2015년 8월 10일 월요일

初めの御言葉と私

初めの御言葉と私



本文:ヨハ1:1-5、12-13



 (ヨハ1:1-5)初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2この方は、初めに神とともにおられた。3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。4この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。



(ヨハ1:12-13)しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。13この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。



(マタ13:31-33)……「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、32どんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」33イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」



 これが初めの御言葉でできた神様の子どもと天国である。



 犯罪者アダムの遺伝子で生まれた者たちは、神様の子どもになる事ができず、天国にもなれない。初めの御言葉がない者は、その中に神様もなく、いのちの光もなく、神様が彼の父ではなく、彼もまた神様の子どもではない。初めの御言葉が私の中にある事によって神様といのちがあるようになり、神様の子どもになる。

 肉体が神様を信じると言う言葉で「主よ、主よ」と言うと言って、神様の子どもになるのではなく、神様の種で生まれた者が神様のまことの子どもである。

 初めの御言葉が神様であり、神様は、神であり、霊である。従って、初めの御言葉を受けた者を神と言い、神の子孫だと言った(ヨハ10:35、使17:29)。



 動物も植物も遺伝子の種によって存在するようになり、どんな種で生まれたのかに従って、その姿と形と行いが似るようになる。今まで地球村の人々は、誰でもみんな犯罪者アダムの遺伝子で生まれたので、罪人である。天地には、創造主神様がいて、背教したサタンがいる。人が再び生まれるようにするのは、神の種であり、神の種は二種類で、一つは神様の種であり、一つはサタンの種である(マタ13章参考)。人は、どんな種で生まれたかに従って、その姿と形と行いが異なる。神様の種で生まれた人の行いは、神様の行いと同じで、サタンの種で生まれた者の行いは、サタンの行いと同じである。神様から生まれた者は、神様の御言葉を信じ、神様に属さない者は、神様の御言葉を信じも聞きもしない。



 世は、アダムが罪を犯した後、今日まで腐敗に腐敗を重ねて来て、罪に罪を重ねて来た。神様は、アダムの罪によって人類世界を洪水で滅亡させられた。アダムの原罪と、祖先たちの遺伝罪と、私たちの自犯罪が加わったので、人の罪が加重された。神様がこのような世を倒されないだろうか。従って、イエス様は、来る世をノアの時、ロトの時のようだと言われた(ルカ17:26-30)。

 イエス様は、万民の罪を赦すため、十字架にかかられて、血を流された。この血は、イエス様の再臨の時である啓示録の成就の時、約束通り成し遂げられる。神様と天国とイエス様が再び世に来られるその時は、ノアの時、ロトの時のように、一つの時代を終えられて、新しい時代、新しい世を再び創造される。これは、約束された新約通り再創造される。



 この時、私は、果たして、どんな者になるのか。私も聖書の約束通り新しい被造物に創造される。イエス様の血と神様の種で新しく生まれた新しい被造物である。これが御言葉通り創造される事である。



 誰でも聖書の御言葉の意味に従って、新しい被造物に創造されてこそ、天国に入って、神様と共に生きる事ができる。アーメン。



 「光と光の出会いは勝利」

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