2015년 7월 7일 화요일

背教者と滅亡者が背教と滅亡の働きをする理由

背教者と滅亡者が背教と滅亡の働きをする理由



本文:啓13章(Ⅱテサ2:1-12、啓2章、創3:1-7)



 背教者と滅亡者が各々背教と滅亡の働きをする理由は、何なのか。預言の成就の時には、背教の働きと滅亡の働きがあり、この後、救いの働きがあると、使徒パウロは、第二テサロニケ2章で語った。



 背教をするしかない理由は、二つがある。その一つは、惑わしによるものである。アダムとエバの背教も、惑わしによるものであった。もう一つは、勢力によるものである。啓示録13章の事件と18章の事件は、勢力による背教であった。惑わしによって敵の所属になったのであれ、勢力によって占領され、敵の所属になったのであれ、敵の統治権の中にいるという事は、捕らわれて捕虜になったという事であり、負けた者は、勝利した者のしもべになったという事である(申28章参考)。



 敵に捕らわれて捕虜になるならば、時間が流れるのに従って言葉も文字も行動も思想も敵と一つになる。もし、惑わしや侵入にあった者に、神様と神様の国とその御言葉の意味がわかったならば、敵の統治権の中にはいなかっただろう。その理由は、主人が違って、国が違って、教法と目的が違うので、区分してわかる事ができるのであり、また、敵の統治権の中にいるならば、その結果は、悪魔の兵士になって、地獄に行くようになる事がわかるからである。かえって、戦って殉教者になれば、その霊は天国に行くだろう。だが、聖書の意味もわからず、聖書についての知識がなければ、神様の御心も望みも、その結果もわからないので、そして、神様の国を一般の世の国に考えるので、また、惑わしや侵入の結果も、敵の国も、その存在もわからないので、そして、神様の国を大した事ではないと思って、肉(肉体)によって良い暮らしをすればいいとだけ考えるので、神様の国を重要に思わない。



 キリスト教の世の終末であり、再臨の時である今日、選民が惑わしと侵入で敵と一つになったこの時に、侵害された選民を救うため、救い主が来る。第二テサロニケ2章通り、侵害されて捕虜になった選民が、約束の御言葉を信じて、悟って、自分を救いに約束の牧者が来るという事を知っていたならば、約束の牧者、すなわち、救い主を受け入れる事ができただろう。しかし、聖書も、神様の御心も、自分たちの現実もわからないならば、救い主を受け入れず、かえって、敵と一つになって、救い主を攻撃するだろう。啓示録13章の背教者たちもそうであった。



 初臨の時、事実上、エルサレムの選民は、蛇、すなわち、サタンの牧者に侵害されて捕虜になった境遇であったが、彼らは、悟れず、かえって、自分たちを救いに来られたイエス様を迫害し、殺すところまで至った。新約の啓示録の成就の時は、どうだと言われたのか。選民の幕屋にサタンの牧者が入って、サタンの教訓(教え)と偶像の神にささげた物を食べさせて、しもべたちを誘惑し、サタンの神と不品行を行わせた。よって、イエス様は、約束の牧者を選んで、代言の使者にして、悔い改めを促す手紙を七人の使者に送らせた(啓2、3章)。



 記録されたように、ヨハネの福音書1章1節に、初めの御言葉が神様だと言われ、また、神様は、神(霊)であり、この御言葉を受けた者を神だとヨハネの福音書10章35節に記録した。よって、サタンの言葉を信じて受け入れるならば、サタンの神(霊)が自分に入って来るのであり、神様の御言葉を信じて、受け入れるならば、神様の聖神が自分に入って来るのである。第一コリント3章16節の御言葉のように、人は神の家である。

 背教者と滅亡者が各々背教と滅亡の働きをする理由は、まさにこのような事である。選民がサタンの牧者の言葉を信じてエバのようにその言葉を受け入れる事によって、神様には背教になり、自分にはサタンの神がすでにその中に入って、精神を主管するようになる。よって、背教した選民は、サタンの兵士になったのであり、サタンと一つになったのである。それゆえ、神様は、蛇の言葉を聞いて信じたアダムとエバが、その手を伸ばし、いのちの木の実を取って食べ、永遠に生きるようになる事を恐れて、エデンから追い出して、入れないように、回る炎の剣とケルビムを置いて、守らせたのである(創3:22-24)。



 信じない事が罪であり(マコ16:15‐16、ヨハ16:9)、信仰によってその所属になる。もし、背教者が聖書のまことの意味をわかったならば、背教するだろうか。背教しない。よって、聖徒が知識がないので滅ぼされると、ホセア4章6節に語れたのである。



 今、信仰の世界は、終末の時になって、アモス書8章11‐13節の御言葉のように、全世界に御言葉がない。御言葉がある所は、ただ、開かれた啓示の本を受けて食べた牧者がいる(啓10章)新天地だけである。末世の聖徒が救われるためには、永遠の食物、すなわち、いのちの御言葉がある所に来なければならない。しかし、世は、腐敗によってサタンの神(霊)が人々の精神を捕えているので、来る能力がないのである。鉄でできたものと磁石がついていても、磁石よりも強い力で引き離せば落ちるだろう。このように、サタンの神(霊)がその精神を握っている人は、それよりも強い力で引き離せば神様に来る事ができる。その力は、神様のまことの御言葉にある。



 背教者たちと滅亡者たちが天国に行かれず、地獄に行くのは、彼らが各々背教の働きと滅亡の働きをしたからである。また、救いの働きをできないように妨害する働きをしたからである。



 約束の国、新天地は、救いの働きをあかしする証拠幕屋聖殿である。誰にでも門は、いつも開かれている。来て、聞いて、信じる者は、救いを得るだろう。アーメン。

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