神様の天地創造と新しい天地創造の理由
本文:啓21章(創1章、出25章、マタ6:10)
神様が創造された天地創造と新しい天地創造は、どんなものであり、どのように違うのか。
創造は、二種類がある。一つは、霊界の創造であり、一つは、天で成し遂げたように、この地(肉界)にそれと同じように成し遂げた創造である。霊界で新しい創造がある時には、この地でもそのように新しい創造があるようになる。これは、創造の主人が神様であられるからである。
創世記1、2章は、新しい天地の創造を話している。すなわち、アダム・エバの犯罪によって天地万物の所有権が6千年間、サタンのものになって、サタンの姿に変質されたので、神様が再び天地を創造されるのである。今まで地球村の万民は、犯罪者アダムの遺伝子で生まれたので、罪人であり、啓示録18章で見たように、サタンの不品行のぶどう酒によって万国が倒れたと言ったので、再び創造されるのが当然だろう。
そして、啓示録21章に、「新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。」と言った。以前のものは、罪によって終わって、新しいものは罪を負うためではない、神様の種と霊で再び生まれた新しい天、新しい地なので(ヘブ9:28参考)、以前のものと二番目のものが違うのである。また、主人も違う。以前のものの主人はサタンであり、新しいものの主人は、神様であられる。
神様は、アダムが罪を犯した後、回復と再創造のために働いて来られた(ヨハ5:17参考)。罪を犯したアダムの世界を洪水で倒して、ノアの世界を立て、ノアの世界が罪を犯す事によってアブラハムの世界であり、モーセの律法の世界である肉的イスラエルを立て、また、肉的イスラエルの王ソロモンの世界が罪を犯す事によって(Ⅰ列11章)、肉的イスラエルを倒して、イエス・キリストの世界、霊的イスラエルを立てられた。神様は、イエス様と共におられ、イエス様を通して旧約を成し遂げられ、再び血で新約を約束された。
聖書で見たように、神様は、アダムの時から数多くの働きを繰り返して来られた。これは、神様の御心通り神様の国と民族、すなわち、天地を立てられるためであった。
モーセによって律法は与えられ(出24:12、レビ26:46、ヨハ1:17)、イエス様は、律法を廃棄するために来られたのではなく、成就するために来られたのであり(マタ5:17)、律法がキリストに導く養育係となった(ガラ3:24)と言われた事も、神様が目的を持って、アダム以後、働いて来られたのであり、その目的は、新約の成就であった。旧約を全て成し遂げられた(ヨハ19:30)ように、新約も全て成し遂げられると前もって語られた(啓21:6)その通り、全て成し遂げられる。
新約の啓示録の内容が過去のどの時代の約束と成就よりも違う点は、過去の事件は将来の事のためであり、新約は、6千年間約束して、目的として来たその結果を完成する事で、神様の働きのアルファとオメガという事である。新約の啓示録が成就される時には、過去と違って、竜を捕えて縛る時であり、この時は、神様の勝利の時なのである。
イエス様は、御心が天で行われるように、地でもそのように成し遂げると言われた。初臨の時、勝利されたイエス様(ヨハ16:33)が天で成し遂げられて、再臨の時である今日、天(霊界)と地(肉界)の新しい天地で同時代に勝利する事によって(啓12:7-11、6:2)竜が捕えられ、竜の世界が終わって、神様の世界が到来するのである(啓20:1-3、19:6)。
こうして、血によって約束した新しい契約、啓示録を加減してはならないと言われたのである(啓22:18-19)。啓示録では、伝統として伝えて来た、イエス様の初臨の時代が終わって、再臨の新しい時代が開かれるので、以前の時代が終わって、新しい時代の新しい天地が創造される。
2千年前、イエス様の初臨の時にも肉的イスラエルが自分たちの知恵と律法だけにこだわって、神様が遣わされた旧約の預言者たちの預言を信じず、また、預言の約束によって来られたイエス様を信じず、迫害して、殺す事までした。このように今日も、イエス様が初臨で来られて、旧約を成し遂げられた事は信じても、血によって約束された新約、すなわち、新しい契約の御言葉である啓示録と四福音書の預言は信じないので、啓示録に終末が約束された以前の天と以前の地、すなわち、霊的イスラエルにこだわっている。しかし、神様は、初臨の時、約束通り肉的イスラエルを終わらせたように、今日、霊的イスラエルを終わらせて、霊的新しいイスラエルを創造される。すなわち、伝統である以前の天地がなくなって、新しい天、新しい地が創造されたのである。これは約束通り初臨の時、蒔かれた種で実を結んだ初穂を収穫して、印を押す事で、霊的新しいイスラエル、すなわち、新しい天、新しい地を天で成し遂げられた(啓21章)ように、この地でも成し遂げられたのである。
よって、救いと天国を望んでいる聖徒は、啓示録の約束通り成し遂げられた所を探すべきであり、それよりもまず、啓示録のまことの意味を学んで分かるべきである。新約の啓示録がわからない者は、啓示録が成し遂げられたとしても、初臨の時、旧約が成し遂げた事をユダヤ人たちが信じなかったように、信じない。
今日、創造された新天地イエス教は、啓示録21章通り創造された新しい天、新しい地である。これは、今日以前の時代の天地創造ではなく、今日創造された新しい天、新しい地である。すなわち、天地再創造である。
啓示録21章で、天から下って来る聖なる都、新しいエルサレムは、その城壁に十二の土台石があって、その上に、小羊の十二使徒たちの名前がある。すなわち、イエス様の十二弟子たちが土台石をなしている。これは、昔のものではなく、新しいものなので、新しいエルサレムと言われ、旧約時代のモーセが天のものを見て、この地にそのように幕屋を造ったように、今日も、天のものを見て、そのように創造したのである(マタ6:10)。
新天地イエス教は、教名も約束された新約と同じにしたので(啓21:1、15:5)、これが聖書通り創造したという事(再創造)である。
神様と天から下って来る新しいエルサレムとイエス様が来られる所がある。すなわち、啓示録3章12節の勝利者に来られるのであり、勝利者は、霊的新しいイスラエルになって約束した12支派を創設した。これは御心が(御心を)天で成し遂げられた(啓21章)ように、この地でも成し遂げた事になる。
神様も天国(霊界)も、勝利者に来られたので、死んだ者の霊たちも生きている者たちも、神様と天国に来る者は、勝利者を通してだけ来る事ができる。この約束の言葉を信じない者は、不信者であり、信じないという事は、サタンの所属になったからである。
御言葉と実状を信じて救われる者になる事を祈っている。アーメン。
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