2015년 8월 12일 수요일

約束の牧者の使命と境遇

約束の牧者の使命と境遇



本文:ヨハ5:18-24



 約束の牧者の使命と境遇は、どんなものなのか。

 神様の御心通りする働きである。万民を自分自身のように愛さなければならない。また、敵に殺される殉教が全てではなく、神様が目的とされる御心を成し遂げなければならない。神様の約束は、ただの一度も成し遂げられなかった事がなかった。もし、約束された事がこの地で成し遂げられなければ、誰が神様を信じるだろうか。従って、その御心を成し遂げなければならない。



 神様は、約束された啓示録を成し遂げられるためにモーセの時から今まで働いて来られて、今日、その約束を成し遂げられる。これが神様の御心を成し遂げる事であり、人類の望みを成し遂げる事である。また、これは神様のまことの国と祭司長と白い群れの民が再創造される事である。そうして、神様がこの地の地球村で竜を捕えて底知れぬ穴に閉じ込められて、まことの神様が統治される世界になるのである(啓19:6、20:1-3)。これは、この地の地球村に戦争が終息されて、永遠の平和と天国と永遠のいのちがあるようになる事である。そうして、神様とイエス様が遣わされた使者は、死ぬ事もできず、逃げる事もできず、働きをあきらめる事もできず、中止する事もできず、誰かに働きを代わってもらう事もできず、敵がしている事を黙視する事もできない。常に耐えて、伝道して、戦って勝利しなければならない。憎くても愛さなければならない。私がする働きは、私一人でする事ではない。主と共にする働きである。



 私(約束の使者)は、貧しい家で天の光として生まれた。悲しみも、苦痛も、飢えも、蔑視も、冷遇も、毒々しいまなざしも受けて来た。また、人を殴ったり、人に殴られたりもしたし、身を粉にして働いたりもした。そして、同族同士で殺し合った悲劇的な韓国戦争(朝鮮戦争)当時、最前線で戦闘兵として戦争に参戦したりもした。苦痛の中で死んで行く戦友たちも数えきれないほど見た。前進も、後退もできない中、空腹に土と実弾の雷管の火薬も食べたりもした。生きるためにもがきもした。銃の音、大砲の音、ジェット機の音、爆弾の音が1秒も休むことなく、天も地も胸も太鼓のように鳴って、天は煙で覆われていた。一着しか持っていない男の血のついた軍服は、いつ着替えられるのか。銃に撃たれて死んで、飢えて死んで、これが同族の悲劇。今だに我が国(韓国)は、分断国家として危険が潜んでいる。このような戦乱から生きて出て来た私は、天の導きで神様に血書も書き、宗教(信仰)生活に入った。宗教生活の中でも多くの試練があった。これが教訓なのか、鍛錬なのか。



 ある日、天から来られる主に出会った。その御言葉を聞いて従って行くと、私が出て来た教会、幕屋聖殿に導かれた。しかし、誰も受け入れてくれず、苦痛がやって来た。耐えなければならない。そんな中、昔の人、昔の友人たちが一人二人ずつやって来た。3年間、山で集まり(礼拝)を持った。そうするうちに、トイレもないアパートの地下に教会を設けて集まり、その後、地上に出て来て、木曜日ごとに集会を開いて、水原公設運動場で12支派を創設した。宦官の村である仁徳院から果川に入って来て、その後、世界で一番大きな規模のボランティアをした。そして、第6回、世界平和・光復、天の文化芸術体典を開催した。これは人類世界最高の体典であった。



 ドイツの東・西ドイツが政治と法では統一できなかったが、宗教人たちのろうそくの灯のデモが統一の礎石を成し、ついに平和が来るようになった。フィリピンのミンダナオは、40年の宗教紛争で約12万人の人命を犠牲にし、政府軍と反政府軍の対峙状態が持続されて、解決できなかった。今、ここは、戦争が終息されて、平和が来て、この日、反政府軍は、私を通して神様の御言葉を聞いて、自分自身の武器を全て政府に渡した。



 私は、世界で最も多い賞状と賞杯と勲章をもらった。だが、これらは本当の賞状ではなく、平和の世界になる事が本当の賞状であり、これは、永遠の賞状になるだろう。



 戦争終息と地球村の平和は、本当に神様の御心である。神様は、このために働いておられる。一つの時代が行って、もう一つの時代が来るたびに、地上世界は、宗教人たちによって腐敗して、滅亡され、これによって新しい時代が創造された。アダムの世界からノアの世界が、ノアの世界からモーセの世界が、モーセの世界からイエス様(初臨)の世界が、イエス様の世界、霊的イスラエルからイエス様の再臨の霊的新しいイスラエル、すなわち、約束の国の時代が来たのである。

 約束の国は、不変の神様の新しい国である。この新しい国は、神様の約束である新約の啓示録通り成し遂げられた国である。だが、信仰人たちにこれがわからないという事は、一つの時代が腐敗したという事と終わったという御言葉が応じたのである。



 新約に約束した牧者は(啓3:12参考)、イエス様の代言の使者で、諸教会のためにイエス様が遣わされた約束の牧者である(啓22:16)。遣わされた約束の牧者は、イエス様の御心、すなわち、神様の御心通りする。神様も、天国も、イエス様も、創世以後、主の中で死んだ霊たちも、約束の牧者に来られる(啓3:12)。もし、聖徒と牧者たちに新約の啓示録の意味がわかったならば、神様が来られた所、天国が来た所、イエス様が共におられる所、その御座がある所である勝利者に来ただろう。ここに来た事が神様に来た事になり、天国に来た事になって、イエス様に来たことになる。



イエス様の初臨の時、神様と天国が来た所(場所)は勝利者であるイエス様であった。だが、当時のユダヤ人たちが盲人で、心が暗くてこれを知らなかったのである。今日もこのように韓国の牧者たちと教徒たちが教権と名誉とお金に対する欲はあっても、神様の約束と働きと御心については関心もなく、依然としている。だが、神様はダニエルが言ったように、ヨハネが言ったように、永遠の神様の国を建てられる(ダニ2:44参考)。竜の世界が終わり、神様の統治時代が到来したのである。これが長い歳月の中で勝利された神様の実であり、能力であり、救いであり、創造である。

 これを見て、聞いて、あかしする事が、約束の牧者の使命であり、苦痛の中で耐えて、忍耐の中でするべき働きである。



  全世界の政治家たちと法官たちと宗教人たちと各団体長たちと各国のマスコミの放送関係者たちが平和の使者である私を信じて、平和運動のために働いている。

 

 私が行く道は、狭く険しい道で、殉教の道であり、天国に行く道である。だが、私は、聖書の約束を信じる。竜が捕えられ閉じ込められて、神様が統治される平和の国、永遠の国、愛の国、永遠のいのちの国を信じる。アーメン。



 「光と光の出会いは勝利」

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