昼であり、イエス様が離れて行かれるならば、やみと夜になる。
創世記1章の内容は、肉的創造として見るには合わないし、霊的創造として見ることもできないし、肉的創造をたとえて霊的再創造をしたものとして見る時に理解することができる。
地は、人の肉体で、地が混沌(茫漠)としているという事は、精神思想が善と悪が混ざって混沌としているという事であり、空虚(何もないこと)は、神様が人の心におられたのに離れて行かれたので空虚だと言えるし、やみは光であられる神様が離れて行かれたのでやみと言えるだろう。そして、離れて行かれた神様は、水の上(海)、すなわち、世(ダニ7:3,17)を通われて、光、すなわち、真理(=御言葉)の所有者を探される。これは光であられるイエス様を選ばれた(ルカ9:35)ように探されたのであり、光を探したことによって、やみと光があり、夜と昼があるようになるので、これは第一テサロニケ人への手紙5章と同じである。従って、イエス様は、ヨハネの福音書8章に、ご自身を光だと言われ、これに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのだと言われた(ヨハ8:12-16)。第二日に、水の真っただ中に天を造ったという事は、水、すなわち、世の中に神様の一つの幕屋を造ったので、これは御心が天で行われるように、この地でも、そのように創設されて、これを天の幕屋だと言われた事と(啓13:6-7)同じである。また、モーセの幕屋も、天のものを見て、そのように造った事と同じである。
この時から上の水、すなわち、「啓示の御言葉」と下の水、すなわち、「地の言葉(=肉の言葉)」とを区分するようになった。これは光(いのちの御言葉)があった後の事である。
第三日に、水からかわいた所が現れて、木が生じて、実を結んだ。
水からかわいた所が現れたということは、水、すなわち、世の中から一つの幕屋が立つようになることを言ったのである(ノアの洪水の時のように、船、すなわち、幕屋とその基盤)。この幕屋で木のような人から実ができるので良しとし、この人々によって第四日にはじめて年があるようになる、天に属する組織が創設される。すなわち、太陽と月と星のような、国の系列があって、聖徒たちをつかさどるようになる。
神様は、詩篇78篇に「たとえ話を物語り、昔からのなぞを、後の時代に語り告げよう。」と言われ、イエス様が来られて、天国の秘密を比喩で語られたし、秘密で語られた比喩は、時になるとはっきりとあかしされる(ヨハ16:25)。比喩で隠したのは、サタンとサタンの種族の牧者たちのためであった。
今日は、時になったので、全ての秘密、比喩がはっきりと明らかに見える。
私たちは、再び生まれた(神様の種で)新しい被造物であり、再創造された天民である(啓21章)。
創世記1章の内容を見ると、霊的再創造であって、肉的な再創造ではなかった。ノアも、モーセも、初臨のイエス様も、啓示録の時にも霊的再創造であって、肉界の自然の世界の再創造ではなかった。啓示録21章のなくなる以前の天、以前の地も、自然界の天地を言ったのではなく、再び創造される新しい天、新しい地も自然界を言ったのではなく、宗教的・霊的世界を再び創造するという事であった。
従って、終わる霊的世界(昔の天地)があり、再び創設される新しい天地がある。この新しい天、新しい地は、啓示録に約束した12支派である。彼らは、神様の種で新しく生まれた新しい被造物であり、神様の子どもたちである。この時、この啓示録の成就以前にあった全ての宗教的・霊的世界は、啓示録21章のように終わってなくなる。従って、一つの時代が終わって、新しい一つの時代が到来して、新しい国、新しい民族、すなわち、神様の約束の国と民族が新しく創造されたのである。これが信じる者たちの希望であり、神様が約束された御心と目的が成し遂げられたのである。
悟って、確実な信仰と天の知識を持った者たちは、天国で住むようになった。天の戒め、天法を守ることで、永遠に神様と共に住むようになる。
2015년 8월 31일 월요일
2015년 8월 30일 일요일
公义、公道与真理
公义、公道与真理
主要经文:太6:33(太23:23,约17:17-19,玛2章)
公义、公道与真理指的是什么?
公义是(人)所行的义;公道是正确的道路即正道,是正确的教育;真理是神的圣言。这是上天所赐的圣洁之神的教育。
与神同行的耶稣在马太福音6章33节中说到:“你们要先求他的国和他的义。”又说:“不要忧虑说:‘吃什么?喝什么?穿什么?’(太6:31)”“你们看那天上的飞鸟和百合花,也不种,也不收,也不积蓄在仓里,你们的天父尚且养活它。你们不比飞鸟贵重的多吗?(太6:26-30)”(耶稣)说神知道我们需用的一切东西(太6:32)。这是亘古不变的事实。(让我们)丢掉小人之辈的思想,进入更大的神的旨意之中遵从神的旨意。
心里没有神的人和与神同行之人的思想不同。(让我们)查看主对假冒为善的文士和法利赛人所说的话。
主说:“……因为你们将薄荷、茴香、芹菜献上十分之一。那律法上更重的事,就是公义、怜悯、信实,反倒不行了。这更重的是你们当行的,那也是不可不行的。你们这瞎眼领路的,蠓虫你们就滤出来,骆驼你们倒吞下去。”(太23:23-24)
(太7:1-6)你们不要论断人,免得你们被论断。2 因为你们怎样论断人,也必怎样被论断;你们用什么量器量给人,也必用什么量器量给你们。3 为什么看见你弟兄眼中有刺,却不想自己眼中有梁木呢?4 你自己眼中有梁木,怎能对你弟兄说,‘容我去掉你眼中的刺’呢?5 你这假冒为善的人!先去掉自己眼中的梁木,然后才能看得清楚,去掉你弟兄眼中的刺。6 不要把圣物给狗,也不要把你们的珍珠丢在猪前,恐怕它践踏了珍珠,转过来咬你们。
无视自己的不足,只顾挑剔他人错误的人正如(经上)所记载的,是假冒为善的人,是像猪狗一样的人。即使给他们再好的真理之道,(他们)也不懂得这(真理之道)的宝贵,如猪狗一样。
耶稣晓谕了我们许多诫命。但(那些)只认为自己是对的、了不起的,是为义的、圣洁的,却视他人为罪人,到处胡言乱语滋生事端的人是撒但的使者。他根本不明白自己的行为大错而特错。
进行话语测试的(结果),实在不像话。太初之道就是神,这道(或作话语)是生命,是光,是通往天国的道路,这道就是光与真理和生命。对应许之道持无关痛痒的态度,这是不信的行为。以名誉、职权、权势为目的的人是跟随撒但意愿的人,而不是遵行神之义的人。
摩西时代是律法时代,耶稣初临之时是用比喻讲说天上福音的时代,新约真理的圣灵保惠师的时代是人类六千年来最高之真理的时代。这真理是太古以后的初乐道。此时,耶稣所说的比喻都要被明明讲说出来(约16:25)。那些无视这时候、视真理为笑话、只关注名誉和职权、用金钱买(名誉和职权)的人应当悔改。悔改并改正自己的错误行径,这比进入永罚的地狱烧着硫磺的火湖里面要强得多。不能再有口称“主啊,主啊”的,其行为却偏离正道,随私欲而滋生事端的人了。
圣徒们热心地祷告、传道、奉献、献上十一奉献,并为教会建立德行。然而牧者给圣徒们的是什么?(牧者)应当给圣徒真理之道,(引领圣徒)走向正道,使圣徒们具备进入天国的资格。不能讲授神和为生命之话语的人没有资格当牧者。根据玛拉基书2章可知,神与祭司立约。牧者就是祭司。(祭司)该是与神同行的使者,他的嘴里当存真理,圣徒们由他口中寻求真理。若人里面既没有神,又没有真理,那他就是偏离正道的人,而(这种人)不可能成为祭司。
(罗8:9-11)如果神的灵住在你们心里,你们就不属肉体,乃属圣灵了。人若没有基督的灵,就不是属基督的。10 基督若在你们心里,身体就因罪而死,心灵却因义而活。11 然而叫耶稣从死里复活者的灵,若住在你们心里,那叫基督耶稣从死里复活的,也必借着住在你们心里的圣灵,使你们必死的身体又活过来。
(经上说:)人若没有基督的灵,就不是属基督的;若人有神的灵同在的话,这必死的身体会活过来,现在我们所受的苦楚无法与将来要显于我们的荣耀相比。既如此,我们也要与耶稣一同受苦(罗8:17-18)。既没有话语又没有信心的人要进天国,可谁会允许这样的人进(天国)呢?(我们)要丢弃形式上的信仰,进入正确的信仰之中。(经上)说用真理使人成圣(约17:17-19),那么没有真理的人是义人还是罪人?为什么忽视真理?为什么看不到自己,却只看别人,议论别人?我已将真理告诉了(你们)。但为什么不接受也不信这真理?受到迷惑的话,就应与说那话的人一同过来比较哪个是真理才行。如果像夏娃一样,都不确认就接受吃下(善恶果)的话,就会成为脱下义行的赤裸之人。
如果将那些没教明白,也没有领悟的人引进教会的话,那么教会会成为什么样子?从社会来到教会后又掉了,这(种事)是说不过去的。新天地绝不是因无知识而灭亡的地方。(我们不能将)分不清东西南北,没有话语之人带到(教会里)来,而是要将彼得前书1章23节中所说的,以不朽坏的种子即真理重生之人引进这里才行。就算把未熟的果子带来,神还是会(把这种人)赶出去的,(你们)怎么还不懂这个道理呢?
不要视天国为玩笑。经过反复筛选后只有麦子(圣徒)才能够进(天国)。天国是永生之地,不是懒惰懒怠之人能进入的地方。许多人渴求能进天国,但却不能,在前的将要在后,在后的将要在前,(通往天国的路)又窄又小,若不费心费力是不能到达的(路13:22-30)。
有的人因胡思乱想,才会有鬼寻到他那里,就连他自己都不知道鬼已进入到他里面却胡乱说话。根据路加福音13章23-27节的记载可知,原本在新天地里一同学习,一同吃过、喝过的人,在出去之后,即使他们再想回来,(神)也不会接受的。正如耶稣按照神的指示而行,我也是按照耶稣的指示而行,这指示是正确的。
所有的牧者应当完整且完全地教授所记载的主的话语,(使圣徒们)领悟(其道)化为信心的力量并得胜。连自己都不明白的人却教他人,立那随人性阿谀奉承的人,(我们绝不能因这些行为而)成为讨神厌的人。圣徒们之所以受到荒谬之人的迷惑,是因为(他们)没有得到充分的教育。
在新天地,只有那些遵守记载在经上的话语且完全的人,才能脱离罪恶,成为神的国民和祭司。务必要铭记。让我们一同奋发,不要像败坏的新教一样。让我们奋发努力一同进入(我们的)盼望之中。我们是天民。阿们。
主要经文:太6:33(太23:23,约17:17-19,玛2章)
公义、公道与真理指的是什么?
公义是(人)所行的义;公道是正确的道路即正道,是正确的教育;真理是神的圣言。这是上天所赐的圣洁之神的教育。
与神同行的耶稣在马太福音6章33节中说到:“你们要先求他的国和他的义。”又说:“不要忧虑说:‘吃什么?喝什么?穿什么?’(太6:31)”“你们看那天上的飞鸟和百合花,也不种,也不收,也不积蓄在仓里,你们的天父尚且养活它。你们不比飞鸟贵重的多吗?(太6:26-30)”(耶稣)说神知道我们需用的一切东西(太6:32)。这是亘古不变的事实。(让我们)丢掉小人之辈的思想,进入更大的神的旨意之中遵从神的旨意。
心里没有神的人和与神同行之人的思想不同。(让我们)查看主对假冒为善的文士和法利赛人所说的话。
主说:“……因为你们将薄荷、茴香、芹菜献上十分之一。那律法上更重的事,就是公义、怜悯、信实,反倒不行了。这更重的是你们当行的,那也是不可不行的。你们这瞎眼领路的,蠓虫你们就滤出来,骆驼你们倒吞下去。”(太23:23-24)
(太7:1-6)你们不要论断人,免得你们被论断。2 因为你们怎样论断人,也必怎样被论断;你们用什么量器量给人,也必用什么量器量给你们。3 为什么看见你弟兄眼中有刺,却不想自己眼中有梁木呢?4 你自己眼中有梁木,怎能对你弟兄说,‘容我去掉你眼中的刺’呢?5 你这假冒为善的人!先去掉自己眼中的梁木,然后才能看得清楚,去掉你弟兄眼中的刺。6 不要把圣物给狗,也不要把你们的珍珠丢在猪前,恐怕它践踏了珍珠,转过来咬你们。
无视自己的不足,只顾挑剔他人错误的人正如(经上)所记载的,是假冒为善的人,是像猪狗一样的人。即使给他们再好的真理之道,(他们)也不懂得这(真理之道)的宝贵,如猪狗一样。
耶稣晓谕了我们许多诫命。但(那些)只认为自己是对的、了不起的,是为义的、圣洁的,却视他人为罪人,到处胡言乱语滋生事端的人是撒但的使者。他根本不明白自己的行为大错而特错。
进行话语测试的(结果),实在不像话。太初之道就是神,这道(或作话语)是生命,是光,是通往天国的道路,这道就是光与真理和生命。对应许之道持无关痛痒的态度,这是不信的行为。以名誉、职权、权势为目的的人是跟随撒但意愿的人,而不是遵行神之义的人。
摩西时代是律法时代,耶稣初临之时是用比喻讲说天上福音的时代,新约真理的圣灵保惠师的时代是人类六千年来最高之真理的时代。这真理是太古以后的初乐道。此时,耶稣所说的比喻都要被明明讲说出来(约16:25)。那些无视这时候、视真理为笑话、只关注名誉和职权、用金钱买(名誉和职权)的人应当悔改。悔改并改正自己的错误行径,这比进入永罚的地狱烧着硫磺的火湖里面要强得多。不能再有口称“主啊,主啊”的,其行为却偏离正道,随私欲而滋生事端的人了。
圣徒们热心地祷告、传道、奉献、献上十一奉献,并为教会建立德行。然而牧者给圣徒们的是什么?(牧者)应当给圣徒真理之道,(引领圣徒)走向正道,使圣徒们具备进入天国的资格。不能讲授神和为生命之话语的人没有资格当牧者。根据玛拉基书2章可知,神与祭司立约。牧者就是祭司。(祭司)该是与神同行的使者,他的嘴里当存真理,圣徒们由他口中寻求真理。若人里面既没有神,又没有真理,那他就是偏离正道的人,而(这种人)不可能成为祭司。
(罗8:9-11)如果神的灵住在你们心里,你们就不属肉体,乃属圣灵了。人若没有基督的灵,就不是属基督的。10 基督若在你们心里,身体就因罪而死,心灵却因义而活。11 然而叫耶稣从死里复活者的灵,若住在你们心里,那叫基督耶稣从死里复活的,也必借着住在你们心里的圣灵,使你们必死的身体又活过来。
(经上说:)人若没有基督的灵,就不是属基督的;若人有神的灵同在的话,这必死的身体会活过来,现在我们所受的苦楚无法与将来要显于我们的荣耀相比。既如此,我们也要与耶稣一同受苦(罗8:17-18)。既没有话语又没有信心的人要进天国,可谁会允许这样的人进(天国)呢?(我们)要丢弃形式上的信仰,进入正确的信仰之中。(经上)说用真理使人成圣(约17:17-19),那么没有真理的人是义人还是罪人?为什么忽视真理?为什么看不到自己,却只看别人,议论别人?我已将真理告诉了(你们)。但为什么不接受也不信这真理?受到迷惑的话,就应与说那话的人一同过来比较哪个是真理才行。如果像夏娃一样,都不确认就接受吃下(善恶果)的话,就会成为脱下义行的赤裸之人。
如果将那些没教明白,也没有领悟的人引进教会的话,那么教会会成为什么样子?从社会来到教会后又掉了,这(种事)是说不过去的。新天地绝不是因无知识而灭亡的地方。(我们不能将)分不清东西南北,没有话语之人带到(教会里)来,而是要将彼得前书1章23节中所说的,以不朽坏的种子即真理重生之人引进这里才行。就算把未熟的果子带来,神还是会(把这种人)赶出去的,(你们)怎么还不懂这个道理呢?
不要视天国为玩笑。经过反复筛选后只有麦子(圣徒)才能够进(天国)。天国是永生之地,不是懒惰懒怠之人能进入的地方。许多人渴求能进天国,但却不能,在前的将要在后,在后的将要在前,(通往天国的路)又窄又小,若不费心费力是不能到达的(路13:22-30)。
有的人因胡思乱想,才会有鬼寻到他那里,就连他自己都不知道鬼已进入到他里面却胡乱说话。根据路加福音13章23-27节的记载可知,原本在新天地里一同学习,一同吃过、喝过的人,在出去之后,即使他们再想回来,(神)也不会接受的。正如耶稣按照神的指示而行,我也是按照耶稣的指示而行,这指示是正确的。
所有的牧者应当完整且完全地教授所记载的主的话语,(使圣徒们)领悟(其道)化为信心的力量并得胜。连自己都不明白的人却教他人,立那随人性阿谀奉承的人,(我们绝不能因这些行为而)成为讨神厌的人。圣徒们之所以受到荒谬之人的迷惑,是因为(他们)没有得到充分的教育。
在新天地,只有那些遵守记载在经上的话语且完全的人,才能脱离罪恶,成为神的国民和祭司。务必要铭记。让我们一同奋发,不要像败坏的新教一样。让我们奋发努力一同进入(我们的)盼望之中。我们是天民。阿们。
God’s Final Work: The Fulfillment of the Book of Revelation
God’s Final Work: The Fulfillment of the Book of Revelation
Main references: Rv 1 ~ 22 (Summary)
What is the fulfillment of Revelation, God’s final work?
It is where the betrayal of the traditional chosen people (church members), the destruction of the chosen people by a gentile destroyer, and the work of salvation by the promised pastor are being fulfilled. At the time of Revelation’s fulfillment, the betrayers who were once the traditional chosen people do all the work of betrayal as recorded [in the Bible], the destroyers do all the work of destruction as recorded [in the Bible], and the savior does all the work of salvation as recorded [in the Bible].
Two thousand years ago, Jesus called his disciple, Apostle John, up to heaven and showed him the future events that would be fulfilled through visions in advance, and Apostle John recorded what he had seen and heard in the book of Revelation. This prophecy of Revelation shall be preached to the whole world as a testimony to all the nations, and then the end will come (Mt 24:24), and only then does God fulfill the prophecy. When He fulfills this, He fulfills everything as it is written in all chapters of Revelation without adding to or taking away from them.
In the beginning, there is first the work of the lamp of the seven stars (messengers) that prepares the way like at the time of the First Coming (Rv 1). At this time, Satan’s Nicolaitans (Rv 2:15), like the Pharisee pastors of Satan’s group at the First Coming, invade the tabernacle of the seven stars. Satan’s pastor who invades deceives the servants (messengers) and congregation members of the tabernacle and makes them to eat teachings and food sacrificed to idols, just like Satan did to Eve at the time of Adam, and misleads them to commit acts of immorality with the spirit of Satan. When this happens, Jesus chooses one pastor to send letters that urges repentance to the seven stars of the tabernacle. The letter is about “Repent, and fight and overcome Satan’s invading pastor, the Nicolaitans. If you overcome, I will give you the things (blessings) promised in Revelation 2 and 3.” This is the promise, and the one who keeps this promise is the promised pastor. Without the things promised in Revelation 2 and 3, neither salvation nor the kingdom of heaven can be fulfilled. The one who knows the content and meaning of Revelation 2 and 3 will speak like this.
After these things happen, Apostle John, who sends the letters [on behalf of Jesus] in Revelation 2 and 3, is called up to heaven by Jesus and sees God’s throne in Revelation 4. Also, he sees and hears what must take place after the things happen in Revelation 2 and 3.
In chapter 5, John sees a scroll sealed with seven seals in the right hand of God, and weeps because no one is found worthy to open the scroll or look inside. However, after the Lamb triumphs, John takes the scroll and begins to open the seals in chapter 6, and as he opens the seals one by one, the physical entities (physical fulfillments) recorded in the scroll appear. When he opens the sixth seal, the sun, moon, and stars in heaven darken and fall, and the heaven and earth disappear. This occurs because the chosen people in Revelation 2 and 3 do not repent and believe even though they received the letters that urged repentance, and a judgment comes upon them in chapter 6. This is the scene where chosen people are destroyed due to their betrayal, and God judges them through the four living creatures before His throne.
Chapter 7 is about the beginning of recreation where the former heaven, the Spiritual Israel that does not repent even after they commit acts of immorality with gentile spirits through Satan’s pastor in Revelation 2 and 3, so they receive judgment in chapter 6 and both the heaven and the earth disappear. This creation is the work of sealing 12,000 people in each of the 12 tribes, a total of 144,000 people, by harvesting. Thus, [chapter 7] is about the work of sealing after the event in chapter 6.
In chapter 8, the last of seven seals is opened. In Revelation 8 and 9, the spirits of those who were thrown out in chapter 6 are killed by a third and a third due to another nation, and a third [of the spirits] are killed in chapter 12 (verse 4).
In Revelation 10, Jesus opens all the seals in chapter 8 where he started to open them from chapter 6. Then, he gives the open scroll to John, the messenger who speaks on behalf of Jesus, through an angel. As John receives and eats the scroll, he prophesies before many peoples, nations, languages, and kings (all denominations and churches in the world).
In chapter 11, after the two witnesses who stand before the Lord are sacrificed by the beast that came out of the abyss, they receive the breath of life again and resurrect. Therefore, the kingdom of the world becomes the kingdom of God as the last (seventh) trumpet is blown.
The heaven (tabernacle) in Revelation 12 and 13 is the same thing, which is the tabernacle of the seven stars in Revelation 2 and 3. Satan’s pastors who invaded the tabernacle of heaven in chapter 13 fights against and overcomes the congregation members of the heaven tabernacle, and forces them to receive Satan’s mark on their foreheads and right hands. Since the congregation members who received the mark worshipped Satan’s pastor, this was an act of betrayal. The child born of a woman clothed with the sun, moon, and stars and his brothers in chapter 12 fights against and overcomes the group of the dragon who invaded the tabernacle. Since then, there is the kingdom of God and salvation. This is the fulfillment of the promise in chapter 2 and 3.
Deuteronomy 28 explains about the one who is victorious and the one who is defeated. Those who are defeated will lose everything, while those who are victorious will keep everything. The dragon that has reigned over the world for 6,000 years is seized at the end, and now, victorious God reigns over the world. This is the victory. From this moment, the kingdom of God is established. In the battle between God’s pastor and Satan’s pastor, God’s pastor is defeated in chapter 13, but overcomes in chapter 12.
The congregation members in chapter 13 are those who received the mark in the name of the beast, Satan’s pastor, and the congregation members in chapter 14 are those who are sealed in the name of God and Jesus. In chapter 15, those who have been victorious over the beast of the dragon’s pastor in chapter 13 and his image and over the number of his name gather before God’s throne, and God uses them as bowls of God’s wrath and pronounces judgment by pouring [the bowls of wrath] on the throne of the beast (destroyers) and the betrayers in chapter 16. As a result, the nation of the beast, Babylon, is divided into three.
In Revelation 17, the secret of the prostitute and the seven heads with ten horns is made known. And in Revelation 18, home for demons, Babylon, receives judgment from God since they made all the nations drink the maddening wine of adulteries which is the food of Satan. Even though God passes judgment in chapters 6 and 18, the entities in chapter 6 are different from the entities in chapter 18. The judgment in chapter 6 is passed upon the betrayers, the chosen people, and the judgment in chapter 18 is passed upon the destroyers. In chapter 18, the chosen people betray and are married to the demons of Babylon, and in chapter 19, the wedding with the Lamb takes place.
In Revelation 20, the dragon is seized, and the souls of those who had been beheaded and those who are alive become one and get to reign with Christ for a thousand years as the ones who are first resurrected. And when the thousand years are over, the dragon is released from the Abyss for a while and goes out to deceive God and Magog (those who only have flesh without God inside them). And as they attack the Holy City, they are devoured by fire. This is receiving judgment.
In Revelation 21, the former heaven and earth is put to an end, and God and the kingdom of heaven comes down upon the new heaven and new earth that is created. This place becomes the kingdom of heaven where there is no death and pain.
In Revelation 22, there is a reward and punishment (eternal life and eternal punishment) according to what they have done, and those who are sealed come to live with God forever. This tree of life in the kingdom of heaven bears twelve crops of fruit, yielding its fruit every month, and outside are the dogs, liars, and such, and the water of life is given to those who want it without cost.
If I were to summarize the contents above once again, it is as follows. Revelation 1:1-8 is the conclusion where the all chapters of Revelation are summarized. The events of Revelation start from verse 9 where Jesus chooses Apostle John, his disciple, and commands him to send letters to the seven stars. After Jesus sent letters to the seven stars through John in Revelation 2 and 3, Jesus calls his disciple John up to heaven, and shows him the throne of God in chapter 4. In chapter 5, God gives the scroll sealed with seven seals to Jesus who overcame, and Jesus starts to open the seven seals of the scroll from chapter 8 and opens the last seal in chapter 8. Then, the scroll is opened and all the physical entities of the prophecy recorded in the scroll appear.
The work of sealing in chapter 7 is followed by the chosen people, the sun, moon, and stars, falling from the heaven, and both the heaven and earth disappearing. In chapter 8 and 9, the spirits of the chosen people who were thrown out in chapter 6 are killed by a third and a third due to another nation (a third is killed in Rv12:4). In chapter 10, since all the seven seals are opened, the angel gives the open scroll, that is, the revealed scroll to John to eat, and John prophesizes about the Word in the scroll before all the nations, peoples, and kings. In chapter 11, after the two witnesses stand before the Lord and are sacrificed, the last seventh trumpet is blown. With this, the kingdom of the world becomes the kingdom of God.
In chapter 12, the child born of a woman clothed with the sun, moon, and stars and his brothers fight and overcome the pastor of the dragon who invades [the tabernacle] in chapter 13. By overcoming, the dragon is thrown out, and from that time, there is the kingdom of God and salvation. The congregation members in chapter 13 are the betrayers who received the mark from the beast and the pastor of the dragon. The congregation members in chapter 14 are the first fruits, the 144,000, sealed by God and the Lamb.
In chapter 15, those who are victorious over the beast, his image, and over the number of his name, 666, in chapter 13 became the bowls of God’s wrath. Since the bowl was poured on the betrayers and the throne of the beast (destroyers) in chapter 16 to judge them, the Babylon is divided into three.
In chapter 17, the secret of the prostitute who provided the maddening wine of adulteries and her group, the beast with the seven heads and ten horns, is revealed that they are the pastors of the nation of Babylon. And in chapter 18, Babylon makes all the nations drink the maddening wine of adulteries, and it is made known that the chosen people that betrayed will be judged for they married the demons of Babylon.
In chapter 19, it is made known that there will be a wedding banquet with the Lamb after the judgment of Babylon in chapter 18. In chapter 20, there is the first resurrection where the souls of those who had been beheaded and those who are alive become one to reign with Christ for a thousand years after the dragon is seized. And in chapter 21, the former heaven and earth are put to an end, and God and the kingdom of heaven comes down to create the new heaven and new earth. As a result, there is no death and pain and all creation is renewed. In chapter 22, the water of life, as clear as crystal, flows from the throne [of God and of the Lamb], the tree of life stands on each side of the river and bears twelve crops of fruit, yielding its fruit every month, and those who are sealed reign forever with God. However, outside are the dogs, those who practice magic arts, and everyone who loves and practices falsehood, and they are eventually thrown into the lake of burning sulfur.
Jesus promises the Revelation, and he has come and is fulfilling it today. Jesus has sent his angel [messenger] to give them this testimony (all the events of Revelation) for the churches and whoever wishes will take the free gift of the water of life (food that gives eternal life). However, those who do not believe and who have added to or taken away from the book of Revelation cannot enter the kingdom of heaven. Only those who are sealed and whose names are written on the book of life can enter the kingdom of heaven. This is the fulfillment of Revelation, God’s final work.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
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Main references: Rv 1 ~ 22 (Summary)
What is the fulfillment of Revelation, God’s final work?
It is where the betrayal of the traditional chosen people (church members), the destruction of the chosen people by a gentile destroyer, and the work of salvation by the promised pastor are being fulfilled. At the time of Revelation’s fulfillment, the betrayers who were once the traditional chosen people do all the work of betrayal as recorded [in the Bible], the destroyers do all the work of destruction as recorded [in the Bible], and the savior does all the work of salvation as recorded [in the Bible].
Two thousand years ago, Jesus called his disciple, Apostle John, up to heaven and showed him the future events that would be fulfilled through visions in advance, and Apostle John recorded what he had seen and heard in the book of Revelation. This prophecy of Revelation shall be preached to the whole world as a testimony to all the nations, and then the end will come (Mt 24:24), and only then does God fulfill the prophecy. When He fulfills this, He fulfills everything as it is written in all chapters of Revelation without adding to or taking away from them.
In the beginning, there is first the work of the lamp of the seven stars (messengers) that prepares the way like at the time of the First Coming (Rv 1). At this time, Satan’s Nicolaitans (Rv 2:15), like the Pharisee pastors of Satan’s group at the First Coming, invade the tabernacle of the seven stars. Satan’s pastor who invades deceives the servants (messengers) and congregation members of the tabernacle and makes them to eat teachings and food sacrificed to idols, just like Satan did to Eve at the time of Adam, and misleads them to commit acts of immorality with the spirit of Satan. When this happens, Jesus chooses one pastor to send letters that urges repentance to the seven stars of the tabernacle. The letter is about “Repent, and fight and overcome Satan’s invading pastor, the Nicolaitans. If you overcome, I will give you the things (blessings) promised in Revelation 2 and 3.” This is the promise, and the one who keeps this promise is the promised pastor. Without the things promised in Revelation 2 and 3, neither salvation nor the kingdom of heaven can be fulfilled. The one who knows the content and meaning of Revelation 2 and 3 will speak like this.
After these things happen, Apostle John, who sends the letters [on behalf of Jesus] in Revelation 2 and 3, is called up to heaven by Jesus and sees God’s throne in Revelation 4. Also, he sees and hears what must take place after the things happen in Revelation 2 and 3.
In chapter 5, John sees a scroll sealed with seven seals in the right hand of God, and weeps because no one is found worthy to open the scroll or look inside. However, after the Lamb triumphs, John takes the scroll and begins to open the seals in chapter 6, and as he opens the seals one by one, the physical entities (physical fulfillments) recorded in the scroll appear. When he opens the sixth seal, the sun, moon, and stars in heaven darken and fall, and the heaven and earth disappear. This occurs because the chosen people in Revelation 2 and 3 do not repent and believe even though they received the letters that urged repentance, and a judgment comes upon them in chapter 6. This is the scene where chosen people are destroyed due to their betrayal, and God judges them through the four living creatures before His throne.
Chapter 7 is about the beginning of recreation where the former heaven, the Spiritual Israel that does not repent even after they commit acts of immorality with gentile spirits through Satan’s pastor in Revelation 2 and 3, so they receive judgment in chapter 6 and both the heaven and the earth disappear. This creation is the work of sealing 12,000 people in each of the 12 tribes, a total of 144,000 people, by harvesting. Thus, [chapter 7] is about the work of sealing after the event in chapter 6.
In chapter 8, the last of seven seals is opened. In Revelation 8 and 9, the spirits of those who were thrown out in chapter 6 are killed by a third and a third due to another nation, and a third [of the spirits] are killed in chapter 12 (verse 4).
In Revelation 10, Jesus opens all the seals in chapter 8 where he started to open them from chapter 6. Then, he gives the open scroll to John, the messenger who speaks on behalf of Jesus, through an angel. As John receives and eats the scroll, he prophesies before many peoples, nations, languages, and kings (all denominations and churches in the world).
In chapter 11, after the two witnesses who stand before the Lord are sacrificed by the beast that came out of the abyss, they receive the breath of life again and resurrect. Therefore, the kingdom of the world becomes the kingdom of God as the last (seventh) trumpet is blown.
The heaven (tabernacle) in Revelation 12 and 13 is the same thing, which is the tabernacle of the seven stars in Revelation 2 and 3. Satan’s pastors who invaded the tabernacle of heaven in chapter 13 fights against and overcomes the congregation members of the heaven tabernacle, and forces them to receive Satan’s mark on their foreheads and right hands. Since the congregation members who received the mark worshipped Satan’s pastor, this was an act of betrayal. The child born of a woman clothed with the sun, moon, and stars and his brothers in chapter 12 fights against and overcomes the group of the dragon who invaded the tabernacle. Since then, there is the kingdom of God and salvation. This is the fulfillment of the promise in chapter 2 and 3.
Deuteronomy 28 explains about the one who is victorious and the one who is defeated. Those who are defeated will lose everything, while those who are victorious will keep everything. The dragon that has reigned over the world for 6,000 years is seized at the end, and now, victorious God reigns over the world. This is the victory. From this moment, the kingdom of God is established. In the battle between God’s pastor and Satan’s pastor, God’s pastor is defeated in chapter 13, but overcomes in chapter 12.
The congregation members in chapter 13 are those who received the mark in the name of the beast, Satan’s pastor, and the congregation members in chapter 14 are those who are sealed in the name of God and Jesus. In chapter 15, those who have been victorious over the beast of the dragon’s pastor in chapter 13 and his image and over the number of his name gather before God’s throne, and God uses them as bowls of God’s wrath and pronounces judgment by pouring [the bowls of wrath] on the throne of the beast (destroyers) and the betrayers in chapter 16. As a result, the nation of the beast, Babylon, is divided into three.
In Revelation 17, the secret of the prostitute and the seven heads with ten horns is made known. And in Revelation 18, home for demons, Babylon, receives judgment from God since they made all the nations drink the maddening wine of adulteries which is the food of Satan. Even though God passes judgment in chapters 6 and 18, the entities in chapter 6 are different from the entities in chapter 18. The judgment in chapter 6 is passed upon the betrayers, the chosen people, and the judgment in chapter 18 is passed upon the destroyers. In chapter 18, the chosen people betray and are married to the demons of Babylon, and in chapter 19, the wedding with the Lamb takes place.
In Revelation 20, the dragon is seized, and the souls of those who had been beheaded and those who are alive become one and get to reign with Christ for a thousand years as the ones who are first resurrected. And when the thousand years are over, the dragon is released from the Abyss for a while and goes out to deceive God and Magog (those who only have flesh without God inside them). And as they attack the Holy City, they are devoured by fire. This is receiving judgment.
In Revelation 21, the former heaven and earth is put to an end, and God and the kingdom of heaven comes down upon the new heaven and new earth that is created. This place becomes the kingdom of heaven where there is no death and pain.
In Revelation 22, there is a reward and punishment (eternal life and eternal punishment) according to what they have done, and those who are sealed come to live with God forever. This tree of life in the kingdom of heaven bears twelve crops of fruit, yielding its fruit every month, and outside are the dogs, liars, and such, and the water of life is given to those who want it without cost.
If I were to summarize the contents above once again, it is as follows. Revelation 1:1-8 is the conclusion where the all chapters of Revelation are summarized. The events of Revelation start from verse 9 where Jesus chooses Apostle John, his disciple, and commands him to send letters to the seven stars. After Jesus sent letters to the seven stars through John in Revelation 2 and 3, Jesus calls his disciple John up to heaven, and shows him the throne of God in chapter 4. In chapter 5, God gives the scroll sealed with seven seals to Jesus who overcame, and Jesus starts to open the seven seals of the scroll from chapter 8 and opens the last seal in chapter 8. Then, the scroll is opened and all the physical entities of the prophecy recorded in the scroll appear.
The work of sealing in chapter 7 is followed by the chosen people, the sun, moon, and stars, falling from the heaven, and both the heaven and earth disappearing. In chapter 8 and 9, the spirits of the chosen people who were thrown out in chapter 6 are killed by a third and a third due to another nation (a third is killed in Rv12:4). In chapter 10, since all the seven seals are opened, the angel gives the open scroll, that is, the revealed scroll to John to eat, and John prophesizes about the Word in the scroll before all the nations, peoples, and kings. In chapter 11, after the two witnesses stand before the Lord and are sacrificed, the last seventh trumpet is blown. With this, the kingdom of the world becomes the kingdom of God.
In chapter 12, the child born of a woman clothed with the sun, moon, and stars and his brothers fight and overcome the pastor of the dragon who invades [the tabernacle] in chapter 13. By overcoming, the dragon is thrown out, and from that time, there is the kingdom of God and salvation. The congregation members in chapter 13 are the betrayers who received the mark from the beast and the pastor of the dragon. The congregation members in chapter 14 are the first fruits, the 144,000, sealed by God and the Lamb.
In chapter 15, those who are victorious over the beast, his image, and over the number of his name, 666, in chapter 13 became the bowls of God’s wrath. Since the bowl was poured on the betrayers and the throne of the beast (destroyers) in chapter 16 to judge them, the Babylon is divided into three.
In chapter 17, the secret of the prostitute who provided the maddening wine of adulteries and her group, the beast with the seven heads and ten horns, is revealed that they are the pastors of the nation of Babylon. And in chapter 18, Babylon makes all the nations drink the maddening wine of adulteries, and it is made known that the chosen people that betrayed will be judged for they married the demons of Babylon.
In chapter 19, it is made known that there will be a wedding banquet with the Lamb after the judgment of Babylon in chapter 18. In chapter 20, there is the first resurrection where the souls of those who had been beheaded and those who are alive become one to reign with Christ for a thousand years after the dragon is seized. And in chapter 21, the former heaven and earth are put to an end, and God and the kingdom of heaven comes down to create the new heaven and new earth. As a result, there is no death and pain and all creation is renewed. In chapter 22, the water of life, as clear as crystal, flows from the throne [of God and of the Lamb], the tree of life stands on each side of the river and bears twelve crops of fruit, yielding its fruit every month, and those who are sealed reign forever with God. However, outside are the dogs, those who practice magic arts, and everyone who loves and practices falsehood, and they are eventually thrown into the lake of burning sulfur.
Jesus promises the Revelation, and he has come and is fulfilling it today. Jesus has sent his angel [messenger] to give them this testimony (all the events of Revelation) for the churches and whoever wishes will take the free gift of the water of life (food that gives eternal life). However, those who do not believe and who have added to or taken away from the book of Revelation cannot enter the kingdom of heaven. Only those who are sealed and whose names are written on the book of life can enter the kingdom of heaven. This is the fulfillment of Revelation, God’s final work.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
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2015년 8월 28일 금요일
El Trabajo de Traición, Destrucción y Salvación en Apocalipsis
El Trabajo de Traición, Destrucción y Salvación en Apocalipsis
Referencias Principales: Ap 1 ~ 22 (Ap 21:6, Jn 19:30, Jn 14:29)
¿Qué es el trabajo de traición, destrucción y salvación en Apocalipsis?
Apocalipsis es una profecía que se cumplirá en el futuro. Es una revelación de visión que fue mostrada por adelantado al discípulo Juan cuando él fue llamado al cielo después de la ascensión de Jesús. Y va a cumplirse como la profecía que fue mostrada sin añadir ni quitar. Cuando se cumple la profecía, los traidores, los destructores y el salvador aparecen. Quien entiende la profecía va a reconocer estas entidades por sus acciones como había sido profetizado en la Biblia.
Como está escrito en Jn 14:29, Jesús nos dijo esto antes de que suceda, para que cuando suceda, crearemos. Jesús cumplió el Antiguo Testamento (Jn 19:30) y cumplió también el Nuevo Testamento sin añadir ni quitar nada de ello así como él había prometido en Apocalipsis (Ap 21:6, “echo está”). Quien lee Apocalipsis capítulos 12, 7 y 5 y percibe el verdadero significado reconocerá que Jesús fue crucificado y derramó su sangre en la cruz para cumplir Apocalipsis. (Ap 12:11, 7:14, 5:9-10)
Es imposible para aquellos que no entienden el verdadero significado de Apocalipsis a percibir su cumplimiento. Las profecías se cumplen sólo cuando aparecen los traidores, los destructores y el salvador en el momento del cumplimiento de Apocalipsis. Tener una fe verdadera es entender y creer en el cumplimiento. Sólo por esta verdadera fe podemos ser salvos. No es correcto creer o esperar ser salvos antes de que se cumpla Apocalipsis. La gente fácilmente puede decir que ya son salvos porque no conocen el trabajo de Apocalipsis. Todas las profecías en el Nuevo Testamento y el Antiguo Testamento señalan a Apocalipsis. Así que, es malo para cualquier persona creer que ya es salvo cuando Apocalipsis aún no ha comenzado a cumplirse.
Debemos recordar la promesa de Jesús en Apocalipsis 12 que el reino, poder y salvación de Dios viene cuando alguien lucha y vence el grupo de Satanás. Si es así, ¿cómo puede haber el reino de Dios y salvación antes de que esta profecía se cumple? Debemos creer la promesa como está escrito en la Biblia.
◆ El Trabajo de la Traición
Los traidores encontrados en Apocalipsis son el pueblo elegido hoy, Israel Espiritual. En el tiempo de cumplimiento, son considerados traidores por su incredulidad en las entidades físicas del nuevo pacto (Nuevo Testamento). No creen en el cumplimiento del Nuevo Testamento ni lo guardan. ¿No es esto traición? Por lo tanto, Jesús dijo que quien quita de la profecía o añade a la profecía no puede entrar en el reino de los cielos sino recibirá maldiciones (plagas) (Ap 22:18-19).
Jesús tomó la cruz, derramó su sangre, y estableció un nuevo pacto con su sangre. Este es el Nuevo Testamento. Añadir o quitar a Apocalipsis que es el nuevo pacto hecho con la sangre de Jesús, y no creer en ello es traición- es traicionar a Dios. Así como los pastores y los creyentes de Jerusalén no creían en el cumplimiento del Antiguo Testamento en la Primera Venida (Jn 19:30), no creer en el cumplimiento físico de Apocalipsis que Jesús prometió con su sangre es traición.No creer en la profecía ni su cumplimiento es un acto de traición y no creer en Dios que es la Palabra.
Jn 1:1 dice que la Palabra desde el principio es Dios. Por lo tanto, no creer en Apocalipsis, la Palabra de promesa no es algo más que traición.
En Apocalipsis 2, el pueblo elegido aceptó las enseñanzas de los nicolaítas de Satanás, comió la comida sacrificada a los ídolos y cometió fornicación. En Apocalipsis 13, el pueblo elegido recibió la marca de la bestia del dragón y adoró su imagen. Estos son los actos de traición. En Apocalipsis 17, los reyes (pastores) de la tierra y los habitantes (miembros de la congregación) de la tierra que comieron el vino del furor de su fornicación, que es la doctrina de Satanás, confirman que traicionaron a Dios. Según Apocalipsis 18, han caído todas las naciones de beber el vino del furor de su fornicación. Este es el resultado de la traición. Como está escrito en Apocalipsis 20:12, los traidores serán condenados al infierno según sus acciones como se registra en los libros. Ellos son el pueblo elegido de Israel Espiritual en el momento del cumplimiento de Apocalipsis. Si saben que ellos son los traidores, se arrepentirán. La recreación se lleva a cabo como resultado de la traición del pueblo elegido.
◆ El Trabajo de la Destrucción
Los destructores son los nicolaítas de Satanás que, como está escrito en Apocalipsis 2, hicieron el pueblo elegido cometer fornicación con su dios. Los nicolaítas tentaron a la gente a comer alimentos sacrificados a los ídolos que es su enseñanza. Esto está escrito en Apocalipsis 6 que la bestia (pastor del dragón) mató a una cuarta parte de los miembros de la congregación. También es la estrella llamada ajenjo en Apocalipsis 8, que cayó del cielo y mató a un tercio de las personas elegidas que traicionaron, haciéndolos beber el agua amarga y agua de mar (agua de mar que se convirtió en sangre). También en Apocalipsis 9, los doscientos millones ejércitos de los jinetes mataron el pueblo elegido con sus bocas y las colas. El poder de los caballos estaba en sus bocas y colas. Mataron a un tercio de las personas elegidas con el fuego, humo y azufre de su boca, y sus colas que parecían serpientes tenían cabezas que infligen daño sobre el pueblo elegido. Además, son las bestias del dragón en Apocalipsis 13, que hicieron los miembros de la congregación recibir la marca de la bestia en sus frentes y manos derechas, y les hizo adorar la imagen de la bestia. También son las siete cabezas y diez cuernos del dragón en Apocalipsis 12; el reino de la bestia y los reyes de todas las naciones en Apocalipsis 16; la ramera, las siete cabezas, diez cuernos y los reyes de la tierra en Apocalipsis 17; los mercaderes que hicieron todas las naciones caer con el vino del furor de su fornicación de Babilonia en Apocalipsis 18; la bestia y los falsos profetas en Apocalipsis 19; Satanás que es arrojado al abismo y encerrado en Apocalipsis 20; y por último, los perros, y los hechiceros, los fornicarios, los homicidas, los idólatras, y todo aquel que ama y hace mentira en Apocalipsis 22.
Estos destructores engañaron al pueblo elegido del mismo modo que la serpiente engañó a Adán. Causaron al pueblo a traicionar y finalmente los destruyó. Así, el pueblo elegido que traicionó se une con los destructores como Adán. Este es el trabajo de los destructores mostrado en el libro de Apocalipsis.
◆ El Trabajo de Salvación
Después del trabajo de traición y destrucción, como se mencionó anteriormente, el salvador viene y salva a quienes están siendo destruidos (2 Tes 2:1-12). Salvación es sacar el pueblo elegido de la guarida de los enemigos; las personas han sido capturadas por los pastores y los dioses gentiles y cautivos en esas guaridas.
En Apocalipsis 2, el salvador es el que envió cartas a los siete mensajeros que habían sido escogidos por el Señor en la Segunda Venida para preparar el camino. Las cartas les advirtieron acerca de los nicolaítas, la sinagoga de Satanás. En otras palabras, el salvador es el que envió las cartas a los mensajeros de las siete iglesias exhortándolos a arrepentirse de aprender las enseñanzas del espíritu de Satanás y sus pastores. Comieron los alimentos sacrificados a ídolos y cometieron adulterio con dioses gentiles. Este salvador es el que vence, el pastor prometido que trabaja junto con Jesús.
Después que el vencedor envió las cartas a los mensajeros de las siete iglesias en nombre de Jesús en Apocalipsis 2 y 3, subió al cielo y vio el trono de Dios y su estructura en Apocalipsis 4. Vio a Jesús recibir el libro sellado de Dios en Apocalipsis 5 y abrir los seis sellos en Apocalipsis 6. Él abrió el séptimo sello y el libro sellado completamente se abrió en Apocalipsis 8. Cada vez que abrió los sellos, eventos particulares ocurrieron como se registra en el libro de Apocalipsis. Esto significa que las profecías se cumplieron.
El vencedor hizo a conocer al pueblo elegido en Apocalipsis 6, que fueron asesinados por los gentiles de un tercio a la vez como había sido profetizado en Apocalipsis 8 y 9. El vencedor les instó a arrepentirse siete veces en Apocalipsis 2 y 3, pero no escucharon. Entonces fueron matados una tercera parte a la vez. Su muerte no es la muerte de su carne, sino su espíritu. Sus espíritus murieron del mismo modo que el espíritu de Adán murió.
El vencedor recibió el libro abierto en Apocalipsis 10. Como está escrito en Apocalipsis 11, fue asesinado por la bestia mientras que él estaba testificando a la gente, pero él fue traído de vuelta a la vida. Entonces, hay un giro de acontecimientos al sonido de la última séptima trompeta — el reino del mundo se convierte en el reino de Dios (Ap 11:15). El mismo contenido se encuentra en Apocalipsis 12; después de que el hijo varón nacido de la mujer y sus hermanos luchan y vencen el grupo del dragón, el dragón es forzado fuera del cielo y el reino de Dios y la salvación finalmente viene. Como resultado de esta victoria, se ha cumplido la promesa en Apocalipsis 2 y 3. Finalmente la cosecha y el trabajo de sellar comienzan como fue profetizado en Apocalipsis 7 y 14 y las doce tribus del reino de Dios se establecen. Así que esto es salvación y la creación del reino. Por otro lado, el pueblo elegido que traicionó recibe destrucción y la bestia del dragón que invadió el tabernáculo se lanza hacia fuera. Esto es juicio.
Aquellos que vencen el grupo de la bestia en Apocalipsis 15 se convierten en las copas de la ira de Dios. En Apocalipsis 16, los ángeles del Templo del Tabernáculo del Testimonio derraman estas copas llenas de ira hacia los traidores y destructores como una forma de juicio. En Apocalipsis 17, el pueblo escogido que es fiel es llamado y liberado del enemigo (Ap 17:14), y en Apocalipsis 18, Babilonia es juzgada. En Apocalipsis 19, el banquete de bodas del Cordero, preparado con los toros y animales engordados (bestia), comienza (referirse a Mt 22:4).
El salvador terminó todo el trabajo de salvación que ha sido confiado a él — el trabajo de juicio, cosecha, sellar y la creación de un nuevo reino. La profecía en Apocalipsis 21:6, “Hecho está”, se cumple cuando los traidores, los destructores y el salvador aparecen y llevan a cabo sus acciones respectivas, como está escrito en Apocalipsis. El mandamiento de Dios en el Nuevo Testamento de “creer” es creer en Apocalipsis. Cuando se cumple, nosotros, también podemos decir “Echo está.” El nuevo reino que se cumplió es Shincheonji (cielo nuevo y tierra nueva).
Aquellos que maldicen a Shincheonji Iglesia de Jesús, el Templo del Tabernáculo del Testimonio que fue establecido según la Biblia, confirman que son los enemigos ignorantes que recibieron el espíritu de Satanás. Es un pecado no percibir y creer en la Primera Venida y la Segunda Venida. Los miembros de la congregación de Shincheonji Iglesia de Jesús, el Templo del Tabernáculo del Testimonio están testificando del trabajo de traición, destrucción y salvación. Ellos están proclamando al mundo cada día que la profecía de Apocalipsis se cumplió hoy. Quien cree esto recibirá salvación.
¡Amén!
Referencia: http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/696
Referencias Principales: Ap 1 ~ 22 (Ap 21:6, Jn 19:30, Jn 14:29)
¿Qué es el trabajo de traición, destrucción y salvación en Apocalipsis?
Apocalipsis es una profecía que se cumplirá en el futuro. Es una revelación de visión que fue mostrada por adelantado al discípulo Juan cuando él fue llamado al cielo después de la ascensión de Jesús. Y va a cumplirse como la profecía que fue mostrada sin añadir ni quitar. Cuando se cumple la profecía, los traidores, los destructores y el salvador aparecen. Quien entiende la profecía va a reconocer estas entidades por sus acciones como había sido profetizado en la Biblia.
Como está escrito en Jn 14:29, Jesús nos dijo esto antes de que suceda, para que cuando suceda, crearemos. Jesús cumplió el Antiguo Testamento (Jn 19:30) y cumplió también el Nuevo Testamento sin añadir ni quitar nada de ello así como él había prometido en Apocalipsis (Ap 21:6, “echo está”). Quien lee Apocalipsis capítulos 12, 7 y 5 y percibe el verdadero significado reconocerá que Jesús fue crucificado y derramó su sangre en la cruz para cumplir Apocalipsis. (Ap 12:11, 7:14, 5:9-10)
Es imposible para aquellos que no entienden el verdadero significado de Apocalipsis a percibir su cumplimiento. Las profecías se cumplen sólo cuando aparecen los traidores, los destructores y el salvador en el momento del cumplimiento de Apocalipsis. Tener una fe verdadera es entender y creer en el cumplimiento. Sólo por esta verdadera fe podemos ser salvos. No es correcto creer o esperar ser salvos antes de que se cumpla Apocalipsis. La gente fácilmente puede decir que ya son salvos porque no conocen el trabajo de Apocalipsis. Todas las profecías en el Nuevo Testamento y el Antiguo Testamento señalan a Apocalipsis. Así que, es malo para cualquier persona creer que ya es salvo cuando Apocalipsis aún no ha comenzado a cumplirse.
Debemos recordar la promesa de Jesús en Apocalipsis 12 que el reino, poder y salvación de Dios viene cuando alguien lucha y vence el grupo de Satanás. Si es así, ¿cómo puede haber el reino de Dios y salvación antes de que esta profecía se cumple? Debemos creer la promesa como está escrito en la Biblia.
◆ El Trabajo de la Traición
Los traidores encontrados en Apocalipsis son el pueblo elegido hoy, Israel Espiritual. En el tiempo de cumplimiento, son considerados traidores por su incredulidad en las entidades físicas del nuevo pacto (Nuevo Testamento). No creen en el cumplimiento del Nuevo Testamento ni lo guardan. ¿No es esto traición? Por lo tanto, Jesús dijo que quien quita de la profecía o añade a la profecía no puede entrar en el reino de los cielos sino recibirá maldiciones (plagas) (Ap 22:18-19).
Jesús tomó la cruz, derramó su sangre, y estableció un nuevo pacto con su sangre. Este es el Nuevo Testamento. Añadir o quitar a Apocalipsis que es el nuevo pacto hecho con la sangre de Jesús, y no creer en ello es traición- es traicionar a Dios. Así como los pastores y los creyentes de Jerusalén no creían en el cumplimiento del Antiguo Testamento en la Primera Venida (Jn 19:30), no creer en el cumplimiento físico de Apocalipsis que Jesús prometió con su sangre es traición.No creer en la profecía ni su cumplimiento es un acto de traición y no creer en Dios que es la Palabra.
Jn 1:1 dice que la Palabra desde el principio es Dios. Por lo tanto, no creer en Apocalipsis, la Palabra de promesa no es algo más que traición.
En Apocalipsis 2, el pueblo elegido aceptó las enseñanzas de los nicolaítas de Satanás, comió la comida sacrificada a los ídolos y cometió fornicación. En Apocalipsis 13, el pueblo elegido recibió la marca de la bestia del dragón y adoró su imagen. Estos son los actos de traición. En Apocalipsis 17, los reyes (pastores) de la tierra y los habitantes (miembros de la congregación) de la tierra que comieron el vino del furor de su fornicación, que es la doctrina de Satanás, confirman que traicionaron a Dios. Según Apocalipsis 18, han caído todas las naciones de beber el vino del furor de su fornicación. Este es el resultado de la traición. Como está escrito en Apocalipsis 20:12, los traidores serán condenados al infierno según sus acciones como se registra en los libros. Ellos son el pueblo elegido de Israel Espiritual en el momento del cumplimiento de Apocalipsis. Si saben que ellos son los traidores, se arrepentirán. La recreación se lleva a cabo como resultado de la traición del pueblo elegido.
◆ El Trabajo de la Destrucción
Los destructores son los nicolaítas de Satanás que, como está escrito en Apocalipsis 2, hicieron el pueblo elegido cometer fornicación con su dios. Los nicolaítas tentaron a la gente a comer alimentos sacrificados a los ídolos que es su enseñanza. Esto está escrito en Apocalipsis 6 que la bestia (pastor del dragón) mató a una cuarta parte de los miembros de la congregación. También es la estrella llamada ajenjo en Apocalipsis 8, que cayó del cielo y mató a un tercio de las personas elegidas que traicionaron, haciéndolos beber el agua amarga y agua de mar (agua de mar que se convirtió en sangre). También en Apocalipsis 9, los doscientos millones ejércitos de los jinetes mataron el pueblo elegido con sus bocas y las colas. El poder de los caballos estaba en sus bocas y colas. Mataron a un tercio de las personas elegidas con el fuego, humo y azufre de su boca, y sus colas que parecían serpientes tenían cabezas que infligen daño sobre el pueblo elegido. Además, son las bestias del dragón en Apocalipsis 13, que hicieron los miembros de la congregación recibir la marca de la bestia en sus frentes y manos derechas, y les hizo adorar la imagen de la bestia. También son las siete cabezas y diez cuernos del dragón en Apocalipsis 12; el reino de la bestia y los reyes de todas las naciones en Apocalipsis 16; la ramera, las siete cabezas, diez cuernos y los reyes de la tierra en Apocalipsis 17; los mercaderes que hicieron todas las naciones caer con el vino del furor de su fornicación de Babilonia en Apocalipsis 18; la bestia y los falsos profetas en Apocalipsis 19; Satanás que es arrojado al abismo y encerrado en Apocalipsis 20; y por último, los perros, y los hechiceros, los fornicarios, los homicidas, los idólatras, y todo aquel que ama y hace mentira en Apocalipsis 22.
Estos destructores engañaron al pueblo elegido del mismo modo que la serpiente engañó a Adán. Causaron al pueblo a traicionar y finalmente los destruyó. Así, el pueblo elegido que traicionó se une con los destructores como Adán. Este es el trabajo de los destructores mostrado en el libro de Apocalipsis.
◆ El Trabajo de Salvación
Después del trabajo de traición y destrucción, como se mencionó anteriormente, el salvador viene y salva a quienes están siendo destruidos (2 Tes 2:1-12). Salvación es sacar el pueblo elegido de la guarida de los enemigos; las personas han sido capturadas por los pastores y los dioses gentiles y cautivos en esas guaridas.
En Apocalipsis 2, el salvador es el que envió cartas a los siete mensajeros que habían sido escogidos por el Señor en la Segunda Venida para preparar el camino. Las cartas les advirtieron acerca de los nicolaítas, la sinagoga de Satanás. En otras palabras, el salvador es el que envió las cartas a los mensajeros de las siete iglesias exhortándolos a arrepentirse de aprender las enseñanzas del espíritu de Satanás y sus pastores. Comieron los alimentos sacrificados a ídolos y cometieron adulterio con dioses gentiles. Este salvador es el que vence, el pastor prometido que trabaja junto con Jesús.
Después que el vencedor envió las cartas a los mensajeros de las siete iglesias en nombre de Jesús en Apocalipsis 2 y 3, subió al cielo y vio el trono de Dios y su estructura en Apocalipsis 4. Vio a Jesús recibir el libro sellado de Dios en Apocalipsis 5 y abrir los seis sellos en Apocalipsis 6. Él abrió el séptimo sello y el libro sellado completamente se abrió en Apocalipsis 8. Cada vez que abrió los sellos, eventos particulares ocurrieron como se registra en el libro de Apocalipsis. Esto significa que las profecías se cumplieron.
El vencedor hizo a conocer al pueblo elegido en Apocalipsis 6, que fueron asesinados por los gentiles de un tercio a la vez como había sido profetizado en Apocalipsis 8 y 9. El vencedor les instó a arrepentirse siete veces en Apocalipsis 2 y 3, pero no escucharon. Entonces fueron matados una tercera parte a la vez. Su muerte no es la muerte de su carne, sino su espíritu. Sus espíritus murieron del mismo modo que el espíritu de Adán murió.
El vencedor recibió el libro abierto en Apocalipsis 10. Como está escrito en Apocalipsis 11, fue asesinado por la bestia mientras que él estaba testificando a la gente, pero él fue traído de vuelta a la vida. Entonces, hay un giro de acontecimientos al sonido de la última séptima trompeta — el reino del mundo se convierte en el reino de Dios (Ap 11:15). El mismo contenido se encuentra en Apocalipsis 12; después de que el hijo varón nacido de la mujer y sus hermanos luchan y vencen el grupo del dragón, el dragón es forzado fuera del cielo y el reino de Dios y la salvación finalmente viene. Como resultado de esta victoria, se ha cumplido la promesa en Apocalipsis 2 y 3. Finalmente la cosecha y el trabajo de sellar comienzan como fue profetizado en Apocalipsis 7 y 14 y las doce tribus del reino de Dios se establecen. Así que esto es salvación y la creación del reino. Por otro lado, el pueblo elegido que traicionó recibe destrucción y la bestia del dragón que invadió el tabernáculo se lanza hacia fuera. Esto es juicio.
Aquellos que vencen el grupo de la bestia en Apocalipsis 15 se convierten en las copas de la ira de Dios. En Apocalipsis 16, los ángeles del Templo del Tabernáculo del Testimonio derraman estas copas llenas de ira hacia los traidores y destructores como una forma de juicio. En Apocalipsis 17, el pueblo escogido que es fiel es llamado y liberado del enemigo (Ap 17:14), y en Apocalipsis 18, Babilonia es juzgada. En Apocalipsis 19, el banquete de bodas del Cordero, preparado con los toros y animales engordados (bestia), comienza (referirse a Mt 22:4).
El salvador terminó todo el trabajo de salvación que ha sido confiado a él — el trabajo de juicio, cosecha, sellar y la creación de un nuevo reino. La profecía en Apocalipsis 21:6, “Hecho está”, se cumple cuando los traidores, los destructores y el salvador aparecen y llevan a cabo sus acciones respectivas, como está escrito en Apocalipsis. El mandamiento de Dios en el Nuevo Testamento de “creer” es creer en Apocalipsis. Cuando se cumple, nosotros, también podemos decir “Echo está.” El nuevo reino que se cumplió es Shincheonji (cielo nuevo y tierra nueva).
Aquellos que maldicen a Shincheonji Iglesia de Jesús, el Templo del Tabernáculo del Testimonio que fue establecido según la Biblia, confirman que son los enemigos ignorantes que recibieron el espíritu de Satanás. Es un pecado no percibir y creer en la Primera Venida y la Segunda Venida. Los miembros de la congregación de Shincheonji Iglesia de Jesús, el Templo del Tabernáculo del Testimonio están testificando del trabajo de traición, destrucción y salvación. Ellos están proclamando al mundo cada día que la profecía de Apocalipsis se cumplió hoy. Quien cree esto recibirá salvación.
¡Amén!
Referencia: http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/696
Das gerechte Verhalten, der rechtschaffende Weg und die Wahrheit
Das gerechte Verhalten, der rechtschaffende Weg und die Wahrheit
Referenz: Mt 6:33 (Mt 23:23, Joh 17:17-19, Mal 2)
Was ist das gerechte Verhalten, der rechtschaffende Weg (“Gong Eui”, “Gong Do”) und die Wahrheit?
“Gong Eui” ist das gerechte Verhalten und “Gong Do” ist der rechtschaffende Weg, also der Weg der Rechtschaffenheit, die rechtschaffende Lehre. Die Wahrheit ist das heilige Wort Gottes. Sie stellt die heilige Lehre Gottes dar, die vom Himmel gegeben worden ist.
Jesus, der mit Gott gemeinsam war, sagte in Matthäus 6:33: “Trachtet zuerst nach dem Reich Gottes und nach seiner Gerechtigkeit!” Und er sagte: “So seid nicht besorgt, indem ihr sagt: Was sollen wir essen? Oder: Was sollen wir trinken? Oder: Was sollen wir anziehen ?“ (Mt 6:31) Ebenso sagte er: “Seht hin auf die Vögel des Himmels, dass sie weder Säen noch ernten noch in Scheunen sammeln, und euer himmlischer Vater ernährt sie doch. Seid ihr nicht viel wertvoller als sie?” (Mt 6:26-30) Es heißt auch, dass Gott weiß, dass wir dies alles benötigen (Mt 6:32). Dies stellt zu mehr als 100% Tatsachen dar. Wir sollten die Gedanken von Kleinkarierten verwerfen und auf den großen Willen Gottes eingehen, um dem Willen Gottes zu folgen.
Die Gedanken der Menschen, in denen sich Gott nicht befindet, unterscheiden sich von den Gedanken der Menschen, mit denen Gott gemeinsam ist. Lassen Sie uns einmal das Wort hören, dass der Herr zu den heuchlerischen Schriftgelehrten und Pharisäern sprach.
Er sagte: “ (...) Denn ihr verzehntet die Minze und den Dill und den Kümmel und habt die wichtigeren Dinge des Gesetzes beiseite gelassen: das Recht und die Barmherzigkeit und den Glauben; diese hättet ihr tun und jene nicht lassen sollen. Ihr blinden Führer, die ihr die Mücke seiht, das Kamel aber verschluckt!” (Mt 23:23-24)
(Mt 7:1-6) 1 Richtet nicht, damit ihr nicht gerichtet werdet! 2 Denn mit welchem Gericht ihr richtet, werdet ihr gerichtet werden, und mit welchem Maß ihr messt, wird euch zugemessen werden. 3 Was aber siehst du den Splitter, der in deines Bruders Auge ist, den Balken aber in deinem Auge nimmst du nicht wahr? 4 Oder wie wirst du zu deinem Bruder sagen: Erlaube, ich will den Splitter aus deinem Auge ziehen; und siehe, der Balken ist in deinem Auge? 5 Heuchler, zieh zuerst den Balken aus deinem Auge! Und dann wirst du klar sehen, um den Splitter aus deines Bruders Auge zu ziehen. 6 Gebt nicht das Heilige den Hunden; werft auch nicht eure Perlen vor die Schweine, damit sie diese nicht etwa mit ihren Füßen zertreten und sich umwenden und euch zerreißen!
So wie es geschrieben steht, sind Menschen, die das Falsche der Menschen bewerten, während sie sich nicht um ihre eigene Mangelhaftigkeit kümmern, Heuchler. Sie sind solche, die wie Hunde und Schweine sind. Auch wenn ihnen noch so ein gutes Wort der Wahrheit gegeben wird, erkennen sie es nicht, so wie auch Hunde und Schweine nicht etwas Wertvolles erkennen.
Jesus hat uns viele Gebote bekannt gegeben. Doch wer nur sich selbst als gerecht, großartig, rechtschaffen und heilig erachtet sowie andere Menschen als Sünder behandelt und damit beschäftigt ist, hier und dort umherzuziehen, um sich zu mokieren, ist jemand, der ein Boten Satans ist. Er ist jemand, der nicht weiß, wie sehr seine eigenen Handlungen falsch sind.
Wenn man über das Wort eine Prüfung ablegt, dann herrscht eine schlechte Lage vor. Das Wort im Anfang ist Gott und dieses Wort ist das Leben und das Licht. Da es den Weg zum Himmel darstellt, ist dieses Wort das Licht, die Wahrheit und das Leben. Dass das Wort der Verheißung nicht als wichtig empfunden wird, stellt ein nicht glaubendes Verhalten dar. Wer Ruhm, hohe Ämter und Macht zum Ziel hat, ist jemand, der dem Willen Satans folgt. Er ist keiner, der der Gerechtigkeit Gottes folgt.
Die Zeit Moses war das Zeitalter des Gesetzes und die Zeit des Ersten Kommens Jesu war die Zeit der Gleichnisse vom Evangelium des Himmels. Die Zeit vom Beistand des Heiligen Geistes der Wahrheit des Neuen Testaments ist in den 6000 Jahren der Menschheit die Zeit der besten Wahrheit. Diese Wahrheit ist der “Weg der allerbesten Wahrheit seit Anbeginn” (“Taego” “Ihu” “Chorakdo”). Diese Zeit ist auch die Zeit, in der die von Jesus gesprochenen Gleichnisse offen bekannt gegeben werden (Joh 16:25). Wer diese Zeit ignoriert, die Wahrheit nur auf leichtsinnige Art kennt sowie die Augen nur auf Ruhm und hohe Ämter richtet und diese mit Geld kauft, muss Buße tun. Buße zu tun und das Verhalten zu korrigieren ist besser, als in die Hölle, dem Schwefel- und Feuersee, zu gehen, was die ewige Strafe darstellt. Jene, die aufgrund einer Art selbstbezogener Gier Schwierigkeiten verursachen, indem sie mit dem Mund “Herr, Herr” rufen und ein Verhalten zeigen, bei dem der Weg der Rechtschaffenheit verlassen wird, müssen verschwinden.
Die Heiligen beten und missionieren eifrig, sie tun den Dienst am Nächsten, geben den Zehnten und errichten eine moralische Vortrefflichkeit in der Kirchengemeinde. Doch was ist es, dass die Hirten den Heiligen geben? Sie müssen den Heiligen das Wort der Wahrheit geben und die Vorraussetzungen schaffen, durch die sie auf dem Weg der Rechtschaffenheit in das Himmelreich hineingehen. Wenn weder Gott noch das Wort, welches das Leben darstellt, gelehrt werden, kann es kein Hirte sein. Wenn man das Wort aus Maleachi 2 betrachtet, kommt dort der Bund vor, welchen Gott mit dem Priester geschlossen hat. Der Hirte ist demnach der Priester. Man muss ein Bote sein, der mit Gott lebt und wandelt. In seinem Mund muss die Wahrheit sein und die Heiligen müssen die Wahrheit aus seinem Mund suchen. Wenn weder Gott noch die Wahrheit in ihm ist, dann stellt er jemanden dar, der den Weg der Rechtschaffenheit verlassen hat. Er kann kein Priester sein.
(Röm 8:9-11) 9 Ihr aber seid nicht im Fleisch, sondern im Geist, wenn wirklich Gottes Geist in euch wohnt. Wenn aber jemand Christi Geist nicht hat, der ist nicht sein. 10 Ist aber Christus in euch, so ist der Leib zwar tot der Sünde wegen, der Geist aber Leben der Gerechtigkeit wegen. 11 Wenn aber der Geist dessen, der Jesus aus den Toten auferweckt hat, in euch wohnt, so wird er, der Christus Jesus aus den Toten auferweckt hat, auch eure sterblichen Leiber lebendig machen wegen seines in euch wohnenden Geistes.
Es heißt, dass wenn man den Geist Christi nicht hat, man kein Christ ist. Wenn der Geist Gottes gemeinsam ist, dann wird auch der sterbliche Leib lebendig gemacht. Da es auch heißt, dass das gegenwärtige Leiden von uns nicht zu vergleichen ist mit der zukünftigen Herrlichkeit, die wir empfangen, müssen wir in der Gegenwart wie Jesus gemeinsam mitleiden (Röm 8:17-18). Menschen, die weder das Wort noch den Glauben besitzen, möchten zwar auch in das Himmelreich hineingehen , aber wer wird sie hineingehen lassen? Ein äußerliches Glaubensleben muss verworfen werden und stattdessen muss ein rechtschaffendes Glaubensleben geführt werden. Da es heißt, dass durch die Wahrheit geheiligt werde (Joh 17:17-19), wird dann wohl jemand, dem die Wahrheit fehlt, ein Gerechter oder Sünder sein? Warum wird die Wahrheit vernachlässigt? Warum schaut man auf andere, anstatt auf sich selbst zu schauen, und zieht umher und redet über andere? Ich habe die Wahrheit bekannt gegeben. Warum wird weder die Wahrheit angenommen noch an sie geglaubt? Wenn man verführt wird, dann sollte man gemeinsam mit demjenigen, der die entsprechenden Worte gesprochen hat, kommen, um zu vergleichen, was denn das Wahre darstellt. Wenn man es wie Eva nicht überprüft und es einfach zu sich nimmt, ist man ein nackter Leib, der die Gerechtigkeit abgelegt hat.
Wenn man jemanden, der weder richtig gelernt noch Erkenntnis erlangt hat, zu der Gemeinde schickt, in was für einer verzwickten Lage ist dann die Gemeinde? Es ergibt keinen Sinn, dass sie von der Gesellschaft in die Gemeinde gehen und dort dann wieder austreten. Der neue Himmel und die neue Erde ist kein Ort, der aufhört zu existieren, weil die Erkenntnis nicht vorhanden ist. Solche, die Osten, Westen, Süden und Norden nicht unterscheiden können und denen das Wort fehlt, dürfen nicht hergebracht werden. Es müssen solche hergebracht werden, die wie in 1. Petrus 1:23 aus dem unvergänglichen Samen, der Wahrheit, geboren werden. Warum weiß man nicht, dass Gott die Frucht wieder herausschickt, wenn sie noch nicht reif ist?
Denken Sie nicht leichtsinnig über das Himmelreich. Es wird gefiltert und ausgelesen, sodass wirklich nur die Getreidekörner hineingehen werden. Das Himmelreich ist der Ort, der einen ewig leben lässt. Es ist kein Himmelreich, zu dem Faule und Müßiggänger gehen. Es gibt viele, die das Himmelreich nicht finden, obwohl sie danach trachten hineinzugehen, und es gibt Erste, die Letzte sein werden. Da die Pforte eng und schmal ist, ist es kein Ort, zu dem man gehen kann, wenn man sich nicht anstrengt und keine Kraft aufbringt (Lk 13:22-30).
Da an nutzlose Dinge gedacht wird, gibt es auch solche, die von den Dämonen aufgesucht werden, die nicht wissen, dass sich Dämonen in ihnen befinden, und die ebenso nutzloses Gerede von sich geben. So wie man in Lukas 13:23-27 sehen kann, heißt es dort, dass solche herausgehen, die in dem neuen Himmel und der neuen Erde gelernt und gegessen haben sowie dort gewesen sind, aber da sie sich das Damalige in Erinnerung rufen, suchen sie es wieder auf, um gemeinsam dort zu sein, doch sie werden nicht mehr empfangen. So wie Jesus das tat, was er von Gott aufgetragen bekam, tue auch ich das, was mir von Jesus aufgetragen worden ist. Ich weiß, dass seine Beauftragung gerecht ist.
Alle Hirten sollen das niedergeschriebene Wort des Herrn ausnahmslos in gleicher Weise lehren, und es zur Kraft des Glaubens werden lassen, damit überwunden wird. Man darf zu keinem werden, der lehrt, obwohl er sich nicht selbst kennt, und der Menschen einsetzt, um sich persönlich zu schmeicheln, sodass er von Gott Hass entgegen gebracht bekommt. Dass Heilige verführt werden von solchen, die nicht der Rede wert sind, liegt daran, weil die Ausbildung nicht ausreichend ist.
In dem neuen Himmel und der neuen Erde wird eine vollkommene Person, die das heilige Wort bewahrt, von der Sünde erlöst und er wird zum Reich und Priester Gottes. Nehmen Sie sich das zu Herzen. Strengen wir uns alle gemeinsam an. Lassen sie uns nicht so werden wie die verdorbenen reformierten Kirchengemeinden. Lassen Sie uns den ganzen Eifer aufbringen und in die Hoffnung eingehen. Wir sind das Volk des Himmels. Amen.
灵肉天地的创造与再创造
灵肉天地的创造与再创造
主要经文:创1章,启21章
灵・肉天地的创造与再创造各是怎样的(创造),(神)行创造和再创造的原因是什么?
创世记是神为了(使他的百姓)征服并居住在为罪恶之国的挪亚的子孙迦南地(世界)而拣选摩西所晓谕的话语。
起初,神(独一神)创造天地。
头一日,(神)寻找光便有了光;第二日,(神)在诸水之间造出空气即天;第三日,水聚在一处使旱地露了出来,(神)称(旱地)为地;第四日,(神)造了大光、小光及众星;第五日,(神)造了飞在地面以上、天空之中的雀鸟和滋生在水里的大鱼;第六日,(神)造了地上的野兽、牲畜及地上一切昆虫,并照神的形像和样式造了人。
神造物的工直到第六日,便在第七日安息了。(让我们)分析一下这六日的创造之工。
在头一日神创造天地之前(创1:8-10),天与地就已经存在。地是空虚混沌,天是黑暗(圣经原文为“渊面黑暗”),神的灵运行在水面上(创1:2),由此可知水也是存在的。
(这时)只有黑暗,而没有光。在有了光之后(创1:3)就有了晚上和早晨(创1:5)。在有光之前,天也是黑暗的。
第二日,神在所运行的水面上创造了空气(天),称其为天,并将空气以下的水,空气以上的水分开了。
头一日“黑暗的天”与第二日“在诸水之间创造的天”有何不同?第三日“水聚在一处露出来的地”与头一日“空虚混沌的地”又有何不同?
第三日,在旱地即地上长出了青草和结种子的菜蔬,并结果子的树木。
在第四日,神在诸水之间的空气(天)中造了大光(日)、小光(月)和众星,令其掌管昼夜,因着这些光体于是就有了记号、节令、日子和年岁。
那么有了晚上和早晨的头一日指的是什么?头一日的光与第四日的光体有何不同?
若头一日的光不是光(日)的话,那么第三日的青草、菜蔬和树木就不会生长。若这光是真光的话,(神)在第四日又造了光,那么天上就会有两个大光和一个小光这三个光体了。
根据所记载的话语可知,创世纪1章里的天地创造是藉着自然界的创造而作比喻的属灵的创造,难道不是吗?若看作是自然界的创造的话,那么说不通的(地方)就不止有一二处了。
头一日,天是黑暗(圣经原文为“渊面黑暗”),地是空虚混沌,即使这是对(自然界)天地创造的简略说明,也有很多说不通之处,但若说是藉自然界的创造而比喻的属灵的创造的话,就能够使人明白。
对摩西以前的世界,神给摩西作了简略的介绍(创2:4)。(让我们)通过耶利米查看将要成就的预言(耶4章)。
耶利米所听到、看到的(耶4:23-28)是属肉体的以色列的末了。
(耶4:23-28)先知说:“我观看地,不料,地是空虚混沌;我观看天,天也无光。24我观看大山,不料,尽都震动,小山也都摇来摇去。25我观看,不料,无人,空中的飞鸟也都躲避。26我观看,不料,肥田变为荒地,一切城邑在耶和华面前,因他的烈怒都被拆毁。”27耶和华如此说:“全地必然荒凉,我却不毁灭净尽。28因此,地要悲哀,在上的天也必黑暗……”
这是指所创造的一切都荒芜了,正如耶稣初临时属肉体的以色列一样,神在这无光之处拣选了耶稣,耶稣就是世上的光(约12:46)。(神)对耶利米所做的预言就是耶稣要成就的预言,耶稣初临时,为地的人混沌,那时都成了晚上,耶稣用比喻说出了创世以来所隐藏的事(太13:34-35)。
耶稣初临时与创世纪1章时的情况有何不同?属肉体的以色列的败坏就如创世纪1章的头一日一样,这时为光的耶稣到来,在像大海的世上(参考但7:3、17)创造了天和为星的门徒们。从这时起,新的年限就开始了就是定了年岁。这与第四日(的创造)相同。
在第五日地上有雀鸟飞翔,海中有大鱼滋生。初临时圣灵像鸽子一样临到耶稣身上,这圣灵又在马可楼临到门徒们的身上,在像大海的世上养育像鱼一样的圣徒们。这与第五日(的创造)相同,不是吗?
在第六日(神)造了地上的牲畜、一切昆虫及野兽,各从其类。通过启示录4章6-7节可知,在灵界神的宝座周围有四活物,这四活物是天军的天使长。在第六日(神)正是按照灵界神国度的四活物及其组织在这地上施行了创造。
神按照神的形像和样式造了人。人若从神的种子而生,就会有神的形像和样式。神命他们生养众多,遍满地面,治理这地。
创造的初始与再创造都与此相同,亚当、挪亚、亚伯拉罕、耶稣初临及再临时也都是这样。不信(之人)即使说信,(他的信)也不真,只有在明确地领悟之时,(人)才能够相信。地怎么能够空虚混沌?渊面黑暗是因没有光,正如日头、月亮和众星变黑坠落(太24:29,启6:12-14)。
光即日不是(神)所造的,而是在水面上“寻找到的”,而且天(空气)是在水中所造。天怎能存在于水中?若以天为基准,水又怎能分为上下?地怎能从水中露出来呢?
头一日已有了光,在第四日怎能又有光出现?(神)为何要将这光放在水中间的空气之中?
水里的鱼、空中的鸟、地上的野兽与男女都能成为各自的始祖。自然界的日月主管着昼夜。然而星却无法区分光暗,在白天看不到星,无法(说星在)主管白昼。
约翰福音9章4-5节说耶稣是光,(他在世上的时候)是白日,离开之后就是黑夜。
创世纪1章的内容既不符合属肉体的创造也无法看做是属灵的创造,而是藉着属肉体的创造所比喻属灵的再创造,只有这样才能够(令人)理解。
“地”是人的肉体;“地是混沌”是指(人)的精神思想因善恶混合而变得混沌;“(地是)空虚”是指原本在人心里的神离开,人心变得空虚;“黑暗”是指为光的神离开所以就变为黑暗。离开了的神运行在水面(=大海)即世上(但7:3,、17)寻找光即拥有真理(=话语)之人,就是拣选为光的耶稣(路9:35)。因找到了光,就有了黑暗与光,有了昼夜,正如帖撒罗尼迦前书5章的记载。耶稣在约翰福音8章中说自己是光,跟从他的就不在黑暗里,必要得着生命的光(约8:12-16)。第二日,“在水之间所造的天”是指在水即世界中建造一个属神的帐幕,正如(神的)旨意行在地上如同行在天上,这(帐幕)为天上帐幕(启13:6-7)。想当初摩西的帐幕也是照天上的(样式)而造的。
从此,(空气)以上的水即“启示之道”和(空气)以下的水即“属地的话(=属肉体的话)”就分开了,这是在有了光(生命之道)之后有的事。
第三日,地从水中露出来,在上面有树结出果子。
“地从水中露出”是指帐幕从水中即世上显现(就像挪亚洪水时的船即帐幕及其所停留之处)。在此帐幕中,像树木一样的人们结出了果子,(神)看着是好的,就由这些人定了第四日的年岁,创设了从属于天的组织,即形成像日、月、众星一样的国家组织体来掌管圣徒们。
神在诗篇78篇中说到“要开口说比喻,将古时的谜语传讲给后代”;此后,耶稣降临用比喻晓谕了天国奥秘;时日到了,用比喻所隐藏的奥秘将明明地得到见证(约16:25)。(神)用比喻隐藏(天国的奥秘)是(为不让)撒但和撒但所属的牧者们(得知此奥秘)。
今日,时候已到,所有隐藏于比喻中的(奥秘)都将明明显现。
我们是蒙重生(从神的种子而生)的新的受造之物,也是得再创造的天民(启21章)。
创世记1章的内容不是属肉体(自然界)的,而是属灵的再创造。包括挪亚、摩西、耶稣初临时以及启示录时代(中的创造)也都是属灵的再创造,不是属肉体的自然界的再创造。启示录21章中消失了的先天先地指的不是自然界的天地,得再创造的新天新地指的也不是自然界(的天地),而是指要重新创造宗教界・属灵的世界。
因此,有逝去的属灵的世界(先前的天地),也有再造的新的天地。这新天新地就是启示录中所应许的十二支派。他们是从神的种子蒙重生的新的受造之物,是神的子女们。这时,在启示录得以成就之前所存在的所有宗教界・属灵的世界都将同启示录21章中(所记载)的一样终结、消失。一个时代过去后,迎来了一个新的时代,因此(神)才会重新创造新国度和新民族即神所应许的国度和民族。这就是信者们的盼望,神所应许的旨意和目的也因此得到成就。
领悟并拥有明确的信心和天上知识的人都将进入天国。(他们)将遵行天上的诫命即天法,与神一同生活,直到永远。
主要经文:创1章,启21章
灵・肉天地的创造与再创造各是怎样的(创造),(神)行创造和再创造的原因是什么?
创世记是神为了(使他的百姓)征服并居住在为罪恶之国的挪亚的子孙迦南地(世界)而拣选摩西所晓谕的话语。
起初,神(独一神)创造天地。
头一日,(神)寻找光便有了光;第二日,(神)在诸水之间造出空气即天;第三日,水聚在一处使旱地露了出来,(神)称(旱地)为地;第四日,(神)造了大光、小光及众星;第五日,(神)造了飞在地面以上、天空之中的雀鸟和滋生在水里的大鱼;第六日,(神)造了地上的野兽、牲畜及地上一切昆虫,并照神的形像和样式造了人。
神造物的工直到第六日,便在第七日安息了。(让我们)分析一下这六日的创造之工。
在头一日神创造天地之前(创1:8-10),天与地就已经存在。地是空虚混沌,天是黑暗(圣经原文为“渊面黑暗”),神的灵运行在水面上(创1:2),由此可知水也是存在的。
(这时)只有黑暗,而没有光。在有了光之后(创1:3)就有了晚上和早晨(创1:5)。在有光之前,天也是黑暗的。
第二日,神在所运行的水面上创造了空气(天),称其为天,并将空气以下的水,空气以上的水分开了。
头一日“黑暗的天”与第二日“在诸水之间创造的天”有何不同?第三日“水聚在一处露出来的地”与头一日“空虚混沌的地”又有何不同?
第三日,在旱地即地上长出了青草和结种子的菜蔬,并结果子的树木。
在第四日,神在诸水之间的空气(天)中造了大光(日)、小光(月)和众星,令其掌管昼夜,因着这些光体于是就有了记号、节令、日子和年岁。
那么有了晚上和早晨的头一日指的是什么?头一日的光与第四日的光体有何不同?
若头一日的光不是光(日)的话,那么第三日的青草、菜蔬和树木就不会生长。若这光是真光的话,(神)在第四日又造了光,那么天上就会有两个大光和一个小光这三个光体了。
根据所记载的话语可知,创世纪1章里的天地创造是藉着自然界的创造而作比喻的属灵的创造,难道不是吗?若看作是自然界的创造的话,那么说不通的(地方)就不止有一二处了。
头一日,天是黑暗(圣经原文为“渊面黑暗”),地是空虚混沌,即使这是对(自然界)天地创造的简略说明,也有很多说不通之处,但若说是藉自然界的创造而比喻的属灵的创造的话,就能够使人明白。
对摩西以前的世界,神给摩西作了简略的介绍(创2:4)。(让我们)通过耶利米查看将要成就的预言(耶4章)。
耶利米所听到、看到的(耶4:23-28)是属肉体的以色列的末了。
(耶4:23-28)先知说:“我观看地,不料,地是空虚混沌;我观看天,天也无光。24我观看大山,不料,尽都震动,小山也都摇来摇去。25我观看,不料,无人,空中的飞鸟也都躲避。26我观看,不料,肥田变为荒地,一切城邑在耶和华面前,因他的烈怒都被拆毁。”27耶和华如此说:“全地必然荒凉,我却不毁灭净尽。28因此,地要悲哀,在上的天也必黑暗……”
这是指所创造的一切都荒芜了,正如耶稣初临时属肉体的以色列一样,神在这无光之处拣选了耶稣,耶稣就是世上的光(约12:46)。(神)对耶利米所做的预言就是耶稣要成就的预言,耶稣初临时,为地的人混沌,那时都成了晚上,耶稣用比喻说出了创世以来所隐藏的事(太13:34-35)。
耶稣初临时与创世纪1章时的情况有何不同?属肉体的以色列的败坏就如创世纪1章的头一日一样,这时为光的耶稣到来,在像大海的世上(参考但7:3、17)创造了天和为星的门徒们。从这时起,新的年限就开始了就是定了年岁。这与第四日(的创造)相同。
在第五日地上有雀鸟飞翔,海中有大鱼滋生。初临时圣灵像鸽子一样临到耶稣身上,这圣灵又在马可楼临到门徒们的身上,在像大海的世上养育像鱼一样的圣徒们。这与第五日(的创造)相同,不是吗?
在第六日(神)造了地上的牲畜、一切昆虫及野兽,各从其类。通过启示录4章6-7节可知,在灵界神的宝座周围有四活物,这四活物是天军的天使长。在第六日(神)正是按照灵界神国度的四活物及其组织在这地上施行了创造。
神按照神的形像和样式造了人。人若从神的种子而生,就会有神的形像和样式。神命他们生养众多,遍满地面,治理这地。
创造的初始与再创造都与此相同,亚当、挪亚、亚伯拉罕、耶稣初临及再临时也都是这样。不信(之人)即使说信,(他的信)也不真,只有在明确地领悟之时,(人)才能够相信。地怎么能够空虚混沌?渊面黑暗是因没有光,正如日头、月亮和众星变黑坠落(太24:29,启6:12-14)。
光即日不是(神)所造的,而是在水面上“寻找到的”,而且天(空气)是在水中所造。天怎能存在于水中?若以天为基准,水又怎能分为上下?地怎能从水中露出来呢?
头一日已有了光,在第四日怎能又有光出现?(神)为何要将这光放在水中间的空气之中?
水里的鱼、空中的鸟、地上的野兽与男女都能成为各自的始祖。自然界的日月主管着昼夜。然而星却无法区分光暗,在白天看不到星,无法(说星在)主管白昼。
约翰福音9章4-5节说耶稣是光,(他在世上的时候)是白日,离开之后就是黑夜。
创世纪1章的内容既不符合属肉体的创造也无法看做是属灵的创造,而是藉着属肉体的创造所比喻属灵的再创造,只有这样才能够(令人)理解。
“地”是人的肉体;“地是混沌”是指(人)的精神思想因善恶混合而变得混沌;“(地是)空虚”是指原本在人心里的神离开,人心变得空虚;“黑暗”是指为光的神离开所以就变为黑暗。离开了的神运行在水面(=大海)即世上(但7:3,、17)寻找光即拥有真理(=话语)之人,就是拣选为光的耶稣(路9:35)。因找到了光,就有了黑暗与光,有了昼夜,正如帖撒罗尼迦前书5章的记载。耶稣在约翰福音8章中说自己是光,跟从他的就不在黑暗里,必要得着生命的光(约8:12-16)。第二日,“在水之间所造的天”是指在水即世界中建造一个属神的帐幕,正如(神的)旨意行在地上如同行在天上,这(帐幕)为天上帐幕(启13:6-7)。想当初摩西的帐幕也是照天上的(样式)而造的。
从此,(空气)以上的水即“启示之道”和(空气)以下的水即“属地的话(=属肉体的话)”就分开了,这是在有了光(生命之道)之后有的事。
第三日,地从水中露出来,在上面有树结出果子。
“地从水中露出”是指帐幕从水中即世上显现(就像挪亚洪水时的船即帐幕及其所停留之处)。在此帐幕中,像树木一样的人们结出了果子,(神)看着是好的,就由这些人定了第四日的年岁,创设了从属于天的组织,即形成像日、月、众星一样的国家组织体来掌管圣徒们。
神在诗篇78篇中说到“要开口说比喻,将古时的谜语传讲给后代”;此后,耶稣降临用比喻晓谕了天国奥秘;时日到了,用比喻所隐藏的奥秘将明明地得到见证(约16:25)。(神)用比喻隐藏(天国的奥秘)是(为不让)撒但和撒但所属的牧者们(得知此奥秘)。
今日,时候已到,所有隐藏于比喻中的(奥秘)都将明明显现。
我们是蒙重生(从神的种子而生)的新的受造之物,也是得再创造的天民(启21章)。
创世记1章的内容不是属肉体(自然界)的,而是属灵的再创造。包括挪亚、摩西、耶稣初临时以及启示录时代(中的创造)也都是属灵的再创造,不是属肉体的自然界的再创造。启示录21章中消失了的先天先地指的不是自然界的天地,得再创造的新天新地指的也不是自然界(的天地),而是指要重新创造宗教界・属灵的世界。
因此,有逝去的属灵的世界(先前的天地),也有再造的新的天地。这新天新地就是启示录中所应许的十二支派。他们是从神的种子蒙重生的新的受造之物,是神的子女们。这时,在启示录得以成就之前所存在的所有宗教界・属灵的世界都将同启示录21章中(所记载)的一样终结、消失。一个时代过去后,迎来了一个新的时代,因此(神)才会重新创造新国度和新民族即神所应许的国度和民族。这就是信者们的盼望,神所应许的旨意和目的也因此得到成就。
领悟并拥有明确的信心和天上知识的人都将进入天国。(他们)将遵行天上的诫命即天法,与神一同生活,直到永远。
Those who Go to Heaven and Receive Eternal Life And Those who Go to Hell and Receive Eternal Punishment
Those who Go to Heaven and Receive Eternal Life And Those who Go to Hell and Receive Eternal Punishment
Main reference: Rv 20 ~ 21
Who will go to heaven and receive eternal life? Who will go to hell and receive eternal punishment?
Heaven is the paradise where God dwells, and eternal life is to live eternally like God in this paradise. Hell is a place where Satan is at, and it is a prison where people will receive punishment forever for the sins they committed. The people who will enter these two places are different from one another. One is born of God’s seed and the other is born of Satan’s seed. God dwells with the people born of His seed, while Satan dwells with the people born of his seed.
God is the Creator who created the heavens and the earth. Satan, on the other hand, is a created being (refer to Ez 28) who deceived Adam and Eve and made them sin. God left the world and remained apart from it, and Satan has been ruling over that world ever since. Thus, the world became Satan's world, a world without God, and all creation became tainted by Satan’s ideology and transformed into his image. That is why Adam's world did not seek or call on the name of the LORD until Seth and Enosh were born (Gn 4:25-26). We can therefore understand that the corruption of Adam's world was not God’s doing.
In each era, God found a capable person and through him, He tried to make Himself known to the people, but all efforts went to waste. God the Creator worked to make Himself known and restore the world back to its original form when it was first created. The most epochal method in the history of the work of restoration was the “new thing” (new work) (Jer 31), which God prophesied about through Prophet Jeremiah. God fulfilled this new work six hundred years later during Jesus’ first coming (Mt 1, Mt 13, Lk 22:14-20). The new covenant was also established by Jesus at that time. The result of the new covenant (New Testament) appears at the time of the Revelation.
This work was first fulfilled in heaven, and then it is fulfilled on earth as it is in heaven. God’s plan which He purposed never fails to fulfill. However, in order to bring this plan into fruition, a war must take place at the time of the fulfillment of Revelation. In heaven, Jesus defeats and subdues Satan, the ruler of the kingdom of the air. Jesus is also victorious on earth so Satan loses his foothold here on earth (refer to Rv 12:10-11). Because Satan the dragon is captured and locked into the Abyss (Rv 20: 1-3), his pastors lose their power and authority. Such family becomes divided and falls on its own; they eventually bring themselves to an end through quarrels and divisions.
Many years have passed, and today is the time of judgment for both the spirits and the flesh. At the First Coming, Jesus overcame and received from God the authority to judge (Jn 5:22-23), the food of eternal life (Jn 6), the iron scepter to rule over the nations (Rv 2:27), and the right to sit together on God’s throne (Rv 3:21). Likewise, the promised pastor (the one who overcomes) overcomes just as Jesus overcame and receives the blessings that Jesus promised to give (Rv 2 ~ 3). He receives the food of eternal life, the stone that judges, the iron scepter to rule over the nations, and the right to sit together on Jesus' throne. Furthermore, God, heaven, and Jesus come down to him who overcomes. Therefore, for the believers who hope in heaven—coming to the place where the one who overcomes is at is like coming to heaven and coming to God and Jesus.
Who is qualified to go to heaven?
1. Must be born of God’s seed according to God’s will in the New Testament.
2. Must be harvested.
3. Must be sealed with the name of God and of Jesus.
4. Must not add to or take away from the book of Revelation that God had promised, and keep what is written in it.
5. Must belong to the twelve tribes and become the promised kingdom and priest as promised in the New Testament.
6. Must have one’s name recorded in the book of life to become a citizen of heaven.
The above criteria are the contents of the new covenant in the New Testament. The people who keep this new covenant are those who are freed from their sins by the blood of Jesus and have become God’s new promised kingdom and priests (Rv 1:5-6, 5:9-10). This is God’s will and purpose.
These people have no sin, for they have been born of God’s seed and became God’s family. As God’s family, they live together with God in heaven, in God’s kingdom, the same way Adam’s family lived with God, before they sinned, and like Noah’s family whom God saved and like the family of Abraham, the father of faith. This is because they have been born of God’s seed.
What kind of people go to hell?
It is the people born of the seed of Satan, the devil (Mt 13:38-39). The seed of God is the word of God (Lk 8:11), and the seed of Satan is the word of Satan (Mt 13:37-40). What went inside Adam and Eve were the word and the spirit of the serpent, which was the seed of Satan.
There are two kinds of people because there are two kinds of spirits. One is a person of God, and the other is a person of Satan. At the time of judgment (Rv 20:12-15), the people will be separated into two groups: those who go to heaven and those who go to hell. The judgment takes place in front of God, Jesus, and the one who received the white stone as written in Rv 2.
How are the people who belong to God different from the people who belong to Satan? What separates them?
Those born of God's seed keep God’s commandments, while those born of Satan's seed do not keep God’s commandments. Like Satan who called himself God, the people born of Satan’s seed lie and stubbornly believe that they are right. They make up lies, persecute, and blame others for their own sins (Mt 5:11-12, Acts 7:51-53, Mt 23:29-36, Lk 20:9-16). In every era after Adam sinned, the pastors who called themselves believers of God persecuted and killed the messengers that God sent. The pastors of Jerusalem—the priests, the holy nation among all nations, the pastors of the chosen people—persecuted and killed Jesus and his disciples, the people whom God was with. Will God tolerate their sins? Jesus came to Jerusalem to proclaim peace (Lk 19:37-42), but the pastors of Jerusalem declared war and killed him.
What is the situation today?
The new heaven and earth (Shincheonji) proclaims world peace, but the Christian Council of Korea (CCK) declares war against the new heaven and earth. These people do not meet the six criteria to enter heaven. How are the deeds of the CCK any different from those of the pastors of Jerusalem 2,000 years ago?
(Rv 21:8)
But the cowardly, the unbelieving, the vile, the murderers, the sexually immoral, those who practice magic arts, the idolaters and all liars—their place will be in the fiery lake of burning sulfur. This is the second death.
Rv 20:12 states that people will be judged according to what they have done as recorded in the Bible. They will either go to heaven or go to hell. No matter how many times God counseled these people through His messengers, they refused to listen and believe. They continued to call others heresies and harbor evil in their hearts, like the people at the time of Noah and the first coming of Jesus. Because they do not have the word in them, God is not with them. They became blind who cannot tell the difference between north, south, east and west. Unaware of their own sins, they mistakenly believe that their evil actions are good and that they are the only ones who will receive salvation. They added and have taken away from the words of Revelation but do not admit that they lack knowledge of God's word. They strive only for money, authority, power, and fame. They speak lies as if they are speaking the truth, and they do not repent though they worshiped other gods. Their worship of God is done only with their lips, in peace and safety, as if they are thinking, “It’s okay if I die.” How can God not take their sins into account?
This is a world that is going in any direction it wants, for it is beyond corrupt. It is truly the end of age. God's family became the word in flesh, because they set God’s word as the standard for their life of faith, but those who sided with the world are blinded by secular words and authority. The word of the LORD is offensive to them, and they find no pleasure in it (Jer 6:10). The people will be separated into heaven or hell. Therefore, let us recognize the era we are living in and keep God’s new covenant so that we may become the citizens of heaven.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/715
Main reference: Rv 20 ~ 21
Who will go to heaven and receive eternal life? Who will go to hell and receive eternal punishment?
Heaven is the paradise where God dwells, and eternal life is to live eternally like God in this paradise. Hell is a place where Satan is at, and it is a prison where people will receive punishment forever for the sins they committed. The people who will enter these two places are different from one another. One is born of God’s seed and the other is born of Satan’s seed. God dwells with the people born of His seed, while Satan dwells with the people born of his seed.
God is the Creator who created the heavens and the earth. Satan, on the other hand, is a created being (refer to Ez 28) who deceived Adam and Eve and made them sin. God left the world and remained apart from it, and Satan has been ruling over that world ever since. Thus, the world became Satan's world, a world without God, and all creation became tainted by Satan’s ideology and transformed into his image. That is why Adam's world did not seek or call on the name of the LORD until Seth and Enosh were born (Gn 4:25-26). We can therefore understand that the corruption of Adam's world was not God’s doing.
In each era, God found a capable person and through him, He tried to make Himself known to the people, but all efforts went to waste. God the Creator worked to make Himself known and restore the world back to its original form when it was first created. The most epochal method in the history of the work of restoration was the “new thing” (new work) (Jer 31), which God prophesied about through Prophet Jeremiah. God fulfilled this new work six hundred years later during Jesus’ first coming (Mt 1, Mt 13, Lk 22:14-20). The new covenant was also established by Jesus at that time. The result of the new covenant (New Testament) appears at the time of the Revelation.
This work was first fulfilled in heaven, and then it is fulfilled on earth as it is in heaven. God’s plan which He purposed never fails to fulfill. However, in order to bring this plan into fruition, a war must take place at the time of the fulfillment of Revelation. In heaven, Jesus defeats and subdues Satan, the ruler of the kingdom of the air. Jesus is also victorious on earth so Satan loses his foothold here on earth (refer to Rv 12:10-11). Because Satan the dragon is captured and locked into the Abyss (Rv 20: 1-3), his pastors lose their power and authority. Such family becomes divided and falls on its own; they eventually bring themselves to an end through quarrels and divisions.
Many years have passed, and today is the time of judgment for both the spirits and the flesh. At the First Coming, Jesus overcame and received from God the authority to judge (Jn 5:22-23), the food of eternal life (Jn 6), the iron scepter to rule over the nations (Rv 2:27), and the right to sit together on God’s throne (Rv 3:21). Likewise, the promised pastor (the one who overcomes) overcomes just as Jesus overcame and receives the blessings that Jesus promised to give (Rv 2 ~ 3). He receives the food of eternal life, the stone that judges, the iron scepter to rule over the nations, and the right to sit together on Jesus' throne. Furthermore, God, heaven, and Jesus come down to him who overcomes. Therefore, for the believers who hope in heaven—coming to the place where the one who overcomes is at is like coming to heaven and coming to God and Jesus.
Who is qualified to go to heaven?
1. Must be born of God’s seed according to God’s will in the New Testament.
2. Must be harvested.
3. Must be sealed with the name of God and of Jesus.
4. Must not add to or take away from the book of Revelation that God had promised, and keep what is written in it.
5. Must belong to the twelve tribes and become the promised kingdom and priest as promised in the New Testament.
6. Must have one’s name recorded in the book of life to become a citizen of heaven.
The above criteria are the contents of the new covenant in the New Testament. The people who keep this new covenant are those who are freed from their sins by the blood of Jesus and have become God’s new promised kingdom and priests (Rv 1:5-6, 5:9-10). This is God’s will and purpose.
These people have no sin, for they have been born of God’s seed and became God’s family. As God’s family, they live together with God in heaven, in God’s kingdom, the same way Adam’s family lived with God, before they sinned, and like Noah’s family whom God saved and like the family of Abraham, the father of faith. This is because they have been born of God’s seed.
What kind of people go to hell?
It is the people born of the seed of Satan, the devil (Mt 13:38-39). The seed of God is the word of God (Lk 8:11), and the seed of Satan is the word of Satan (Mt 13:37-40). What went inside Adam and Eve were the word and the spirit of the serpent, which was the seed of Satan.
There are two kinds of people because there are two kinds of spirits. One is a person of God, and the other is a person of Satan. At the time of judgment (Rv 20:12-15), the people will be separated into two groups: those who go to heaven and those who go to hell. The judgment takes place in front of God, Jesus, and the one who received the white stone as written in Rv 2.
How are the people who belong to God different from the people who belong to Satan? What separates them?
Those born of God's seed keep God’s commandments, while those born of Satan's seed do not keep God’s commandments. Like Satan who called himself God, the people born of Satan’s seed lie and stubbornly believe that they are right. They make up lies, persecute, and blame others for their own sins (Mt 5:11-12, Acts 7:51-53, Mt 23:29-36, Lk 20:9-16). In every era after Adam sinned, the pastors who called themselves believers of God persecuted and killed the messengers that God sent. The pastors of Jerusalem—the priests, the holy nation among all nations, the pastors of the chosen people—persecuted and killed Jesus and his disciples, the people whom God was with. Will God tolerate their sins? Jesus came to Jerusalem to proclaim peace (Lk 19:37-42), but the pastors of Jerusalem declared war and killed him.
What is the situation today?
The new heaven and earth (Shincheonji) proclaims world peace, but the Christian Council of Korea (CCK) declares war against the new heaven and earth. These people do not meet the six criteria to enter heaven. How are the deeds of the CCK any different from those of the pastors of Jerusalem 2,000 years ago?
(Rv 21:8)
But the cowardly, the unbelieving, the vile, the murderers, the sexually immoral, those who practice magic arts, the idolaters and all liars—their place will be in the fiery lake of burning sulfur. This is the second death.
Rv 20:12 states that people will be judged according to what they have done as recorded in the Bible. They will either go to heaven or go to hell. No matter how many times God counseled these people through His messengers, they refused to listen and believe. They continued to call others heresies and harbor evil in their hearts, like the people at the time of Noah and the first coming of Jesus. Because they do not have the word in them, God is not with them. They became blind who cannot tell the difference between north, south, east and west. Unaware of their own sins, they mistakenly believe that their evil actions are good and that they are the only ones who will receive salvation. They added and have taken away from the words of Revelation but do not admit that they lack knowledge of God's word. They strive only for money, authority, power, and fame. They speak lies as if they are speaking the truth, and they do not repent though they worshiped other gods. Their worship of God is done only with their lips, in peace and safety, as if they are thinking, “It’s okay if I die.” How can God not take their sins into account?
This is a world that is going in any direction it wants, for it is beyond corrupt. It is truly the end of age. God's family became the word in flesh, because they set God’s word as the standard for their life of faith, but those who sided with the world are blinded by secular words and authority. The word of the LORD is offensive to them, and they find no pleasure in it (Jer 6:10). The people will be separated into heaven or hell. Therefore, let us recognize the era we are living in and keep God’s new covenant so that we may become the citizens of heaven.
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2015년 8월 27일 목요일
Die geistliche sowie physische Schöpfung und Wiederschöpfung von Himmel und Erde
Die geistliche sowie physische Schöpfung und
Wiederschöpfung von Himmel und Erde
Referenz: 1Mo 1, Offb 21
Was ist die geistliche sowie physische Schöpfung und Wiederschöpfung? Und was ist der Grund für die Schöpfung und Wiederschöpfung?
1. Mose (Genesis) stellt das Wort dar, das bekanntgibt, dass Gott Mose auserwählte und dass das schuldige Land Kanaan der Nachkommen Noahs (die Welt) erobert wurde, um dort zu leben.
Im Anfang schuf (der alleinige) Gott den Himmel und die Erde.
Am ersten Tag lässt Er ein Licht vorfinden. Am zweiten Tag erschafft Er mitten im Wasser eine Wölbung, also den Himmel. Am dritten Tag wird im Wasser das Trockene sichtbar und es wird Erde genannt.
Am vierten Tag werden das größere Licht, das kleinere Licht und die Sterne erschaffen.
Am fünften Tag erschafft Er die Vögel, die in der Luft über die Erde fliegen, und die lebenden Wesen, die sich im Wasser wimmeln.
Am sechsten Tag erschafft Er die wilden Tiere, das Vieh und die kriechenden Tiere der Erde. Und Er erschafft den Menschen nach der Gestalt und dem Ebenbild Gottes.
Gott verrichtet bis zum sechsten Tag das Werk der Schöpfung und am siebten Tag ruht Er. Lassen Sie uns die Dinge analysieren, die an den sechs Tagen erschaffen werden.
Bevor Gott am ersten Tag den Himmel und die Erde erschafft (1Mo 1:8-10), ist sowohl eine Erde als auch ein Himmel bereits vorhanden. Es ist eine wüste und leere Erde sowie ein finsterer Himmel vorhanden, und der Geist Gottes schwebt über dem Wasser (1Mo 1:2).
Die Finsternis ist vorhanden, aber das Licht fehlt. Nachdem das Licht da ist (1Mo 1:3), wird es Abend und und es wird Morgen (1Mo 1:5). Ebenso ist bereits ein finsterer Himmel vorhanden, bevor das Licht da ist.
Am zweiten Tag wird mitten im Wasser, über welches Gott schwebt, eine Wölbung (Himmel) erschaffen. Sie wird als Himmel bezeichnet und das Wasser oberhalb und das Wasser unterhalb der Wölbung werden voneinander geschieden.
Inwiefern unterscheidet sich der “finstere Himmel” des ersten Tages von dem “erschaffenen Himmel mitten im Wasser” vom zweiten Tag? Und inwiefern unterscheidet sich das “im Wasser sichtbar Trockene, also die Erde,” des dritten Tages von der “wüsten und leeren Erde” des ersten Tages?
Am dritten Tag wachsen auf dem Trockenen, also auf der Erde, Gras, Kraut und Bäume, welche Früchte tragen.
Am vierten Tag wird an der Wölbung (Himmel), die mitten im Wasser ist, das größere Licht (Sonne), das kleinere Licht (Mond) und die Sterne erschaffen, um den Tag und die Nacht zu beherrschen. Die Lichter sollen als Zeichen und zur Bestimmung von Zeiten, Tagen und Jahren dienen.
Was stellt dann demzufolge den ersten Tag dar, an dem es Abend und Morgen wird? Inwiefern unterscheidet sich das Licht des ersten Tages von den Lichtern des vierten Tages?
Wenn das Licht des ersten Tages kein Licht (Sonne) ist, dann können das Gras, das Kraut und die Bäume des dritten Tages nicht wachsen. Und wenn dieses Licht ein wahres Licht darstellt und am vierten Tag wieder Licht erschaffen wird, dann müsste es am Himmel zwei größere Lichter und ein kleineres Licht geben, also insgesamt drei Lichter.
Wenn man das niedergeschriebene Wort nun betrachtet, stellt dann nicht die Schöpfung von Himmel und Erde aus 1. Mose (Genesis) 1 eine geistliche Schöpfung dar, die mit der Schöpfung der natürlichen Welt verglichen wird? Wenn es als Schöpfung der natürlichen Welt angesehen wird, dann sind nicht nur ein oder zwei Dinge unstimmig.
Am ersten Tag heißt es, dass der Himmel finster und die Erde wüst und leer ist. Aber auch wenn man annimmt, dass über die Schöpfung von Himmel und Erde nur grob mitgeteilt wird, ist vieles vorhanden, das nicht stimmig ist. Doch wenn es mit der Schöpfung der natürlichen Welt verglichen und eigentlich über eine geistliche Schöpfung gesprochen wird, dann macht es Sinn.
Gott sprach zu Mose zusammenfassend über die Welt vor ihm (1Mo 2:4). Lassen Sie uns hierzu einmal eine Vorhersage an Jeremia hören, die sich in der Zukunft erfüllte (Jer 4).
Das, was Jeremia hörte und sah (Jer 4:23-28), war das endgültige Ende des Fleischlichen Israels.
(Jer 4:23-28) 23 Ich schaue die Erde, und siehe, sie ist wüst und leer, und zum Himmel und sein Licht ist nicht da. 24 Ich schaue die Berge, und siehe, sie beben und alle Hügel schwanken. 25 Ich schaue, und siehe, kein Mensch ist da; und alle Vögel des Himmels sind entflohen. 26 Ich schaue, und siehe, das Fruchtland ist eine Wüste; und alle seine Städte sind niedergerissen vor dem HERRN, vor der Glut seines Zornes. 27 Denn so spricht der HERR: Öde soll das ganze Land werden; doch will ich nicht ein Ende mit ihm machen. 28 Darum wird die Erde trauern, und der Himmel oben schwarz werden (...).
Da über die Leere der geschaffenen Dinge gesprochen wird, gleicht es dem Fleischlichen Israel zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu. An jenem Ort, an dem das Licht fehlte, wählte Gott Jesus aus und Jesus kam als Licht (Joh 12:46). Somit war auch das Vorhergesagte an Jeremia eine Vorhersage, die zu der Zeit Jesu erfüllt werden sollte. Die Menschen, die die Erde darstellen, waren zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu wüst und die Nacht, doch Jesus machte die Rätsel aus der Vorzeit durch Gleichnisse bekannt (Mt 13:34-35).
Was unterscheidet sich dann zwischen der damaligen Situation beim Ersten Kommen Jesu und der Situation aus 1. Mose (Genesis) 1? Die Verdorbenheit des Fleischlichen Israels geht bis zum dritten Tag aus 1. Mose (Genesis) 1. In dieser Zeit erschuf Jesus, der als Licht kam, inmitten der Meer gleichen Welt (siehe Dan 7:3, 17) einen Himmel, und die Jünger stellten die Sterne dar. Von dieser Zeit an fing eine neue Zeitrechnung an, wodurch ein neues Zeitalter begann. Dies gleicht sich mit dem vierten Tag.
Am fünften Tag fliegen die Vögel über die Erde und im Meer vermehren sich die lebenden Wesen. Bei dem Ersten Kommen Jesu kam der Heilige Geist wie eine Taube auf Jesus herab und dieser Heilige Geist kam auch im Obersaal des Markus auf die Jünger herab, sodass in einer Welt, die wie das Meer ist, Heilige auferzogen wurden, die wie Fische sind. Inwiefern unterscheidet sich das vom fünften Tag?
Am sechsten Tag werden das Vieh, das kriechende Tier und die wilden Tiere der Erde nach ihrer Art erschaffen. Wenn man Offenbarung 4:6-7 betrachtet, stellen die vier lebendigen Wesen rings um den Thron Gottes in der geistlichen Welt die Erzengel der Himmelsheere dar, die sich ebenfalls rings um den Thron befinden. Am sechsten Tag werden auf der Erde Formationen erschaffen, die den vier lebendigen Wesen vom Reich Gottes in der geistlichen Welt gleichen.
Gott erschafft den Menschen nach der Gestalt und dem Ebenbild Gottes. Wenn sie aus dem Samen Gottes wiedergeboren werden, werden sie sich in der Gestalt und dem Ebenbild Gottes gleichen. Gott sagt, dass sie fruchtbar sein und sich vermehren sollen, um sich die Erde untertan zu machen und um zu herrschen.
Sowohl die Anfänge der Schöpfung als auch die Wiederschöpfung werden sich auf diese Weise gleichen. Es verhält es sich nämlich genauso zu der Zeit Adams, zu der Zeit Noahs, zu der Zeit Abrahams, zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu und zu der Zeit des Wiederkommens Jesu. Bloß weil man behauptet, dass man an etwas glaubt, an das sich nicht glauben lässt, stellt dies noch keinen Glauben dar. Erst wenn man eine klare Erkenntnis erlangt, lässt es einen glauben. Inwiefern kann gesagt werden, dass die Erde wüst und leer ist? Dass die Finsternis über der Tiefe ist, verhält sich so, weil das Licht nicht vorhanden ist. Wenn die Sonne, der Mond und die Sterne verfinstern und fallen (Mt 24:29, Offb 6:12-14), dann wird es sich genauso verhalten.
Das Licht, also die Sonne, wird nicht “erschaffen”, sondern es wird über dem Wasser “vorgefunden”. Und der Himmel (Wölbung) wird mitten im Wasser erschaffen. Wie kann der Himmel mitten im Wasser sein? Wenn der Himmel als Maßstab genommen wird, wie könnte dann das Wasser oberhalb und unterhalb von ihm vorhanden sein? Wie ist die Erde aus dem Wasser hervorgekommen?
Wenn ein Licht schon am ersten Tag vorhanden ist, gibt es dann am vierten Tag erneut ein Licht? Und warum ist dieses Licht an der Wölbung mitten im Wasser?
Die lebenden Wesen des Wassers, die im Himmel fliegenden Vögel, die Tiere des Viehs sowie der männliche und weibliche Mensch können im Einzelnen zu den Anfängen ihrer Art werden. Die Sonne und der Mond der natürlichen Welt beherrschen den Tag und die Nacht. Doch es ist nicht so, dass die Sterne das Licht und die Finsternis voneinander trennen können. Da sie am Tag nicht gesehen werden, können sie nicht den Tag beherrschen.
In Johannes 9:4-5 war Jesus das Licht und der Tag, doch als Jesus aufbrach, wurde es zur Finsternis und Nacht.
Wenn man den Inhalt aus 1. Mose (Genesis) 1 als physische Schöpfung betrachtet, ist er nicht stimmig, doch als geistliche Schöpfung kann er ebenfalls nicht angesehen werden. Aber wenn er als geistliche Wiederschöpfung angesehen wird, indem es mit der physischen Schöpfung verglichen wird, wird es verständlich.
Die Erde bezieht sich auf den fleischlichen Körper des Menschen. Wenn die Erde wüst ist, bezieht es sich darauf, dass im Denken des eigenen Geistes das Gute und das Böse vermischt sind, weswegen es als wüst bezeichnet wird. Die Leere bezieht sich darauf, dass Gott das Herz des Menschen verlässt, weswegen es als Leere bezeichnet wird. Die Finsternis bezieht sich darauf, dass Gott, der das Licht ist, aufbricht, weswegen es als Finsternis bezeichnet wird. Und der aufgebrochene Gott zieht über das Wasser (= Meer), also die Welt (Dan 7:3, 17), umher, um den Besitzer des Lichts, also der Wahrheit (= das Wort), vorzufinden. So wie Jesus das Licht war und auserwählt wurde (Lk 9:35), wird auch das Licht dementsprechend vorgefunden. Da nun das Licht vorgefunden wird, ist die Finsternis und das Licht sowie die Nacht und der Tag vorhanden, wobei sich dies mit 1. Thessalonicher 5 gleicht. So bezeichnet sich Jesus in Johannes 8 selbst als Licht und wer ihm nachfolgt, wird nicht in der Finsternis wandeln, sondern das Licht des Lebens haben (Joh 8:12-16). Dass am zweiten Tag mitten im Wasser ein Himmel erschaffen wird, bezieht sich darauf, dass inmitten des Wassers, also der Welt, das eine Zelt Gottes errichtet wird. So wie der Wille im Himmel geschieht, wird es auch auf gleicher Weise auf Erden errichtet. Es deckt sich ebenso damit, dass es als Himmelszelt bezeichnet wird (Offb 13:6-7). Und es verhält sich ebenfalls wie bei dem Zelt Moses. Dieses wurde auch gemäß dem errichtet, was im Himmel gesehen worden war.
Von dieser Zeit an werden das Wasser oberhalb, also das “offenbarte Wort”, und das Wasser unterhalb, also die “Worte der Erde (= Worte des Fleisches), voneinander unterschieden. Dieses Werk liegt vor, nachdem das Licht (das Wort des Lebens) vorhanden ist.
Am dritten Tag wird das Trockene im Wasser sichtbar und es wachsen Bäume und sie tragen Früchte.
Wenn das Trockene im Wasser sichtbar wird, ist die Rede davon, dass im Wasser, also in der Welt, ein Zelt errichtet wird (das Zelt und sein Standort ist so wie die Arche bei der Sintflut zu der Zeit Noahs). Da in diesem Zelt von den Menschen, die wie Bäume sind, Früchte getragen werden, wird es als gut erachtet. Am vierten Tag wird durch sie zum ersten Mal ein Zelt errichtet, in dem das zum Himmel gehörende neue Zeitalter geschaffen wird. Da demnach also in diesem Reich eine Ordnung wie bei der Sonne, dem Mond und den Sterne herrscht, werden die Heiligen hierdurch regiert.
Gott sagte in Psalm 78, dass “die Rätsel aus der Vorzeit in Gleichnissen gesprochen werden, um sie den künftigen Generationen zu erzählen”. Jesus kam und sprach über das Geheimnis des Himmelreichs in Gleichnissen. Doch wenn die Zeit gekommen ist, wird das in Gleichnissen gesprochene Geheimnis offen bezeugt (Joh 16:25). Das Verborgene als Gleichnis war aufgrund von Satan und den Hirten der Angehörigen Satans vorgegeben.
Man kann erkennen, dass heutzutage die Zeit ist, in der alle geheim gehaltenen Gleichnisse offen gezeigt werden.
Wir sind die neuen Geschöpfe, die (aus dem Samen Gottes) wiedergeboren sind, das wiedererschaffene Volk des Himmels (Offb 21).
Wenn man den Inhalt aus 1. Mose (Genesis) 1 betrachtet, dann stellt es die geistliche Wiederschöpfung dar. Es stellt nicht die physische Wiederschöpfung dar. Auch die Zeiten Noahs, Moses, des Ersten Kommens Jesu und der Offenbarung stellen eine geistliche Wiederschöpfung dar. Es ist nicht die Wiederschöpfung der physischen Welt der Natur. Auch bei dem ersten Himmel und der ersten Erde, die in Offenbarung 21 vergehen, ist nicht die Rede von dem Himmel und der Erde der natürlichen Welt. Bei dem neuen Himmel und der neuen Erde, die erneut erschaffen werden, ist ebenfalls nicht die Rede von der natürlichen Welt, sondern es bedeutet, dass die religiöse und geistliche Welt erneut erschaffen werden.
Damit ist eine geistliche Welt (alter Himmel und alte Erde) vorhanden, die endet, sowie ein neuer Himmel und eine neue Erde, die erneut errichtet werden. Dieser neue Himmel und diese neue Erde sind die 12 Stämme, die in der Offenbarung verheißen sind. Sie sind die neuen Geschöpfe, die aus dem Samen Gottes wiedergeboren sind, die Kinder Gottes. Gemäß Offenbarung 21 endet in dieser Zeit die gesamte religiöse und geistliche Welt, die vor der Erfüllung der Offenbarung bestand. So endet ein Zeitalter und ein neues Zeitalter kommt, sodass ein neues Reich und Volk, also das Reich der Verheißung Gottes, erneut geschaffen werden. Dies ist die Hoffnung derjenigen, die glauben. Der Wille und das Ziel, die von Gott verheißen worden sind, werden erfüllt.
Diejenigen, die Erkenntnis erlangen sowie einen klaren Glauben und die Erkenntnis des Himmels besitzen, werden im Himmelreich leben. Indem man das Gesetz und die Gebote des Himmels bewahrt, wird man auf ewig gemeinsam mit Gott leben.
Wiederschöpfung von Himmel und Erde
Referenz: 1Mo 1, Offb 21
Was ist die geistliche sowie physische Schöpfung und Wiederschöpfung? Und was ist der Grund für die Schöpfung und Wiederschöpfung?
1. Mose (Genesis) stellt das Wort dar, das bekanntgibt, dass Gott Mose auserwählte und dass das schuldige Land Kanaan der Nachkommen Noahs (die Welt) erobert wurde, um dort zu leben.
Im Anfang schuf (der alleinige) Gott den Himmel und die Erde.
Am ersten Tag lässt Er ein Licht vorfinden. Am zweiten Tag erschafft Er mitten im Wasser eine Wölbung, also den Himmel. Am dritten Tag wird im Wasser das Trockene sichtbar und es wird Erde genannt.
Am vierten Tag werden das größere Licht, das kleinere Licht und die Sterne erschaffen.
Am fünften Tag erschafft Er die Vögel, die in der Luft über die Erde fliegen, und die lebenden Wesen, die sich im Wasser wimmeln.
Am sechsten Tag erschafft Er die wilden Tiere, das Vieh und die kriechenden Tiere der Erde. Und Er erschafft den Menschen nach der Gestalt und dem Ebenbild Gottes.
Gott verrichtet bis zum sechsten Tag das Werk der Schöpfung und am siebten Tag ruht Er. Lassen Sie uns die Dinge analysieren, die an den sechs Tagen erschaffen werden.
Bevor Gott am ersten Tag den Himmel und die Erde erschafft (1Mo 1:8-10), ist sowohl eine Erde als auch ein Himmel bereits vorhanden. Es ist eine wüste und leere Erde sowie ein finsterer Himmel vorhanden, und der Geist Gottes schwebt über dem Wasser (1Mo 1:2).
Die Finsternis ist vorhanden, aber das Licht fehlt. Nachdem das Licht da ist (1Mo 1:3), wird es Abend und und es wird Morgen (1Mo 1:5). Ebenso ist bereits ein finsterer Himmel vorhanden, bevor das Licht da ist.
Am zweiten Tag wird mitten im Wasser, über welches Gott schwebt, eine Wölbung (Himmel) erschaffen. Sie wird als Himmel bezeichnet und das Wasser oberhalb und das Wasser unterhalb der Wölbung werden voneinander geschieden.
Inwiefern unterscheidet sich der “finstere Himmel” des ersten Tages von dem “erschaffenen Himmel mitten im Wasser” vom zweiten Tag? Und inwiefern unterscheidet sich das “im Wasser sichtbar Trockene, also die Erde,” des dritten Tages von der “wüsten und leeren Erde” des ersten Tages?
Am dritten Tag wachsen auf dem Trockenen, also auf der Erde, Gras, Kraut und Bäume, welche Früchte tragen.
Am vierten Tag wird an der Wölbung (Himmel), die mitten im Wasser ist, das größere Licht (Sonne), das kleinere Licht (Mond) und die Sterne erschaffen, um den Tag und die Nacht zu beherrschen. Die Lichter sollen als Zeichen und zur Bestimmung von Zeiten, Tagen und Jahren dienen.
Was stellt dann demzufolge den ersten Tag dar, an dem es Abend und Morgen wird? Inwiefern unterscheidet sich das Licht des ersten Tages von den Lichtern des vierten Tages?
Wenn das Licht des ersten Tages kein Licht (Sonne) ist, dann können das Gras, das Kraut und die Bäume des dritten Tages nicht wachsen. Und wenn dieses Licht ein wahres Licht darstellt und am vierten Tag wieder Licht erschaffen wird, dann müsste es am Himmel zwei größere Lichter und ein kleineres Licht geben, also insgesamt drei Lichter.
Wenn man das niedergeschriebene Wort nun betrachtet, stellt dann nicht die Schöpfung von Himmel und Erde aus 1. Mose (Genesis) 1 eine geistliche Schöpfung dar, die mit der Schöpfung der natürlichen Welt verglichen wird? Wenn es als Schöpfung der natürlichen Welt angesehen wird, dann sind nicht nur ein oder zwei Dinge unstimmig.
Am ersten Tag heißt es, dass der Himmel finster und die Erde wüst und leer ist. Aber auch wenn man annimmt, dass über die Schöpfung von Himmel und Erde nur grob mitgeteilt wird, ist vieles vorhanden, das nicht stimmig ist. Doch wenn es mit der Schöpfung der natürlichen Welt verglichen und eigentlich über eine geistliche Schöpfung gesprochen wird, dann macht es Sinn.
Gott sprach zu Mose zusammenfassend über die Welt vor ihm (1Mo 2:4). Lassen Sie uns hierzu einmal eine Vorhersage an Jeremia hören, die sich in der Zukunft erfüllte (Jer 4).
Das, was Jeremia hörte und sah (Jer 4:23-28), war das endgültige Ende des Fleischlichen Israels.
(Jer 4:23-28) 23 Ich schaue die Erde, und siehe, sie ist wüst und leer, und zum Himmel und sein Licht ist nicht da. 24 Ich schaue die Berge, und siehe, sie beben und alle Hügel schwanken. 25 Ich schaue, und siehe, kein Mensch ist da; und alle Vögel des Himmels sind entflohen. 26 Ich schaue, und siehe, das Fruchtland ist eine Wüste; und alle seine Städte sind niedergerissen vor dem HERRN, vor der Glut seines Zornes. 27 Denn so spricht der HERR: Öde soll das ganze Land werden; doch will ich nicht ein Ende mit ihm machen. 28 Darum wird die Erde trauern, und der Himmel oben schwarz werden (...).
Da über die Leere der geschaffenen Dinge gesprochen wird, gleicht es dem Fleischlichen Israel zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu. An jenem Ort, an dem das Licht fehlte, wählte Gott Jesus aus und Jesus kam als Licht (Joh 12:46). Somit war auch das Vorhergesagte an Jeremia eine Vorhersage, die zu der Zeit Jesu erfüllt werden sollte. Die Menschen, die die Erde darstellen, waren zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu wüst und die Nacht, doch Jesus machte die Rätsel aus der Vorzeit durch Gleichnisse bekannt (Mt 13:34-35).
Was unterscheidet sich dann zwischen der damaligen Situation beim Ersten Kommen Jesu und der Situation aus 1. Mose (Genesis) 1? Die Verdorbenheit des Fleischlichen Israels geht bis zum dritten Tag aus 1. Mose (Genesis) 1. In dieser Zeit erschuf Jesus, der als Licht kam, inmitten der Meer gleichen Welt (siehe Dan 7:3, 17) einen Himmel, und die Jünger stellten die Sterne dar. Von dieser Zeit an fing eine neue Zeitrechnung an, wodurch ein neues Zeitalter begann. Dies gleicht sich mit dem vierten Tag.
Am fünften Tag fliegen die Vögel über die Erde und im Meer vermehren sich die lebenden Wesen. Bei dem Ersten Kommen Jesu kam der Heilige Geist wie eine Taube auf Jesus herab und dieser Heilige Geist kam auch im Obersaal des Markus auf die Jünger herab, sodass in einer Welt, die wie das Meer ist, Heilige auferzogen wurden, die wie Fische sind. Inwiefern unterscheidet sich das vom fünften Tag?
Am sechsten Tag werden das Vieh, das kriechende Tier und die wilden Tiere der Erde nach ihrer Art erschaffen. Wenn man Offenbarung 4:6-7 betrachtet, stellen die vier lebendigen Wesen rings um den Thron Gottes in der geistlichen Welt die Erzengel der Himmelsheere dar, die sich ebenfalls rings um den Thron befinden. Am sechsten Tag werden auf der Erde Formationen erschaffen, die den vier lebendigen Wesen vom Reich Gottes in der geistlichen Welt gleichen.
Gott erschafft den Menschen nach der Gestalt und dem Ebenbild Gottes. Wenn sie aus dem Samen Gottes wiedergeboren werden, werden sie sich in der Gestalt und dem Ebenbild Gottes gleichen. Gott sagt, dass sie fruchtbar sein und sich vermehren sollen, um sich die Erde untertan zu machen und um zu herrschen.
Sowohl die Anfänge der Schöpfung als auch die Wiederschöpfung werden sich auf diese Weise gleichen. Es verhält es sich nämlich genauso zu der Zeit Adams, zu der Zeit Noahs, zu der Zeit Abrahams, zu der Zeit des Ersten Kommens Jesu und zu der Zeit des Wiederkommens Jesu. Bloß weil man behauptet, dass man an etwas glaubt, an das sich nicht glauben lässt, stellt dies noch keinen Glauben dar. Erst wenn man eine klare Erkenntnis erlangt, lässt es einen glauben. Inwiefern kann gesagt werden, dass die Erde wüst und leer ist? Dass die Finsternis über der Tiefe ist, verhält sich so, weil das Licht nicht vorhanden ist. Wenn die Sonne, der Mond und die Sterne verfinstern und fallen (Mt 24:29, Offb 6:12-14), dann wird es sich genauso verhalten.
Das Licht, also die Sonne, wird nicht “erschaffen”, sondern es wird über dem Wasser “vorgefunden”. Und der Himmel (Wölbung) wird mitten im Wasser erschaffen. Wie kann der Himmel mitten im Wasser sein? Wenn der Himmel als Maßstab genommen wird, wie könnte dann das Wasser oberhalb und unterhalb von ihm vorhanden sein? Wie ist die Erde aus dem Wasser hervorgekommen?
Wenn ein Licht schon am ersten Tag vorhanden ist, gibt es dann am vierten Tag erneut ein Licht? Und warum ist dieses Licht an der Wölbung mitten im Wasser?
Die lebenden Wesen des Wassers, die im Himmel fliegenden Vögel, die Tiere des Viehs sowie der männliche und weibliche Mensch können im Einzelnen zu den Anfängen ihrer Art werden. Die Sonne und der Mond der natürlichen Welt beherrschen den Tag und die Nacht. Doch es ist nicht so, dass die Sterne das Licht und die Finsternis voneinander trennen können. Da sie am Tag nicht gesehen werden, können sie nicht den Tag beherrschen.
In Johannes 9:4-5 war Jesus das Licht und der Tag, doch als Jesus aufbrach, wurde es zur Finsternis und Nacht.
Wenn man den Inhalt aus 1. Mose (Genesis) 1 als physische Schöpfung betrachtet, ist er nicht stimmig, doch als geistliche Schöpfung kann er ebenfalls nicht angesehen werden. Aber wenn er als geistliche Wiederschöpfung angesehen wird, indem es mit der physischen Schöpfung verglichen wird, wird es verständlich.
Die Erde bezieht sich auf den fleischlichen Körper des Menschen. Wenn die Erde wüst ist, bezieht es sich darauf, dass im Denken des eigenen Geistes das Gute und das Böse vermischt sind, weswegen es als wüst bezeichnet wird. Die Leere bezieht sich darauf, dass Gott das Herz des Menschen verlässt, weswegen es als Leere bezeichnet wird. Die Finsternis bezieht sich darauf, dass Gott, der das Licht ist, aufbricht, weswegen es als Finsternis bezeichnet wird. Und der aufgebrochene Gott zieht über das Wasser (= Meer), also die Welt (Dan 7:3, 17), umher, um den Besitzer des Lichts, also der Wahrheit (= das Wort), vorzufinden. So wie Jesus das Licht war und auserwählt wurde (Lk 9:35), wird auch das Licht dementsprechend vorgefunden. Da nun das Licht vorgefunden wird, ist die Finsternis und das Licht sowie die Nacht und der Tag vorhanden, wobei sich dies mit 1. Thessalonicher 5 gleicht. So bezeichnet sich Jesus in Johannes 8 selbst als Licht und wer ihm nachfolgt, wird nicht in der Finsternis wandeln, sondern das Licht des Lebens haben (Joh 8:12-16). Dass am zweiten Tag mitten im Wasser ein Himmel erschaffen wird, bezieht sich darauf, dass inmitten des Wassers, also der Welt, das eine Zelt Gottes errichtet wird. So wie der Wille im Himmel geschieht, wird es auch auf gleicher Weise auf Erden errichtet. Es deckt sich ebenso damit, dass es als Himmelszelt bezeichnet wird (Offb 13:6-7). Und es verhält sich ebenfalls wie bei dem Zelt Moses. Dieses wurde auch gemäß dem errichtet, was im Himmel gesehen worden war.
Von dieser Zeit an werden das Wasser oberhalb, also das “offenbarte Wort”, und das Wasser unterhalb, also die “Worte der Erde (= Worte des Fleisches), voneinander unterschieden. Dieses Werk liegt vor, nachdem das Licht (das Wort des Lebens) vorhanden ist.
Am dritten Tag wird das Trockene im Wasser sichtbar und es wachsen Bäume und sie tragen Früchte.
Wenn das Trockene im Wasser sichtbar wird, ist die Rede davon, dass im Wasser, also in der Welt, ein Zelt errichtet wird (das Zelt und sein Standort ist so wie die Arche bei der Sintflut zu der Zeit Noahs). Da in diesem Zelt von den Menschen, die wie Bäume sind, Früchte getragen werden, wird es als gut erachtet. Am vierten Tag wird durch sie zum ersten Mal ein Zelt errichtet, in dem das zum Himmel gehörende neue Zeitalter geschaffen wird. Da demnach also in diesem Reich eine Ordnung wie bei der Sonne, dem Mond und den Sterne herrscht, werden die Heiligen hierdurch regiert.
Gott sagte in Psalm 78, dass “die Rätsel aus der Vorzeit in Gleichnissen gesprochen werden, um sie den künftigen Generationen zu erzählen”. Jesus kam und sprach über das Geheimnis des Himmelreichs in Gleichnissen. Doch wenn die Zeit gekommen ist, wird das in Gleichnissen gesprochene Geheimnis offen bezeugt (Joh 16:25). Das Verborgene als Gleichnis war aufgrund von Satan und den Hirten der Angehörigen Satans vorgegeben.
Man kann erkennen, dass heutzutage die Zeit ist, in der alle geheim gehaltenen Gleichnisse offen gezeigt werden.
Wir sind die neuen Geschöpfe, die (aus dem Samen Gottes) wiedergeboren sind, das wiedererschaffene Volk des Himmels (Offb 21).
Wenn man den Inhalt aus 1. Mose (Genesis) 1 betrachtet, dann stellt es die geistliche Wiederschöpfung dar. Es stellt nicht die physische Wiederschöpfung dar. Auch die Zeiten Noahs, Moses, des Ersten Kommens Jesu und der Offenbarung stellen eine geistliche Wiederschöpfung dar. Es ist nicht die Wiederschöpfung der physischen Welt der Natur. Auch bei dem ersten Himmel und der ersten Erde, die in Offenbarung 21 vergehen, ist nicht die Rede von dem Himmel und der Erde der natürlichen Welt. Bei dem neuen Himmel und der neuen Erde, die erneut erschaffen werden, ist ebenfalls nicht die Rede von der natürlichen Welt, sondern es bedeutet, dass die religiöse und geistliche Welt erneut erschaffen werden.
Damit ist eine geistliche Welt (alter Himmel und alte Erde) vorhanden, die endet, sowie ein neuer Himmel und eine neue Erde, die erneut errichtet werden. Dieser neue Himmel und diese neue Erde sind die 12 Stämme, die in der Offenbarung verheißen sind. Sie sind die neuen Geschöpfe, die aus dem Samen Gottes wiedergeboren sind, die Kinder Gottes. Gemäß Offenbarung 21 endet in dieser Zeit die gesamte religiöse und geistliche Welt, die vor der Erfüllung der Offenbarung bestand. So endet ein Zeitalter und ein neues Zeitalter kommt, sodass ein neues Reich und Volk, also das Reich der Verheißung Gottes, erneut geschaffen werden. Dies ist die Hoffnung derjenigen, die glauben. Der Wille und das Ziel, die von Gott verheißen worden sind, werden erfüllt.
Diejenigen, die Erkenntnis erlangen sowie einen klaren Glauben und die Erkenntnis des Himmels besitzen, werden im Himmelreich leben. Indem man das Gesetz und die Gebote des Himmels bewahrt, wird man auf ewig gemeinsam mit Gott leben.
2015년 8월 25일 화요일
マタイの福音書24章、終末論
マタイの福音書24章、終末論
本文:マタ24章
マタイの福音書を記録したマタイは、イエス様の弟子で、本文(マタ24章)を語られた所は、オリーブ山であり、時は約2千年前であった。
マタイの福音書23章の事件は、その当時、すなわち、初臨の時の事件であり、マタイの福音書24章の事件は、イエス様の再臨の時、起こるようになる事件である。そして、24章で質問した人は、イエス様の弟子たちであり、答えを言われた方は、イエス様であられた。質問の内容は、下記のようである。
(マタ24:3)イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
弟子たちが質問するようになった動機は、イエス様から、エルサレムの聖殿では、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してないという御言葉を聞いたからである。真っ先に言われた答えは、「人に惑わされないように気をつけなさい。」という御言葉であった(4節。*以下、節数だけ表示されたものは、マタ24章である。)。「わたしの名を名のる者が大ぜい現れて『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう(5節)。」と言われた。そして、続けて言われた御言葉は、次のようである(6-14節)。
(マタ24:6-14)また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。8しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。9そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。10また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。11また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。14この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
前で見た国と国は、どの国であり、ききんと地震は、どんな事であり、人々が試みに陥り(大ぜいつまずき)、引渡す(互いに裏切る)のは、誰が誰に引渡す(裏切る)のか。
一つの国は神様の国、エルサレムの選民の教団であり、もう一つの国は、エルサレムを倒した悪霊の国、バビロンである。この時、エルサレムの聖殿を倒すと言った事や、にせ預言者が多く起こると言った事を見ると、この戦争は、宗教の戦争であり、惑わしと試みに陥って、バビロンの国、すなわち、殺す所に同僚を引き渡す事を見ると、この戦争は、肉的戦争ではない。方々に地震とききんがあるという事は、地震は土でできた人の心が揺れる事を言うのであり、ききんは、戦争によって御言葉(水)がない霊的なききんを言うのである(アモ8:11)。
この戦争は、初臨の時、バプテスマのヨハネとパリサイ人の牧者たちが戦った戦争と同じである。滅亡者が聖なる所、すなわち、聖殿の壇上に立つのを見ると言われたように、宗教戦争であり、世の戦争ではない。
この時、逃げて行くべき山は、神様がおられるシオン山(啓14章)である。屋上に(天)にいる者たちは、神様に属した者たちを言い、家の中にある物は、サタン、滅亡者の物を言っている。従って、家の中にある物を持ち出そうとしてはならないという事は、滅亡者の物(不品行のぶどう酒:善悪の実)に未練を置いてはいけないという事である。
畑にいる者は、世で伝道する者たちを言うのであり、身重の女と乳飲み子を持つ女は、滅亡者に占領されたエルサレムの牧者たちで、身重の女は御言葉(ルカ8:11)を持った(御言葉で聖徒を教えて導く)牧者であり、乳飲み子を持つ女は、神霊な乳(御言葉の乳)、すなわち、御言葉を受けて聖徒を養育する牧者(伝道者)を言っている(Ⅰコリ3:2)。これは使徒パウロが記録したガラテヤ人への手紙4:19の御言葉と相通じる言葉である。
逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさいという事は、冬や安息日のように休まず、目を覚ましていなさいという言葉である(目を覚まして、滅亡者から逃れて逃げなければならない時は、逃げなければならないという意味である。)。
末世である再臨の時、神様の選民の幕屋である霊的エルサレムが、異邦の滅亡者に滅亡される時に起こる大きな患難(苦難)は、創世以後、初めて起こる事である。滅亡者に捕えられて捕虜になる時、肉体が救われるために、その期間を減らすと言われた。旧約時代のエルサレムの捕虜の期間は、70年であったが(ゼカ1:12-16、ダニ9:2、エレ25:11)、減らして下さった期間は、3年半である(啓11:2-3、13:5)。
この患難(苦難)の時、にせ預言者たちとにせキリストたちが多く起こって、できれば選ばれた者たちも惑わそうとすると言われたので、本文4節を覚えておかなければならないだろう。主が前もって語られ、「キリストがここにいらっしゃる、ほら、あそこにいらっしゃると言っても信じないで、荒野にいらっしゃると言っても出て行ってはならない。」と警告された(23節、26節)。イエス様は、この時、いなずまのように臨まれると言われたので、これは、イエス様が霊で来られて働かれる事を知らせられたのである。
その日の患難(苦難)に続いてすぐに、太陽と月が光を失って、星が地に落ちると言われた(29節)。これは、エルサレムの選民が天の太陽・月・星のように、天、すなわち、神様に属していたが(創37:9-11参考)、滅亡者によって落とされて、滅亡者の所有、すなわち、捕虜になった事を言ったのである。従って、これは選民の幕屋であるエルサレムの終末を言うのであり、滅亡者サタンとサタンの牧者が主管するようになる事を知らせられたのである。太陽・月・星、すなわち、イスラエルが光を失ったので、夜になったのである。
この時、人の子のしるしが天に現れて、御使いたちを遣わして、四方から選ばれた者たちを全て集められる(30-31節)。再び来られるイエス様も、御使いも霊であられる。この霊たちは、誰を用いて収穫されるだろうか。わかるのか。見れば悟るだろうか。見てもわからなかった初臨のイエス様の時のようではないだろうか。約束の御言葉(新約)に背を向けた者(背教者)と知識のない者は、これを見ても、聞いてもわからないだろう。だからこそ、選ばれた者たちを集めると言われたのである。
今まで説明したこのような事を見ると、主が戸口まで近づいていると知りなさいと言われた(33節)。しかし、盲人は見てもわからないのである。イエス様は、「天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と言われた(35節)。なくなる天地(啓6:12-14、啓21:1)があり、再び創造される天地がある(啓7,14章)。これを知っているのか。イエス様は、見て知りなさいと言われ、その日、その時がいつであるかはだれも知らず、ただ、父だけが知っておられ、知らせないと言われた(36節)。だから、この時をノアの時、ロトの時のようだと言われた(37-39節、ルカ17:26-30)。
霊的イスラエルの滅亡の後には、収穫、すなわち、集める事があり、再創造がある。これは霊的イスラエルが無知で傲慢で腐敗して滅亡されたのであり、神様の新しい国の再創造が必要であった。従って、いつ、どんな時、収穫の刈り手が自分に現れるのかわからないので、いつも目を覚ましていなければならない(40-44節)。
この時、家の中にいる人(教会の人)を任されて、時に応じた食物を与える者に、主の全てのものを任せる事を約束された(45-47節)。この「時に応じた食物」は、マタイの福音書24章の事が起こるようになる時には、マタイの福音書24章の御言葉がこの時の食物であり、啓示録全章の事が起こるようになる時には、啓示録全章のまことの意味の御言葉が、この時のまことの食物になる。だが、無知で、盲人になった者は、時の事件も、時の食物もわからない。
本文をもう一度整理してみる。
マタイの福音書24章の事件がある前まで、神様に属した教会、すなわち、エルサレムの聖殿と聖徒があった。だが、マタイの福音書24章の御言葉を成し遂げるためにバビロンの悪霊の国、滅亡者がエルサレムの聖殿(教会)に侵入して、教会を滅亡させる。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してないと言われたのは、すべての教会に該当する御言葉である。これをまるで天に属した太陽・月・星が光を失って、地に落ちる事にたとえて語られたのである。そして、エルサレムの教会と聖徒は、滅亡者の捕虜になる。光がないこの夜に、光であられる主が御使いたちと共に来られて、東西南北、四方から選ばれた者たちを盗人のように集めると言われたのである。盗人のように集める理由は、全てがバビロンに捕らわれているからである。
これが諸教会の終末であり、滅亡であり、こうして、収穫と新しい国の再創造があるようになる。
まことの聖徒は、聖書も知って、御心も知ってこそ、自分に食物となって、救いを得る事ができる。そして、時に応じた食物を与える者に所属してこそ、その御心通りする者になり、救いがあるようになる。アーメン。
本文:マタ24章
マタイの福音書を記録したマタイは、イエス様の弟子で、本文(マタ24章)を語られた所は、オリーブ山であり、時は約2千年前であった。
マタイの福音書23章の事件は、その当時、すなわち、初臨の時の事件であり、マタイの福音書24章の事件は、イエス様の再臨の時、起こるようになる事件である。そして、24章で質問した人は、イエス様の弟子たちであり、答えを言われた方は、イエス様であられた。質問の内容は、下記のようである。
(マタ24:3)イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
弟子たちが質問するようになった動機は、イエス様から、エルサレムの聖殿では、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してないという御言葉を聞いたからである。真っ先に言われた答えは、「人に惑わされないように気をつけなさい。」という御言葉であった(4節。*以下、節数だけ表示されたものは、マタ24章である。)。「わたしの名を名のる者が大ぜい現れて『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう(5節)。」と言われた。そして、続けて言われた御言葉は、次のようである(6-14節)。
(マタ24:6-14)また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。8しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。9そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。10また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。11また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。14この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
前で見た国と国は、どの国であり、ききんと地震は、どんな事であり、人々が試みに陥り(大ぜいつまずき)、引渡す(互いに裏切る)のは、誰が誰に引渡す(裏切る)のか。
一つの国は神様の国、エルサレムの選民の教団であり、もう一つの国は、エルサレムを倒した悪霊の国、バビロンである。この時、エルサレムの聖殿を倒すと言った事や、にせ預言者が多く起こると言った事を見ると、この戦争は、宗教の戦争であり、惑わしと試みに陥って、バビロンの国、すなわち、殺す所に同僚を引き渡す事を見ると、この戦争は、肉的戦争ではない。方々に地震とききんがあるという事は、地震は土でできた人の心が揺れる事を言うのであり、ききんは、戦争によって御言葉(水)がない霊的なききんを言うのである(アモ8:11)。
この戦争は、初臨の時、バプテスマのヨハネとパリサイ人の牧者たちが戦った戦争と同じである。滅亡者が聖なる所、すなわち、聖殿の壇上に立つのを見ると言われたように、宗教戦争であり、世の戦争ではない。
この時、逃げて行くべき山は、神様がおられるシオン山(啓14章)である。屋上に(天)にいる者たちは、神様に属した者たちを言い、家の中にある物は、サタン、滅亡者の物を言っている。従って、家の中にある物を持ち出そうとしてはならないという事は、滅亡者の物(不品行のぶどう酒:善悪の実)に未練を置いてはいけないという事である。
畑にいる者は、世で伝道する者たちを言うのであり、身重の女と乳飲み子を持つ女は、滅亡者に占領されたエルサレムの牧者たちで、身重の女は御言葉(ルカ8:11)を持った(御言葉で聖徒を教えて導く)牧者であり、乳飲み子を持つ女は、神霊な乳(御言葉の乳)、すなわち、御言葉を受けて聖徒を養育する牧者(伝道者)を言っている(Ⅰコリ3:2)。これは使徒パウロが記録したガラテヤ人への手紙4:19の御言葉と相通じる言葉である。
逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさいという事は、冬や安息日のように休まず、目を覚ましていなさいという言葉である(目を覚まして、滅亡者から逃れて逃げなければならない時は、逃げなければならないという意味である。)。
末世である再臨の時、神様の選民の幕屋である霊的エルサレムが、異邦の滅亡者に滅亡される時に起こる大きな患難(苦難)は、創世以後、初めて起こる事である。滅亡者に捕えられて捕虜になる時、肉体が救われるために、その期間を減らすと言われた。旧約時代のエルサレムの捕虜の期間は、70年であったが(ゼカ1:12-16、ダニ9:2、エレ25:11)、減らして下さった期間は、3年半である(啓11:2-3、13:5)。
この患難(苦難)の時、にせ預言者たちとにせキリストたちが多く起こって、できれば選ばれた者たちも惑わそうとすると言われたので、本文4節を覚えておかなければならないだろう。主が前もって語られ、「キリストがここにいらっしゃる、ほら、あそこにいらっしゃると言っても信じないで、荒野にいらっしゃると言っても出て行ってはならない。」と警告された(23節、26節)。イエス様は、この時、いなずまのように臨まれると言われたので、これは、イエス様が霊で来られて働かれる事を知らせられたのである。
その日の患難(苦難)に続いてすぐに、太陽と月が光を失って、星が地に落ちると言われた(29節)。これは、エルサレムの選民が天の太陽・月・星のように、天、すなわち、神様に属していたが(創37:9-11参考)、滅亡者によって落とされて、滅亡者の所有、すなわち、捕虜になった事を言ったのである。従って、これは選民の幕屋であるエルサレムの終末を言うのであり、滅亡者サタンとサタンの牧者が主管するようになる事を知らせられたのである。太陽・月・星、すなわち、イスラエルが光を失ったので、夜になったのである。
この時、人の子のしるしが天に現れて、御使いたちを遣わして、四方から選ばれた者たちを全て集められる(30-31節)。再び来られるイエス様も、御使いも霊であられる。この霊たちは、誰を用いて収穫されるだろうか。わかるのか。見れば悟るだろうか。見てもわからなかった初臨のイエス様の時のようではないだろうか。約束の御言葉(新約)に背を向けた者(背教者)と知識のない者は、これを見ても、聞いてもわからないだろう。だからこそ、選ばれた者たちを集めると言われたのである。
今まで説明したこのような事を見ると、主が戸口まで近づいていると知りなさいと言われた(33節)。しかし、盲人は見てもわからないのである。イエス様は、「天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」と言われた(35節)。なくなる天地(啓6:12-14、啓21:1)があり、再び創造される天地がある(啓7,14章)。これを知っているのか。イエス様は、見て知りなさいと言われ、その日、その時がいつであるかはだれも知らず、ただ、父だけが知っておられ、知らせないと言われた(36節)。だから、この時をノアの時、ロトの時のようだと言われた(37-39節、ルカ17:26-30)。
霊的イスラエルの滅亡の後には、収穫、すなわち、集める事があり、再創造がある。これは霊的イスラエルが無知で傲慢で腐敗して滅亡されたのであり、神様の新しい国の再創造が必要であった。従って、いつ、どんな時、収穫の刈り手が自分に現れるのかわからないので、いつも目を覚ましていなければならない(40-44節)。
この時、家の中にいる人(教会の人)を任されて、時に応じた食物を与える者に、主の全てのものを任せる事を約束された(45-47節)。この「時に応じた食物」は、マタイの福音書24章の事が起こるようになる時には、マタイの福音書24章の御言葉がこの時の食物であり、啓示録全章の事が起こるようになる時には、啓示録全章のまことの意味の御言葉が、この時のまことの食物になる。だが、無知で、盲人になった者は、時の事件も、時の食物もわからない。
本文をもう一度整理してみる。
マタイの福音書24章の事件がある前まで、神様に属した教会、すなわち、エルサレムの聖殿と聖徒があった。だが、マタイの福音書24章の御言葉を成し遂げるためにバビロンの悪霊の国、滅亡者がエルサレムの聖殿(教会)に侵入して、教会を滅亡させる。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してないと言われたのは、すべての教会に該当する御言葉である。これをまるで天に属した太陽・月・星が光を失って、地に落ちる事にたとえて語られたのである。そして、エルサレムの教会と聖徒は、滅亡者の捕虜になる。光がないこの夜に、光であられる主が御使いたちと共に来られて、東西南北、四方から選ばれた者たちを盗人のように集めると言われたのである。盗人のように集める理由は、全てがバビロンに捕らわれているからである。
これが諸教会の終末であり、滅亡であり、こうして、収穫と新しい国の再創造があるようになる。
まことの聖徒は、聖書も知って、御心も知ってこそ、自分に食物となって、救いを得る事ができる。そして、時に応じた食物を与える者に所属してこそ、その御心通りする者になり、救いがあるようになる。アーメン。
神様の最後の働き、啓示録の成就
神様の最後の働き、啓示録の成就
本文:啓1-22章(要約)
神様の最後の働き、啓示録の成就は、どんなものなのか。
正統の選民(教徒)の背教と、異邦の滅亡者による選民の滅亡と、約束の牧者による救いの働きが成し遂げられる事である。啓示録の成就の時、正統の選民であった背教者は、記録された背教の働きを全てするようになり、滅亡者は、記録された滅亡の働きを全てするようになり、救い主は、記録された救いの働きを全てするようになる。
2千年前、イエス様が弟子、使徒ヨハネを天に呼んで、将来に成し遂げられる事を幻で前もって見せて下さって、使徒ヨハネは、見て聞いた事を記録した。それが、すなわち、啓示録である。この啓示録の預言が全ての民族にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられるならば、世の終わりが来て(マタ24:14)、そうしてこそ、その預言を成し遂げられる。これを成し遂げる時は、啓示録の全章に記録された通り加減なく全て成し遂げられる。
始まりは、初臨の時のように、まず、道を備える者、七つの星(使者)のともしびの働きがあるようになる(啓1章)。この時、ちょうど、初臨の時のサタンの群れのパリサイ人の牧者たちのようなサタン・ニコライ派(啓2:15)が七つの星の幕屋に侵入する。侵入したサタンの牧者は、幕屋のしもべ(使者)たちと聖徒たちを惑わして、偶像の教訓と供え物を、アダムの時のエバと同じように食べさせて、サタンの神と不品行を行わせた。この時、イエス様が一人の牧者を選ばれて、七つの星の幕屋に悔い改めを促す手紙を送らせるようになる。手紙の内容は、「悔い改めて、侵入したサタンの牧者、ニコライ派と戦って勝利せよ。勝利すれば、啓示録2,3章に約束したもの(祝福)を与える。」と言われたのである。これが約束であり、これを守った者が約束の牧者である。啓示録2,3章の約束した事がなくては、救いも、天国も成し遂げられない。啓示録2,3章の意味と内容を知っている者は、このように話すだろう。
この事が起こった後、啓示録2,3章で、代言の手紙を送った使徒ヨハネは、4章で、イエス様の召しを聞いて、天に上って行って、神様の御座を見て、啓示録2,3章の事件の後、すぐに起こるはずの事を見て聞いた。
5章では、ヨハネは、神様の右の手に七つの封印で封じられた本があることを見て、天上天下に開いたり、見たりする者がいなくて、激しく泣いた。しかし、小羊が勝利したので、その本を受け取って、6章から封印を解き始め、封印を一つずつ解く時ごとに本に記録されたものの実体(実状)が現れる。第六の封印を解かれる時に、天の太陽・月・星が暗くなって落ちて、天と地がなくなる。これは、啓示録2,3章の選民たちが悔い改めよという手紙を受けても悔い改めず、信じないので、6章で審判したのである。これは選民が背教によって滅亡される光景で、神様が御座の前の四つの生き物を通して選民を審判されたのである。
7章は、先天の霊的イスラエルが啓示録2,3章でサタンの牧者を通して異邦の神と不品行を行っても悔い改めないので、6章で審判されて、天も地もなくなったので、7章で再創造が始まる内容である。この創造は、収穫して、各支派に12000人ずつ、12支派144000人に印を押す働きである。従って、6章の事件の後、印を押す働きがある事を言ったのである。
8章では、七つの封印のうち、最後の第七の封印が解かれる。啓示録8,9章では、6章で追い出された者たちが異邦によってその霊が1/3,1/3ずつ殺されて、12章(4節)で1/3が殺されるようになる。
啓示録10章は、イエス様が6章から解かれた七つの封印を8章で全て解かれて、開かれた本を御使いを通して代言の使者、ヨハネに与えるので、ヨハネがこれを受けて食べて、民族、国民、国語、王(世の全ての教団と教会)に伝えるようになるという内容である。
11章では、主に仕える二人の証人が底知れぬ穴から出て来た獣に犠牲になった後、再びいのちの息(生気)を受けて復活して、最後の第七のラッパが吹かれるようになり、世の国が神様の国になり始める。
啓示録13章と12章の天(幕屋)は、同じもので、啓示録2,3章の七つの星の幕屋であった。13章の天の幕屋に入って来たサタンの牧者たちが天の幕屋の聖徒たちと戦って勝利して、聖徒たちの額と右の手にサタンの刻印を押して、刻印を受けた聖徒たちは、サタンの牧者に拝んだ。これは背教したという事である。
12章の太陽・月・星を着た女から生まれた子とその兄弟たちが、幕屋に侵入した竜の群れと戦って勝利するので、この時から神様の国と救いがあるようになる。この事は、2,3章の約束が成し遂げられたのである。
申命記28章に、勝利者と敗者について説明されている。負ければ全てのものを失って、勝利すれば全てのものを占めるのである。6千年間、地球村を治めて来た竜は、もう終わって、捕えられるようになり、勝利された神様は、これから地球村を統治されるようになる。これが勝利である。この時から神様の国が立つようになる。神様の牧者とサタンの牧者の戦いで、神様の牧者が13章では負けて、12章では勝った。
13章の聖徒たちは、サタンの牧者である獣の名前で刻印を受けた者たちであり、14章の聖徒たちは、神様とイエス様の名前で印を押された者たちである。15章では、13章の竜の牧者である獣と、その偶像と、その名を示す数字とに打ち勝った者たちが神様の御座の前に集まって、彼らを神様の怒りを入れた鉢にして、16章の背教者と獣(滅亡者)の座にぶちまける事で審判を施して、これによって獣の国バビロンは、三つに裂ける。
啓示録17章では、淫婦と七つの頭と十本の角の秘密がわかるようになり、18章では、悪霊の国バビロンがサタンの食物である不品行のぶどう酒で万国を倒したので、バビロンが神様に審判を受けた。
6章と18章の審判は、神様がされたが、6章の存在と18章の存在は異なる。6章の審判の対象は、選民、背教者であり、18章の審判の対象は、滅亡者たちであった。18章では、選民が背教して、バビロンの悪霊と結婚して、19章では、小羊の婚姻が施される。
20章では、竜が捕えられて、殉教した霊たちと、私たち生き残った者たちが一つになって、第一の復活者としてキリストと共に千年の間、王となる。そして、千年後、底知れぬ穴から、閉じ込められていた竜は、しばらくの間、出て、ゴグとマゴグ(神様がその中に居られず、肉体だけの者たち)を惑わして、聖なる都を攻撃するが、火で消滅される。これは審判されるのである。
21章では、先天の世界が終わって創造された新しい天、新しい地に神様と天国が臨むので、ここは、死と苦しみがない天国になる。
22章には、働いた通り賞罰(永遠のいのちと永遠の刑罰)があるようになり、印を押された者たちが永遠に神様と共に生きるようになる。この天国のいのちの木には、毎月、12種の実がなり、犬どもと偽りを好む者たちなどは、都の外にいるようになり、ほしい者にはただでいのちの水が与えられる。
以上の事をもう一度、要約して整理すれば、次のようである。
啓示録1:1-8までは、啓示録の全章を要約した結論である。9節からは、啓示録の事件の始まりで、イエス様は、弟子の使徒ヨハネを選ばれて、七つの星に手紙を送るよう支持される。啓示録2,3章で、ヨハネを通して手紙を七つの星に送られた後、イエス様は、弟子ヨハネを天に呼んで、4章で、神様の御座を見せて下さる。5章では、神様が七つの封印で封じた本を勝利されたイエス様に与えられて、イエス様は、本の七つの封印を6章から解き始めて、8章で、その最後の第七の封印を解かれる事で、本は開かれるようになり、本に記録された預言の実体が全て登場するようになった。
7章の印を押す働きは、6章の選民、太陽・月・星が天から地に落ちて、天も地もなくなった後、あるようになる。8,9章では、6章で追い出された選民が異邦から1/3,1/3づつその霊が死ぬようになった(啓12:4で1/3が死ぬようになる)。10章では、七つの封印が全て解かれて、開かれた本、すなわち、啓示された本を御使いがヨハネに与えて、食べさせて、ヨハネは、本の御言葉を民族、国民、国語、王に全て伝えた。11章では、主に仕える証人が犠牲になった後、最後の第七のラッパが吹かれるようになり、これによって世の国が神様の国になる。
12章では、13章で入って来た竜の牧者である獣に、太陽・月・星を着た女から生まれた子とその兄弟たちが戦って勝利して、勝利する事で竜が追い出されて、この時から神様の国と救いがあるようになった。13章の聖徒たちは、竜の牧者、獣に刻印を受けて拝んだ背教者たちであり、14章の聖徒たちは、神様と小羊に印を押された初穂144000人であった。
15章には、13章の獣とその偶像とその名を示す数字666に勝利して出て来た者たちが、神様の怒りの鉢になって、16章で、その鉢を背教者たちと獣(滅亡者)の国、座にぶちまけて審判するので、バビロンは、三つに裂けるようになった。
17章では、不品行のぶどう酒を食べさせた淫婦とその群れである七つの頭と十本の角を持った獣の秘密が、その国、バビロンの牧者である事を知らせて、18章では、バビロンが不品行のぶどう酒で万国を倒れさせた事と、背教した選民がバビロンの悪霊たちと結婚した事に対して審判した事を知らせた。
19章は、18章のバビロンの審判の後、小羊との婚姻の宴がある事を知らされた。20章には、竜を捕えて閉じ込めた後、殉教した霊たちと私たち生き残った者が一つになって、キリストと共に千年の間、王となる第一の復活があるようになり、21章には、先天の世界がなくなって、新しい天、新しい地に天国と神様が来られる事で、死と苦しみがなくなって、万物も新しくなる。22章には、御座から水晶のようないのちの水が流れ出て、川の両岸のいのちの木には、毎月、12種の実がなり、印を押された者たちが神様と共に永遠に王となる。だが、犬どもと魔術を行う者たちと好んで偽りを言う者たちは、都の外にいるようになり、結局、硫黄の火の池に入るようになる。
イエス様が啓示録を約束されて、今日、来られて成し遂げられた。イエス様は、ご自分の使者を諸教会に遣わして、これらの事(啓示録全章の事件)をあかしさせられた。従って、ほしい者たちはただでいのちの水(永遠に生きる食物)を受けるようになる。
だが、信じない者たち、啓示録を加減した者たちは、天国に入れず、ただ、印を押された者たちといのちの書にその名前が書きしるされた者たちだけが入れる。これが神様の最後の働き、啓示録の成就である。アーメン。
本文:啓1-22章(要約)
神様の最後の働き、啓示録の成就は、どんなものなのか。
正統の選民(教徒)の背教と、異邦の滅亡者による選民の滅亡と、約束の牧者による救いの働きが成し遂げられる事である。啓示録の成就の時、正統の選民であった背教者は、記録された背教の働きを全てするようになり、滅亡者は、記録された滅亡の働きを全てするようになり、救い主は、記録された救いの働きを全てするようになる。
2千年前、イエス様が弟子、使徒ヨハネを天に呼んで、将来に成し遂げられる事を幻で前もって見せて下さって、使徒ヨハネは、見て聞いた事を記録した。それが、すなわち、啓示録である。この啓示録の預言が全ての民族にあかしされるため、全世界に宣べ伝えられるならば、世の終わりが来て(マタ24:14)、そうしてこそ、その預言を成し遂げられる。これを成し遂げる時は、啓示録の全章に記録された通り加減なく全て成し遂げられる。
始まりは、初臨の時のように、まず、道を備える者、七つの星(使者)のともしびの働きがあるようになる(啓1章)。この時、ちょうど、初臨の時のサタンの群れのパリサイ人の牧者たちのようなサタン・ニコライ派(啓2:15)が七つの星の幕屋に侵入する。侵入したサタンの牧者は、幕屋のしもべ(使者)たちと聖徒たちを惑わして、偶像の教訓と供え物を、アダムの時のエバと同じように食べさせて、サタンの神と不品行を行わせた。この時、イエス様が一人の牧者を選ばれて、七つの星の幕屋に悔い改めを促す手紙を送らせるようになる。手紙の内容は、「悔い改めて、侵入したサタンの牧者、ニコライ派と戦って勝利せよ。勝利すれば、啓示録2,3章に約束したもの(祝福)を与える。」と言われたのである。これが約束であり、これを守った者が約束の牧者である。啓示録2,3章の約束した事がなくては、救いも、天国も成し遂げられない。啓示録2,3章の意味と内容を知っている者は、このように話すだろう。
この事が起こった後、啓示録2,3章で、代言の手紙を送った使徒ヨハネは、4章で、イエス様の召しを聞いて、天に上って行って、神様の御座を見て、啓示録2,3章の事件の後、すぐに起こるはずの事を見て聞いた。
5章では、ヨハネは、神様の右の手に七つの封印で封じられた本があることを見て、天上天下に開いたり、見たりする者がいなくて、激しく泣いた。しかし、小羊が勝利したので、その本を受け取って、6章から封印を解き始め、封印を一つずつ解く時ごとに本に記録されたものの実体(実状)が現れる。第六の封印を解かれる時に、天の太陽・月・星が暗くなって落ちて、天と地がなくなる。これは、啓示録2,3章の選民たちが悔い改めよという手紙を受けても悔い改めず、信じないので、6章で審判したのである。これは選民が背教によって滅亡される光景で、神様が御座の前の四つの生き物を通して選民を審判されたのである。
7章は、先天の霊的イスラエルが啓示録2,3章でサタンの牧者を通して異邦の神と不品行を行っても悔い改めないので、6章で審判されて、天も地もなくなったので、7章で再創造が始まる内容である。この創造は、収穫して、各支派に12000人ずつ、12支派144000人に印を押す働きである。従って、6章の事件の後、印を押す働きがある事を言ったのである。
8章では、七つの封印のうち、最後の第七の封印が解かれる。啓示録8,9章では、6章で追い出された者たちが異邦によってその霊が1/3,1/3ずつ殺されて、12章(4節)で1/3が殺されるようになる。
啓示録10章は、イエス様が6章から解かれた七つの封印を8章で全て解かれて、開かれた本を御使いを通して代言の使者、ヨハネに与えるので、ヨハネがこれを受けて食べて、民族、国民、国語、王(世の全ての教団と教会)に伝えるようになるという内容である。
11章では、主に仕える二人の証人が底知れぬ穴から出て来た獣に犠牲になった後、再びいのちの息(生気)を受けて復活して、最後の第七のラッパが吹かれるようになり、世の国が神様の国になり始める。
啓示録13章と12章の天(幕屋)は、同じもので、啓示録2,3章の七つの星の幕屋であった。13章の天の幕屋に入って来たサタンの牧者たちが天の幕屋の聖徒たちと戦って勝利して、聖徒たちの額と右の手にサタンの刻印を押して、刻印を受けた聖徒たちは、サタンの牧者に拝んだ。これは背教したという事である。
12章の太陽・月・星を着た女から生まれた子とその兄弟たちが、幕屋に侵入した竜の群れと戦って勝利するので、この時から神様の国と救いがあるようになる。この事は、2,3章の約束が成し遂げられたのである。
申命記28章に、勝利者と敗者について説明されている。負ければ全てのものを失って、勝利すれば全てのものを占めるのである。6千年間、地球村を治めて来た竜は、もう終わって、捕えられるようになり、勝利された神様は、これから地球村を統治されるようになる。これが勝利である。この時から神様の国が立つようになる。神様の牧者とサタンの牧者の戦いで、神様の牧者が13章では負けて、12章では勝った。
13章の聖徒たちは、サタンの牧者である獣の名前で刻印を受けた者たちであり、14章の聖徒たちは、神様とイエス様の名前で印を押された者たちである。15章では、13章の竜の牧者である獣と、その偶像と、その名を示す数字とに打ち勝った者たちが神様の御座の前に集まって、彼らを神様の怒りを入れた鉢にして、16章の背教者と獣(滅亡者)の座にぶちまける事で審判を施して、これによって獣の国バビロンは、三つに裂ける。
啓示録17章では、淫婦と七つの頭と十本の角の秘密がわかるようになり、18章では、悪霊の国バビロンがサタンの食物である不品行のぶどう酒で万国を倒したので、バビロンが神様に審判を受けた。
6章と18章の審判は、神様がされたが、6章の存在と18章の存在は異なる。6章の審判の対象は、選民、背教者であり、18章の審判の対象は、滅亡者たちであった。18章では、選民が背教して、バビロンの悪霊と結婚して、19章では、小羊の婚姻が施される。
20章では、竜が捕えられて、殉教した霊たちと、私たち生き残った者たちが一つになって、第一の復活者としてキリストと共に千年の間、王となる。そして、千年後、底知れぬ穴から、閉じ込められていた竜は、しばらくの間、出て、ゴグとマゴグ(神様がその中に居られず、肉体だけの者たち)を惑わして、聖なる都を攻撃するが、火で消滅される。これは審判されるのである。
21章では、先天の世界が終わって創造された新しい天、新しい地に神様と天国が臨むので、ここは、死と苦しみがない天国になる。
22章には、働いた通り賞罰(永遠のいのちと永遠の刑罰)があるようになり、印を押された者たちが永遠に神様と共に生きるようになる。この天国のいのちの木には、毎月、12種の実がなり、犬どもと偽りを好む者たちなどは、都の外にいるようになり、ほしい者にはただでいのちの水が与えられる。
以上の事をもう一度、要約して整理すれば、次のようである。
啓示録1:1-8までは、啓示録の全章を要約した結論である。9節からは、啓示録の事件の始まりで、イエス様は、弟子の使徒ヨハネを選ばれて、七つの星に手紙を送るよう支持される。啓示録2,3章で、ヨハネを通して手紙を七つの星に送られた後、イエス様は、弟子ヨハネを天に呼んで、4章で、神様の御座を見せて下さる。5章では、神様が七つの封印で封じた本を勝利されたイエス様に与えられて、イエス様は、本の七つの封印を6章から解き始めて、8章で、その最後の第七の封印を解かれる事で、本は開かれるようになり、本に記録された預言の実体が全て登場するようになった。
7章の印を押す働きは、6章の選民、太陽・月・星が天から地に落ちて、天も地もなくなった後、あるようになる。8,9章では、6章で追い出された選民が異邦から1/3,1/3づつその霊が死ぬようになった(啓12:4で1/3が死ぬようになる)。10章では、七つの封印が全て解かれて、開かれた本、すなわち、啓示された本を御使いがヨハネに与えて、食べさせて、ヨハネは、本の御言葉を民族、国民、国語、王に全て伝えた。11章では、主に仕える証人が犠牲になった後、最後の第七のラッパが吹かれるようになり、これによって世の国が神様の国になる。
12章では、13章で入って来た竜の牧者である獣に、太陽・月・星を着た女から生まれた子とその兄弟たちが戦って勝利して、勝利する事で竜が追い出されて、この時から神様の国と救いがあるようになった。13章の聖徒たちは、竜の牧者、獣に刻印を受けて拝んだ背教者たちであり、14章の聖徒たちは、神様と小羊に印を押された初穂144000人であった。
15章には、13章の獣とその偶像とその名を示す数字666に勝利して出て来た者たちが、神様の怒りの鉢になって、16章で、その鉢を背教者たちと獣(滅亡者)の国、座にぶちまけて審判するので、バビロンは、三つに裂けるようになった。
17章では、不品行のぶどう酒を食べさせた淫婦とその群れである七つの頭と十本の角を持った獣の秘密が、その国、バビロンの牧者である事を知らせて、18章では、バビロンが不品行のぶどう酒で万国を倒れさせた事と、背教した選民がバビロンの悪霊たちと結婚した事に対して審判した事を知らせた。
19章は、18章のバビロンの審判の後、小羊との婚姻の宴がある事を知らされた。20章には、竜を捕えて閉じ込めた後、殉教した霊たちと私たち生き残った者が一つになって、キリストと共に千年の間、王となる第一の復活があるようになり、21章には、先天の世界がなくなって、新しい天、新しい地に天国と神様が来られる事で、死と苦しみがなくなって、万物も新しくなる。22章には、御座から水晶のようないのちの水が流れ出て、川の両岸のいのちの木には、毎月、12種の実がなり、印を押された者たちが神様と共に永遠に王となる。だが、犬どもと魔術を行う者たちと好んで偽りを言う者たちは、都の外にいるようになり、結局、硫黄の火の池に入るようになる。
イエス様が啓示録を約束されて、今日、来られて成し遂げられた。イエス様は、ご自分の使者を諸教会に遣わして、これらの事(啓示録全章の事件)をあかしさせられた。従って、ほしい者たちはただでいのちの水(永遠に生きる食物)を受けるようになる。
だが、信じない者たち、啓示録を加減した者たちは、天国に入れず、ただ、印を押された者たちといのちの書にその名前が書きしるされた者たちだけが入れる。これが神様の最後の働き、啓示録の成就である。アーメン。
The Broken Old Covenant and the New Covenant
The Broken Old Covenant and the New Covenant
Main references: Ex 19:5-6, Lk 22:20
What are the broken old covenant and the new covenant, and who made them with whom respectively? First, let us find out about the broken old covenant. In Genesis 15, God had promised to Abraham what He would fulfill in the future, and God fulfilled this promise through Moses when the time came. God made a covenant again through Moses with the Israelites who came out of Egypt, and the content is recorded in Exodus 19:5-6.
(Ex19:5-6)
“Now if you obey me fully and keep my covenant, then out of all nations you will be my treasured possession. Although the whole earth is mine, you will be for me a kingdom of priests and a holy nation. These are the words you are to speak to the Israelites.”
However, this covenant was broken by the Israelites worshipping gentile gods at the time of Solomon after they entered the land of Canaan (1 Kgs 11). As a result, Israel was captured by a gentile nation. This is the broken old covenant. Thus, Physical Israel was not able to become God’s kingdom and priests or a holy nation, and the covenant made with God was broken. For that reason, it is said in Hosea 6:7, “Like Adam, they have broken the covenant.”
Next, let us look at Jeremiah 31:31-33.
(Jer 31:31-33)
"The time is coming,” declares the Lord, “when I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah. It will not be like the covenant I made with their forefathers when I took them by the hand to lead them out of Egypt, because they broke my covenant, though I was a husband to them,” declares the Lord. “This is the covenant I will make with the house of Israel after that time,” declares the Lord. “I will put my law in their minds and write it on their hearts. I will be their God, and they will be my people.
God’s promise that was made through Jeremiah, saying, “I will make a new covenant,” was fulfilled about 600 years later, at the time of Jesus’ first coming. Jesus made a new covenant in Luke 22:20 and this was the fulfillment of what God had promised to Jeremiah.
(Jer31:34)
“No longer will a man teach his neighbor, or a man his brother, saying, ‘Know the Lord,’ because they will all know me, from the least of them to the greatest,” declares the Lord. “For I will forgive their wickedness and will remember their sins no more.”
The new covenant that Jesus promised is what he made with his disciples through his blood during the night of Passover. He promised to drink the wine, that is, Jesus’ blood and flesh (refer to Jn 6:51-57) anew in his Father’s kingdom, and instead of his blood and flesh, Jesus said to remember him through bread and wine (Mt 26:26-29, Lk 22:14-20).
When and where do we eat Jesus’ blood and flesh which represents the new covenant that God made through Jesus? If we eat the fruit of the tree of life, then we live, and if we instead eat the fruit of the tree of the knowledge of good and evil, then we die. Likewise, if we eat Jesus’ blood and flesh, we live eternally, but if we don’t, we die (Jn 6:51-57).
When will this new covenant in his blood be fulfilled?
The new covenant that Jesus spoke about, the New Testament, is fulfilled at the second coming of Jesus. As seen in Revelation 1:5-6, 5:9-10, 7:14, 12:11, the blood that Jesus shed 2,000 years ago takes effect at this time, and the promised Revelation of the New Testament is fulfilled. Thus, at the Second Coming, Jesus has freed us from our sins and made us to be God’s kingdom and priests through his blood; this is not the old covenant or the broken covenant at the time of Moses, but the new covenant that Jesus promised at the First Coming which has been fulfilled today at the time of the fulfillment of Revelation of the New Testament.
God has worked for 6,000 years since Adam sinned to fulfill Revelation of the New Testament, and this Revelation is a compilation of what is promised in the 27 books of the New Testament. In order for Revelation to be fulfilled, there must be the blood of Jesus. The blood that Jesus shed 2,000 years ago takes effect or provides power in Revelation. That is, fighting and overcoming the group of the dragon, receiving forgiveness of sins, creating God’s kingdom and priests and people cannot be done without the blood. Fighting and overcoming Satan is a great work, receiving forgiveness of sins is also a great work, and creating God’s kingdom and priests and His people is a great work as well. All this work can be completed through the blood of Jesus. This is the work regarding the new covenant. This is the covenant of the blood in which congregation members must believe.
Just like we have to keep promises between people, there is salvation only if we keep the covenant made with God. Those who do not keep this covenant cannot receive salvation, and those who keep it can receive salvation. Those who keep the covenant are the ones that believe and act according to God’s will, and those who do not keep it are the ones that neither act according to His will nor believe in it. The content of the new covenant does not merely mean that we received atonement and salvation since Jesus shed his blood for us, sinners. The reason why Jesus’ blood is needed is recorded in the new covenant. As mentioned above, Jesus’ blood is needed to receive atonement, to fight and overcome the group of the dragon, and to create God’s kingdom and priests and people. This is the content of the new covenant.
There are those who kept the covenant and those who did not at the time of Moses, in the Old Testament, and in the New Testament. Revelation is a compilation of the new covenant, and in John 14:29, it is said that we were told in advance (prophecy) so that when it does happen, we will believe.
When Jesus came and fulfilled the Old Testament, the pastors of Jerusalem did not know about this Old Testament. Also, since they did not preach this to their congregation members, they didn’t believe in the fulfillment of the Old Testament and Jesus. Likewise, the Christian Council of Korea (CCK), which is an example of traditional Christianity today, neither knows about the New Testament nor teaches it to their congregation members. So, they, along with their congregation members, do not recognize the fulfillment of the New Testament and the promised pastor, but only persecute.
A true pastor walks with God, has truth in his mouth, and becomes a messenger who speaks on behalf of God. Their appointed task is to make known the fulfillment of the Old Testament and the prophecy of the New Testament that will be fulfilled or appear to the congregation members so that when it is fulfilled, they can know, acknowledge, and believe in it. However, a pastor who turns from the way and does not keep God’s word and promise becomes a betrayer that abandons the covenant.
The fulfillment of the New Testament never waits, and it will take place soon when the appointed time comes. If the believers today do not believe in the fulfillment of the New Testament, then there will be no salvation, and the sins of the pastors who do not teach the New Testament will not be little. All people will receive judgment and they will go to either the kingdom of heaven or hell according to their deeds. Once the New Testament is fulfilled, it will never come again. What the congregation members should believe in the New Testament is the fulfillment of Revelation.
Let us, the congregation members of Shincheonji, teach the fulfillment of Revelation from the New Testament to the pastors and their congregation members in traditional churches, especially to the pastors of the CCK. Just as Jesus and his disciples preached the fulfillment of the Old Testament (Jn 19:30) at the First Coming, let us testify to the fulfillment of the New Testament (Rv 21:6) to the pastors of the CCK and their congregation members. This is our appointed task today, and eternal gospel (Rv 14:6).
God’s will and purpose is to fulfill the new covenant (New Testament), and our appointed task is to believe and keep the fulfillment of the New Testament, the new covenant. Those who do not know the big difference between the kingdom of heaven and hell will ignore this. Those who know the eternal punishment and eternal life will believe and keep the promise (New Testament).
Now is the time when the dragon is seized and God reigns. Let us all keep the new covenant so that we can live together in the kingdom of God.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
http://cafe.daum.net/scjschool/E3qZ/718
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What are the broken old covenant and the new covenant, and who made them with whom respectively? First, let us find out about the broken old covenant. In Genesis 15, God had promised to Abraham what He would fulfill in the future, and God fulfilled this promise through Moses when the time came. God made a covenant again through Moses with the Israelites who came out of Egypt, and the content is recorded in Exodus 19:5-6.
(Ex19:5-6)
“Now if you obey me fully and keep my covenant, then out of all nations you will be my treasured possession. Although the whole earth is mine, you will be for me a kingdom of priests and a holy nation. These are the words you are to speak to the Israelites.”
However, this covenant was broken by the Israelites worshipping gentile gods at the time of Solomon after they entered the land of Canaan (1 Kgs 11). As a result, Israel was captured by a gentile nation. This is the broken old covenant. Thus, Physical Israel was not able to become God’s kingdom and priests or a holy nation, and the covenant made with God was broken. For that reason, it is said in Hosea 6:7, “Like Adam, they have broken the covenant.”
Next, let us look at Jeremiah 31:31-33.
(Jer 31:31-33)
"The time is coming,” declares the Lord, “when I will make a new covenant with the house of Israel and with the house of Judah. It will not be like the covenant I made with their forefathers when I took them by the hand to lead them out of Egypt, because they broke my covenant, though I was a husband to them,” declares the Lord. “This is the covenant I will make with the house of Israel after that time,” declares the Lord. “I will put my law in their minds and write it on their hearts. I will be their God, and they will be my people.
God’s promise that was made through Jeremiah, saying, “I will make a new covenant,” was fulfilled about 600 years later, at the time of Jesus’ first coming. Jesus made a new covenant in Luke 22:20 and this was the fulfillment of what God had promised to Jeremiah.
(Jer31:34)
“No longer will a man teach his neighbor, or a man his brother, saying, ‘Know the Lord,’ because they will all know me, from the least of them to the greatest,” declares the Lord. “For I will forgive their wickedness and will remember their sins no more.”
The new covenant that Jesus promised is what he made with his disciples through his blood during the night of Passover. He promised to drink the wine, that is, Jesus’ blood and flesh (refer to Jn 6:51-57) anew in his Father’s kingdom, and instead of his blood and flesh, Jesus said to remember him through bread and wine (Mt 26:26-29, Lk 22:14-20).
When and where do we eat Jesus’ blood and flesh which represents the new covenant that God made through Jesus? If we eat the fruit of the tree of life, then we live, and if we instead eat the fruit of the tree of the knowledge of good and evil, then we die. Likewise, if we eat Jesus’ blood and flesh, we live eternally, but if we don’t, we die (Jn 6:51-57).
When will this new covenant in his blood be fulfilled?
The new covenant that Jesus spoke about, the New Testament, is fulfilled at the second coming of Jesus. As seen in Revelation 1:5-6, 5:9-10, 7:14, 12:11, the blood that Jesus shed 2,000 years ago takes effect at this time, and the promised Revelation of the New Testament is fulfilled. Thus, at the Second Coming, Jesus has freed us from our sins and made us to be God’s kingdom and priests through his blood; this is not the old covenant or the broken covenant at the time of Moses, but the new covenant that Jesus promised at the First Coming which has been fulfilled today at the time of the fulfillment of Revelation of the New Testament.
God has worked for 6,000 years since Adam sinned to fulfill Revelation of the New Testament, and this Revelation is a compilation of what is promised in the 27 books of the New Testament. In order for Revelation to be fulfilled, there must be the blood of Jesus. The blood that Jesus shed 2,000 years ago takes effect or provides power in Revelation. That is, fighting and overcoming the group of the dragon, receiving forgiveness of sins, creating God’s kingdom and priests and people cannot be done without the blood. Fighting and overcoming Satan is a great work, receiving forgiveness of sins is also a great work, and creating God’s kingdom and priests and His people is a great work as well. All this work can be completed through the blood of Jesus. This is the work regarding the new covenant. This is the covenant of the blood in which congregation members must believe.
Just like we have to keep promises between people, there is salvation only if we keep the covenant made with God. Those who do not keep this covenant cannot receive salvation, and those who keep it can receive salvation. Those who keep the covenant are the ones that believe and act according to God’s will, and those who do not keep it are the ones that neither act according to His will nor believe in it. The content of the new covenant does not merely mean that we received atonement and salvation since Jesus shed his blood for us, sinners. The reason why Jesus’ blood is needed is recorded in the new covenant. As mentioned above, Jesus’ blood is needed to receive atonement, to fight and overcome the group of the dragon, and to create God’s kingdom and priests and people. This is the content of the new covenant.
There are those who kept the covenant and those who did not at the time of Moses, in the Old Testament, and in the New Testament. Revelation is a compilation of the new covenant, and in John 14:29, it is said that we were told in advance (prophecy) so that when it does happen, we will believe.
When Jesus came and fulfilled the Old Testament, the pastors of Jerusalem did not know about this Old Testament. Also, since they did not preach this to their congregation members, they didn’t believe in the fulfillment of the Old Testament and Jesus. Likewise, the Christian Council of Korea (CCK), which is an example of traditional Christianity today, neither knows about the New Testament nor teaches it to their congregation members. So, they, along with their congregation members, do not recognize the fulfillment of the New Testament and the promised pastor, but only persecute.
A true pastor walks with God, has truth in his mouth, and becomes a messenger who speaks on behalf of God. Their appointed task is to make known the fulfillment of the Old Testament and the prophecy of the New Testament that will be fulfilled or appear to the congregation members so that when it is fulfilled, they can know, acknowledge, and believe in it. However, a pastor who turns from the way and does not keep God’s word and promise becomes a betrayer that abandons the covenant.
The fulfillment of the New Testament never waits, and it will take place soon when the appointed time comes. If the believers today do not believe in the fulfillment of the New Testament, then there will be no salvation, and the sins of the pastors who do not teach the New Testament will not be little. All people will receive judgment and they will go to either the kingdom of heaven or hell according to their deeds. Once the New Testament is fulfilled, it will never come again. What the congregation members should believe in the New Testament is the fulfillment of Revelation.
Let us, the congregation members of Shincheonji, teach the fulfillment of Revelation from the New Testament to the pastors and their congregation members in traditional churches, especially to the pastors of the CCK. Just as Jesus and his disciples preached the fulfillment of the Old Testament (Jn 19:30) at the First Coming, let us testify to the fulfillment of the New Testament (Rv 21:6) to the pastors of the CCK and their congregation members. This is our appointed task today, and eternal gospel (Rv 14:6).
God’s will and purpose is to fulfill the new covenant (New Testament), and our appointed task is to believe and keep the fulfillment of the New Testament, the new covenant. Those who do not know the big difference between the kingdom of heaven and hell will ignore this. Those who know the eternal punishment and eternal life will believe and keep the promise (New Testament).
Now is the time when the dragon is seized and God reigns. Let us all keep the new covenant so that we can live together in the kingdom of God.
Amen!
SHINCHEONJI Healing All Nations
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2015년 8월 23일 일요일
神最后的事工─成就启示录
神最后的事工─成就启示录
主要经文:启1-22章(概要)
神最后的事工即启示录的成就是怎样的(事件)?
这就是成就传统选民(教徒)的背道(之事)、选民被外邦灭亡者灭亡(之事)以及立约的牧者所行的救恩之事。在启示录成就之时,本为传统选民的背道者将行(圣经里)所记载的所有背道之事,灭亡者将行(圣经里)所记载的所有灭亡之事,救恩者则会行(圣经里)所记载的所有救恩之事。
两千年前,耶稣将他的门徒使徒约翰呼召到天上,通过异象预先指示给他将要必成之事。使徒约翰将自己所看见、听见的都记载了下来,这就是启示录。启示录的预言要传遍天下,对万民作见证,然后末期才来到(太24:14),到那时(神)才会成就此预言。成就(预言)时,(神)将照启示录全章所记载的(内容)毫不加删地全部成就。
与初临时一样,(再临时)首先要有预备道路者七星(使者)的灯台事工(启1章)。这时,撒但的尼哥拉党(启2:15)正如初临时撒但的组织,即法利赛人的牧者一样,入侵七星(使者)所在的帐幕。入侵(帐幕)的属撒但的牧者将迷惑帐幕里的仆人(使者)和圣徒们,叫他们吃祭偶像之物、与撒但的灵行奸淫之事,就如亚时(撒但)迷惑夏娃吃(善恶果)一样。这时,耶稣拣选了一位牧者给七星帐幕发悔改的信。信里的内容是:“应当悔改;要与入侵(帐幕)的属撒但的牧者即尼哥拉党争战得胜;若得胜就能领受启示录2、3章中所应许的(福)”。这就是约定,遵守此(约定)的就是立约的牧者。若没有启示录2、3章的应许,天国和救恩就无法成就。知晓启示录2、3章的旨意和内容的人也会这么认为。
此后,在启示录2、3章中发送代言之信的使徒约翰在4章中蒙耶稣的呼召上到了天上,看见了神的宝座,还看见、听见了启示录2、3章的事件以后将要必成的事。
在(启示录)5章中约翰看见神的右手中有用七印封严的书卷,因为在天上、地上、地底下没有能展开、能观看那书卷的,(约翰)就大哭。然而,因羔羊已得胜便取了那书卷,在6章里开始揭印。每揭开一个印,记载在书卷里的实体(实状)就会显现。当揭开第六印的时候,天上的日头、满月、星辰都变黑并坠落于地,(先前的)天地都消失了。这是因为启示录2、3章中的选民在收到命其悔改的书信后仍不悔改也不信,所以(神)在6章中审判了(他们)。这就是选民因背道而遭灭亡的情景,神通过宝座前的四活物审判了选民。
因为先天属灵的以色列在启示录2、3章中通过属撒但的牧者与外邦神行奸淫后仍不悔改,在6章中受到了审判,(先前的)天地都消失了,所以(神)从7章便开始了再创造(的事工)。此创造是给收割而来的各支派一万两千即十二支派十四万四千名印(神)印的事工,即在6章的事件以后,将有印(神)印的事件。
在8章中,(耶稣)将揭开七印中的最后一个印,即第七印。启示录8、9章中,外邦(的牧者)将杀害三分之二在6章中被赶出的人们(圣徒),(其余)三分之一将在12章(4节)中被杀害。
在11章中侍奉主的两个见证人被从无底坑出来的兽杀害后再次得到生气并复活。末次的号角即第七枝号吹响,(这时)世上的国就成了神的国。
耶稣在6章和8章揭开全部七印后,在启示录10章中通过天使将展开的书卷传给了约翰,约翰吃尽(书卷)后,将其(内容)传讲给了多民、多国、多方、多王(世上所有的教团和教会)。
启示录13章和12章中的天(帐幕)相同,也就是启示录2、3章中的七星帐幕。在13章中属撒但的牧者们入侵天上帐幕,与天上帐幕的圣徒们争战得胜,在圣徒们的手上、额上印上撒但的印记。被印上印记的圣徒们敬拜属撒但的牧者,这就是背道(之事)。
在12章中披着日头、月亮、十二星的妇人所生的孩子及其弟兄们与侵入帐幕里的龙的组织争战得胜。从那时起,神的国度和救恩都来到了。这是启示录2、3章的应许得以成就的事件。
在申命记28章中记载着关于胜者和败者的说明。战败的必失去所有,得胜的就会领受所有(福分)。这时,掌管地球村六千年的龙要被捉住,得胜的神要作地球村的王。这就是胜利。从这时起,神的国就要显现。在神的牧者与撒但的牧者争战中,神的牧者在13章中战败,在12章中得了胜。
13章中的圣徒们是受了为撒但的牧者的兽之名印记的人;14章中的圣徒们是用神和耶稣之名受印的人。在15章中,胜了13章中龙的牧者兽和兽的像并它名字数目的人,都站在神的宝座前,作盛神大怒的碗,(将神的大怒)倒在16章里的背道者及兽(灭亡者)的座位上,以此施行审判。由此,兽的国巴比伦将裂为三段。
在启示录17章中(神)晓谕了大淫妇及七头和十角兽的奥秘。在18章中鬼魔的住处巴比伦因用撒但的粮即邪淫的酒使列国倾倒,而受到了神的审判。
虽然神在6章和18章中都施行了审判,但是这两章中(受审判)的对象则不相同。6章中受审判的对象是背道者选民,18章中受审判的对象是灭亡者们。在18章中选民们背道,与巴比伦的鬼魔结了婚;在19章中(神将)摆设羔羊的婚筵。
在20章中,龙将被捉住,被斩者的灵与得胜的我们合而为一成为头一次复活的人,与基督一同作王一千年。那一千年完了,龙要从无底坑里暂被释放,出来迷惑歌革和玛各(没有神在里面的肉体),围攻蒙爱的城,(最终他们)将被火烧灭。这就是(他们)受到的审判。
在21章中先天世界将终结,神和天国将临于新天新地,这里将成为不再有死亡和疼痛的天国。
在22章中(神)要照(各人)所行进行赏罚(永生或永罚),受(神)印的人们将与神一同生活,直到永永远远。在这天国的生命树上每月都结12样果子,那些犬类和好说谎言、编造虚慌一类的人将在城外,而愿意的都可以白白取生命的水喝。
以下是对上文的概括整理:
启示录1章1-8节是启示录全章的概括结论。启示录的事件从(1章)9节开始,耶稣拣选他的门徒使徒约翰,指示他给七星(使者)写信。耶稣在启示录2,3中通过约翰给七星(使者)写信后,呼召约翰到天上,在4章中将神的宝座显示给约翰。在启示录5章中,神将用七印封严了的书卷赐给了得胜的耶稣,在6章中耶稣开始揭开书卷上的七印,在8章中随着最后一个印的揭开书卷就被完全展开了,至此书卷上所记载的预言的实体就都显现了。
在6章中选民即日头、满月、星辰从天上坠落于地,天与地都消失了,此后7章印(神)印的事件就开始了。6章中被赶出的选民的灵在启示录8,9章中被外邦杀害三分之二(在启12章4中被杀害三分之一)。在10章中,天使将揭开七印的展开的书卷,即启示的书卷交给约翰,命其吃下并向多民、多国、多王传讲书卷上所记载的话语。在11章中,侍奉主的两个见证人被杀害之后,最后一枝号角就要吹响,这时世上的国就成了神的国。
在12章中,披着日头、月亮、十二星的妇人所生的孩子及其弟兄们与在13章中入侵(帐幕圣殿)的龙的牧者即兽争战得胜,至此龙被赶出,从这时起神的国度和救恩就都来到了。13章中的圣徒们受了龙的牧者即兽的印,是向兽敬拜的背道者。14章中的圣徒们是受了神和羔羊的印的十四万四千初熟的果子。
在15章中,胜了13章的兽和兽的像并它名字数目六百六十六的人成了神大怒的碗,(这碗)在16章中倒向背道者与兽(灭亡者)的国和座位上并施行审判,至此巴比伦就裂为了三段。
在17章中使圣徒喝了邪淫的酒的淫妇及其组织,即七头和十角的兽的秘密被揭开,他们就是巴比伦的牧者们。在18章中,万国都因巴比伦邪淫的酒而倾倒,背道的选民和巴比伦的鬼魔们结婚而遭到审判。
在19章中(神)晓谕(我们)在18章巴比伦遭到审判后将有羔羊的婚筵。在20章中,龙被捉住并被捆绑后,殉教者的灵和活着的我们将要合一,与基督一同作王一千年,这就是头一次的复活。在21章中,先天先地已不再有,天国与神来到新天新地,死亡和疼痛都将消失,万物都要更新。在22章中,从宝座中有明亮如水晶的生命水的河流出,河的两边有生命树,每月结十二样果子,受(神)印之人将与神一同作王,直到永永远远。而犬类、行邪术的和编造虚谎的将在城外,最终进入硫磺火湖之中。
耶稣应许了启示录,今日(耶稣)来临并成就了(启示录)。耶稣差遣了他的使者为众教会证明了这些事(启示录全章事件),愿意的都可以白白取生命的水(永生之粮)喝。
然而,不信之人,加删启示录之人则进不了天国,只有受(神)印且名录生命册之人才能进入(天国)。这就是神最后的事工——启示录的成就。阿们。
主要经文:启1-22章(概要)
神最后的事工即启示录的成就是怎样的(事件)?
这就是成就传统选民(教徒)的背道(之事)、选民被外邦灭亡者灭亡(之事)以及立约的牧者所行的救恩之事。在启示录成就之时,本为传统选民的背道者将行(圣经里)所记载的所有背道之事,灭亡者将行(圣经里)所记载的所有灭亡之事,救恩者则会行(圣经里)所记载的所有救恩之事。
两千年前,耶稣将他的门徒使徒约翰呼召到天上,通过异象预先指示给他将要必成之事。使徒约翰将自己所看见、听见的都记载了下来,这就是启示录。启示录的预言要传遍天下,对万民作见证,然后末期才来到(太24:14),到那时(神)才会成就此预言。成就(预言)时,(神)将照启示录全章所记载的(内容)毫不加删地全部成就。
与初临时一样,(再临时)首先要有预备道路者七星(使者)的灯台事工(启1章)。这时,撒但的尼哥拉党(启2:15)正如初临时撒但的组织,即法利赛人的牧者一样,入侵七星(使者)所在的帐幕。入侵(帐幕)的属撒但的牧者将迷惑帐幕里的仆人(使者)和圣徒们,叫他们吃祭偶像之物、与撒但的灵行奸淫之事,就如亚时(撒但)迷惑夏娃吃(善恶果)一样。这时,耶稣拣选了一位牧者给七星帐幕发悔改的信。信里的内容是:“应当悔改;要与入侵(帐幕)的属撒但的牧者即尼哥拉党争战得胜;若得胜就能领受启示录2、3章中所应许的(福)”。这就是约定,遵守此(约定)的就是立约的牧者。若没有启示录2、3章的应许,天国和救恩就无法成就。知晓启示录2、3章的旨意和内容的人也会这么认为。
此后,在启示录2、3章中发送代言之信的使徒约翰在4章中蒙耶稣的呼召上到了天上,看见了神的宝座,还看见、听见了启示录2、3章的事件以后将要必成的事。
在(启示录)5章中约翰看见神的右手中有用七印封严的书卷,因为在天上、地上、地底下没有能展开、能观看那书卷的,(约翰)就大哭。然而,因羔羊已得胜便取了那书卷,在6章里开始揭印。每揭开一个印,记载在书卷里的实体(实状)就会显现。当揭开第六印的时候,天上的日头、满月、星辰都变黑并坠落于地,(先前的)天地都消失了。这是因为启示录2、3章中的选民在收到命其悔改的书信后仍不悔改也不信,所以(神)在6章中审判了(他们)。这就是选民因背道而遭灭亡的情景,神通过宝座前的四活物审判了选民。
因为先天属灵的以色列在启示录2、3章中通过属撒但的牧者与外邦神行奸淫后仍不悔改,在6章中受到了审判,(先前的)天地都消失了,所以(神)从7章便开始了再创造(的事工)。此创造是给收割而来的各支派一万两千即十二支派十四万四千名印(神)印的事工,即在6章的事件以后,将有印(神)印的事件。
在8章中,(耶稣)将揭开七印中的最后一个印,即第七印。启示录8、9章中,外邦(的牧者)将杀害三分之二在6章中被赶出的人们(圣徒),(其余)三分之一将在12章(4节)中被杀害。
在11章中侍奉主的两个见证人被从无底坑出来的兽杀害后再次得到生气并复活。末次的号角即第七枝号吹响,(这时)世上的国就成了神的国。
耶稣在6章和8章揭开全部七印后,在启示录10章中通过天使将展开的书卷传给了约翰,约翰吃尽(书卷)后,将其(内容)传讲给了多民、多国、多方、多王(世上所有的教团和教会)。
启示录13章和12章中的天(帐幕)相同,也就是启示录2、3章中的七星帐幕。在13章中属撒但的牧者们入侵天上帐幕,与天上帐幕的圣徒们争战得胜,在圣徒们的手上、额上印上撒但的印记。被印上印记的圣徒们敬拜属撒但的牧者,这就是背道(之事)。
在12章中披着日头、月亮、十二星的妇人所生的孩子及其弟兄们与侵入帐幕里的龙的组织争战得胜。从那时起,神的国度和救恩都来到了。这是启示录2、3章的应许得以成就的事件。
在申命记28章中记载着关于胜者和败者的说明。战败的必失去所有,得胜的就会领受所有(福分)。这时,掌管地球村六千年的龙要被捉住,得胜的神要作地球村的王。这就是胜利。从这时起,神的国就要显现。在神的牧者与撒但的牧者争战中,神的牧者在13章中战败,在12章中得了胜。
13章中的圣徒们是受了为撒但的牧者的兽之名印记的人;14章中的圣徒们是用神和耶稣之名受印的人。在15章中,胜了13章中龙的牧者兽和兽的像并它名字数目的人,都站在神的宝座前,作盛神大怒的碗,(将神的大怒)倒在16章里的背道者及兽(灭亡者)的座位上,以此施行审判。由此,兽的国巴比伦将裂为三段。
在启示录17章中(神)晓谕了大淫妇及七头和十角兽的奥秘。在18章中鬼魔的住处巴比伦因用撒但的粮即邪淫的酒使列国倾倒,而受到了神的审判。
虽然神在6章和18章中都施行了审判,但是这两章中(受审判)的对象则不相同。6章中受审判的对象是背道者选民,18章中受审判的对象是灭亡者们。在18章中选民们背道,与巴比伦的鬼魔结了婚;在19章中(神将)摆设羔羊的婚筵。
在20章中,龙将被捉住,被斩者的灵与得胜的我们合而为一成为头一次复活的人,与基督一同作王一千年。那一千年完了,龙要从无底坑里暂被释放,出来迷惑歌革和玛各(没有神在里面的肉体),围攻蒙爱的城,(最终他们)将被火烧灭。这就是(他们)受到的审判。
在21章中先天世界将终结,神和天国将临于新天新地,这里将成为不再有死亡和疼痛的天国。
在22章中(神)要照(各人)所行进行赏罚(永生或永罚),受(神)印的人们将与神一同生活,直到永永远远。在这天国的生命树上每月都结12样果子,那些犬类和好说谎言、编造虚慌一类的人将在城外,而愿意的都可以白白取生命的水喝。
以下是对上文的概括整理:
启示录1章1-8节是启示录全章的概括结论。启示录的事件从(1章)9节开始,耶稣拣选他的门徒使徒约翰,指示他给七星(使者)写信。耶稣在启示录2,3中通过约翰给七星(使者)写信后,呼召约翰到天上,在4章中将神的宝座显示给约翰。在启示录5章中,神将用七印封严了的书卷赐给了得胜的耶稣,在6章中耶稣开始揭开书卷上的七印,在8章中随着最后一个印的揭开书卷就被完全展开了,至此书卷上所记载的预言的实体就都显现了。
在6章中选民即日头、满月、星辰从天上坠落于地,天与地都消失了,此后7章印(神)印的事件就开始了。6章中被赶出的选民的灵在启示录8,9章中被外邦杀害三分之二(在启12章4中被杀害三分之一)。在10章中,天使将揭开七印的展开的书卷,即启示的书卷交给约翰,命其吃下并向多民、多国、多王传讲书卷上所记载的话语。在11章中,侍奉主的两个见证人被杀害之后,最后一枝号角就要吹响,这时世上的国就成了神的国。
在12章中,披着日头、月亮、十二星的妇人所生的孩子及其弟兄们与在13章中入侵(帐幕圣殿)的龙的牧者即兽争战得胜,至此龙被赶出,从这时起神的国度和救恩就都来到了。13章中的圣徒们受了龙的牧者即兽的印,是向兽敬拜的背道者。14章中的圣徒们是受了神和羔羊的印的十四万四千初熟的果子。
在15章中,胜了13章的兽和兽的像并它名字数目六百六十六的人成了神大怒的碗,(这碗)在16章中倒向背道者与兽(灭亡者)的国和座位上并施行审判,至此巴比伦就裂为了三段。
在17章中使圣徒喝了邪淫的酒的淫妇及其组织,即七头和十角的兽的秘密被揭开,他们就是巴比伦的牧者们。在18章中,万国都因巴比伦邪淫的酒而倾倒,背道的选民和巴比伦的鬼魔们结婚而遭到审判。
在19章中(神)晓谕(我们)在18章巴比伦遭到审判后将有羔羊的婚筵。在20章中,龙被捉住并被捆绑后,殉教者的灵和活着的我们将要合一,与基督一同作王一千年,这就是头一次的复活。在21章中,先天先地已不再有,天国与神来到新天新地,死亡和疼痛都将消失,万物都要更新。在22章中,从宝座中有明亮如水晶的生命水的河流出,河的两边有生命树,每月结十二样果子,受(神)印之人将与神一同作王,直到永永远远。而犬类、行邪术的和编造虚谎的将在城外,最终进入硫磺火湖之中。
耶稣应许了启示录,今日(耶稣)来临并成就了(启示录)。耶稣差遣了他的使者为众教会证明了这些事(启示录全章事件),愿意的都可以白白取生命的水(永生之粮)喝。
然而,不信之人,加删启示录之人则进不了天国,只有受(神)印且名录生命册之人才能进入(天国)。这就是神最后的事工——启示录的成就。阿们。
2015년 8월 21일 금요일
まことの宗教と非宗教
まことの宗教と非宗教
本文:ロマ8:1-11(ヨハ3:3-8、マラ2:1-8)
まことの宗教と非宗教は、どんなものなのか。
まことの宗教は、天のまことの神様から来る教育であり、非宗教は、神様から来たものではなく、ほかの神から来たものや、または、恣意的な教育(宗教)である。宗教人たちは、誰でも神様を信じると言い、自分たちが教えて学ぶ御言葉が、神様の啓示の御言葉だと言い、自分たちの宗教が一番だと信じている。そうならば、私が学んで信じて従う神とその教育が、まことの神様の啓示なのか。そうでなければ、にせものの神様の啓示なのか。恣意的判断によるものなのか。国教2)なのか。文化的なものなのか、迷信的なものなのか。
人は、神の家であり(Ⅰコリ3:9)、神の種を受ける畑(ルカ8:15参考)と同じである。言葉は、その神と同じで(ヨハ10:35参考)、その教訓の言葉が人に入るならば、その人は、その言葉を信じて従うので、その神のしもべになるのである。
人(教徒)の数が多いと言って、また、伝統宗教だと言って、まことの宗教と見る事はできない。確実なのは、まことの神様とその啓示であってこそ、まことの宗教になることである。まことの宗教は、始まり(初め)から、その創造した主人と、また創造したもの(内容)があり、四季と年限があり、歴史と系図があり、続く預言とその成就された事がある。どんなものが、まことの神様の宗教であり、どんなものがにせものの宗教なのか、調べて見る事にする。
宗教人はみな、自分の宗教の神にはまって、他人の宗教について最初から信じようとせず、聞こうともしない。だが、審判の時には、その行いに従って本に記録された通り審判されるという御言葉(啓20:12)が応じざるを得ない。
宗教(最上の宗、教える教)の意味について、その漢字の根源を調べて見よう。宗教という漢字を分析してみると、「宀(うかんむり部、家『メン』、宀は、『屋根、天』を象徴)、示(しめす『ジ』)、孝(孝行『コウ』)、1)攵(=攴:打つ・むち打つ『ボク』→むちで打って教える)」であり、従って、東洋では宗教という言葉が「最上の教え」、すなわち「天のものを見て聞いて、その御心と孝行を教えるもの」という意味になる。西洋では、宗教をリリジョン(religion)と言ったので、この言葉は、切れてしまった命の綱をつなげるという意味である。以上のように調べて見た事が、宗教を教える理由である。
多くの宗教人たちが一様に神様を信じて、神様のもので教育すると言う。しかし、宗教の名称も異なり、経典も異なり、行動(宗教的規範に従った行為)も異なり、儀式も異なる。神様が約束された祭司長、すなわち礼拝を導く牧者は、神様と共に歩む者であり、その口には、神様の御言葉を代言する真理があり、民たちが、その口から真理を求めるようにならなければならないし、神様の代言の使者にならなければならない。これがマラキ書2章に記録された、神様と祭司長、すなわち牧者との契約である。
宗教があかしする言葉は、六何の原則に基づかなければならないし、系図と年代と流れが正常でなければならない。また、昔から続いて来た預言とその成就が今まで続かなければならないし、預言が成就された実体を示す事ができるあかしがなければならない。時代ごとに出現した神様の約束の牧者は、以前の時代に前もって約束しておいた牧者で、彼について約束(預言)した事がなければならないし、その約束通り現れた者でなければならないし、約束した事をする者でなければならない。
その例を挙げれば、初臨のイエス様は、旧約の約束通り処女から生まれて、神様がこの子と共におられ(イザ7:14→マタ1:18-25)、ベツレヘムで生まれて(ミカ5:2→マタ2:1-6)、またロバの子に乗ってエルサレムに入って平和を叫ばれた(ゼカ9:9-10→ルカ19:33-42)。そして、旧約の約束を全て成し遂げられた(ヨハ19:30)。そうしてこそ、約束の牧者として認められるようになるのである。
今日、世の終わりに創造される国も、約束の牧者が経典(聖書)に前もって定められている。この牧者も経典の約束通り来て、約束した事を成し遂げる事によって、神様が約束された牧者になり、神様の遣わされた牧者として認められるようになる。
経典の内容は、大きく歴史、教訓、預言、成就で記録されている。そして、預言が成し遂げられる時は、三つの事件、すなわち、背教、滅亡、救いの働きがあるようになり、この働きを任された三つの存在(背教者、滅亡者、救い主)が現れて、記録された自分の事を各々成し遂げるようになる。そこで、聖徒はそのする働きを見て、その存在がわかるようになる。
たとえ、自分の宗教と経典がまことだとしても、経典の意味もわからず、その御心通りにできない牧者ならば、神様と共に歩む代言の使者とは言えない。教団の名称と経典と行動が神様が与えられたものではなく、恣意的なものであるならば(例:注釈)、サタンの神による偽りを教えて、天が命じなかった儀式と法度と行動をするならば、これは、神様と敵対して、敵になるだろう。
神様を信じるという宗教が各々違うという事は、同じ神様ではないからである。そして、地球村で起こる戦争のうち、約80%が宗教によって起こる紛争と戦争であるという事は、神様の宗教ではないからである。神様は、天地創造主であられ、創造した万物を愛され、創造された人に生めよ、増えよと言われた。そして、互いに赦し合って、愛し合いなさいと言われ、祝福しなさいと言われた。すなわち、神様は、互いに争て、戦って、殺して、のろいなさいとは言われなかった。従って、戦って殺してのろうのは、その神が各々違うからである。
私教3)と国教と迷信と恣意的宗教と文化的なものをまことの宗教に誤解して作り出した偽りの集団が多い。従って、今日、宗教が腐敗したという事は、幼い子どもでもわかることができる。本当に義と真理と完全なものと神様を信じる宗教ならば、腐敗した宗教をまことの神様に捧げて、神様の中で宗教が一つにならなければならない。そうして、2014年、平和会議で各宗教人たちは、宗教大統合をする事で、神様の中で一つになる事を、天地と神様と世界の万民の前と平和の使者の前で誓約をした。これだけが地球村の戦争を終息して、平和を成し遂げて、後代の遺産とする唯一の方法である。
教団も宗教も牧者も聖書も、それを信じる民たちのためのものであり、牧者と聖書と教団のためのものではない。まことの牧者は、神様と共にいる者にならなければならないし、公義行動を行わなければならないし、経典に精通しなければならないし、万民がその口から真理を求める事ができなければならないし、神様の使者になって、啓示を伝える代言の使者にならなければならない(マラ2:7参考)。経典に精通できなかったり、神様が共におられなかったり、啓示(啓示の御言葉)がなかったり、真理がなければ、彼はまことの牧者とは言えない。このような者の宗教は、私教であるのみであり、生計の手段のための職業としての恣意的宗教に過ぎないのである。
神様も、聖徒たちも、隣人も、御言葉も愛さない牧者ならば、これはサタンの偽りの牧者なのである。まことの牧者は、神様と共に歩み、神様の御言葉を代言する牧者で、聖書に精通しなければならないし、永遠に生きる食物を聖徒たちに食べさせてあげなければならないし、審判する白い石で義の審判をしなければならないし、万国を鉄の杖で治めなければならない。また、地球村に戦争をなくさなければならないし、平和を成し遂げて後代の遺産になるようにしなければならないし、赦して愛して、神様が統治される平和の世界になるようにしなければならない。
また、まことの牧者は、敵に復讐せず、敵をも愛さなければならない。世界は、まことの神様が創造されたものなので、これを愛さなければならない。華麗な楽園の世界に創造しなければならないし、万国を蘇醒させなければならない。祈りと啓示で万民に神様を知らせなければならない。天地万物と人々を本来の姿と形に戻して、永遠に神様に感謝と栄光を捧げる天民になるようにしなければならない。
私は、熱心を尽くして、この働きをしている。アーメン。
1)「宗教」の「教」の原字は、「敎」であり、「教」は、俗字である。上の本文の破字は、俗字である「教」を分析したものである。
2)国教=その国が認めている宗教
3)私教=自ら作り出した宗教
本文:ロマ8:1-11(ヨハ3:3-8、マラ2:1-8)
まことの宗教と非宗教は、どんなものなのか。
まことの宗教は、天のまことの神様から来る教育であり、非宗教は、神様から来たものではなく、ほかの神から来たものや、または、恣意的な教育(宗教)である。宗教人たちは、誰でも神様を信じると言い、自分たちが教えて学ぶ御言葉が、神様の啓示の御言葉だと言い、自分たちの宗教が一番だと信じている。そうならば、私が学んで信じて従う神とその教育が、まことの神様の啓示なのか。そうでなければ、にせものの神様の啓示なのか。恣意的判断によるものなのか。国教2)なのか。文化的なものなのか、迷信的なものなのか。
人は、神の家であり(Ⅰコリ3:9)、神の種を受ける畑(ルカ8:15参考)と同じである。言葉は、その神と同じで(ヨハ10:35参考)、その教訓の言葉が人に入るならば、その人は、その言葉を信じて従うので、その神のしもべになるのである。
人(教徒)の数が多いと言って、また、伝統宗教だと言って、まことの宗教と見る事はできない。確実なのは、まことの神様とその啓示であってこそ、まことの宗教になることである。まことの宗教は、始まり(初め)から、その創造した主人と、また創造したもの(内容)があり、四季と年限があり、歴史と系図があり、続く預言とその成就された事がある。どんなものが、まことの神様の宗教であり、どんなものがにせものの宗教なのか、調べて見る事にする。
宗教人はみな、自分の宗教の神にはまって、他人の宗教について最初から信じようとせず、聞こうともしない。だが、審判の時には、その行いに従って本に記録された通り審判されるという御言葉(啓20:12)が応じざるを得ない。
宗教(最上の宗、教える教)の意味について、その漢字の根源を調べて見よう。宗教という漢字を分析してみると、「宀(うかんむり部、家『メン』、宀は、『屋根、天』を象徴)、示(しめす『ジ』)、孝(孝行『コウ』)、1)攵(=攴:打つ・むち打つ『ボク』→むちで打って教える)」であり、従って、東洋では宗教という言葉が「最上の教え」、すなわち「天のものを見て聞いて、その御心と孝行を教えるもの」という意味になる。西洋では、宗教をリリジョン(religion)と言ったので、この言葉は、切れてしまった命の綱をつなげるという意味である。以上のように調べて見た事が、宗教を教える理由である。
多くの宗教人たちが一様に神様を信じて、神様のもので教育すると言う。しかし、宗教の名称も異なり、経典も異なり、行動(宗教的規範に従った行為)も異なり、儀式も異なる。神様が約束された祭司長、すなわち礼拝を導く牧者は、神様と共に歩む者であり、その口には、神様の御言葉を代言する真理があり、民たちが、その口から真理を求めるようにならなければならないし、神様の代言の使者にならなければならない。これがマラキ書2章に記録された、神様と祭司長、すなわち牧者との契約である。
宗教があかしする言葉は、六何の原則に基づかなければならないし、系図と年代と流れが正常でなければならない。また、昔から続いて来た預言とその成就が今まで続かなければならないし、預言が成就された実体を示す事ができるあかしがなければならない。時代ごとに出現した神様の約束の牧者は、以前の時代に前もって約束しておいた牧者で、彼について約束(預言)した事がなければならないし、その約束通り現れた者でなければならないし、約束した事をする者でなければならない。
その例を挙げれば、初臨のイエス様は、旧約の約束通り処女から生まれて、神様がこの子と共におられ(イザ7:14→マタ1:18-25)、ベツレヘムで生まれて(ミカ5:2→マタ2:1-6)、またロバの子に乗ってエルサレムに入って平和を叫ばれた(ゼカ9:9-10→ルカ19:33-42)。そして、旧約の約束を全て成し遂げられた(ヨハ19:30)。そうしてこそ、約束の牧者として認められるようになるのである。
今日、世の終わりに創造される国も、約束の牧者が経典(聖書)に前もって定められている。この牧者も経典の約束通り来て、約束した事を成し遂げる事によって、神様が約束された牧者になり、神様の遣わされた牧者として認められるようになる。
経典の内容は、大きく歴史、教訓、預言、成就で記録されている。そして、預言が成し遂げられる時は、三つの事件、すなわち、背教、滅亡、救いの働きがあるようになり、この働きを任された三つの存在(背教者、滅亡者、救い主)が現れて、記録された自分の事を各々成し遂げるようになる。そこで、聖徒はそのする働きを見て、その存在がわかるようになる。
たとえ、自分の宗教と経典がまことだとしても、経典の意味もわからず、その御心通りにできない牧者ならば、神様と共に歩む代言の使者とは言えない。教団の名称と経典と行動が神様が与えられたものではなく、恣意的なものであるならば(例:注釈)、サタンの神による偽りを教えて、天が命じなかった儀式と法度と行動をするならば、これは、神様と敵対して、敵になるだろう。
神様を信じるという宗教が各々違うという事は、同じ神様ではないからである。そして、地球村で起こる戦争のうち、約80%が宗教によって起こる紛争と戦争であるという事は、神様の宗教ではないからである。神様は、天地創造主であられ、創造した万物を愛され、創造された人に生めよ、増えよと言われた。そして、互いに赦し合って、愛し合いなさいと言われ、祝福しなさいと言われた。すなわち、神様は、互いに争て、戦って、殺して、のろいなさいとは言われなかった。従って、戦って殺してのろうのは、その神が各々違うからである。
私教3)と国教と迷信と恣意的宗教と文化的なものをまことの宗教に誤解して作り出した偽りの集団が多い。従って、今日、宗教が腐敗したという事は、幼い子どもでもわかることができる。本当に義と真理と完全なものと神様を信じる宗教ならば、腐敗した宗教をまことの神様に捧げて、神様の中で宗教が一つにならなければならない。そうして、2014年、平和会議で各宗教人たちは、宗教大統合をする事で、神様の中で一つになる事を、天地と神様と世界の万民の前と平和の使者の前で誓約をした。これだけが地球村の戦争を終息して、平和を成し遂げて、後代の遺産とする唯一の方法である。
教団も宗教も牧者も聖書も、それを信じる民たちのためのものであり、牧者と聖書と教団のためのものではない。まことの牧者は、神様と共にいる者にならなければならないし、公義行動を行わなければならないし、経典に精通しなければならないし、万民がその口から真理を求める事ができなければならないし、神様の使者になって、啓示を伝える代言の使者にならなければならない(マラ2:7参考)。経典に精通できなかったり、神様が共におられなかったり、啓示(啓示の御言葉)がなかったり、真理がなければ、彼はまことの牧者とは言えない。このような者の宗教は、私教であるのみであり、生計の手段のための職業としての恣意的宗教に過ぎないのである。
神様も、聖徒たちも、隣人も、御言葉も愛さない牧者ならば、これはサタンの偽りの牧者なのである。まことの牧者は、神様と共に歩み、神様の御言葉を代言する牧者で、聖書に精通しなければならないし、永遠に生きる食物を聖徒たちに食べさせてあげなければならないし、審判する白い石で義の審判をしなければならないし、万国を鉄の杖で治めなければならない。また、地球村に戦争をなくさなければならないし、平和を成し遂げて後代の遺産になるようにしなければならないし、赦して愛して、神様が統治される平和の世界になるようにしなければならない。
また、まことの牧者は、敵に復讐せず、敵をも愛さなければならない。世界は、まことの神様が創造されたものなので、これを愛さなければならない。華麗な楽園の世界に創造しなければならないし、万国を蘇醒させなければならない。祈りと啓示で万民に神様を知らせなければならない。天地万物と人々を本来の姿と形に戻して、永遠に神様に感謝と栄光を捧げる天民になるようにしなければならない。
私は、熱心を尽くして、この働きをしている。アーメン。
1)「宗教」の「教」の原字は、「敎」であり、「教」は、俗字である。上の本文の破字は、俗字である「教」を分析したものである。
2)国教=その国が認めている宗教
3)私教=自ら作り出した宗教
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